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2話

オフィーリアの止める声は相手に届かず、長身の男が部屋に入ってきた。


ベッドの上のオフィーリアを見ると、赤い瞳を見開き、驚いた表情と満面の笑みを浮かべ、さらりとした黒髪をなびかせて走って来る。


「オフィーリア、目を覚ましたんだね。」


愛おしそうにオフィーリアを見つめて言う。


いや、知らない知らない、あなたなんて知らないわ。


でも、どうして私の名前を知っているの?


男はオフィーリアをひょいと抱き上げる。


ひょい?


オフィーリアは訳がわからないまま抱き上げられた。


だが、はっきりわかったことがある。


抱き上げられ、ぶらぶらと揺れている足は、もふもふの白い毛に覆われた短い足なのだ。


肩からぶらんと下がっている腕も、同じくもふもふ。


何よ、これ? 犬みたいじゃない。・・・って、い、い、犬???


「キャンキャン(鏡見せてよ。顔が見たいわ)」


喋ろうとしても、犬の鳴き声しか出てこない。


やっぱり私、犬になってしまったの? どうして?


「ああ、オフィーリア、元気になったようだね。一時はどうなるかと心配したけど、鳴けるようになって、本当に良かった。」


男はニコニコしながら、オフィーリアの頬に自分のほっぺを当ててすりすりする。


そこへちょっと渋めのおじ様が入ってきた。


ロマンスグレーの髪を綺麗に撫でつけていて、服装には隙がない。


見るからにできる執事という感じのおじ様である。


緑の瞳を男に向けると、事務的に用件だけを伝えた。


「コホン、お坊ちゃま、もうそろそろ王城へ行くお時間です。」


そう言われた黒髪の男は、スッと冷たい顔に豹変した。


「わかった。では、もう行こう。」


その顔は冷酷そのもので、目をうっかり合わせると切られてしまいそうな怖さだ。


「セバスチャン、オフィーリアのことは頼んだ。」


男はそれだけ言って出ていった。


王城、黒髪、赤目、冷酷な顔、それって、冷酷非道で有名なオスカー・ルイス侯爵じゃない?


怖くてまともに顔を見たことはなかったが、戦争が終わって王都に戻ってきてからは、王太子殿下の側近護衛騎士として勤務している有名人であることは知っている。


たしか、戦争での功績が認められて、すごい勲章をもらったはず。


噂では、五年に渡る戦争で、たった一人で敵を10万人殺し、我が国を勝利に導いた。


彼の行くところ、血の海ができ、血にまみれた姿を見た敵兵たちは、こぞって彼のことを魔王の再臨と呼んだらしい。


今も、王太子殿下のためなら、平気で人を殺せるという噂だ。


私、そんな人に連れて来られたの?


でも、いったい、何故?


そして、どうして私は、犬なの?


失敗したら死ぬんじゃなかったの?


もしかして、これが人間兵器?


混乱で、頭の中がごちゃごちゃのオフィーリアであるが、セバスチャンが、暖かい手でオフィーリアの頭を撫でている。


その暖かさのお陰で、オフィーリアも次第に心が落ち着いてきた。


「ふむ。このような子犬に、あの方のお名前をお付けになるとは。ですが、お坊っちゃまの笑顔を久しぶりに見ました。オフィーリア様、あなたのお陰ですね。ありがとうございます。それでは食事にしましょうか。」


セバスチャンは、子犬のオフィーリアを抱き上げて厨房へと歩いた。


途中で鏡を見つけたので、オフィーリアは訴える。


「キャン(止まって)」


「おや、鏡を見たいのですか。」


セバスチャンは、そっとオフィーリアを床に下ろし、鏡を見せてくれた。


セバスチャン、グッジョブですわ!


鏡に映るオフィーリアは、誰がどう見ても可愛い子犬だ。


もふもふの白い毛と、青い目がとても愛くるしい。


自分でも、抱き締めてもふもふの毛にほっぺをすりすりしたくなる可愛さだ。


できないけど・・・。


やっと自分の姿を見て現実を受け入れたオフィーリアは、「クウーン(抱っこして)」とセバスチャンを見て甘えた声で鳴いた。


「それではお食事に参りましょうか。」


セバスチャンは再び抱き上げて、オフィーリアを厨房へ連れていく。


厨房に着くと、コックが出してくれたエサは生肉だ。


セバスチャンは礼を言って受け取り、オフィーリアの前に差し出す。


「さあ、どうぞ。」


だが、オフィーリアは生肉が好きではない。


レアよりもミディアムがいい。


「クーン(生肉はイヤ)」


と恨めし気に鳴いてセバスチャンを見つめると、


「おや、気に入らなかったようですね。いったい何がいいのやら。」


とセバスチャンも困り顔。


戸棚があったので、カリカリと爪を立ててみると、「おや、この中を見たいのですか?」と抱き上げて中を見せてくれた。


美味しそうなパンとお菓子が見えたので「キャン(これ欲しい)」と鳴くと、セバスチャンはパンとお菓子をオフィーリアに与えてくれた。


セバスチャンって犬の気持ちがわかるの? 何気にすごいですわ!


