28話
ジオルグの問いに、もしも「平凡だけど、ささやかな幸せが欲しい」などと答えようものなら、イザベラを選ぶことはなかっただろう。
だが、イザベラの答は違った。
ふっと冷めた笑いを見せた後、こう言ったのだ。
「院長を殺して欲しい。」
それが、彼女の答だった。
その言葉に、ジオルグはゾクッとした。
二番目に望むものは何かと聞くと「側妃になりたい」と答えた。
「正妃を望まないのか?」
ジオルグの問いに、イザベラは迷うことなくこう答えた。
「いくら私がバカだからって、正妃になれないことぐらいは知ってるよ。でも、側妃になって王様の寵愛を独り占めにしたらいいんだろ? そしたら正妃よりも強くなれるじゃないか。」
ジオルグは、ワクワクした。
この娘なら大丈夫だ。
己の欲を満たすために、何でもできるだろう。
ジオルグは院長に多額の金を支払い、イザベラを引き取った。
礼にと、高価な酒が入った小瓶も一緒に渡した。
院長は喜んでその酒を飲み干し、その数時間後に死んだ。
ウッド伯爵は妻とは既に離婚しており、息子二人は結婚して、遠い領地で領主として暮らしている。
今更、昔の恋人との間にできた娘が見つかったので、養女にしたいと言っても、反対する者はいない。
ジオルグの予定通りに、イザベラはウッド伯爵の養女になった。
イザベラの最初の望みは、すぐに実行できたが、二番目の望みは簡単ではない。
ジオルグは、王太子エイダンのわがままを何度も聞いてやり、イザベラを側室にすることを約束させた。
イザベラには、これで十分だと思っていたが、彼女をさらに高見に上らせてやるのも悪くはないと思う。
「数分、眠らせるだけで良いのですね。」
「そうだ。やってくれるか。さすがジオルグだ。」
この後、二人は詳細を話し合って会談を終えた。
エイダンから解放されると、ジオルグは養父メルビンの墓に向かった。
ランベルジオスに来る度に墓参りをしているが、その度に幼い頃の辛かった日々を思い出す。
メルビンは、大火傷を負い生死の境を彷徨っていたジオルグを連れて、ランベルジオスに亡命した。
「この国はもうだめだ。だが、隣国ランベルジオスの国王は、私たちのような者を優遇して迎えてくれるそうだ。だから、生きるためにランベルジオスに亡命しよう。」
メルビンは、ジオルグの父親ディアンの親友で、もとはディアンと同じ錬金術師であったが、薬学に興味を持って以来、治療薬の専門家として生計を立てていた。
ランベルジオスでも、国王バルマンの庇護のもと、治療薬の専門家として暮らしながら、毎日ジオルグの治療を続けていた。
だが、ジオルグの火傷は背中から右腕にかけて広がっており、治療を受けていても、夜も眠れぬほどの苦痛に悩まされる。
ジオルグは、生きている方が辛いと、まだ八歳にも関わらず、心の中で何度も思った。
その死を望むほどの苦痛の中で、ジオルグは心に誓っていた。
自由に動けるようになったら、いつかあいつに絶対復讐してやると・・・。
オスカーは馬の歩く振動で意識を取り戻した。
意識を取り戻すと同時に、自分がとんでもない状況に陥っていることに気付く。
身体をロープでぐるぐる巻きにされ、猿轡をかまされ、馬に腹ばいで乗せられて運ばれている。
いったいどれくらい意識を失っていたのかわからないが、影の長さを見ると、さほど時間は経っていないようだ。
なんという不覚!
オスカーは自分の愚かさに呆れた。
セオドアも護衛騎士たちも馬から降りて、獲物を探し始めたばかりだった。
鼻につく刺激臭を感じた。
「なんだ? この匂いは。」
他の騎士たちも同じ思いであったが、匂いの出所はわからなかった。
匂いが何なのかもわからないまま歩き始めたら、急に意識を失った。
覚えているのはそこまでだ。
もし、あの匂いが意識を失わせる危険な匂いだとわかっていたら、すぐに対処ができただろうにと思うと、悔しくてたまらない。
まんまと敵の罠にはまってしまった。
いったい誰が、こんなことを?
側妃カーラの差し金か?
