18話
何かが焦げたような臭いが充満している実験室で、実験材料を睨みながら材料を調合している男。
両手を後ろで縛られた女と、肩を掴まれナイフで脅され身動きできない子ども。
実験をしている男が持つビーカーから白煙が上がり、不気味な光がチカチカと現れたかと思うと、その光が大きくなり眩しく光った。
「あなた!」
「お父さん!」
女は自分を拘束していた男に体ごとぶつかり、その勢いで隣にいた子どもを押し倒し覆いかぶさった。
しかし子どもの背中の一部と右腕は、覆うことができなかった。
直後に起きた激しい閃光と体が焼ける痛み・・・。
ジオルグは寝ていたベッドからガバッと起き上がり頭を抱えた。
ハアハアと息が荒く、冷や汗が出ている。
「また、あの夢だ。」
隣のベッドで寝ていたイザベラが、心配そうにジオルグを見ている。
「すごく、うなされてたよ。悪い夢でも見たようね。」
「ああ、起こしてすまない。」
「私は別にいいけど・・・いつも冷静なあんたが、そんな風になるなんて、ちょっと驚いたわ。」
「ああ、気にしないでくれ。」
そう言われても、気になるものは仕方がない。
「ねえ、もしかして、あんたの火傷と何か関係ある?」
「まだ夜が明けるまで時間はある。もう寝ろ。」
「ふん、心配してあげたのに、何さ。」
聞いたことに答えないジオルグに不満を持ちつつも、イザベラは言われたとおりに寝ることにした。
だが、薄目を開けてジオルグを見ると、ジオルグはじっと動かず、まだ苦しそうに頭を抱えている。
イザベラは、そっとしておいた方がいいのだろうと、見て見ぬふりを続けた。
「オフィーリア、目を覚まして。」
聞きなれた優しい声が聞こえる。
オフィーリアは静かに目を開き、自分がまだ生きていることを実感した。
背中が激しく痛むのが、その証拠である。
手は人間の手に戻っている。
オスカーの声で目を覚ましたから、人間に戻れたのだとわかった。
そしてこの場所はオスカーのベッドの上で、オフィーリアはうつ伏せに寝かされている。
私・・・、戻って来れたのね。
死ぬかと思ったけれど、またオスカー様が助けてくれた・・・。
安心したものの、背中から上は何も掛けずに裸のままだ。
オスカーの目の前で、うつ伏せとはいえ、裸の自分をさらすのは恥ずかしい。
隠すものが欲しくて動こうとしたが、背中がズキズキと激しく痛み、思うように動くことができない。
獣の牙に噛まれた背中の傷が、オフィーリアを苦しめる。
「オスカー様、あの、私・・・」
「恥ずかしいとは思わないで。俺たちはもう夫婦なんだ。夫が妻の傷の手当をするのは当然だろう?」
そう。私たちは夫婦なのだから恥ずかしがる必要はないのだと、オフィーリアは自分に言い聞かせる。
「しみるだろうけど、消毒するからじっとしてて。子犬の状態でも消毒はしたけど、人間の姿でもしておかないとね。」
オスカーは、消毒液を浸した綿を使い、慣れた手つきで消毒を続ける。
「戦場ではケガが付き物だったから、俺は消毒や手当には慣れているんだ。だから安心して任せて欲しい。」
オスカーは今まで、何人もの傷の手当てをしてきた。
しかし皆ゴツゴツした筋肉質の男たちばかりだ。
オフィーリアのような、か弱く細い女性の背中に消毒をしたのは初めてだ。
美しいオフィーリアの背中に、大きな傷がついてしまった。
それを見ると、辛くて泣けてくる。
「オスカー様、ごめんなさい。オスカー様のお役に立ちたかったのですが、結局ご迷惑をかけてしまいました。」
「謝ることはない。俺のために無茶をしたんだ。俺が傷を負わせたようなものだ。」
「そんなことは!」
オフィーリアは起き上がろうとしたが、背中にズキッと痛みが走り、起き上がることができない。
「ほら、今でも無茶をしようとする。今は安静が必要だ。じっとしてるんだよ。」
