55話
「動くな! 一歩でも動いたら、こいつの縄を切るぞ!」
男の発した声は、下の階にいるオフィーリアとテオにも聞こえていた。
「テオ、お願い!」
「任せてください。」
オフィーリアは、こくりと頷くと、間髪入れずにテオを宙へと飛ばした。
木から木へと飛び移ることが得意なテオは、空中でどうすれば体を思う方向へ動かせるか知っている。
空中戦なら誰にも負けない自信があった。
宙高く飛ばされたテオは、瞬時に縄と剣を持っている男に狙いを定めた。
「こいつかー!」
「な、なんだお前は?」
男は驚き、縄を掴んだままテオを見上げる。
テオは間合いを詰めながら落下し、鞭をふるって男の剣をはじき飛ばした。
カランカランカラン・・・
弾き飛ばされた剣が、軽快な音を立てて遠くに転がった。
「テオ、よくやった!」
オスカーが一瞬で男との距離を縮め、男が声を出す間もなく戦いは終わった。
屋上から聞こえてくる声で、全てが終わったのだと判断したオフィーリアは、階段をもとに戻し、屋上へ上がる。
オフィーリアが屋上に出たときは、ちょうどオスカーとテオが、ジオルグの縄を引っ張り上げている最中だった。
「私も手伝います。」
オフィーリアが加わることで、ジオルグを引っ張る速度が加速する。
「それにしても、オスカー様は、本当にお強いのですね。」
縄を引っ張りながら、オフィーリアはオスカーが倒した男の数を思い浮かべながら、自分の思いをそのまま告げた。
「そう言ってもらえるのは嬉しいが・・・。剣なら誰にも負ける気はしないが、敵が持つ得物が剣とは限らない。だから、俺の力が絶対だとは言えない・・・。」
戦場を駆け抜けたオスカーだからこそ言える言葉だと、オフィーリアとテオはその言葉の重みを感じていた。
そして同時に、こんな時にもおごり高ぶらないオスカーのことを、さすがオスカーだと思うのだった。
引っ張り上げて三人の前に現れたジオルグは、顔が見わけもつかないほどに腫れ上がり、服はぼろぼろに破れていて、体中傷だらけである。
「・・・ありがとう・・ござ・・」
助けてもらった礼を言うのも息絶え絶えで、最後は聞き取ることができないほど衰弱していた。
立つこともままならないようで、ふらつき倒れそうになるのをオスカーが手を回し支えた。
「立てますか?」
テオと一緒に縄をほどきながらオフィーリアが問うと、
「・・・すまない・・・、無理・・みたいだ・・・」
と弱々しい声が返ってきた。
その答えにハッとしたオスカーは、オフィーリアが、次の言葉を言う前に、慌てて言った。
「で、では、私とテオがあなたを背負って出ることにしましょう。」
「でも、オスカー様、そんなことをしたら、オスカー様が敵と戦えないじゃないですか。」
オスカーの真意を察したテオが間に入る。
「では隊長、まず私が背負います。」
「ああ、そうしてくれ。皆のことは、俺が守ろう。」
テオの申し出にオスカーは同意し、ジオルグをテオに預けた。
自由になったオスカーは、塔の下から聞こえてくる騒めきと怒鳴り声が気になり、確かめるために鋸壁から下を覗いた。
「えっ? あ、あれは!」
オスカーは皆の方に向きを変え、大声で叫んだ。
「みんな、ここから離れろ!」
オスカーたちが塔の前で敵と戦っていた頃、領主タイロン・ペレス侯爵は、館の書斎でイーサンと話をしていた。
爆薬を追加で作るようにと、指示している最中だった。
「何やら騒がしいようだが・・・。」
タイロンが首をかしげていると、侍従が慌てて報告に来た。
「ご主人様、大変です。誰かはわかりませんが、マティアスの救出に来たようです。」
「なんだって? あの警備を潜り抜けて来たのか? 門の警備は何をしている?」
「いえ、それが・・・、門を通らずに侵入したようです。」
「何だって? いったいどこから・・・」
「それはわかりませんが、ともかく凄腕のようで、塔の見張りも、侵入を阻止しようとした者も全滅し、三人が塔の中に入ったと連絡がありました。」
「いったい、誰なんだ?」
タイロンは、書斎に置いてあった望遠鏡をつかみ、二階のバルコニーに早足で駆け上がった。
その後を、イーサンも遅れないようについて行く。
二階のバルコニーから望遠鏡で塔の屋上を見ると、黒髪の男が、タイロンの部下と対峙しているのが見えた。
部下はジオルグを吊るしている縄に手をかけ、片方の手には剣を握っている。
黒髪の男は、剣を構えたまま動かずじっと部下を見ている。
タイロンは、その男に見覚えがあった。
「もしかして、あれは、オスカー・ルイス? 間違いない。あの男だ!」
タイロンは、戦勝パレードでアレックス騎士団長の隣を馬で闊歩するオスカーを、功労賞授与式で国王陛下から名誉あるソードマスターの称号を授与されるオスカーを見ていた。
