52話
腕の太さに比例するのか、ジオルグの頬を打った男の力は思いの外強く、打たれた頬は赤く腫れあがった。
ジオルグはその痛みに耐えていたが、それ以上に胸の痛みを辛く感じる。
「イーサン、どうしてこんなことをする? 俺とお前は子どもの頃からの付き合いで、昔は優しい男だったじゃないか・・・。」
ジオルグの言葉に、イーサンはイライラと顔を歪めた。
「はっ? 優しい? それはお前が俺のことをわかっていなかっただけだ。まったく、お前ってやつは昔からそうだった。自分は賢くてなんでもできるって顔をして、俺のことを馬鹿にする・・・。」
「俺はお前のことを、馬鹿にしたことなどない・・・。」
ジオルグの記憶の中のイーサンは、少し頼りないが優しくて、一緒に仲良く遊ぶ兄弟のような存在だった。
「・・・お前とは、仲の良い幼馴染だったじゃないか・・・。」
だが、同じ記憶でも、二人の思いはまるで違っていたのだと知ることになる。
「そんな態度も気に入らないんだよ。いつも自分一人、いい子ぶりやがって・・・」
ジオルグを罵倒しながら、イーサンの脳裏に苦い思い出がよみがえった。
イーサンの父は錬金術師で、マティアスの父ディアンと友人関係にあったが、二人の性格はまるで違っていた。
ディアンは人当たりが良く、誰にでも笑顔で対応できるのだが、イーサンの父は頑固で他人に対して不器用で、作り笑顔など必要ないと、それを地で行く男だった。
そのせいか、客は少なく、客に恵まれているディアンとは雲泥の差があった。
イーサンは、幼いころからマティアスと比べては、落ち込む日々が続いていた。
衣服一つとっても、上等な布で作られているマティアスと自分は違う。
おもちゃを見ても、マティアスは見たことがないようなおもちゃをたくさん持っている。
マティアスが、イーサンと比べて自慢することなど一切なかったが、その態度も、憐れまれているようで気に入らなかった。
マティアスは幼い頃から父ディアンの実験を手伝い、ディアンは息子の腕を、嬉しそうに自慢していた。
イーサンも褒めてほしさに、父親の実験を手伝ったが、ビーカーを割ってしまったり、材料の分量を間違えたりすることが多く、結局父親に叱られ、実験中はそばに寄るなと怒鳴られた。
イーサンにとって、マティアスは遊び相手ではあったが、妬みの対象でもあったのだ。
だが、気に入らない相手ではあったが、嫌われたくはなかった。
一緒に遊べば、美味しいお菓子にありつけることができたし、面白いおもちゃを自分の物のように使っても、マティアスが文句を言うことはなかった。
その態度も、実は気に入らなかったのだが・・・。
気に入らないのに、妬んでいるのに、仲良く遊ぶ・・・、幼い心の内であったが、イーサンはその矛盾の中で、もがいていた。
ディアンが功労賞を授与されることになり、王都に引っ越すと聞いて、一番喜んだのはイーサンだった。
これで、マティアスから解放される。
もう、煩わしい思いをしなくてもいいんだ。
それに、ライバルがいなくなれば、父の仕事も増え、きっと金持ちになれる・・・。
だが、客が増えたのは一時だけで、頑固で無愛想な父親に嫌気がさしたのか、客足は遠のき、結局客が増えることはなく、貧乏な生活は何も変わらなかった。
イーサンも、錬金術師の仕事で身を立てるようになったが、凡庸な錬金術師には、大きな客が付くことはなく、大した金にならない仕事を細々と続けていた。
そんなとき、領主が死に、息子のタイロンがどこからか戻ってきて跡を継いだ。
タイロンは放蕩息子と噂されており、実際に領民たちは、タイロンが今まで、どこで何をしていたのか知らなかった。
タイロンが跡を継いでしばらく経ったある日、領主専属の錬金術師が欲しいのだが、なる気はないか?と言う夢のような話が舞い込んだ。
イーサンは、これを引き受ければ、貧乏から脱出できると喜んだが、父親は反対した。
いったいどこで聞きつけたのかは知らないが、タイロンが錬金術師に作らせようとしている物が、毒薬や爆薬であることを、知ってしまったからだった。
「専属となれば、人を殺す物ばかり作らされることになる。そんな人生はごめんだ! イーサン、お前も引き受けるんじゃない。」
だが、イーサンは、貧乏から抜け出すまたとないチャンスだと思った。
是が非でも、この申し出を受けたいと思った。
だから、父親を無視して、自分一人でタイロンに雇ってほしいと頼みに行った。
タイロンの条件は一つ。
決して何を作っているか他言はしないこと。
身内にも話してはならない。
イーサンは喜んでタイロンと契約を結び、そして、言われるままに、毒薬を作って渡した。
その直後、イーサンの父は、謎の死を遂げた。
飲み屋で酒を飲んだ後、倒れて死んでしまったのだ。
表向きは病死で処理されたが、イーサンは、自分がタイロンに渡した毒薬で殺されたのだと思った。
父は、タイロンの秘密を知ってしまったから・・・。
そして、イーサンが作った毒薬の効果を確かめるために・・・。
イーサンは、それからも、タイロンに言われるままに毒薬と爆薬を作り続けた。
自分が父親を殺してしまったという罪悪感を拭えないまま、今もそれは続いている。
バシン!
