10話
「旦那様、お嬢様、お帰りなさいませ。えっ、ど、ど、どうなさったんですか?」
帰ってきた二人を迎えようと、馬車のそばで待機していたマリーが、驚いて声を上げた。
セバスチャンも目を見開き、驚きを隠せない。
オスカーが優雅にエスコートして、オフィーリアを馬車から降ろしたのだが、馬車から降りてきた二人は、全身ホコリだらけで、ドレスは何かにひっかけたのか、あちこちがぼろぼろに破れていた。
「詳しいことはオフィーリアに聞いてくれ。俺はすぐに王宮に行かねばならない。」
オフィーリアのオスカーを見つめる青い瞳は、心配の色が濃く映っている。
「オフィーリア、すまないが、たぶん数日は屋敷に戻って来れないだろう。寂しいだろうが我慢しておくれ。」
「わかっております。」
王太子が、暗殺されかけたのだ。
寝る間を惜しんで休みなく捜査が行われることは、容易に想像できる。
「どうか、お身体に気をつけてくださいませ。」
「ああ、オフィーリア、結婚式が終わったばかりで、本当はひとときも 離れたくないのに・・・。」
オスカーは、オフィーリアをぐいと抱き締め、おでこにチュッとキスをする。
「今日はこれで我慢するよ。」
オスカーは、回りを見回すと、オフィーリアが初めて聞く名を呼んだ。
「テオ!ここへ。」
灰色の髪を後ろで一括りにした若者が木から飛び降り、オスカーの前に跪いた。
「はい。隊長、何でしょうか。」
細面の顔を上げ、濃い灰色の目でオスカーを見上げる。
「お前をオフィーリアに紹介する。オフィーリア、こいつはテオ、俺の戦時中からの部下だ。何か連絡しなければならないことがあれば、テオに言ってくれ。」
テオと呼ばれた男が、いきなり木から飛び降りたことに驚いたが、テオは細身の割に筋肉質で身軽そうな体つきをしている。
この身体なら、木から木へと飛び移ることも簡単にできそうだ。
そして、テオは、オスカーからとても信頼されているだと、オフィーリアは思う。
「はい。わかりました。テオ様、よろしくお願いします。」
「では、俺は王宮に行く。セバスチャン、後は頼んだ。」
オスカーは、馬車に乗り込むと、慌ただしく出ていった。
しばらく、馬車を見送るために、皆は門の方角を見ていたが、完全に見えなくなると、オフィーリアは申し訳なさそうに、セバスチャンに謝罪する。
「セバスチャン、ごめんなさい。オスカー様のお母様の形見の品なのに、ボロボロになってしまいました。」
「何をおっしゃいます。無事に帰ってこれたのですから、それが一番でございます。ところで、何があったのですか?」
まだ、神殿爆破事件のことは、ここには伝わっていないらしい。
オフィーリアは、結婚式は無事に終わったが、その直後に爆発が起こり、神殿の屋根が崩れ落ちたが、幸いなことに、その場にいた神官も王太子殿下も、瓦礫の隙間にすっぽり入って助かったのだと告げた。
その話を聞いて、セバスチャンもマリーも青ざめて泣き出した。
「お嬢様、よくぞご無事で!」
「まさか、そんなことが! ああ、なんと恐ろしい!」
話を聞いていたテオは、拳を握りしめ、怒りを露にして叫んだ。
「隊長と殿下を暗殺しようとしたなんて許せない!絶対に犯人を見つけてやる!」
そして、オフィーリアに向き直ると、自分の役目を告げた。
「オフィーリア様、私は隊長とオフィーリア様の間を行き来することになるので、隊長に伝えたいことがあれば、遠慮せずにお申し付けください。」
「テオ様、ありがとうございます。」
「オフィーリア様、私は隊長の部下なので、私のことはテオとお呼びください。では、今から城に行ってきます。」
そう言うと、テオはあっという間に皆の前から姿を消した。
慌ただしくオスカーもテオもいなくなると、その場に埃まみれでボロボロのオフィーリアが残された。
「オフィーリア様、お疲れになったでしょう。お風呂に入ってきれいにしましょうね。」
マリーに促されてオフィーリアは風呂に入り、身体についたほこりを全て洗い流す。
それにしても、いったい誰があんな恐ろしいことを・・・。
神官様は無事だろうか・・・。
オスカー様も無理して身体を壊さなければ良いのだけれど・・・。
風呂の中でも、オフィーリアの心配ごとは絶えなかった。
オスカーとセオドアは、埃を落し着替え終わると、セオドアの私室に入った。
ここなら誰もいないし、話を聞かれることもない。
馬車の中では、オフィーリアもいたし、神官も意識を失っているとはいえ、いつ目が覚めるかわからない。
迂闊なことは言えなかった。
「ふう。今日は大変だったな。だが、オフィーリアのお陰で命拾いした。本当に感謝する。お前からオフィーリアに、俺からの感謝をしっかり伝えておいてくれ。」
「はい。恐れ多いお言葉ありがとうございます。」
「ところで、オフィーリアのあの力は何なのだ?」
セオドアが疑問に思う気持ちはよくわかるが、オスカー自身も詳しいことはわからない。
だが、何よりも今必要なことは、オフィーリアのあの力を受け止め、彼女を守ることなのだと思う。
オスカーはオフィーリアが薬の実験台にされ、あのような力を持つに至ったことを話した。
