26話
使用人の裏方の仕事が終わり、それぞれがホテルに戻った後、オフィーリアはそわそわしながら時計を見ていた。
夕食も気もそぞろで、何を食べたのか覚えていない。
時間が近づくと、鏡の前で髪を撫でつけたり、服装のチェックをしたり・・・。
と言っても、着ているのはメイド服なのだが。
マリーは、そんなオフィーリアに「お嬢様はいつ見てもおきれいですよ。」とニコニコしながら話しかける。
やっと約束の時間になると、オフィーリアの顔がぱあっと明るくなり、いそいそと、待ち合わせの場所に向かう。
夜道は危険だが、テオも一緒なので安心だ。
それにもし誰かに見られても、メイド二人が主人のお使いでもしていると思われて、変に疑われることもないだろう。
約束の場所の人目につかない裏庭で、オスカーはすでに待っていた。
「テオ、オスカー様がいるわ。ここまで一緒に来てくれてありがとう。」
オフィーリアが、嬉しそうにテオに礼を言う。
「どういたしまして・・・」
と、テオが言い終わるや否や
「オフィーリア・・・」
オスカーは、オフィーリアを見つけると、駆け寄ってきて抱きよせた。
テオがそばにいても、オスカーの視界には入らないようだ。
「まったく・・・」
テオが呆れてポツリと呟く。
しかし、恋する相手しか目に入らないのは、どうやらオフィーリアも同じらしい。
「オスカー様、会いたかったです。」
オフィーリアもオスカーの身体に手を回して、オスカーの気持ちに応えている。
「・・・・」
テオは、さらに呆れて、呟く気も失せてしまった。
とは言うものの、テオの仕事はここまでで、後はオスカーに任せれば良く、テオは、そっと二人から離れた。
「テオ、オフィーリアをここまで連れて来てくれてありがとう。」
背後から、オスカーの感謝の言葉が聞こえてきたので、良しとしよう・・・。
「どういたしまして・・・。」
テオは振り向かずに、片手をひらひらさせてこの場を去った。
オスカーとオフィーリアは、すっかり二人の世界に入り込んでいる。
「オフィーリア、会いたかった・・・。」
オスカーは、宝物を愛でるような目でオフィーリアをじっと見る。
「歩きながら話そう。」
オスカーはオフィーリアの手を握り、歩き始めた。
夜空には、昨夜と同様に美しい月が輝いており、二人の歩く道を照らしている。
「使用人の仕事は辛くないかい?」
「とんでもございません。私は力持ちなので楽チンなんですよ。うっかり本当の力を出しかけて、慌てて引っ込めるくらいなんです。」
「そうか。それなら良いが・・・。」
楽しそうに話すオフィーリアに、オスカーはほっとする。
裏庭と言っても、庭師の手入れは行き届き、美しく植えられた花々が、月夜に明るく輝いている。
「私ね。明日の仕事は湯沸かし係になったのですが、ブラン伯爵家のメイドと同じ仕事になりました。もしかしたら、何か情報が得られるかもしれません。」
オフィーリアは、役に立つ自分を想像し、ウキウキと楽しそうに話すのだが、愛する妻に湯沸かし係の重労働をさせていると思うと、オスカーは、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「そうか。オフィーリア、こんなときにも俺のために働こうとするのだな。すまないな。」
「オスカー様のためと言うよりも、私がしたいからしているんですよ。だから、気に病まないでください。」
「本当にオフィーリアは優しいな。」
言葉を交わしながら、オフィーリアはオスカーが導くままに歩いていたが、林の中に入ると、前方に小さな小屋が見えてきた。
「オフィーリア、実はここは隠れ温泉なんだ。一般客用の広い温泉はホテルのそばにあるが、ここは王族専用の温泉だから、一般客には教えていないし、立ち入り禁止区域でもある。」