男がジオルグの頬を叩く音が、拷問部屋に響いた。
止まりかけた鼻血が、また流れ出す。
「今日はこのへんにしてやる。お前も意地を張らないで、領主様の言うことを聞けばいいんだ。その気がないのなら、明日も痛い目にあうだけだがな。」
イーサンは、ジオルグが死なないように最低限の世話と見張りをするように男に告げると、拷問部屋から出て行った。
拷問は毎日続いた。
拷問役の男に、鞭で身体を叩かれ、キリで胸を突かれた。
フォークで腕を突き刺されたり、ナイフで皮膚を切り裂かれることもあった。
三日目には、両手首の縄を長くして、床に足を投げ出した状態で座らされた。
その足の上に重いレンガを積み上げられた。
「なあ、あんたもそろそろ、領主様の言うことを聞いたらどうなんだ?」
拷問役の男が問うが、ジオルグはかたくなに首を横に振る。
「まったく・・・、強情だな。」
男は掴んでいたレンガを、積み上げられたレンガの上に落とした。
ゴトッ!
レンガのぶつかる鈍い音が、ジオルグに激しい苦痛を与える。
「ううっ・・・」
キリやナイフで傷つけられるのとは、違う痛みがジオルグを襲う。
骨がキシキシと悲鳴を上げて、砕けてしまいそうな痛さが全身を貫く。
ジオルグが首を横に振る度にレンガが落とされたが、ジオルグはその痛みにひたすら耐えていた。
三日間、拷問役の男は、この部屋にある道具を全て使い、ジオルグの命が失われるギリギリのところまで拷問を続けていた。
だが、ジオルグは、決して屈しようとしなかった。
四日目、どんなに拷問を加えても、かたくなに拒否するジオルグに、イーサンは呆れたように言う。
「お前もしぶとい奴だな。領主様の言うことを聞けば、金も入るし、女にも困らないのに・・・」
拷問でぼろぼろになったジオルグであるが、心は折れていなかった。
「イ、イーサン・・・、こ、こんなことをして・・・お前は・・満足なのか? お前の・・・妻と子が・・・一緒に・・暮らしていないのは・・・、お前のことを・・・恐れているからじゃ・・・ないのか・・・?」
息も絶え絶えに、苦しそうに言うジオルグであったが、イーサンを睨む目の眼光だけは、衰えていない。
「はあ? お、おまっ、何を言って・・・」
図星を指さされたイーサンが怒り狂い、拷問役の男に任せずに、自分の手でジオルグの頬を打った。
打たれた頬は腫れあがり、今ではジオルグだと見分けがつかないほどになっている。
顔だけでなく、腹、腕、足、体全身に拷問の痕が醜く残っていた。
五日目の朝、イーサンはいつものように拷問部屋に訪れたが、様子が少し違っていた。
ジオルグを見る目に蔑みだけでなく、少しの憐みが含まれている。
「マティアス、領主様がな。役に立たない錬金術師はいらないとさ。今日が最後の拷問だ。」
屈強な男が二人、ジオルグの縄をほどくと同時に、もっと長い縄を使って体をぐるぐる巻きにした。
抵抗する力も残っていないジオルグは、されるがままに縄で巻かれる。
男は最後にきつく縄を縛ると、歩けないジオルグを肩に担ぎ、階段を上がった。
最上階のこの部屋には、屋上へと続く可動式の木製階段があり、天井にある天板を押し上げると、屋上に出られるようになっている。
男はジオルグを屋上へ運び、イーサンがそれに続いた。
高さにして五階建て程度の屋上には、遮るものが何もなく、冷たい風がビュービュー吹いている。
「どうして最上階が拷問部屋になっているのか、教えてやろう。」
イーサンが男に目で合図を送った。
その合図を引き金に、ジオルグを肩に担いでいた男が、屋上から外に彼を投げ落とした。




