40話
ブラン逮捕の翌朝、オスカーは、留置所に勾留されているブランに面会に行った。
鉄格子の中にいるブランは、オスカーに気が付くとギロリと睨んだ。
「ブラン、ワインから毒物が検出された。お前の王太子殿下殺害未遂は、確定したよ。」
「はあ? ルイス侯爵、毒物って言うのは、人に危害を与えて初めて毒物って言うんじゃないですか? 俺はこの通りピンピンしている。中に入ってたのはちょっとした栄養剤ですよ。このまま、俺が元気なままだったら、これって冤罪ですよね。お前を冤罪でっち上げの罪で、訴えてやるからな!」
オスカーは、はあとため息をつく。
「俺は絶対に会わせたくなかったんだが、本人がどうしても自分の口から話したいって言うから連れてきた。」
「はあ? いったい誰・・・」
ブランの目の前に現れたのは、オフィーリアである。
派手ではない落ち着いた深緑色のドレスであるが、上質の布で作られているドレスに身を包んだオフィーリアを見れば、今の生活に苦労がないことが伺える。
「オフィーリア、お前、生きていたんだな。だが、どうしてここに? そうか、俺を嘲笑いに来たんだな。だが、生憎だったな。俺はそのうち釈放される。毒なんて入ってなかったんだからな。」
勝ち誇ったように笑いながら話すブランとは対照的に、オフィーリアは哀れな男を見るような視線を向け、冷静な口調で話す。
「ブラン、あなたにも知る権利があると思うから言いに来たの。落ち着いて聞いてね。」
「何をもったいぶって・・・。さっさと言ったらどうだ。」
オフィーリアは、一息ついてからゆっくりと話し始めた。
「あなたは、イザベラからもらった薬を解毒剤だと思って飲んだのでしょうけど、あれは、解毒剤なんかじゃない。ただの風邪薬なの。」
「はあ? どうしてお前がそんなことを?」
「私、イザベラが話しているのを偶然聞いてしまったの。」
オフィーリアは子犬の姿になって、ブランの屋敷のそばで、ブランとイザベラの会話を聞いた。
だから、ブランがセオドアに毒を飲ませようとしていることを知ったのだ。
だが、オフィーリアが聞いたのは、それだけではなかった。
イザベラがブランと別れて一人になったときに放った独り言も、はっきりと聞こえてきた。
そのとき、イザベラはこう言った。
「バカなブラン。あの毒薬には解毒剤なんてないのよ。渡したのは、ただの風邪薬。でも、もういいわ。ふふっ、これでブランの暴力ともおさらばよ。」
あの瞬間受けた衝撃は、今も忘れられない。
「あなたは、グラスの両方に毒を入れていたでしょう? だから殿下は、あなたが毒を飲まないように取り上げてくださったのよ。だけど、貴方はそれを知らずに奪い返して飲んでしまったわ。あなたは、あと、一週間から二週間で体が弱っていって、最後は心臓が止まって死んでしまうの。」
「え? う、嘘だろ、冗談だろ? オフィーリア、冗談だよな。俺に仕返ししたくてそんな冗談言ってるんだよな?」
「ブラン、私がこんなくだらない冗談を言わないことぐらい、あなたなら知っているでしょう?」
このとき、ブランの頭の中で、オフィーリアと過ごした日々が走馬灯のようにぐるぐると回りだした。
幼い頃、オフィーリアと、楽しく過ごしていたこともあった。
だが、成長するにつれて、オフィーリアの地味でくそ真面目なところが、どうにも面白くなくなった。
一緒にいても、つまらない。
だんだんと、オフィーリアに距離を置くようになってしまった。
それに、妹の嘘にもはっきりと反撃できない性格にも、イライラした。
いつだったか、妹が明らかに嘘をついているとわかっているのに、上手く言い返せないオフィーリアに苛立ち、オフィーリアは悪くないのに、その苛立ちをぶつけたこともあった。
だんだんと疎遠になっていく中、目の前に刺激的で魅惑的なイザベラが現れた。
イザベラは、積極的に俺を誘惑してきた。
俺はすぐにイザベラに夢中になってしまった。
イザベラは、俺に婚約者がいるとわかっているのに誘惑してきたのだ。
あの当時は何とも思わなかったが、今考えると、どうして俺なんだ?
