33 秘めた力
ムラクモの叫びと共に、ネコは白く光を放ち、その身体を巨大化させていった。
それは同じ四神獣であるラクシュを彷彿とさせる変貌である。
しかし、その大きさはかつての威容の半分もなく普通の虎と変わりない。
「白虎だと!?」
ガーネッツとジークフリートが同時に叫んだ。白虎はかつて帝国軍の前に立ちふさがった敵である。
個としては最強であった。小さくなったとはいえ侮れる相手ではない。
変貌を遂げた白虎が猛然と突進。ガーネッツが慌てて防御姿勢をとったにもかかわらず、それを軽々と弾き飛ばした。白虎は見た目の何倍もの質量を誇っており、人狼如きが抗しきれる相手ではない。
白き神獣はそのまま倒れたガーネッツを組み伏せる。あまりの重さにガーネッツの下の黒い床がひび割れた。
「ジークフリート殿、白虎は長くその姿を保てない。今のうちに秘めたる力とやらを!」
ムラクモが血を吐くような声をあげる。帝国の直系たるジークフリートであれば、何らかの力を秘めていると本気で思っているのだ。
「あまり信じられても困るのだがな……」
それに対してジークフリートは苦笑を浮かべた。
「なっ……」
まさか何の力もないのかと、愕然としてムラクモは片膝をついた。
「冗談だ。少しは驚いてもらわぬとな」
そう言うとジークフリートはつかつかと神の玉座の近くに歩みより、遥か頭上に浮かぶ巨大な蒼い石を仰ぎ見て左手を掲げた。
「見よ、これこそ余の秘めたる力だ」
皇帝の左手の肘の部分で爆発が起こり、左腕だったモノが蒼い石めがけて発射された。それはゆっくりとしかし加速し続けて黄金の矢と化す。
「金よりも高価な金属でできた特注の弾だ。これならひとたまりもあるまい? 近くまで寄らないと上手く命中しないのが難点だがな」
皇帝の腕が蒼い石に突き刺さり、その表面にひびが走る。
そして、ジークフリートが残った右手でパチンと指を鳴らすと、刺さった左腕が爆発。その衝撃で石が崩れて半壊した。
「何ということを! あなたは自分の腕をそんなバカげたものにしていたのか!」
組み伏せられたままのガーネッツが、獣の顔のままで「信じられない!」という見本のような表情を浮かべていた。
「その顔だ、おまえのその顔が見たかったのだ、ガーネッツ! どうだ、驚いたか!」
左腕を失ったジークフリートが悪戯に成功した子供のように笑っている。
だがそこでガーネッツを抑え込んでいた白虎の身体が小さくなり始めた。長い月日をかけて蓄えた力を使い果たしたのだ。
ガーネッツは白虎を跳ねのけると勢いよく立ち上がった。振り払われ、元の大きさに戻ったネコは怒りを示すように小さな体を逆立てている。
「まだですよ、陛下。まだこの城は止まっていない! 完全ではないかもしれないが、それでも神への道は閉ざされていない! わたしが神を作って人を救ってみせる!」
「ガーネッツよ、余では不足であったか? 余では世界を救えぬと思ったか?」
クロードと戦って傷つき、白虎に打ち倒され、それでもなお諦めないガーネッツを見て、ジークフリートが寂し気に尋ねた。
「あなたはその器にない! そんなことは御自分が一番わかっているでしょう! 今の帝国は皆が寄ってたかって陛下に願望を押し付けた結果に過ぎない!」
その言葉にジークフリートが目を見開く。
「本当の陛下は憶病で小心者だ。自分では何ひとつできない身体だから人の顔をうかがい、相手が何を欲しているか察して、それを叶えることで人を動かしてきただけではありませんか! 人から嫌われないようにするために、人から必要とされるために、あなたはまるで人の願いを叶える機械になったかのようでした。世界などあなたが背負わなくていいのです。もう無理をする必要などないのです。わたしにお任せください。あなたの重荷をわたしが無くして差し上げます」
蒼い石を護ろうとするかのように神の玉座に近づくガーネッツ。
それを沈痛な面持ちで見ていたジークフリートは、右手の人差し指をかつての臣下に向けた。
