42話
どんなに腕の良い錬金術師であっても、失敗することは稀にある。
デリケートな材料を使用する場合、それらを混ぜ合わせる際の温度や湿度にまで気を使わなければならない。
ディアンは、全神経を集中して、ほんの少しの狂いもないように実験を進めていく。
一つの溶液は完成し、もう一つの溶液を作っている最中のことだった。
ビーカーから白煙が上がり、チカチカと小さな光が点滅し始めた。
実験を見守っていたエリーは、ハッと目を見開く。
長年錬金術師の妻であったエリーは、その光の点滅が意味することを瞬時に理解したのだ。
点滅していた光は、一つにまとまり大きく光る。
「あなた!」
エリーは、ナイフを突き付けている騎士を突き飛ばし、隣にいるマティアスに身体ごとぶつかり上から覆い被さった。
その直後、ビーカーが激しく光った。
光は高熱を発し、実験室は一瞬にして激しい高熱に包まれた。
父親の親友メルビンは、禁忌の書に書かれている実験の危険性を熟知しており、心配して屋敷のそばで待機していた。
万が一の際には助けに入ろうと考えていたのだが、実験の最中に、窓からとてつもなく強い光線が飛び出すのが見えた。
「こ、これは・・・、大変なことが起こった・・・」
光が消えた直後、メルビンは皆を助けるために灼熱地獄のような実験室に入ったが、エリーに守られたマティアス以外は全員死んでいた。
マティアスは息こそしていたが、エリーが庇いきれなかった背中の一部から右腕にかけて激しい火傷を負っている。
幼い子どもにとって、命の危険に関わるほどの火傷である。
実験室のあちこちから、チリチリと炎が上がり始めている。
エリーの下から マティアスを引き出したメルビンは、彼を抱えて急いで屋敷から逃げた。
「マティアス、この国はもうダメだ。ランベルジオスへ逃げよう。ランベルジオスのバルマン王は、亡命してくる錬金術師たちを広い心で受け入れてくれると聞いている。俺たちも、この国を捨てて、ランベルジオスに亡命しよう。」
メルビンは、マティアスを連れて国境を超え、隣国ランベルジオスに亡命した。
懇意にしていた錬金術師が、すでにランベルジオスに亡命していたので、彼を頼ってのことだった。
ランベルジオスの国王バルマンは、優秀な錬金術師や医者の亡命を優遇しており、二人は王都の城下町に居を構えることが許された。
そのために必要な支度金も全てバルマン王から支給され、生活に困ることはない。
メルビンは、マティアスの治療をしながら、薬屋を営み生計をたてることにした。
「ううっ、メルビンおじさん、い、痛い、痛いよ~。」
まだ八歳のマティアスにとって、火傷の痛みを黙って堪えるのは難しく、毎日泣きながら痛みを訴え続けた。
メルビンが、どんなに優秀な薬屋だとしても、マティアスが負った火傷を簡単に治すことはできなかった。
だが、メルビンだからこそ、マティアスの腕を切断せずに済んだのだ。
毎日薬を塗り包帯を取り替えるのだが、その痛みは一日中続き、収まることはない。
「痛い、痛いよ。こんなことなら、お父さんとお母さんと一緒に死んだ方が良かった・・・。」
死を望むマティアスに、メルビンが言えることは、一つだけ。
「お母さんに助けてもらった命なのだから、お母さんの分まで生きて欲しい。君が死んだら、両親が悲しむ・・・。」
涙を浮かべて、マティアスに生きることを説得する。
「おじさん、僕、いつか自由に動けるようになったら、絶対にランドルフ王に復讐してやる。いつか、僕の手で、絶対に殺してやる!」
わずか八歳の子どもが口にするには、あまりにも大人びた激しい怒りの言葉を、メルビンは、「ああ、そうだな。復讐しよう。」と静かに受け止めていた。
マティアスの復讐心が生きる希望になるならば、黙って受け入れるしかないと思ってのことだった。
一年後、ようやく自由に動けるようになったマティアスは、メルビンの仕事を手伝いながら薬のことや、錬金術について学ぶようになる。
もともと父親の手伝いをしていたマティアスは、飲み込みが早く、助手として子どもとは思えないほどの仕事ができた。
マティアスが、十歳になると、王宮から呼び出しがかかった。
「今後、二人はどうしたいか、国王陛下が話をしたいと仰られています。」
国王の従者がそう伝えた。
指定された日に、二人は緊張の面持ちで王宮に向かった。
謁見の間で、初めて会った国王バルマンは、長い白髪と白髭姿が、まるで絵本に出てくる神様みたいだなとマティアスは思った。
マティアスのおぼつかない挨拶の後、バルマンはとても優しげな緑の瞳を向けて、マティアスに話しかける。
「まだ幼いのに、よく苦難を乗り越えたな。偉いぞ。そなたは、養父メルビンの助手としても良い働きをしていると聞いている。」
マティアスは、驚きを隠せなかった。
同じ王なのに、こうも違うのか?