「くれぐれも、御内密でお願いいたします。もしも、誰かにあの力を知られてしまったら、利用しようとする多くの者に狙われてしまうでしょう。ですから、秘密を貫きたいのです。」
「そうか、薬のせいなのか。実験台にされるなんて、さぞや怖い思いをしたのだろうな。」
「はい。その通りでございます。」
オスカーは、オフィーリアの力の話はしたが、子犬になることは言わなかった。
これ以上、オフィーリアの秘密を、たとえセオドアであっても知られたくない。
「ところで殿下、いったい誰が犯人だと思いますか?」
「そんなのは決まっている。側妃カーラだろう。馬車から降りた俺の姿を見たときに一瞬見せた驚愕の表情、あれが答えだ。」
セオドアは、カーラが引きつった顔で話しかけてきたことも指摘する。
よほど、セオドアの死を期待していたのだろう。
「だが、犯人がカーラだという証拠がない。誰にどうやって頼んだのか。爆薬はどうしたのか。わからないことだらけだ。」
「確かに、爆薬の出所が気になりますね。しかもあれだけの爆破ができる量を扱える人間など、そういないでしょう。」
この国では、爆薬はまだ貴重な物資である。
錬金術師が作った爆薬は、最近まで不安定で、輸送中に爆発することが多く、戦地まで運ぶことができなかった。
ところが一年ほど前に、安定して輸送できる爆薬の開発に成功したのだ。
オスカーはその爆薬を使って戦争を勝利に導いたのだが、まだ少量しか作ることができず、使用するにも熟練の技が必要とされるものなのである。
「殿下、側妃の指示であのようなことが起こったとして、いったい、何故、側妃は殿下が神殿に来ることを知ったのでしょうか。」
「そうなんだ。それも謎なんだ。俺は誰にも言わなかった。護衛の騎士たちにも行き先は告げずに出発した。あれだけの爆破をさせるなら、少なくとも前日には準備をしなければならないだろう。」
「私もオフィーリアとの約束があったので、家の者以外は誰にも言ってないのです。騎士団長には話しましたが団長が他言しているとは思えません。」
二人は昨日の、執務室での光景を思い出す。
何か手掛かりはないだろうか・・・。
オスカーは、ハッと、顔を上げる。
「殿下、一人だけ、可能性のあるやつがいます。」
「それは誰だ?」
「昨日の護衛騎士を勤めていたステファン・バーンズ、あいつなら、私たちの会話を聞いていた可能性があります。」
昨日、オスカーは近衛騎士団の訓練の日で、代わりにステファンが護衛を担当していた。
しかし、立っていた場所は入り口近くで、執務机からは離れている。
「だが、あんなに小さな声で話していたのに・・・いや、違う、お前に言われる前、大きな声で言ってしまった。明日、神殿で・・・と。」
「そうです。可能性があるとしたら、それしか考えられません。調べてみる価値はあると思います。」
「そうだな。ステファンはバーンズ子爵の息子だったよな。側妃との関係を調べてみるのも良さそうだ。」
セオドアはニヤリと笑った。
この後、緊急会議が開かれた。
騎士団長たちも集まり、今後の対策が練られた。
神殿近くでの目撃者情報の収集や、現場の検証、町の人々に怪しい動きはなかったか、調査をすることは山積みで、それに加え、再びセオドアが狙われないように王宮の警備も強化する。
オスカーは、文字通り休む間もなく働き続けることになる。
さて、ルイス侯爵家の屋敷では、新婚ほやほやのオフィーリアは、一人寂しい夜を迎えていた。
昨夜、眠ってしまったことを申し訳なく思っていたオフィーリアは、今夜こそオスカーに身をゆだねようと心に決めていたにも関わらず、とんでもない事件に巻き込まれ、それも叶わぬことになってしまった。
オフィーリアにとって、一人で寝るベッドは、とても大きく感じられた。
いつもなら、ここにいるはずのオスカーがいないことが、とても寂しい・・・。
寂しい?
オフィーリアは、大人になったオスカーと再会して、まだ数日しかたっていない。
それなのに、彼がいないことを寂しいと思う自分を不思議に思う。
それだけオスカーの存在が、心の中を大きく占めているということだろうか・・・。
「オスカー様は、こんなに夜遅い今も、きっと身を粉にして働いていらっしゃるのだわ。私はあの人の妻だもの。寂しがってばかりいないで、しっかりしなくては・・・。」
オフィーリアは、そう自分に言い聞かせる。
翌日は、オスカーがいない屋敷の中でも、自分にできることはないかと、セバスチャンに仕事を教えてもらって過ごした。
仕事を学びながらも、今夜は戻ってくるかもしれないと、少しは期待していたが、この日の夜もオスカーは戻って来なかった。
そのことはテオが連絡に来た。
「オフィーリア様、隊長から伝言です。俺はまだしばらく帰れないから、寂しいだろうけど我慢しておくれと言ってました。オフィーリア様からも伝言があればお伺いいたしますが。」
「寂しいけど我慢します。くれぐれもお身体に気をつけてくださいませ、とお伝えください。」
そう話すオフィーリアの姿は、テオにはとても悲しそうに見えた。
その夜遅く、オフィーリアが一人で寝ていると、カチャリと音が鳴り、静かにドアが開いた。
寝室に現れたのは、オスカーだった。