オフィーリアという婚約者がいたのに、いったい何故?
だが、今は俺の婚約者だ。
俺が死んだら困るのはイザベラじゃないのか?
「だ、だが、お、俺が死んだら、イザベラは結婚できなくなるじゃないか。」
「それは・・・」
オフィーリアは、ブランに全てを話して良いものかどうか、一瞬躊躇った。
「ほら見ろ、答えられないじゃないか。」
「ああ、もう、この際だから、はっきり言います。イザベラは初めからあなたと結婚する気なんてなかったの。」
「いや、だから、どうしてお前がそんなことを知ってるんだ。」
「私は・・・、偶然聞いてしまったのよ。ブランに近づいたのは鉱山が目的だって。結婚したい男性は他にいるって。」
「何だって?」
「それからブラン、あなた、イザベラに暴力を振るっていない?」
その問に、ブランは言葉を詰まらせる。
「・・・いや・・・、あれは・・・、暴力って言うのではなく・・・、愛しているから、イザベラのためだと思って・・・やったことだ。」
「それが、許されることだと思っているの?」
「イザベラは、いつも自分が悪かったと謝ってくれるぞ。どんなに殴っても、俺を愛していると最後は言ってくれる・・・」
オフィーリアは、はあとため息をつく。
ブランがイザベラに、暴力を振るっていることは、あの独り言を聞くまでは知らなかった。
今のブランの話でも分かるように、どうやら一度や二度ではなく、日常的に行われていたようだ。
しかも、ブランは、自分の行為を暴力だと認識していない。
許されることではないが、イザベラがブランを利用したくなる気持ちが、わかるような気がした。
「詳しいことは、イザベラに聞いてちょうだい。この状況で直接聞けるかどうかわからないけど・・・。ブラン、これだけははっきりしている。あなたはイザベラに利用されたのよ。」
オフィーリアの言葉は、ブランの頭の中を、大いに混乱させた。
初めから結婚する気がなかっただって?
鉱山が目的で利用された?
ああ、そう言えば、イザベラと付き合うようになってから、アイツはやたらと鉱山を売る気はないのかと聞いてきた。
事業拡大を勧めてきたのもイザベラだ。
結局、借金だけが残り、鉱山を手放すことになってしまった。
オフィーリアは、こんな冗談は言わない。
嘘をつくようなヤツでもない。
俺は、俺は・・・、本当にイザベラに鉱山欲しさに利用されたのか?
だから、殴っても俺から離れなかったのか?
愛してるって言ってくれたのは、演技だったのか?
騙されたのか?
俺は死ぬのか?
くそっ、くそっ、
「イ、イザベラーーー!!」
ブランは怒りを込めた悲痛な声で、イザベラの名を叫んだ。
「オフィーリア、俺が悪かった。初めからお前にしておけば良かったんだ。そしたら、こんなことにはならなかったのに。オフィーリア、た、助けてくれ。」
ブランは鉄格子を掴み、泣きながら訴える。
「オフィーリア、助けてくれぇ・・・」
哀れな男の目から、ボロボロと涙が零れ落ち、床を濡らしていく。
「私はあなたを助けてあげることはできない。そして、あなたと会うことも、今日が最後となるでしょう。ブラン、さようなら。」
「オフィーリアー」
ブランの悲しげな叫び声を後に、オフィーリアは、この場を去った。
二人は、テオが御者を務める馬車に乗り込んだ。
「テオ、次は墓地に向かってくれ。」
テオは、こくりと頷き、墓地に向かって馬を走らせる。
馬車の中で、オスカーは、オフィーリアに問う。
「オフィーリア、あれで良かったのか?」
「オスカー様、以前に、私を苦しめた人に心から謝って欲しいとお話したことがありましたよね。ブランは、俺が悪かったと言ってくれましたが、あれが心からの言葉なのかどうか、私にはわかりません。でも、謝罪の言葉を聞けば、少しはスッキリするかと思っていたのですが、決してそのようなことはありませんでした。ただただ、ブランが哀れに思えて仕方がありませんでした。」
「そうか・・・。」
