16話
オスカーが振り返ると、腕を掴んだのはテオだった。
「隊長、今、出てはいけません。ここで見張っていたことがばれてしまいます。」
「しかし、オフィーリアが・・・」
「オフィーリア様は、相手は犬好きの優しい人だったと言っていたではありませんか。オフィーリア様に危害を加えることはないでしょう。」
それはそうなのだが、オスカーはオフィーリアに万が一のことがあったら・・・と心配が拭えない。
「きっと顔を確かめに行ったのだと思いますよ。確かめたら戻ってくるでしょうから、私たちはオフィーリア様を信じて待ちましょう。」
「あ、ああ、・・・そう・・・だな・・・。」
テオの言う通りだ。
オスカーは不安な心を抑えて、家の陰に隠れてオフィーリアを見守る。
オフィーリアは広い道路を横切って、ローブをまとった男の前まで行くと、お座りをして顔を覗き込んだ。
のんきに尻尾を振りながらお座りをしているオフィーリアを、オスカーはハラハラしながら遠くから見守っている。
「ああ、オフィーリア、どうか無事で・・・ああ、男が抱き上げた。ええっ、抱きしめて・・・頭をなでなでしている。くそっ、なんてヤツだ。俺のオフィーリアを!」
「隊長、落ち着いてください。バレたらどうするんですか。」
オスカーとテオは、物陰に隠れてひそひそと言葉を交わす。
「おい、懐に入れたぞ。あのまま、さらって行く気だ。ああ、オフィーリア!」
「隊長、彼は本当に犬が好きなのでしょう。危害を加えるとは思えません。しばらく待っていれば、きっとオフィーリア様は戻ってきますよ。」
オフィーリアは、広い道路を横切って男の近くまで来たが、男は手袋をしていて、手の甲の火傷の痕を見ることができなかった。
次は男の顔を見ようと、もう少し近づいたが、フードを深く被っているのでよく見えない。
なんとかこちらに振り向かせたくて、男の前にお座りをして尻尾を振って見せると、男はオフィーリアに気付き、下から男を見上げているオフィーリアと視線が合った。
フードからのぞく茶色い髪、嬉しそうに微笑む濃い茶色の瞳、やはり、あの男だ。
オフィーリアは、確かめたらすぐに戻るつもりだった。
そう、本当にすぐに戻るつもりだったのだが・・・、運悪く抱き上げられてしまう。
「おお、お前はあのときの子犬じゃないか。また俺に会いに来てくれたのかい?」
男は目を細めて、嬉しそうに話しかける。
「クン(違います)クーン(降ろしてください)」
オフィーリアは足をバタバタと動かして、降ろして欲しいと意思表示をする。
「おや、俺に会えたのがそんなに嬉しいのか。可愛いなあ。」
残念ながら、オフィーリアの思いは男には通じない。
男はオフィーリアをぎゅっと抱きしめて言う。
「お腹が空いているだろう? 今日はちゃんと食い物をやるよ。」
男はオフィーリアの頭を優しくなで、懐に入れると歩き出す。
出ようともがいても、頭を押さえられて出ることができない。
このままだと、オフィーリアは男の部屋まで連れて行かれてしまう。
隙を見て逃げようと思ったが、前回と違って、男はドアの鍵を開けるときもオフィーリアを懐に入れたままだ。
そして部屋の中に入るとバタンとドアを閉めたので、オフィーリアは逃げることができなくなってしまった。
困ったわ。隙を見て逃げ出さないと・・・。
男がドアを開けたらその時がチャンスね。
しかし、男がドアを開けることはなく、皿にちぎったパンとミルクを入れてオフィーリアに差し出す。