「・・・はい。・・・ありがとうございます。」
オスカーの声はとても優しい。
だが、怒りを帯びているようにも感じる。
「あの・・・、やっぱり怒っていらっしゃいますよね。」
「怒っているとしたら、それは自分に対してだ。もう少し早く追いついたら、お前をこんな目に合わせることはなかったのにと思うと、それが悔しくてたまらない。」
消毒し、薬を塗り終わると、包帯を巻くために、オスカーはマリーを呼んだ。
マリーは傷口を見て泣きそうになりながら、慣れない手つきで包帯を巻き、それが終わると、一礼して部屋から出た。
手当てが終ると、オスカーは何があったのかを話し始めた。
オスカーとテオがアパートメントを見張っていると、懐に子犬を入れた男と女が出てきた。
後を付けたが、気づかれてはまずいと思い、かなり離れて後を追った。
馬車に乗り込んだのを見て、二人は馬を借りて後を付けたのだが、馬だと目立つ。
だから馬車の車輪の跡を頼りに後を付けることにした。
ところが、道が二手に分かれている場所で、どちらにも新しい車輪の跡があり、右を選んで進んだら、それが間違いだった。
慌てて引き返し左の道を進んでいたら、大きな野犬にくわえられたオフィーリアを発見した。
「オフィーリア!」
叫びながら、野犬を切ろうとしたら、野犬は驚いたのかオフィーリアを口から離し、逃げ去った。
オフィーリアを拾い上げると、噛まれた傷口から血がドクドクとあふれている。
オスカーは、慌ててシャツの左腕を破き、包帯代わりにオフィーリアの身体に巻いた。
そして懐に入れて、馬を全速力で走らせて屋敷に向かったのだが、オスカーの白いシャツが徐々にオフィーリアの血で染まっていく。
「死ぬな、死なないでくれ!」
それだけを願い、馬を走らせた。
屋敷に着くと、セバスチャンもマリーも、オスカーの血だらけのシャツを見て驚いたが、懐から取り出したオフィーリアを見て、二人とも真っ青になった。
巻かれた白布は血まみれで、ぐったりとして意識がない。
「オ、オフィーリア様! ど、どうしてこのようなことに・・・」
セバスチャンが急いで消毒液と薬を、
「お嬢様、なんてお気の毒な・・・」
マリーは新しい包帯を用意してくれた。
ただ、不幸中の幸いと言うべきか、野犬の牙が内臓に達することはなく、手当の甲斐あり命はとりとめた。
だが、オフィーリアの美しく白い背中には、大きな傷が残ってしまった。
「オフィーリア、遅くなって本当にすまない。」
オスカーの目から大粒の涙がポロリと零れ落ちる。
「オスカー様・・・」
オフィーリアはそっと手を伸ばし、オスカーの頬を撫でた。
「オフィーリア。」
オスカーはその手を握り、そっと口づける。
「愛しているよ。」
オフィーリアは、オスカーの気持ちが落ち着いてから、馬車で聞いたことを伝える。
「イザベラは、ウッド伯爵の本当の娘ではなかったのか・・・。」
イザベラは、十四歳でウッド伯爵の養女に迎えられたが、世間ではウッド伯爵と昔の別れた恋人との間にできた娘だと噂されている。
母親は、今は没落して存在しない地方の男爵家の娘で、イザベラを生んだ後に死に、イザベラは孤児院に預けられて育った。
ウッド伯爵は元恋人が出産したことを知らなかったが、イザベラの存在を知ってから探し続け、やっと四年前見つけたので養女に迎えたということになっている。
「それから、ブランに近づいたのは、愛情とかそういうのではなくて、どうも鉱山が絡んでいるようでした。」
オフィーリアは、馬車で聞いた二人の会話をオスカーに伝える。
「つまり、ホワイト伯爵所有の鉱山を手に入れるために、イザベラをブランに近づけたってことだな。そのためには、オフィーリアの存在が邪魔だった・・・。」
