59話
ぼろぼろと涙を流しながら、オフィーリアの死を告げるオスカーに、テオは、何と言って声をかけて良いのかわからず、しばらく呆然と佇んでいた。
「ジ、ジオルグさんを呼んできます!」
テオは、この場をなんとかできるのはジオルグしかいないと思い、慌てて実験室へと走った。
少しの間の後、中和剤を手にしたテオと一緒に、ジオルグが部屋に入って来た。
ジオルグは、松葉杖を使えばなんとか一人で歩けるようになったが、まだ足を引きずるようにして歩く姿が痛々しい。
「お嬢さんに触れても良いですか?」
「ああ、頼む・・・、なんとかオフィーリアを生き返らせてくれ・・・」
俯き、頭を抱えたオスカーから、いつもとは別人のような弱々しい声が聞こえた。
ジオルグは松葉杖をつき、足を引きずるようにしてオフィーリアに近づき、失礼しますと一言添えて、首筋に指を当てる。
「確かに脈拍は感じられない。この状態になったのはいつから?」
ジオルグの冷静な対応に、オスカーの心にも普段の冷静さが戻ってくる。
「昨夜は、まだ弱々しくはあったが、心臓は動いていた。」
「すると、こうなったのは数時間前、長くても半日ほど・・・。ならば、死んでいると判断するには、まだ早いと思います。」
「き、希望は・・・あるのか?」
「それは何とも言えませんが・・・、過去に、同じような状態に陥った人が生き返った事例があります。我々は、その状態を仮死状態と呼んでいますが・・・。」
ジオルグは、眠るように死んでいるオフィーリアの顔をじっと見て、小さく頷いた。
「お嬢さんの場合、鳥人になった際、急激に細胞を酷使しすぎたので、全身の細胞が弱くなっているとも考えられるのです。そのせいで、指で触れても脈動が弱すぎて感じられないのかもしれません。」
「で、では、俺は、どうすれば良い? オフィーリアのために何ができる?」
「私が知る範囲での事例を考えると、仮死状態から蘇生できるのは二十四時間以内です。お嬢さんの場合、まだ可能性があります。中和剤ができたので、飲ませて上げてください。」
テオが、中和剤が入った吸い口をオスカーに手渡した。
「飲ませると言っても、今のお嬢さんには飲む力はありません。舌を湿らせるように、少しずつ少しずつ口に含ませてあげてください。では、私はこれで失礼します。」
ジオルグが去り、テオも実験室の片づけがあるからと出ていくと、オスカーとオフィーリアの二人きりになった。
オスカーは、オフィーリアの上半身を起こし、吸い口に入っている中和剤を、ほんの少しずつ、少しずつ、口から零れぬように気をつけながらオフィーリアに飲ませた。
「オフィーリア、必ず助けるから・・・」
長い時間をかけて、やっとの思いで全部飲ませ終えたが、オフィーリアの状態に何の変化も見られなかった。
「オフィーリア・・・」
オスカーは動かぬオフィーリアを、そっとベッドに横たえた。
オフィーリアは、草木一本生えていない殺伐とした荒野の上を飛んでいた。
目につく木があったとしても、全て枯れ木で緑がない。
背中に生えている大きな白い翼は、傷だらけでボロボロだ。
鳥のように自由に飛べるなんて、いつものオフィーリアなら喜んでいただろうが、決して嬉しいものではなかった。
身体全身が痛い。
見ている景色が殺伐としていて、ちっとも楽しくない。
そしてなによりも、隣にオスカーがいない・・・。
「オスカー様はどこ? 私はいったいどこを飛んでいるの?」
どこへ行くという当てもなく、ただオスカーを探して彷徨っている自分がいる・・・。
時折り、飛びながら意識が遠のき、ぼーっとしてしまうのだが、そんなときに、ふと自分の手を見ると、色が薄くなり、手の向こうの景色が透けて見える。
このまま空気になって消えてしまいそう・・・
だけど、消えそうだと思った瞬間、どこからかオスカーの声が聞こえてくる。
「オフィーリア、俺はここにいる。頼むから行かないでくれ。」
オスカー様、どこにいるの?
キョロキョロと辺りを見回しても、どこにもオスカーは見当たらない。
オフィーリアは身体の痛さを堪えて、オスカーの姿を求めてふらふらと飛び続ける。
「オフィーリア、生きてくれ。俺を一人にしないでくれ・・・」
ああ、またオスカー様の声が聞こえる・・・
だけど・・・、探しているのに、どこにいるのかわからない・・・
いったいどれくらい飛び続けただろうか・・・。
もう疲れたわ。このまま休んでもいい?
オフィーリアは枯れ木を見つけると、その枝に降り立ち、翼を閉じた。
ふと、自分の足を見ると、透けてその下の枝が見える。
えっ? 今度は足も?