オスカーは、晴れやかな舞台であるにも関わらず、黒髪に赤い瞳のその顔は、一切笑顔を見せず、一貫して冷たい表情で通していた。
その姿を見て、皆が魔王の再臨と噂しているのはもっともなことだとタイロンは思い、今でもそのときの印象が深く心に残っている。
「まずい、このままでは、俺の裏稼業がばれてしまう。」
「いったい、何者なんですか?」
顔色を変え、慌てるタイロンに、イーサンも、これはただ事ではないと思う。
「あいつは近衛騎士団の騎士だ。このまま帰すわけにはいかない。おい、バフロを塔の下に連れて行け! 爆弾も用意しろ!」
イーサンは言われるままに、雇われている男たちが過ごす寮に急いだ。
「おい、バフロ、仕事だ。」
バフロの部屋に入ると、図体のでかい茶髪で坊主頭の男が、のんびりお茶を飲んでいる最中であった。
バフロと呼ばれるこの男の身体がやたら大きいせいで、狭い部屋がより狭く見える。
バフロは突然現れたイーサンに、ティーカップを持ったまま、めんどくさそうにまん丸の黒い瞳を向けた。
「仕事って、いったい何の?」
なんとも不躾なその言いように、イーサンはイラっとしたが、今はそんなことに怒りをぶつける余裕はない。
「バフロ、急いで塔の下へ行け。」
「はいはい。わかりましたよ。」
のんびりと返事をするバフロの背中をバシッと叩き、「急げと言ってるだろう!」とイーサンは怒鳴った。
バフロは、元は貧民街の住人で、仕事をしても上手くいかず、飢えて路頭で死にかけているところをタイロンに拾われた。
タイロンは、別に仏心で助けたわけではなく、大柄の図体を見て、鍛えれば傭兵なり暗殺者なり、何かと使える奴になるだろうと思ってのことだった。
食事を与えられ、りっぱな筋肉を手に入れたバフロは、見た目は戦闘向きに見えるようになったのだが、どんなに練習しても、剣も弓もさっぱりであった。
さらに、戦いに必須である闘争心も極めて低く、戦闘では使い物にならない男であることがわかった。
だが、一つだけ誰にも負けない特技を持っていた。
物を遠くに投げることができる、しかも、正確に当てることができるのだ。
爆弾を使用する際に、バフロの特技は大いに役立った。
貴重な爆弾をピンポイントで対象に当てることができるのだから、タイロンはそれだけのために、バフロを雇っていた。
バフロが塔の下に着くと、タイロンの怒鳴り声が聞こえた。
「バフロ、こっちだ。遅いじゃないか。」
「これでも、早く来たつもりなんですが・・・」
「口答えするとは何様だ!」
タイロンの怒鳴り声は、さらに大きく響いた。
イーサンが爆弾を武器倉庫から持ち出して塔の下に着いたときには、イラついたタイロンがバフロの横でイーサンを待っていた。
「イーサン、お前も遅い!」
これでも精いっぱい急いで来たのに・・・そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないか・・・
そう思ったが、イーサンは「すみません。」と一言謝罪するだけで、それ以上は何も言わない。
周りを見ると、雇われた男たちも、十人ほど騒ぎを聞きつけ集まっている。
皆、これから始まる瓦礫の落下に巻き込まれないように、塔から少し離れた場所に立っていた。
イーサンが塔を見上げると、既にジオルグは引き上げられた後だった。
「チッ、なんてことだ。マティアスが助けられている・・・。」
「いや、もう助かるまい。バフロ、今から塔の上に爆弾を投げて、上にいる四人を塔ごと吹っ飛ばせ。」
「塔が壊れてもいいんですね。」
「ああ、構わない。早く奴らを殺すのだ!」
イーサンが作っている爆薬は、二つの液体が混ざると爆発するタイプで、それが、この国の主流の爆薬である。
その二液を混ざらぬように分けて一つに丸めた物が爆弾として使われているのだが、その扱いは非常に難しい。
爆弾を投げる際に、うっかり力を入れすぎて握りつぶすと、その場で爆発するのだ。
不慣れな兵士が投げようとして、運悪く木っ端みじんに吹っ飛ぶなんてことは、よくあることなのである。
ここ数年で爆発しにくい爆弾も開発されたのだが、それを作ることができるのは、ほんの一握りの王室お抱えの錬金術師だけで、今はまだ、イーサンのように、旧式の爆弾しか作れない錬金術師がほとんどなのである。
イーサンはバフロに、壊れぬようにそっと爆弾を渡した。
それを合図に、皆はバフロから離れる。
「まったく・・・」
バフロはいつものことだと慣れてはいるが、これだけ危険な仕事なのだから、もっと待遇を良くしてもらいたいものだと、ブツブツ一人ごとを言いながら爆弾を握る。
「じゃあ、投げますよ。」
バフロは、塔の屋上を目掛けて爆弾を勢いよく投げた。