「そう言うことになりますね。それから、側妃の約束というのも気になります。これって本当でしょうか。」
「いや、それは考えられないな。」
オスカーは首を振る。
現国王のグレゴリーが、政治的な思惑もないのに、わずか十八歳のイザベラを側妃にするとは考えられない。
王太子のセオドアは、子どもの頃から知っているが、他人の婚約者を奪うような男ではないし、イザベラはセオドアの好みのタイプではないはずだ。
では、第二王子のヴァレリアンかとも考えたが、そもそもプライドの高い側妃カーラが、没落男爵家の血を引く娘など、たとえ側妃であっても息子の嫁に認めることはないだろう。
「火傷の男、ジオルグと言ったか。そいつがイザベラを騙していることも考えられる。これは、イザベラについて調べてみる必要がありそうだ。」
オスカーはイザベラから、ジオルグ、そして神殿爆破の真相へと繋がるのではないかと考える。
「オフィーリア、今回もお手柄だったよ。お陰でジオルグの情報を得ることができた。ありがとう。」
オスカーは、オフィーリアの美しいプラチナブロンドの髪を大きな手で優しくなでた。
「うふふ、ありがとうございます。」
オフィーリアは褒められたことが素直に嬉しい。
傷の痛みも、しばし忘れてしまう。
オスカーの精悍な顔を、幸せな気持ちで眺めていると、ふと思い出した。
いつもいない時間なのに、オスカーがいる。
「あの、ところで、オスカー様はお城に行かなくても良いのですか? いつも夜にはいらっしゃらないのに。」
自分のために、仕事を疎かにしているのではないかと心配になる。
「それは大丈夫だ。殿下には許可を得ている。それに、アイザックが死んではいたが見つかったから、大規模な捜索は解除されることになった。」
だから、今までよりも、屋敷で過ごせると思うと、オスカーは付け加える。
翌朝、オスカーはオフィーリアの消毒を済ませると、後はマリーとセバスチャンに任せて、王城に向かった。
二人は、まだ自由に動けないオフィーリアのために、寝室まで朝食を運ぶ。
「血まみれのオフィーリア様を見たときは、生きた心地がしませんでした。朝食を食べれるようになって本当に良かったです。」
そう話すセバスチャンの目は、涙で潤んでいる。
「心配をかけてごめんなさい・・・。ってあれ? セバスチャンは私が子犬だってこと知っていたのですか?」
「はい。お坊ちゃまの目を見ていればわかります。主人に言われなくても、気持ちを汲み取り、最高のサービスを提供する、それが一流の執事というものです。」
セバスチャンは、最後に一つ、少し自慢気にコホンと咳をする。
そんなセバスチャンを、オフィーリアもマリーも尊敬の眼差しで見るのだった。
オスカーは、王城に着くと、セオドアに報告をし、その後はジオルグが住むアパートメントを調べに行った。
中に入ると、とても人が住んでいたとは思えないほど、きれいに片付いている。
大家に話を聞くと、初めから二週間の契約で、実際に住んでいたのは十日ほどだったと言う。
こんなに近くに住んでいたのに、何故気が付かなかったのだろうと初めは不思議に思っていたが、ジオルグが住まいを転々と変えているからなのだとわかった。
その日の夜遅く、テオが屋敷に戻って来た。
野犬からオフィーリアを救ったオスカーは、そのまま屋敷に戻ったが、テオには二人の追跡を頼んでいた。
「隊長、してやられました。朝になって二人が乗った馬車が動き出したので後を付けたのですが、男は馬車に乗っていませんでした。」
テオは、木の上から二人を見張っていた。
馬車に二人が乗った後、窓から見える男の姿も確認している。
しかし、鉱山に着くと、馬車から降りたのはイザベラ一人だ。
驚いて馬車に近づき、中を確認すると、男だと思っていたのは、丸太にローブを着せて、男の姿に見えるように偽装したものであった。