そのときオフィーリアは、はっきりと見た。
手袋を外した右手の甲にある、大きな火傷の痕を。
「お腹が空いているだろう。さあお食べ。」
やっぱりこの人には、火傷の痕があったわ。
でも、前も思ったけれど、この人はとても優しい。悪い人には見えない・・・。
別にお腹が空いているわけではなかったが、差し出されたものを無駄にするのは申し訳なく思い、オフィーリアはパンとミルクを食べ始める。
コンコンコン
ドアをノックする音が聞こえた。
あっ、ドアが開いたら、その隙に逃げなくっちゃ。
オフィーリアは食べることを止め、ドアに集中する。
「誰だ?」
男の口調で、誰かわからない相手に、警戒していることがわかる。
「私よ。」
ノックの主は女の声だ。
オフィーリアは、この声に聞き覚えがあると思った。
いったい誰だったかと、女の声を思い出そうと考えを巡らせていると、男がガチャリとドアを開けた。
ドアの向こうにはローブをまとった女が立っていたが、部屋に入り、フードを外したその姿を見て、オフィーリアはあまりの驚愕に逃げることを忘れてしまう。
「キャ、キャン!(イ、イザベラ!)」
長いブロンドの髪を二つ括りの三つ編みお下げにし、きれいな鼻筋には、わざとそばかすを描いているが、アメジストのような美しい瞳はごまかせない。
女はオフィーリアの婚約者を奪ったイザベラ・ウッド伯爵令嬢だったのだ。
「ジオルグ、会いたかったー!」
イザベラは、ドアを閉めると、ジオルグに抱きついた。
え、え、ええっ? イザベラ、いったい何をしているの?
イザベラはブランの婚約者じゃないの?
もしかして浮気しているの?
オフィーリアは、逃げるどころじゃなくなった。
イザベラは、オフィーリアに毒を盛った濡れ衣を着せてまで、ブランと婚約をしたのだ。
それなのに、他の男に抱きついている。
そんなことが許されるの?
オフィーリアは、二人の関係を知りたくて、逃げることも忘れてそのまま観察を続けた。
「ねえ、私を抱いてくれないの?」
イザベラが、甘えた声でジオルグにねだる。
「イザベラ、俺を誘惑する気か? だが、悪いな。俺はあんなお坊ちゃんじゃないからな。」
ジオルグは、抱きついている手を無理やり剥がしてイザベラをたしなめる。
「チッ、普通の男は、こんな美女に抱きつかれたら、その気になるもんだけどね。」
それまで甘えた声と顔で話していたイザベラが、急に態度を変えた。
「悪いな。普通じゃなくて。それより、誰にもお前の正体がばれてないだろうな。」
「当り前よ。化粧を変えて服も質素にして、顔まで隠してきたんだからね。ブランとすれ違ったって、きっとわからないと思うわ。」
「それならいい。」
イザベラは子犬の存在に気づき、オフィーリアに視線を移した。
「ちょっとジオルグ、あんた、犬飼ってるの?」
「いや、飼っているわけじゃないが、そこで拾ったんだよ。可愛いだろ?」
「はあ? 私にはなびかないくせに、犬には可愛いって言うのね。まったく・・・」
イザベラの不満をよそに、ジオルグは犬の話を続ける。
「犬はお前みたいに文句を言わないし、可愛がれば従順になり裏切らない。人間なんかよりもよっぽどマシだ。」
「あんたの人間嫌いも相当なもんね。」
「ああ、何とでも言え。おっと、もう、時間だ。そろそろ行くか。」
ジオルグはオフィーリアを抱き上げて懐に入れた。
ええっ? そっ、そんなっ!