「すまぬな、ガーネッツ。余が不甲斐なかった」
乾いた音を立てて皇帝の指が弾丸となってガーネッツを貫いた。
「……これは?」
穿たれた胸から噴き出す血を見て、ガーネッツは茫然としていた。
「右手は銃、左手は大砲。恰好良かろう?」
その言葉ほどジークフリートは嬉しそうではない。
「……そうですな。陛下、あなたは常に恰好良くあろうとしていた」
ついにガーネッツがよろめくように倒れた。
その姿を痛ましげに見た後、ジークフリートは玉座に座るエマに目を向けた。
「さて、どうしたものかな?」
──
エマは夢を見ていた。いや、ジークフリートの一撃によって神の玉座の拘束が緩み、ようやく夢が見られる状態に戻ったというべきだろうか。
気分は良くない。最悪といっていいだろう。そんなときは決まって同じ夢を見る。
王の娘として城に招かれた後、エマは様々な悪意にさらされた。
嫉妬や妬み、周囲のそういった感情が陰湿な苛めとして現れるのに長い時間は必要としなかった。
表面上、エマはその苛めを何でもないかのようにふるまった。
森の中の家で暮らしていたときよりもよっぽど便利だと、今のほうがはるかに恵まれていると、自分に言い聞かせて。
ただ、人の悪意には慣れていなかったし、慣れようがなかった。使用人と同様に扱われることも、粗末な食事を出されることも平気であったが、そこに含まれる悪意に心を蝕まれたのだ。
毎晩ベッドの中でシーツにくるまって泣いていた。誰にもバレないように、弱みを見せないように。
しかし、そのことに気付いた者がひとりだけいたのだ。
異母兄のシドである。彼は若いながらも優秀であり、公務で多忙であったものの、妹を取り巻く悪意にいち早く気付いたのだ。
彼は密かに調べをつけて動かぬ証拠を掴むと、妹に悪意を向けていた者たちを次々と処分していった。
「もう大丈夫だ」
シドはエマの頭をやさしくなでた。秀麗な顔立ちもあり、シドは誰からも見ても理想的な王子であった。そのシドは王位を継ぐ前に他国へと留学に行ってしまい、エマとはそれっきりだった。
「……兄さん、助けてください」
その言葉は夢の中だけでなく、現実のエマも口にしていた。
──
黒騎士が目を覚ました。身体の調子は良くない。恐らくクロードの攻撃の影響で、身体の大部分を構成する機械に支障が出ているのだろう。
それでも身体を動かして起き上がる。体内から機械仕掛けの耳障りな音が響く。その音が聞こえているのは自分だけだということはわかっていた。
「起きたか、黒騎士」
声をかけたのは、かつて主と定めたジークフリートだった。
「ガーネッツ様は?」
「そこにおる。ちと具合は悪そうだがな」
ジークフリートが欠けた人差し指でさした先に、ガーネッツが倒れていた。出血がひどい。例え生きていても先は長くないだろう。
「我々は敗れたのか?」
「さてな。あの蒼い石は半壊させたが、まだ動いておる。あれを完全に破壊する手段も止める術もわからん。これでエマは神に至ることができるのか? おまえは本当に妹を神にしたかったのか、シド?」
シドと呼ばれた黒騎士はゆっくり周囲を見渡した。
クロードは倒れているが、そこまで傷は深くなさそうに見える。ムラクモは部屋の入口のところで膝をついて動けずにいた。ジークフリートも片腕を失っている。元気なのはエマの足元にすり寄っている猫だけだった。
「世界の平和のためだ。本来は自分がその役割を担うつもりだった。今はエマ以外に適任者はいない。しかし……」
この惨状では恐らく計画はうまくいかないだろう。エマが犠牲になっても不完全な神が誕生するだけだと思った。
「ムラクモ、その剣を寄こせ。そのくらいの力は残っているだろう?」
黒騎士が片膝をついているムラクモに声をかけた。ムラクモはジークフリートに目を向けたが、皇帝はゆっくり頷いたので、最後の力を振り絞って神剣を黒騎士に向かって投げた。
「陛下、離れていてください」
そう言うと黒騎士はガーネッツが操作していた石板へと近づいた。




