50話
馬を買い、急いで王都に戻ったテオは、ルイス侯爵邸の執務室で、オスカーに今までの経緯を報告した。
「そうか・・・。ジオルグは、故郷のペレス侯爵領に戻ったのだな・・・。」
そう呟くオスカーの顔が、いつもよりも暗い。
「ペレス侯爵領には、何かあるのですか?」
オフィーリアが心配そうに尋ねた。
「俺も詳しいことはわからないのだが、戦争中に、ペレス侯爵領の良くない噂を聞いていてね・・・。」
オスカーが戦地でランベルジオス軍と対峙していた頃、ペレス侯爵領出身の平民兵士と話す機会があった。
前領主は優しい領主であったが、息子に代替わりしてから、領内の様子がずいぶん変わってしまったと言う。
領主の城に、怪しげな男たちが出入りすることが増え、夜中に城から悲鳴のような声が聞こえることもあったらしい。
何か人に言えない仕事でもしているのではないかと、領民たちは囁き合っているのだが、恐ろしくて、何も見ない聞かないことにしているのだと、兵士は最後にそう言った。
「俺は、領主であるペレス侯爵は、闇ギルドに関わっているのではないかと思うのだが・・・。」
「闇ギルドですか?」
オフィーリアは、その言葉を聞いたことはあるが、どんな仕事をしているのか、詳しくは知らない。
「闇ギルドにも専門分野がいろいろあって、アイザックは殺し専門の闇ギルドに所属していたんだ。俺がアイザックについて調べていたら、タイロンの名前を耳にした。おそらく、タイロン・ペレス侯爵のことだと思う。」
「なんだか怖いですね。そんな領主に、ジオルグさんは捕まってしまったかもしれないのですね。」
オフィーリアの顔に不安が過ぎる。
テオが、その言葉の後に続ける。
「イーサンが言ったあの方と言うのは、ペレス侯爵の可能性が高いですね。そしてジオルグを攫ったのは闇ギルドに所属しているプロの男たち・・・。」
「そうだな。イーサンは、ジオルグが作っている薬が何か知りたかったようだが、きっと闇ギルドに売れば金になると思ったのだろう。」
ジオルグは、中和剤を作るつもりで故郷に戻ったのに、飛んでもないことに巻き込まれてしまったのだと三人は理解する。
「早く助けに行かないと・・・」
オフィーリアの言葉に、オスカーもテオも頷く。
「だが、オフィーリア、お前はここに残って欲しい。行けば、お前のことだ。きっと力を使うだろう。これ以上細胞に負荷を与えてはならない。」
「そ、そんな!」
オスカーに止められるとは思っていなかったオフィーリアは、納得しない。
「オスカー様、私の命は、まだ三ヶ月も残っているのですよ。まだ、力は使えます。今までだって、お役に立てたではありませんか。今回だって、きっとお役に立てるはずです!」
オフィーリアは、自分の存在意義を必死に訴える。
「だが、オフィーリア、私はお前が心配なのだ。」
なだめるようにオスカーは言うのだが、オフィーリアに引き下がる気配はない。
「それに・・・、それに、私一人で待っているなんて・・・、そんなことできません。もしも置いて行かれたら、私、子犬のオフィーリアになって追いかけます!」
「ウッ・・・」
オスカーの目に、埃と泥にまみれてボロボロになっている子犬のオフィーリアが目に浮かんだ。
盗賊に攫われた際に、助けに来てくれたオフィーリアの姿と重なる。
オフィーリアなら、本当にやりかねない。
いや、必ずそうするだろう。
絶対に自分も行くと言って、引き下がらないオフィーリアに、オスカーの方が折れた。
「わ、わかった。子犬になって追いかけられたら、もっと困る・・・」
だが、オフィーリアが戦う場面を思い出すと、重い雨戸をはぎ取って階段を滑らしたり、石の壁を壊して転がしたりと、素手で力を使うことばかりだ。
これでは、細胞に大きな負荷を与えてしまうに違いない。
もっと負荷をかけずに、戦う方法はないものか・・・
オスカーは、ふと、これならどうだと思いついた。
「オフィーリア、お前に武器を授けよう。」
「えっ、武器ですか?」
オスカーが普段身につけているような剣でも渡されるのだろうか・・・と、オフィーリアはドキドキする。