そう思ったが、カーラの仕業なら、とっくに殺されていただろう。
まだ生きているところを見ると、敵の目的は俺をすぐに殺すことではないようだ。
オスカーはしばらく意識を失ったふりをして、周りに神経を集中させた。
男たちの話し声が聞こえる。
「本当に簡単だったな。」
「あいつが言った場所で待っていたら、本当に獲物がやってくるんだからな。」
あいつとは、身分を隠したエイダンのことなのだが、盗賊たちはまさか王太子だとは知らず、恋人を奪われた哀れな男だと思っている。
エイダンの情報網で調べれば、オスカーたちを待ち伏せする場所は簡単に弾き出すことができた。
王族のように多くの護衛を引き連れて移動する道は決まっている。
さらに、それだけの馬を繋げておける場所も限られている。
五年前まで、毎年行われていた狩猟大会の情報を駆使すれば、簡単に突き止められた。
さらに、出発時に王族の前を走る貴族などいるはずがなく、待ち伏せている場所に、最初に来るのがセオドア一行なのである。
エイダンは、恋人を奪った大金持ちの貴族に復讐したいから協力して欲しいと、盗賊に話を持ちかけた。
薬の専門家にも協力してもらったから、皆は決められた場所の風上に立っているだけで良く、もっとも身なりの良い金髪と黒髪の二人を人質にすれば、多額の身代金を要求できるという情報も付け加えておく。
そして幾ばくかの金を渡して、身代金はこの何倍もの金額を請求できるぞと、盗賊のやる気を煽った。
盗賊は、オスカーが意識を取り戻したことも知らずに話を続ける。
「金髪と黒髪が一番金になるって言ってたが、確かに身なりもいいし、今回はたんまり稼げそうだ。」
「ああ、そうだな。俺たちが要求する身代金なんて、貴族にとっちゃあ、はした金だろうし。」
身代金目的の誘拐か・・・。
話の内容から考えて、殿下も攫われたようだが、王太子だとはわかっていないようだ。
オスカーはこのまま意識を失っている振りを続ける。
森を抜けると木箱に入れられ荷馬車に乗せられた。
セオドアを見ることはできなかったが、きっと同じように扱われているのだろう。
ガタゴトと長い間揺られていたが、やっと木箱から出されて見たものは、崩れ落ちた城だった。
廃城であるが、まだ使えそうな部分も残っていて、盗賊のアジトに使うにはちょうど良さそうである。
一つ残っている塔は、しっかりした作りで、まだ崩れていない。
ここでやっとセオドアに会えた。
同じようにロープでぐるぐる巻きにされ、猿轡をかまされている。
オスカーとセオドアは足を縛っていたロープを外され歩けるようになったが、手は縛られたままで剣も弓矢も奪われている。
男たちは、全員覆面をしていることから、二人を殺す気はなく、身代金と生きたまま交換するつもりのようだ。
「さあ、歩け。」
後ろから剣を突きつけられ、塔の入り口まで歩くと、中に入れと命令される。
長い螺旋階段を上ると、最上階に鉄格子で仕切られた牢屋が見えた。
便壺が一つあるだけで他に何もない牢屋だ。
「入るんだ。」
二人は言われるままに、牢屋の中に入った。
中に入ると、回りをぐるりと剣で囲まれた状態で、猿轡とロープが外された。
「小便ぐらいはできるようにしておいてやろう。大事な人質だから優しくしてやるんだ。ありがたく思え。まあ、ここならどれだけ叫んでも誰も助けに来ないがな。」
男たちは笑いながら牢屋を出ると、頑丈な錠前で鍵をかけた。
「お前たちは、俺たちをどうするつもりだ。」
オスカーの問いに、盗賊の長らしき男が答える。
「身の代金をいただくまでは、生かしておいてやる。だが、下手な真似をしたら命はないと思え。」
盗賊たちはそれだけ言うと、階段を降りて行った。
「オスカー様が行方不明って、どういうことですか?」
オフィーリアは、一瞬、目の前が真っ暗になったような気がしてふらついたが、ぐっと踏ん張り、倒れそうになるのを堪えた。
「どうやら身の代金目的の誘拐のようです。連絡を待つようにと手紙が置かれていたそうです。」
「どうしてオスカー様が・・・」
「護衛騎士によりますと、変な匂いがした後、数分意識を失ったそうです。おそらく、その時に拘束され攫われたのでしょう。」