まだ何の力も持たない自分を、何故こんなに褒めてくれるのだ?
「も、もったいないお言葉、あ、ありがとうございます。」
感動したマティアスは、感謝の言葉を述べるだけで精一杯である。
「今後、そなたはどうしたい? このままこの国で薬師か錬金術師として働くのか、それともアデルバードに戻って復讐の機会を狙うのか?」
王の口から復讐の言葉が出たことに驚くマティアスであるが、これは大きなチャンスだと思った。
「陛下は、私の気持ちを御存知なのですね。だったら、申し上げます。私は、いつか必ず復讐したいと心に誓って痛みに耐えてきました。ですからアデルバードに戻って復讐したいです。いつか必ず、この手でアイツを殺したい!」
「マ、マティアス!それ以上は・・・」
隣で聞いていたメルビンが、慌てて止める。
「メルビン、気にしなくとも良い。それがこの子の生きる希望なのだろう? ならば、マティアス、そなたに仕事を与えよう。ジオルグと名前を変え、アデルバードに戻って諜報活動をしてもらいたい。その中で、愚王ランドルフに復讐を果たす機会があれば、躊躇なく殺せば良い。」
バルマンの言葉は、十歳の子どもに話しているとは思えないほど重みのある言葉だった。
マティアスを、子どもではなく一人の男だと認めている。
それは、マティアスにとって、とても嬉しいことだった。
国王バルマンは、アデルバードに息のかかった賭博場を持っている。
メルビンとジオルグは、賭博場の専任医師とその息子として、賭博場の一室で暮らすことになった。
メルビンは医師として常勤しているが、十歳のジオルグは間者として別の仕事が与えられている。
王城に勤務する初老の庭師の見習い弟子として城に出入りし、そこで得た情報を報告する仕事である。
もちろん初老の庭師も、ランベルジオスの間者である。
庭師なら王城の庭園のいたる場所に仕事と称して侵入できるので、ジオルグは城内の人々やランドルフ王の動向を探りながら諜報活動を続けていた。
だが、翌年、側妃カーラが側妃宮に入ってからは、ジオルグの師匠の仕事場が主に側妃宮の庭園になってしまう。
側妃カーラが口うるさく、それを鬱陶しく思った若い庭師たちは、側妃宮の仕事を師匠に押し付けたのだ。
それゆえ、ジオルグも側妃宮の庭に出入りすることになるのだが、見習い弟子は庭師たちの小間使いに使われることが多く、お陰でジオルグは側妃宮の庭以外にも、城のいろいろな場所に出入りすることができた。
ジオルグは仕事をしながらランドルフ王の動向を探り、どうやって復讐しようかと毎日思案に明け暮れていた。
ところが、マティアスが、十二歳のとき、王宮に異変が起きた。
あの何をしても死にそうにないランドルフ王が病に倒れ、あっけなく死んでしまったのだ。
自分の手で復讐したい、それを生き甲斐にして生きてきたジオルグにとって、それは余りにも衝撃的な出来事であった。
何を目的にして生きればいいのかわからなくなり、ジオルグは、まるで生きた屍のようになってしまった。
心配したメルビンは、復讐する必要がなくなったのだから、これからは世話になったバルマン王に恩を返すことだけを考えればいいじゃないかと、ジオルグに助言する。
その言葉が背中を押し、ジオルグは、間者としてバルマン王に忠誠を誓って生きることにした。
ジオルグが十五歳になると、メルビンは、ランベルジオスに戻ると言い出した。
「私ももう歳だ。賭博場の医師の仕事は、精神的になかなかきつくてな。バルマン王から王都の医師が足りないから戻ってこないかと打診があったんだ。私は戻るが、お前はどうする?」
「俺は、この国で間者の仕事を続けるよ。バルマン王のお役に立ちたいからな。」
「そうか。わかった。では、お前に錬金術師仲間を紹介しよう。みんな愚王ランドルフに家族を殺された者ばかりだ。ランベルジオスに亡命していたが、愚王が死んでこの国に戻ってきたんだ。今は前と同じ錬金術師を生業にしているよ。お前はもともと錬金術師になりたかったのだから、きっと何かの役に立つだろう。」
メルビンの紹介で、ジオルグは四人の錬金術師たちと親交を持つようになる。
錬金術の実験が好きだったジオルグは、時間に余裕があるときは喜んで彼らの実験の手伝いをしたし、彼らも尊敬するディアンの息子だからと、快く受け入れてくれた。
一緒に行動するようになって、わかったことがある。
皆、ジオルグと同じようにランドルフ王を激しく憎んでいたが、ジオルグとは大きく違っていることがある。
ジオルグはランドルフ王が死んだ後、復讐心は消えてしまったのだが、四人の復讐心はずっと続いていたのだ。
いつかはこの国を滅ぼしたいと、王室そのものを憎んでいる。
復讐を成し遂げる方法として、彼ら四人は、本気で人間兵器を作る研究をしていた。