時間と共に、手足だけでなく、身体全体が徐々に透明になっていく。
空気と同化していく自分の身体を見て、本当に消えてしまうのだと、オフィーリアは思った。
頭はしだいに、思考が定まらなくなっていく・・・。
ところで私、どうして飛んでいたんだったっけ?
オフィーリアは、飛んでいた目的すらわからなくなり、首をひねる。
大切なこと・・・忘れてる?
しばらく枯れ枝の上でぼーっとしていたら、身体のほとんどの色が消えた。
意識もほぼ消えかけ、何も考えられなくなり、深い眠りに誘われていたとき・・
ふわっ・・・
身体が暖かくなるのを感じた。
何故かはわからないが、身体の中心に温かいものが流れ込んできた。
それは少しずつ少しずつ、身体を満たし、全身に広がっていく。
同時に消えかけていた身体の色が徐々に戻ってきた。
「オフィーリア、必ず助けるから・・・」
オスカーの声が聞こえた。
ああ、そうだ、私・・・思い出したわ。
オスカー様を探していたんだった。
私がオスカー様を守らなくっちゃ・・・
きっとオスカー様、私を待っているわ・・・。
オフィーリアの身体に不思議と力が湧いてきた。
もう、疲れたなんて言わない、オスカー様を探しに行くわ。
オフィーリアは、再び翼を広げて宙に飛び出した。
バサッ、バサッ、
翼の羽ばたきも力強くなってきた。
しばらく飛び続けると、地上の風景が、殺伐とした荒野から、緑に覆われた大地に変わった。
点々と咲くピンクの花や黄色い花が、風に揺れている。
オスカーがオフィーリアに中和剤を飲ませてから六時間たった。
ずっとオフィーリアのそばにいて、少しの変化も見逃すまいと、祈る気持ちで見つめていた。
すると、どうだろう。
血の気のなかったオフィーリアの顔に、ほんの少し赤みがさした。
「オ、オ、オフィーリア?」
オスカーがオフィーリアの胸に耳を当てると、微かな鼓動が戻っていた。
「オ、オフィーリアが・・・生き返った!」
オスカーがオフィーリアの手を握ると、冷たかった手にも温もりが戻っている。
「ああ、オフィーリア、良かった。本当に良かった。」
オスカーの目から温かい涙があふれだし、止まらない。
ぽたぽたと頬を流れ落ちる涙を拭うことも忘れて、オフィーリアの顔をじっと見つめた。
俺の声がオフィーリアに届くようにと、祈りを込めて話しかけた。
「オフィーリア、俺はここにいるよ。早く俺のもとに戻っておいで。」
オスカー様の声が聞こえる。
私を呼んでいる・・・。
「オフィーリア、俺はここにいるよ。早く俺のもとに戻っておいで。」
宙を飛びながら、声のする方向を見たら、そこにオスカーが涙を流しながら両手を広げて立っていた。
涙を流している赤い瞳は、じっとオフィーリアを見つめている。
オスカー様・・・、やっと見つけた。
今行くから待ってて。
オフィーリアはオスカー目掛けて急降下し、オスカーの目の前に降り立った。
「オスカー様! 会いたかった・・・」
オフィーリアは、オスカーの腕に包まれたくて、一歩前に出ようとしたのだが、足が動かなかった。
せめてオスカーに触れたいと思って手を伸ばそうとしたのだが、指がぴくりと動くだけで、腕も思うように動かない。
ああ、どうして指しか動かせないの?
オスカー様に触れたいのに、動かせない自分の手足がもどかしい・・・。
訴えるようにオスカーを見つめたら、オスカーはハッとそれに気が付いた。
「オ、オフィーリアの指が・・・」
オスカーは両手を差し出し、オフィーリアの両手を包み込むと、力強く握った。
オスカーの手の温もりが、オフィーリアに伝わって来た。
オスカーは体温が戻ったオフィーリアのそばを片時も離れず、オフィーリアの目覚めを待っていた。
まだまだ時間がかかるかもしれないが、目覚めたときに自分がいなければ、オフィーリアが寂しがる。
だから、その瞬間を迎えるために、じっと待ち続けていた。
「オスカー様! 会いたかった・・・」
突然、オフィーリアがしゃべった。
「えっ? オ、オフィーリア?」
突然のことに驚くオスカーであったが、さらに驚いたことに、胸の上に置かれていたオフィーリアの手の指がぴくっと動いた。
「オ、オフィーリアの指が・・・」
見ると、もう片方の指も何かを掴もうとしているのか、ぴくぴくと動いている。
ハッとして、オスカーはオフィーリアの両手を握りしめ、オフィーリアの閉じた瞳に向かって叫んだ。
「オフィーリア、俺はここにいる。目を開けてくれ!」




