21話
オフィーリアは、門番に見つからないように、迂回して慎重に門に近づいた。
鉄格子の間隔が大きいので、子犬なら簡単に通り抜けることができる。
オフィーリアは、目立たないようにゆっくりと門に接近し、門番が違う方向を見ている隙を狙って、スッと中に入った。
テオはハラハラしながら見守っていたが、門番に見つからずに中に入れたので、ほっと胸をなでおろす。
それにしても、大嫌いな蜘蛛を持って来るとは・・・。
朝から庭師に何かお願いしていると思ってはいたが、まさか蜘蛛を捕まえて欲しいと頼んでいたとは知らなかった。
そして、大きなカバンをテオに持たせた理由も、やっと理解する。
テオは、残された衣服をくるくると丸めてカバンの中に入れると、ため息をついた。
「まったく、たいしたお嬢様だ。だが、しばらく待っても戻って来なかったら助けに行かなくては・・・。さて、どこから侵入するべきか・・・。」
屋敷の敷地に入ったオフィーリアは、クンクンと匂いを嗅ぎながら、さっき中に入った商人の後を追った。
子犬になったオフィーリアの嗅覚は、薬の影響で一般の犬以上の鋭さを持つようになっていた。
もう一つ強化されたのは聴覚で、壁越しでも、小さな声を聞くことができる。
オフィーリアが意識を取り戻した夜、「オスカー様、お帰りなさいませムニャ、ムニャ・・・」と、遠く離れた部屋で寝ているセバスチャンの寝言が聞こえた。
初めは空耳かと思ったが、神経を集中したら、もっとはっきり聞くことができた。
つまり、これも子犬になった際の能力なのだと知った。
匂いを嗅ぎながら前進するオフィーリアであったが、幸いなことに広い庭には警備の者がおらず、身をかがめながら進んでいれば、まず見つかることはないだろうと思われた。
オフィーリアは馬の匂いを追っていたのだが、屋敷の入り口付近で、別の匂いが加わった。
ここで、商人が馬車から降りたに違いない。
「えっ? この匂いは・・・?」
クンクンと匂いを嗅いだオフィーリアは、身に覚えのある匂いに驚く。
オスカーの次によく嗅いだ匂い、それはジオルグの匂いだ。
どうしてジオルグが?
ジオルグは茶髪だったのに・・・、商人の髪は灰色だった。
もしかして変装してるの?
ジオルグの目的は、いったい何?
オフィーリアは耳をピンと立て、屋敷の中の音を拾い始める。
「ああ、疲れた。まったく人使いが荒いんだから。」
「今日の夕飯は何かなあ。」
「早く家に帰りたい。可愛い子どもが待ってるのよ。」
使用人の様々な声が聞こえてくる。
オフィーリアは、聞き覚えのあるジオルグの声を、頭の中で再現する。
「・・・だな。」
あった、これだわ。
ジオルグの声を探し当てたオフィーリアは、その声に集中する。
「少ないが、これで全部か?」
ジオルグの声ね。
「はい。今回は城内がバタバタと慌ただしく、書き写す量が少なくなってしまいました。」
この声はウッド伯爵だわ。今日は非番なのね。
「まあ、爆破事件があったから、わからぬでもない。だが、次は金額に見合う仕事をするように。」
「はい。できるだけ対処しますと、よろしくお伝えください。」
ウッド伯爵が、ずいぶん低姿勢なのね。
ジオルグって、そんなに偉かったの?
それとも、ジオルグのバックが強いのかしら。
オフィーリアは一言も聞き洩らさぬように、ずっと耳を立て、集中して話を聞いている。
「おや、こんなところに可愛い子犬がいるじゃないか。」
えっ?誰?
オフィーリアは集中しすぎて、人が近づいていることに気が付かなかった。
そして、その声の主に、ひょいと掴まれ抱き上げられてしまった。
「キャ、キャーン!(えええっ、しまったー!)」
どうやらウッド伯爵家に雇われている使用人のようだ。
オフィーリアは、なんとかもがいて男の腕から逃れようとしたが、しっかりとホールドされ逃げることができない。
「おいおい、そんなに暴れるなよ。ちょうど娘が犬を飼いたいって言ってたんだ。連れて帰って飼うことにしよう。」
「キャンキャンキャン(いやいやいや、私は飼われたくないから。お願いだから、放して!)」
「うん、鳴き声も可愛いな。家に連れて帰ったら、ちゃんと首輪もつけてやるからな。とりあえず、今は箱の中に入れておくから、しばらく我慢してくれよ。」
男はオフィーリアが逃げないように、しっかり抱きしめて歩き始めた。
「キャンキャンクーン(どどどうしよう、誰か助けてー)」
「ちょっと君、君が抱いている子犬だけど。」
背後から、男の声がした。
「はい?・・・あ、あなたは・・・」
振り向くと、そこにいたのはオスカーだった。
冷酷非道と言われる言葉そのままに、凍り付くような冷たい視線で男を睨んでいる。
しかも何かすごく怒っているようで、まるで魔王に睨まれているかのごとく、男はブルブルと震えだした。
俺、何か怒られるようなことした?