オフィーリアは感動し、ずっとセバスチャンと一緒にいたかったが、セバスチャンは執事の仕事で忙しい。


食事と庭の散歩以外は、オフィーリアは一人でオスカーの部屋で過ごした。


それにしても不思議だ。


今朝、一瞬だったけど、確かに人間の身体だったはず。


すぐに子犬になったけど。


犬になるのも人間になるのも、きっかけが何なのかわからない。


ああ、私はいったいどうすれば良いのかしら・・・?


自分のことなのに、自分で制御できないもどかしさに、オフィーリアは困り果てていた。


それから、もう一つ、オスカーのことで気になることがある。


朝の混乱した頭ではわからなかったのだが、こうして落ち着いて考えると、オスカーによく似た男の子に会ったことがある。


でも、あの子は平民の男の子。


もしかしたら、オスカーと何か関係があるのかもしれない。




王城の中では、オスカーは多忙だ。


自身が所属する近衛騎士団の任務及び訓練と、王太子セオドアの護衛が主な仕事だが、戦場での実績が買われ、戦争経験のない若い騎士の訓練も任されている。


今日の午前中は、その若い騎士たちの訓練指導だ。


訓練場に向かう途中で、出会う人々が、ビクッとしてオスカーに道を譲る。


これも、もう見慣れた光景である。


戦場から戻ると、オスカーには冷酷非道だの、魔王の再臨だの、恐ろしげなあだ名がついてきた。


もともとオスカーは、他人に笑顔を見せることはなく、人を射貫くような鋭い視線のために、皆から恐れられていたが、戦争で、それに拍車がかかったようだ。


それに加えて、オスカーの話し方も、貴族に恐れられる原因の一つになっている。


オスカーは十二歳から騎士寮で暮らし、十五歳から五年間、戦地の軍隊の中で成長した。


軍隊を構成するのは、平民騎士が多数を占める第一騎士団と平民兵士たちだ。


荒くれた男たちと共に、命がけで戦う生きるか死ぬかの戦場では、貴族特有の遠回しな言い方は通用しない。


瞬時に、端的かつ直接的な言葉を選ぶ必要があった。


だが、オスカーが王都に戻ると、貴族たちは笑顔の下に本心を隠し、腹の探り合いをしている。


何を言うにも遠回しな言い方で、聞いていてイライラする。


自然とオスカーは貴族に対して寡黙になり、必要に応じて彼が発する言葉は、鋭利な刃物のように感じられるようになった。


訓練場に着くと、若い騎士五十人が、緊張した面持ちで整列している。


若い騎士たちのオスカーを見つめる眼差しには、畏怖の念が込められている。


戦争の英雄でソードマスターでもあるオスカーは、彼らにとって、恐怖でもあるが、憧れの対象でもあるのだ。


オスカーの訓練指導は厳しいことで有名だが、ここ数日、訓練の厳しさが増している。


本日はどんなに過酷な訓練が待っているのだろうかと、多少の不安を抱きながら始まった訓練であったが・・・


オスカーの様子がいつもと違う。


ほんの少しであるが、顔が緩んでいる。


毎日接している彼らだからわかる。


しかも、訓練がいつもより辛くない。


オスカーの異変に、いったい何があったのだろうと、顔を見合わせる騎士たちであった。




夜になるとオスカーが屋敷に戻って来た。


屋敷の中に入ると、真っ先に自分の部屋へと急いだ。


ガチャリと勢いよくドアを開けると、オフィーリアは、セバスチャンがベッドの足元に用意したクッションに座っていた。


「オフィーリア、元気にしていたかい?」


オスカーはひょいと抱き上げて、子犬の手足ぶらぶら状態で話かける。


「クーン、クーン、クーン(あの、私、子犬の姿をしているけれど、十八歳の乙女なんです。この状態、かなり恥ずかしいんですけど・・・。)」


残念ながらオスカーには伝わらない。


オスカーはベッドに胡坐をかいて座り、足の間にオフィーリアを入れて撫でまわした。


「ククク(ううっ、くすぐったい)」


「お前は本当に可愛いな。本当にオフィーリアみたいだ。」


オスカーはオフィーリアを優しくなでながら話し始める。


「俺は、オフィーリアが婚約破棄されたって聞いて、ベイル伯爵家に行ったんだ。だけど、もう、追い出された後だった。」


オスカーはオフィーリアが住むベイル伯爵の屋敷を訪ねたが、出てきた父親は、侯爵であるオスカーに低姿勢で接しはしたものの、話す内容はひどいものだった。


娘は家の恥だから絶縁した、もう私とは関係ない。


娘には職業斡旋所の住所を渡したのだから、それで何とかなるはずだ。


その言葉に呆れ怒りを覚えたが、何よりもまずオフィーリアを探すことが最優先だと考えたオスカーは、屋敷を出てオフィーリアを探し回った。


教えられた斡旋所には、オフィーリアは来ていなかった。


プラチナブロンドの令嬢を見なかったかと、出会う人々に聞いて回ってやっとたどり着いた家からは、怪しげな男たちの怒鳴り声が聞こえてきた。


「何だ、これは? くそっ、実験は失敗だ。」


実験が失敗?