だが、オスカーが武器倉庫から持って来たのは、木刀だった。
「木刀・・・ですか・・・?」
ちょっぴりがっかりしたオフィーリアであったが、オスカーは真剣な顔でオフィーリアに問う。
「お前は、人を切ったことがあるのか?」
オフィーリアはその問に驚き、慌ててブンブンと首を振った。
生まれてから今まで、剣をまともに握ったこともないのに、人を切ったことなどあるわけがない。
「人を切ったことがない人間は、初めて切るときに躊躇してしまう。その隙を突かれて、敵に殺られるのだ。」
オフィーリアは剣を振るう際に躊躇って、相手に切り殺される自分を想像した。
想像するだけで、体が震えてしまう。
「お、お、仰る通りだと・・・思います。」
「わかってくれたか。オフィーリアに本物の剣を渡すことはできないが、この木刀は、この国で一番頑丈な木で作られている。めったに折れることがないし、剣でも切れない木刀なのだ。」
オスカーの言葉に、テオが補足する。
「この木刀を切れる剣士は、隊長と、近衛騎士団長ぐらいですよ。」
話を聞いているうちに、オフィーリアにはこの木刀が、ダイヤモンドのようにキラキラ輝いて見えた。
「オスカー様、ありがとうございます。これなら、躊躇わずに、力いっぱい振れますわ。」
「いや、力をいっぱい使わなくていいから・・・」
嬉しくなって木刀を振り回しているオフィーリアには、最後のオスカーの言葉は聞こえない。
「はあ・・・」
オスカーは、頭を抱えてため息をついた。
三人は少しでも早く移動するために、馬車は使わず、馬で行くことにした。
馬に一人で乗ることに自信のないオフィーリアは、オスカーと一緒に馬に乗ることになった。
馬に乗るには、ドレスよりも乗馬服の方が良い。
いつか一緒に、乗馬を楽しむつもりで買っていた乗馬服が、こんなところで役に立つとは・・・。
「オスカー様、着替えてきました。」
オフィーリアが乗馬服に着替えて、オスカーの目の前に立った。
髪は邪魔にならぬように、質素な麻ひもで一つに束ねているが、その蝶々結びでさえも可愛く見える。
「か、可愛い!」
初めて見るオフィーリアの乗馬服姿に、オスカーは一人興奮して思わずオフィーリアを抱きしめようとしたのだが、ピタリと動きを止めた。
ぐっと我慢し、抱きしめようとした両手を、ぎこちなくオフィーリアの肩に置く。
「い、今は、こんなことをしてる場合ではないな。では、そろそろ行こう。」
お、お坊ちゃまが大人になられた・・・ とセバスチャン。
まあ、旦那様がお嬢様を我慢しなさるだなんて・・・ とマリー。
ほっと胸をなでおろしたけれど、ちょっぴり寂しさを感じたオフィーリア。
それぞれ口には出さなかったが、皆オスカーの成長を感じていた。
オスカーは、馬に二人乗り用の鞍と鐙をつけ、オフィーリアを後部に乗せた。
「かなりスピードを出すから、振り落とされないようにしっかり捕まってくれ。」
「隊長、こちらも準備ができました。」
テオの馬には、必要最低限の荷物を載せている。
「では、出発!」
セバスチャンとマリーに見送られ、三人は、ペレス侯爵領に向かって馬を走らせた。
オフィーリアは、子どもの頃に乗馬を楽しんだことはあったが、疾走する馬に乗るのは初めてである。
振り落とされないように、必死にオスカーにしがみつく。
オスカーも、初めはオフィーリアが慣れるまで、ゆっくりと馬を走らせていたが、慣れるにつれ、徐々に速度を上げていく。
「ひゃー!」
スピードが上がると、オスカーを掴む腕に自然と力が入る。
だが、目の前にある逞しいオスカーの背中を、オフィーリアは安心して見ることができた。
自分の命を預けるのに、十分な背中だと思った。
オスカーは、スピードを上げる度にオフィーリアにぎゅっと掴まれ、背中に柔らかいものを感じる。
顔が赤くなっていると思うのだが、オフィーリアに見られなくて良かったと思う。
頬に当たる風が、熱を冷まして心地よい。
不謹慎だと思いながらも、そんなことを考えながら馬を操縦していた。
オスカーたちがペレス侯爵領に向かっている頃、ペレス侯爵城の一室で、男のうめき声が響いていた。