セオドアは、オフィーリアが豪華スイートルームを辞退した代わりにと、この温泉の使用を許可し、この時間は、特別に二人だけの貸し切りにしてくれたと言う。
「私、温泉なんて初めてです。」
オフィーリアの青い瞳がキラキラと輝いている。
「この小屋で、専用のバスローブに着替えて入るんだ。月を眺めながら温泉に浸かるなんてめったにできないことだろう?」
「はい。本当ですね。」
オフィーリアは、初めての温泉にワクワクしながら女性用の更衣室に入る。
三つ編みをほどいて鏡を見ると、いつも見慣れているまっすぐな髪にウエーブがかかり、ちょっと雰囲気が変わる。
これも可愛いかも・・・と思いながら、棚に置いてあるバスローブの中から、桃色を選んで着替えた。
ドキドキしながら外に出ると、オスカーは、既に白いバスローブに着替えて待っていた。
オフィーリアの髪型が変わったことに気づいたオスカーは、それだけでもう、オフィーリアから目が離せない。
「オフィーリア、今の髪型もすごくきれいだ・・・。」
褒められたオフィーリアは、恥ずかしそうに、ぽっと頬を染める。
大きな岩で囲まれた温泉は、所々に灯りが灯され、夜に浮かび上がる湯気が揺らめいていて、なんとも幻想的だ。
オフィーリアは、温泉の湯に手を浸してお湯の温度を確かめる。
「あったかい・・・。」
初めて触れる温泉の湯は、暖かくて少しとろみがあって、肌に良さそうだと思う。
さすがに美肌の湯と有名なことはある。
オスカーがザブンと中に入って、オフィーリアに手を差し出した。
「オフィーリアもお入り。」
オフィーリアはオスカーの手を握り、恐る恐る湯に浸かろうとしたのだが、つるりとした岩肌に足が滑ってしまう。
「キャッ!」
そのままドボンと湯に落ちて、オスカー抱きついてしまった。
「ご、ごめんなさい。」
「い、いや、嬉しいアクシデントだった。」
オスカーの顔が赤い。
「ふふっ」
オフィーリアが笑うと、オスカーもつられて笑う。
だが、オスカーは急に真剣な表情になり、オフィーリアの耳元で囁いた。
「オフィーリアの素肌に触れたい。」
「え?」
オスカーの熱い視線が、オフィーリアのクスクス笑いを止めた。
オスカーの熱がオフィーリアにも移ってしまったようで、オフィーリアも頬も首筋も真っ赤になっている。
「いいかい?」
オスカーの問いに、オフィーリアはこくんと頷いた。
オスカーはそっとオフィーリアのローブを脱がせると、自分のローブと一緒に岩の上に置く。
「きれいだ。」
月の光を浴びる滑らかで白い肌と波打つプラチナブロンドの髪が、水滴でキラキラと輝き、まるで月の女神がこの世に現れたようだ。
オスカーはオフィーリアの腰に手を回し、ゆっくりと引き寄せた。
見つめ合う二人の唇が、自然に重なり合う。
湯気が揺らめくの中、裸で抱き合う二人を、夜空にぽっかり浮かぶ月だけが見守っていた。
その頃、、温泉に入りたがるヴァレリアンを、セオドアがポーカーの勝負で引き留めていたことなど、オスカーは知るよしもなかったのである。
翌朝、スッキリした顔のオスカーにセオドアが、声をかけた。
「オスカー、昨夜は楽しく過ごせたかい?」
「殿下、昨夜はありがとうございました。お蔭様で良い思い出ができました。」
「ああ、俺もね。収穫があったんだ。勝ったり負けたりだったが、最終的には、ヴァレリアンから金の腕輪を巻き上げてやったぞ!」
セオドアは昨夜のことを、どうだと言わんばかりに楽しそうに話す。
「それでは、狩猟大会に行くとしよう。」
今日は狩猟大会当日だ。
セオドアには、開会宣言をする大切な公務があり、開会宣言の後で、狩猟大会にも参加することになっている。
ヴァレリアンには公務はないが、護衛をつけて狩猟大会に参加することは、セオドアと同じである。
セオドアは、日没三十分前には戻って来て、閉会宣言をしなければならない。