いったいこの中で、何が行われているんだ?


オスカーが焦る気持ちで家の中に飛び込むと、四人の男たちが何かを囲んで慌てふためいている。


囲まれていたのは、オフィーリアの青いドレスだった。


過去に数回しか見たことはないが、オスカーがオフィーリアの瞳と同じ色のドレスを間違えるはずがない。


オフィーリアは、こんな男たちに辱めを受けたのか!


そう思うと怒りが込み上げ、男たちに殺意が湧いたが、それを押さえこみ、逃げられないように足だけを切った。


ともかくオフィーリアがどこにいるのか、聞きださねばならない。


だが、オスカーの思いも虚しく、男たちは四人とも懐から毒を取り出し服毒死してしまったのだ。


結局何も聞きだせなかったオスカーは、家の中をくまなく探したが、オフィーリアはどこにもいなかった。


がっくりと肩を落し、せめてオフィーリアの思い出だけでもと、青いドレスを手にした際、その中に真っ白な子犬がいることに気付いた。


ぐったりした子犬は今にも死にそうだったが、オスカーにはその子犬がオフィーリアの生まれ変わりのように思えた。


命を救いたい、何としてでも生きながらせたい、そう思って自分の屋敷に連れて帰った。


その後、四人の男を運ぶために部下を連れてその家に戻ったのだが、戻ったときには家は燃えていて、男たちを運び出すことができなかった。


怪しげな実験室も全て燃えてしまったので、この家で何が行われていたのかは、もう知ることもできない。


火事の知らせを受けて集まった騎士たちと一緒に消火活動をし、事件の報告をした後、オスカーは屋敷に戻り、子犬の世話をした。


どうか死なないで欲しい。


そう思いながら、冷えた体を毛布で包み自分の体温で温めたり、ミルクをスポイドで飲ませたり、できそうなことは何でもやった。


仕事で家を空ける際はセバスチャンに頼み、戻って来てはまた世話をする。それを三日間繰り返して子犬が目覚めるのを待っていたのだ。




「ああ、お前が元気になってくれて本当に良かった。」


オフィーリアはオスカーの胡坐の中で、丸くなってその話を聞いていた。


足を切ったと恐ろしいことをさらりと話すオスカーに、ブルっと震えることもあったが、これも全て自分のためだったんだと思うと、複雑な気持ちだ。


それにしても、自分が意識を失っている間にそんなことがあったなんて・・・。


あなたのお陰で生き延びることができたのね。


ところで、どうしてあなたは私を探してくれたの?


聞きたいことはいっぱいあるが、「クーン(どうして?)」ではオスカーに伝わらない。


いつになったら、まともに話ができるようになるのだろうか・・・。


「オフィーリア、俺の話を聞いてくれてありがとう。時々相槌を打ってくれて嬉しかったよ。本物のオフィーリアと話しているみたいだった。」


「クーンクン(私は、本物のオフィーリアよ。)」


「ははっ、ああ、お前が話せたらな。そしたら、俺の名前を呼んでもらうのに。もしも願いが叶うなら、オスカーって呼んでおくれ。」


「クーン?(オスカー様?)


「ふふふ、俺のこと、馬鹿な奴だと思っているか? さあ、もう寝ようか。お休み、オフィーリア。」


オスカーはオフィーリアを抱いて寝た。


「クーンクン」(おやすみなさい。オスカー様)」




オスカーは、窓から入ってくる朝日と鳥のさえずりで目が覚めた。


抱いているオフィーリアも、気持ち良さそうに眠っている。


暖かくてもふもふの子犬は、抱いているととても気持ちが良い。


「ふふふ、オフィーリアはまだ眠っているね。」


オスカーは、眠っている子犬を起こさないように胸に乗せたまま、可愛い顔を見ながら話しかけた。


子犬の目がぱちりと開いた。


オフィーリアと同じ青い目だ。


すると、子犬の手足がグーンと伸びて、顔は艶やかな乙女の顔になり、プラチナブロンドの髪が美しいオフィーリアに変身した。


「えっ? オ、オ、オフィーリア?」


オスカーは、抱いている腕の中で変身したオフィーリアに驚きすぎて、それ以上の言葉が出ない。


俺は幻を見ているのか? それともまだ夢の中なのか?


ムニュッ


な、なんだ? この胸に感じる柔らかい感触は?


「オスカー様、おはようございます。」


ってあれ? どうして私、言葉が喋れるの?


目の前には、自分を抱いているオスカーがいるが、その顔は驚きに満ち溢れている。


ふと気になって自分の手を見ると、それは人間の手であった。


「ええっ? 人間に戻ってる?」


オフィーリアが驚いて叫ぶと、オスカーはガバッと起き上がり、布団を一気にめくり上げた。


すると、目の前には一糸まとわぬ裸のオフィーリアが横たわっていた。


「オ、オフィーリア!」


「ええっ?イヤーー!キャーン!(見ないで―)」


オフィーリアは、一瞬で子犬の姿に変わった。

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