「テオ、私をその場所に連れていってください。私ならオスカー様の後を追えます。」
オフィーリアは湯沸かし場に戻ると、マリーに告げる。
「マリー、ごめんなさい。私とテオはしばらくここから離れます。私たちの分まで働いてください。」
テオとオフィーリアの様子に、不穏な何かを感じていたマリーは、躊躇うことなく答える。
「お嬢様にしかできないお仕事なのですね。私は大丈夫です。お嬢様こそ頑張ってきてください。」
オフィーリアは湯沸かし長に離れる許可を得ると、秘密兵器が入ったカバンを持ってその場を離れた。
テオも、いざと言うときのために用意していた男装に着替え、オフィーリアと一緒に、誰もいないテントの中に入る。
「もしかしたら必要になるかもと思って持ってきたけど、役にたったわ。じゃあ、テオ、後はよろしくね。」
オフィーリアは秘密兵器の箱を開けて、蜘蛛を自分に浴びせかけた。
「・・・・・!」
一瞬で子犬になったオフィーリアを、テオは懐に入れ、アレックス騎士団長の元に走る。
「団長、私を誘拐された場所まで連れていってください。」
男装に着替えたテオが、必死の形相で頼むが、アレックスは、首を振る。
「今は、犯人からの連絡待ちなのだ。下手に動くと殿下のお命が危ない。」
「この犬に後を追わせます。小人数で動くなら犯人を刺激せずにすむでしょう。」
「この犬が?」
テオの懐から顔を出しているのは、可愛らしいもふもふの子犬だ。
とても大それた働きができるとは思えない。
だが、オスカーの腹心の部下が言っているのだ。
アレックスは、場所を知る護衛騎士一人と一緒に行くことを許した。
テオと護衛騎士は馬で誘拐された場所まで行き、馬から降りるとオフィーリアを地面に下ろした。
「クーン(オスカー様の匂いだわ)」
しばらく地面の匂いを嗅いでいたオフィーリアが、テオに顔を向けて鳴いた。
「隊長の匂いがわかったのですか?」
「キャン」
「では、案内してください。」
護衛騎士は、テオと子犬のやり取りを、不思議そうに眺めている。
オフィーリアは、匂いを嗅ぎながら走り出した。
子犬になったオフィーリアの嗅覚は、犬よりも数倍鋭く、ほんの些細な匂いでさえも、嗅ぎ分けられるようになっている。
オスカー様はこの場所で馬に乗せられたわ。
馬の匂いを追う。
森を抜けると街道に出た。
ここで馬車に変わったわ。
馬車の荷物は果物と野菜ね。
馬車の匂いを追う。
オフィーリアは、全速力で走りに走る。
テオと護衛騎士も、オフィーリアを追いかけて一緒に走る。
オスカー様を助けたい!
その思いが、速度をさらに上げていく。
一匹と二人は、止まることなく走り続けたが・・・、その走りは止められてしまった。
馬車の匂いは、国境の関門を通過していた。
オフィーリアたちが関門を通り抜けようとすると、国境警備隊に止められてしまったのだ。
関門を通り抜けて隣国ランベルジオスに入るには、ランベルジオス国の入国許可証が必要なのである。
だが、二人ともそんなものは持っていない。
「緊急事態なのだ。通して欲しい。」
頼んでみたが、たとえアデルバード国が出国を許したとしても、ランベルジオス国の警備隊が許可証もなしに入国を許すことはなかった。
誘拐犯は、おそらく両国の入国許可証を手に入れていて、上手く偽装して国境を超えてしまったのだろう。
テオと警備隊のやり取りを、オフィーリアは黙って見ていた。
テオたちが揉めている時間がもったいない。
このままでは、いつまで待ってもらちが開かない。
私一人でも行かなくちゃ!
そう思ったオフィーリアは、隙をついて人々の足元を抜け、一人で否、一匹で国境を越えた。
そしてまた、全速力で走り出す。
オスカー様、待っていてください。
今、私が助けに行きますからね。
お願いだから、無事でいて!
オフィーリアが必死になって走っていると、目の前に大きな犬が現れた。
縄張りを荒らされたと思ったのか、グルルグルルとオフィーリアを睨んで威嚇している。
今にも噛みつきそうな形相だ。
ジオルグから逃げ出した際に、襲われた野犬が脳裏に浮かんだ。
一瞬ビクッとしたが、ここで負けるわけにはいかない。
私は、何としても、この場を通り抜けるわ!