オフィーリアの目には涙が浮かんでいる。
それがブランを哀れに思う涙なのか、それとも、子どもの頃から婚約者だと思っていた男との永遠の別れから来るものなのかは、オスカーにはわからなかった。
オスカーにできることは、オフィーリアの目から零れ落ちた涙をそっと拭いてやることだけだった。
馬車はオスカーの両親が眠る共同墓地に向かっている。
両親の無念を晴らせたことを報告に行きたいと、オスカーが思ったからだった。
「ウッド伯爵のことで、他に何かわかったことはあるのですか?」
「ああ、何故スパイ活動をするようになったのかも自供したよ。」
「それはどのような?」
「若い頃、賭博に夢中になったらしい。莫大な借金を抱え、破産寸前にまでなったそうだ。だが、ヤツが言うには、キャスレル商会のジオルグと名乗る者がやって来て、借金を肩代わりするから国の情報を提供するようにと言われたそうだ。だが、キャスレル商会を調べても、ジオルグらしき男はいなかった。いったいジオルグと言うヤツは、どこの誰なのだか・・・」
馬車置き場に馬車を停めると、二人は墓地の中に入って行った。
八年前とは違い、今日は花束を二つ用意している。
「父上、母上、ウッド伯爵に濡れ衣を着せられ、さぞや悔しい思いをしたことでしょう。ですが、やっと、お二人の無念を晴らすことができました。それができたのは、ここにいるオフィーリア、私の妻のお陰です。私たちは、幸せになります。どうか、天国で見守っていてください。」
「お義父様、お義母様、ふつつかな嫁ですが、どうぞ、見守っていてください。私はオスカー様と幸せになります。」
二人は墓に花を添え、祈りを捧げた。
「オフィーリア、幸せになろうな・・・。」
「はい。オスカー様・・・。」
二人は手を取り合い、お互いを見つめ合った。
ブランとイザベラ、そしてウッド伯爵が捕まった噂は、瞬く間に王都中に広まった。
あの騒動を目撃したのは、舞踏会会場にいた貴族だけではない。
会場で働いていた使用人も大勢いて、多くの平民の使用人も目撃することになった。
平民の使用人にとって、普段、雲の上と思っている貴族たちの醜態は格好の話題となり、人から人へと面白おかしく伝えられ、どこまで真実なのかもわからぬほどになっていた。
ジオルグは、翌朝、宿泊所の食堂でその噂を耳にしていた。
「すごいよなあ、伯爵様の息子が王太子様を殺そうとしたってな。」
「そうそう、何を考えているのか知らないが、婚約者もグルだってね。」
「ああ、びっくりだよ。もっとびっくりなのは、毒を見つけたのは軍用犬だっていうじゃないか。」
「ええっ、そうかい? 俺が聞いたのは可愛い飼い犬だって話だったが・・・。」
「それにしても、王太子様を殺そうとしたんだから、二人とも死刑だよな。」
「ああ、それは間違いないだろうな。」
失敗した?
何故だ。
あの毒はイザベラに頼まれて渡したものだが、まだこの世に知られていない無色で無味無臭の毒だ。
普通の人間なら、見極めることは不可能なはずだ。
それに、飲んですぐに効果が現れることもない。
軍用犬を予め用意するなんて、バレてなければできないことだろう。
だが、何故バレた?
ジオルグがイザベラに渡した毒は、まだこの世に知られていない特別な毒だった。
開発したのはジオルグの父、ディアンだ。
ディアンは錬金術師で、いろいろな実験の過程の中で思い付き、試行錯誤を重ねて作り上げた毒だった。
しかし、解毒剤をどうしても作ることができなかった。
何度動物実験を繰り返しても解毒剤は完成せず、余りにも危険すぎると判断したディアンは、薬の製造法を誰にも言うことなく、自分の心にだけ、とめておくことにした。
だが、ジオルグの養父、メルビンから渡されたディアンの実験ノートには、その作り方が暗号で書かれていた。
誰が見ても意味不明の文字の羅列であったが、暗号の解読を教えられていたジオルグだけは、その毒を作ることができたのだ。