「あ、あの、ルイス侯爵様でいらっしゃいますね。どど、どのような御用でしょうか。」
オスカーは、表情をピクリとも変えず、睨んだまま、男に言う。
「ちょうどここを通りかかったときに、子どもに頼まれたのだよ。飼い犬がここの庭に入り込んでしまって困っているとね。」
「ももも、もしかして、こここ、この子犬のことでしょうか。」
「白い毛並みの可愛い子犬だと言ってたから、その子犬のことだろう。外で待っているから、私が返してやろう。」
優しい言葉を連ねているが、目は鋭く男を睨み、口から出る言葉は、まるで殺意が込められているように感じる。
「ははは、はい。あ、あ、ありがとうございます。お、お手数をおかけして、もも申し訳ございません。」
男がオフィーリアを震えながら渡そうとすると、オスカーは奪い取るようにして抱きしめた。
「ところで君は、この子犬をどうするつもりだったのだ?」
「あ、あの、首輪がなかったので捨て犬かと思い、家に連れて帰ろうと・・・」
「何を言う。こんなに美しい子犬が、捨て犬なはずがなかろう!」
「ももも、申し訳ございませんでした!」
男は慌てて一礼すると、逃げるようにその場を去った。
オスカーはオフィーリアを抱きしめながら、はぁとため息をついた。
「クーン(ごめんなさい)」
その夜、オスカーが勤務を終え寝室に入ると、オフィーリアは子犬の姿で眠っていた。
「まったくオフィーリアは、人の気も知らないで・・・」
昨夜のオフィーリアの様子から考えて、きっと動くだろうとは思っていた。
少し様子を見てから動くのが普通だろうが、オフィーリアの今までの動きを考えると、そうは言ってられない。
まさに今日動くかもしれないと思うと、執務室でセオドアの護衛をしながら、いてもたってもいられなくなってしまった。
切羽詰まった顔で、巡回に出たいと告げると、セオドアはその意図を察してか、許可してくれた。
別の騎士と護衛を交代してもらって、ウッド伯爵邸へと急いだ。
すると、布カバンを抱えたテオが、息を潜めて隠れているのが見えた。
話を聞くと、既にオフィーリアがウッド伯爵邸の庭に入ったと言うではないか。
そのとき「キャン」と鳴き声が聞こえたような気がした。
テオには聞こえなかったその鳴き声が、オスカーには確かに聞こえたのだ。
もう、こんなところでじっとしていられない。
「行ってくる。」
オスカーは巡回中を装い、子どもに中に入った犬を助けて欲しいと頼まれたと嘘をつき、門番に門を開けるように命令した。
ソードマスターにまで出世したオスカーのことを知らないはずはなく、門番は最敬礼でオスカーを中に入れた。
広い庭であったが、まるで導かれるようにたどり着き、オスカーが見つけたときは、使用人の男が嫌がるオフィーリアを抱きしめているところだった。
男に対して殺意が湧いた。
男が抱いているのは子犬ではなく、人の姿のオフィーリアにしか見えない。
悪人に抱きかかえられたオフィーリアが、プラチナブロンドの髪を揺らし、手を指し伸ばして泣きそうな顔で「助けて!」と叫んでいる。
もし、この場所がウッド伯爵邸の庭でなかったら、オスカーは問答無用で男を一刀両断にしていたかもしれない。
だが、ここはウッド伯爵邸の庭なのだ。
下手に動けば、オフィーリアの命を掛けた諜報活動が水の泡になるだろう。
オスカーはぐっと我慢し、深呼吸して冷静さを取り戻し、背後から男に声をかけた。
オフィーリアを取り返すと、屋敷に戻りマリーに託してから王城に戻った。
王城に戻ってからも、オスカーの気分は一向に晴れない。
もし、もう少し遅かったら、オフィーリアは攫われてしまったかもしれないのだ。
また、一歩遅れて野犬に傷つけられたように、オフィーリアに大きな傷を負わせてしまうかもしれなかった。
そう思うと、また怒りが込み上げてくる。
この日、オスカーの殺気じみた雰囲気に、周りの騎士たちはビクビクしながら過ごしていた。
オフィーリアを預かったマリーは、前回と同じく、早く眠れるようにとオフィーリアを散歩に連れ出した。
庭の中での散歩であるが、広い庭なので十分に運動になる。
セバスチャンは、まるで孫を見るように目を細めてオフィーリアを見ている。
「オフィーリア様の好きなお菓子ですよ。良かったらどうぞ。」
散歩に疲れた頃を見計らい、ミルクとお菓子を皿に入れて差し出してくれる。
優しい二人に囲まれて、オフィーリアは幸せだと思う。
夕食を食べた後、オフィーリアはいつもより早くオスカーのベッドで眠った。
オスカーが帰る頃には、きっとぐっすり眠りに落ちているだろう。
「クーンクン(オスカー様、早く帰ってきて、私を起こしてくださいね。)」