結局、テオは任務を全うできず、肩を落として謝罪する。
「隊長、男を見失い、申し訳ありませんでした。」
「テオ、ご苦労だった。テオをまけるとは、ジオルグはたいした男だな。」
「た、隊長?」
テオの報告と謝罪に対して、オスカーは怒ることもなく、かえってジオルグを褒めているようで、テオは驚いてオスカーを見た。
だが、オスカーはそんなテオを気にすることもなく、ジオルグについて、淡々と話し始める。
オフィーリアに聞いたことと、アパートメントのこと。
それにしてもジオルグとは・・・
アパートメントの借り方から考えても、よほどの用心深い男なのだろう。
今回も、あらかじめ追跡されることを想定した行動である。
どうやらジオルグを探し出すのは、一筋縄ではいかないようだ。
「ジオルグと一緒にいた女は、オフィーリア様の婚約者を奪ったイザベラ嬢だったのですね。」
「そうだ。だが、彼女にも謎が多い。」
「それでは重要参考人として尋問いたしましょうか?」
「いや、それはまだだ。しばらく泳がせてもっと大きな証拠を掴んでからの方が良い。それよりも、お前に頼みがある。イザベラの過去を調べて欲しい。」
「かしこまりました。」
テオはそう言うと、オスカーの前から消えた。
寝室のベッドの上で、オフィーリアはいつものようにオスカーの治療を受けた。
昨夜はうつ伏せで受けた治療であったが、今はベッドの上に座ってオスカーに背を向けている。
治療がしやすいように、寝着は、ネグリジェから、上下別れたものに変えた。
座って治療ができるようになったので、包帯の着脱をマリーに任せず、手慣れたオスカーができるようになった。
包帯をほどき、オフィーリアの背中を見るオスカーは、不思議なものを見るような目をしている。
「オフィーリア、傷は痛むかい?」
オスカーが、オフィーリアの背中を消毒しながら問う。
「はい。まだ少し痛みます。でも、昨夜とは全然違います。こんなに早く良くなるとは思っていなかったので、正直驚いています。」
オフィーリアは、恥ずかしそうに脱いだ上着で胸を隠していたが、昨日よりも、しっかりとした受け答えができていた。
「実は俺も驚いているんだ。傷がすごい早さで治っている。昨夜はもっと大きかった傷口が、もう半分になってしまった。」
何故、そんなことに・・・?とオフィーリアも不思議に思う。
「・・・もしかしたら、人間兵器の力かもしれません・・・。」
そうとしか考えられないと、オスカーも思う。
子犬になり、怪力になり、そして治癒力増強とは・・・
「だが、傷が早く治ることは良いことだ。このまま順調に治れば、傷もそんなに目立たなくなるだろう。じゃあ、包帯を巻くからね。」
包帯をほどくときは、オスカーは少し手を貸す程度で、ほとんどオフィーリア自身がほどいたが、巻くときは、そうもいかない。
オフィーリアは「お願いします。」とオスカーに任せる。
オスカーは、器用にくるくると包帯を巻いていく。
その手がオフィーリアの胸に当たらないように気を遣いながら巻くのだが、背中から抱きしめるような形になり、オスカーの手が少し震える。
巻かれるオフィーリアも、ドキドキして顔が火照る。
「終わったよ。」
その声に反応するようにオスカーの方に顔を向け、お礼を言おうとしたのだが、見つめ合うお互いの顔は、熟れたリンゴのように真っ赤になっていた。
「オ、オスカー様、ありがとうございます。」
熱く火照る顔を見られたくなくて、オフィーリアは顔を背けようとしたのだが・・・
オスカーは、オフィーリアの顔に手を添えて言う。
「リンゴみたいだ。食べてもいい?」
「ええっ? ・・・あの・・・はい・・・。」
オスカーは、オフィーリアの柔らかく真っ赤になっている唇に口づけた。