これも大切な公務の一つであり、この宣言をもって、本日の狩猟大会のイベントは終了となる。
セオドアたちが会場に向かっている頃、オフィーリアたちはすでに会場の自分の持ち場で、忙しく動き回っていた。
貴族たちが来る前に、全ての準備を終えていなくてはならないので、休む間もなく働いている。
オフィーリアの仕事は、人目につかない裏方の湯沸かし係で、大量の水を井戸から運び、鍋で湯を沸かさなければならない。
貴族の男たちが狩猟に出ている間、妻や娘たちは会場に設けられたテーブルで社交を繰り広げる。
その際に、お茶とお菓子は絶対に必要で、そのために湯を切らすことは許されないのだ。
責任が重く重労働であるこの仕事は、オフィーリア、マリー、テオを含め十人で構成されている。
その中で、もっとも年長の女性が長となり、皆に指示を与えている。
「ええと、あなたはウッド伯爵家の人よね。前回来てた人、今年は来なかったの?」
仕事が落ち着き、余裕が出てきた頃、火の様子を見ながら、湯沸かし長が尋ねた。
オフィーリアはウッド伯爵の名前が上がったので、聞き耳を立てて話に集中する。
「ああ、ジャスミンのことですか。その人、四年前にやめちゃったんですよ。」
「まあ、働き者で気だてもいい人だったのにね。何か理由でも?」
「ええ、実は彼女の恋人が死んじゃって・・・。」
オフィーリアは黙って聞いていたが、なかなかディープな話の展開に驚いた。
しかし、そのまま話を聞き漏らすまいと、意識を集中する。
「まあ、そうなの。お気の毒に。でもウッド伯爵家ならお給金も良さそうなのに、辞めるなんてもったいないわね」
「それがね。ここだけの話なんですが、恋人が死んだのは伯爵様のせいだって言うんですよ。だから、こんなところにいたくないって。皆はジャスミンの逆恨みだって言ってますけど・・・。」
「なんだか怖いわね。まあ、恋人を失ったジャスミンの気持ちも、わからなくもないけど・・・。」
話はこれだけだったが、もし本当に、四年前にジャスミンの恋人が本当にウッド伯爵のせいで死んだのなら、無視できないことだとオフィーリアは思った。
もしかしたら、これが何かの糸口になるかもしれない。
オスカーに報告しなければ・・・。
メイン会場では、セオドアによる開会宣言が始まっていた。
「・・・それでは、ただ今から狩猟大会を始める。皆の検討を祈る。」
狩猟大会の幕が上がった。
「キャー!セオドア様~、頑張ってくださーい!」
「ヴァレリアン様~頑張ってくださいね~。」
貴族令嬢たちの、王子や恋人や婚約者への黄色い声援が飛び交う中、参加者たちは手を振り声援に答えた。
セオドアは、オスカーと護衛騎士五人を引き連れ、森に駆けて行った。
ヴァレリアンも、護衛騎士六人を連れて行く。
王族以外の貴族男性も、獲物を求めて森に入っていった。
近衛騎士団長のアレックスは、全体の護衛責任者なので会場にとどまり、森に向かう参加者たちの後姿を見送っていた。
貴婦人たちの社交が始まり、裏方の仕事も忙しくなってきた。
オフィーリアは火が消えないようにマキを追加したり、水を足したりと忙しい。
しばらくすると、アレックスが厳しい表情でテオを呼びに来た。
オフィーリアたちから離れた場所まで移動し、何やら真剣に話をしている。
話が終わると、アレックスは引き返したが、テオはその場で真っ青になっている。
オフィーリアは、嫌な予感がしてテオの元に駆けた。
「いったい何があったの?」
「それが・・・、殿下とオスカー様が・・・いなくなりました。」
テオの声は少し震えている。
「いなくなったってどういうこと?」
「同行していた護衛騎士たちが戻って来て、現在お二人だけが・・・ゆ、行方不明とのことです。」
「なっ、何ですって?」
あまりの衝撃に、一瞬、目の前が真っ暗になった。