不意を突かれて抱き上げられ、オフィーリアは驚く。
二人の会話を聞くのに夢中で、逃げる隙を失ってしまった。
「ちょっと、その犬も連れて行く気?」
「こんなところで一人にするのは可哀そうだろ。どうやら捨て犬みたいだし。」
「クーンクーン(ちょっと待って。私一緒に行くなんて言ってない。)」
オフィーリアはジオルグの懐の中で暴れて訴える。
「ほら、こいつも喜んでいる。わざわざ会いに来てくれたんだ。きっと俺と一緒にいたいんだろ。」
「まったく・・・」
イザベラは呆れて言ったが、ジオルグはまったく気にも留めずに部屋を出た。
ジオルグとイザベラは、アパートメントから少し離れた場所に、あらかじめ用意されていた馬車に乗り込んだ。
御者とジオルグは知り合いなのか、目を合わせただけで言葉は何も交わさなかったが、二人が乗ると馬車は静かに動き出す。
ジオルグはオフィーリアを懐から出すと、自分の隣に置いて、頭をなでながら言う。
「よしよし、いい子だ。じっとおとなしくしているんだぞ。」
こうなったら、馬車が止まったところで逃げるしかない。
それまで、二人の会話を聞いておこう。
そう思うオフィーリアであった。
しばらくの沈黙の後、ジオルグが口火を切った。
「ところで、どうして売らないのかわかったのか?」
「うん。ブランの親父が、新しい事業を始めるんだって。今までは、鉱山からとれる鉄鉱石を売って金儲けしてたけど、それだけじゃなくて、加工から販売まで一手に手掛けるらしいわ。上手くいけば大儲けができるってさ。だから、鉱山を売るなんて考えられないわけよ。」
「なるほどね。上手くいけば大儲けだろうが、失敗すれば一家が路頭に迷うってヤツだな。」
「でもさ、どうしてあんたはブランの鉱山に固執してるのよ。他の人の鉱山だっていいじゃない。」
「ああ、あの鉱山の鉄鉱石は良質だからな。」
「ホントかな? 絶対怪しい。」
イザベラはじーっとジオルグを見たが、ジオルグの表情からは真意がわからない。
ジオルグはイザベラの感の良さに一瞬ドキっとしたが、上手く平静を保っていた。
ジオルグは、誰にも言ってないが、ブランの父親であるホワイト伯爵が所有する鉱山に、ある期待を寄せているのだ。
ジオルグは五年前に、良質な鉄鉱石がとれると評判の鉱山を調査しに行ったことがある。
錬金術師のジオルグは、実験材料となるあらゆる鉱石を集めていたからだ。
ある日ホワイト伯爵の鉱山を調べていたら、偶然、親指の先ほどの青い石を拾った。
初めはサファイヤの原石かと思ったが、どうも違う。
持って帰って調べてみたが名前がわからず、どうやら未知の鉱石のようだ。
だが、この石の効果を偶然に知ることとなる。
ジオルグがその青い石を片手で持ち、虫眼鏡で観察している最中に、この家の持ち主である女が部屋に入って来た。
お互いに恋愛感情はなく、身体の関係だけの女で、ジオルグは二週間の約束で一部屋借りていた。
ところが、部屋に入って来た女が、後ろから目隠しなどとふざけた真似をしたために、ジオルグは青い石を落としてしまう。
そして、運が悪いことに、女がその石を踏んでしまったのだ。
石は思いのほかもろく、砕けて粉々になってしまった。
「あ、ごめんなさい。」
女は詫びながら粉々になった石を拾い集めたのだが、指で摘まんで拾っていたので、ガラスのように尖った欠片が指先に刺さり、血を流してしまう。
女は指を舐めて血を止めてから、拾い集めた欠片をジオルグに渡した。
「まったく、お前よりも犬の方が、まだましだ。」
ジオルグが呆れて女にそう言うと、女は四つん這いになり、犬のように吠え出した。
ワンワン、ワンワン
「おい、何してるんだ。犬みたいに鳴くなよ。」
女は鳴くのを止めたが、四つん這いのままだ。
ジオルグが知っている女は、ふざけて目隠しはしても、犬の真似をするような女ではない。
いったいなぜ? 女が変わったのは指を舐めてからだ。
試しに違う命令をしてみた。
「猫になれ。」
女はまるで猫のように、握った方手で顔を拭き、ニャーと鳴く。
ジオルグは目の前にある石の欠片と女の顔を、まじまじと見比べた。




