30 神
「エマを神にしたところで、おまえの言うこと聞くようなヤツじゃない。むしろ、真っ先に消されるぞ? それとも、この短期間でエマと仲良くなれたっていうのか? おまえの特技は若い女とよろしくやることか?」
クロードが挑発するように鼻で嗤った。だが、ガーネッツは揺るがない。
「何も問題はない。わたしは死を厭わない。それで世界に平和が訪れるなら、喜んでその礎となろう」
その目は静謐をたたえていた。この男は本気だ。本気でそう考えている。虚言ではない。狂気も感じられない。それがクロードにはいっそう恐ろしく思えた。
「何言ってるんだ、おまえ? 平和のために犠牲になる? 善人ぶってんじゃねぇぞ、反吐が出る! おまえはただ世界を自分の思い通りにしたいだけじゃねぇか!」
「そうだ。おまえの言うとおりだ、盗賊。わたしは善人などではない。何の罪もない少女を犠牲にして、自分の理想を叶えようとしている悪人だよ」
ガーネッツは糾弾を否定することなく受け入れ、逆に自分を悪だと言い切った。
クロードは絶句した。いっそ、どうかしていて欲しかった。自分勝手な理屈をこねて欲しかった。しかし、そうではない。ガーネッツは考え抜いた末に、この道を選んだのだろう。
クロードは言葉でのやり取りを諦めたが、今度はジークフリートが問いただした。
「犠牲とは何だ? そもそも神とは何を指している? この城の力をもって、世界に覇を唱えるつもりか?」
「そんなものを神とは呼びませんよ」
ガーネッツは苦笑いを浮かべた後、神託を受けた預言者のように朗々と語り始めた。
「あの椅子こそは『神の玉座』。座った者の精神を固定化し、それを神へと変えるもの。このカナンの城本来の力は、人の概念を統一することにある。ゆえに神とは文字通り『神』という概念に他ならない。今、人はそれぞれの神を心に抱いて生きている。同じ神を信奉しているつもりでも、その実、抱いているものには差異があるのだ。そのせいで同じ宗教内でも解釈の違いが生まれ、争いが生まれる。異なる神を信奉していれば、その争いが激しいものとなることは当然のこと。だが神が確固たる存在となり、絶対的な教えを人に指し示せば、そのような争いはなくなる。それは宗教に限っただけのことではない。神が正しく人を導けば、国や種族、肌の色で差別し、争うことなどなくなる。人は永遠の平和を手に入れることができるのだ」
「……何だそれは? いかにカナンの文明といえど、そんな超常のことができるとは思えん。大体、同じ神を信奉したところで人は争うものだ。そういう生き物なのだからな。それを神とやらが止めることはできるのか?」
苦々しい顔でジークフリートが反論した。ある意味、平和をもっとも目指してきたのは帝国の皇帝であるこの男であり、だからこそ、その難しさを理解していた。
「神となったエマはいつでも、どこにでも姿を現し、正しく人を導くことになる。例えそれが何か所あろうと、同時に顕現することが可能だ。さらに言えば、過ちを犯した者には神罰をも与える、必ずな。悪は許さず、正しい者には奇跡が起きる世界が実現するのだ。その力をこのカナンの城が与える」
神の玉座に座って意識を失っているエマに、ガーネッツは両手をかざした。神を称えるかのように。
「おまえは余の質問にすべて答えていないぞ、ガーネッツ。再び問う。エマを犠牲にするとはどういうことだ?」
ジークフリートが相手の弱みを探るように言った。
「……このカナンの城の一部になることで姫君は神となる。精神を固定化するということは、人ではなく神という機械になるのだ。機械は間違えない。間違うのは常に人だからだ。故に永遠が手に入る。だが、そのためにひとりの少女が犠牲となる。それだけのことだ」
そう言うとガーネッツは背を向けた。
「さて、わたしの目的は理解して頂けたかな? であれば、世界平和のために今しばらく大人しくしてくれたまえ。もう儀式に必要な4つの魔晶石を発動させてしまったんだ。早く儀式を終わらせないと大変なことになるのでね。代わりに苦情は彼が受け付けるよ」
黒騎士が一歩前に進み出る。ここから先は言葉の領域ではないことを示すように。
「そうだな。おまえらは悪だよ。それを自覚しているところが質が悪い。盗賊よりもよっぽどな……」
身体を丸めるようにして、クロードは全身に力をみなぎらせていく。身体中から毛が生えて、口から牙がむき出しになり、爪が伸びて鋭くなった。平凡だった盗賊の容貌が禍々しさを帯びる。
人狼。かつて古代文明によって作り出された兵器。その力は騎士をもしのぐ。
初めて見るその姿にジークフリートは瞠目した。
「皇帝さんよ。俺が黒騎士の相手をするが、だからといってガーネッツには手を出すなよ? あいつはあんたじゃ相手にならない」
「心配するな。最初からそのつもりだ。余は荒事は苦手なのだ」
戦争によって世界の半分を手に入れた男がうそぶいた。
クロードが獣の顔でかすかに笑い、疾風のように跳ねた。
初めから距離などなかったかのように、クロードは黒騎士に爪を振るう。対して黒騎士は鞘から剣を滑らせて獣を払った。ジークフリートが見えたのはそこまでだった。
後は戦いの音だけが響く。とても目で追うことはできない。
速さではクロードが圧倒しているが、黒騎士は巧みな剣技で互角に持ち込んでいる。
何よりこの騎士が装着している鎧は大抵の攻撃が効かない。それでも何故か黒騎士は攻撃を受けないように細心の注意を払って、人狼の攻撃を剣で防ぎ続けた。
しかし、獣の疾さは人の及ぶところではない。
激しい攻防のあと、ついにクロードの爪が黒騎士の手甲をかすめた。傷にすらならない軽い当たり。
瞬間、獣の爪は蒼い雷のような光を放った。その蒼い光が一瞬で黒騎士の全身を伝う。
「くっ!」
たまらず声をあげた黒騎士が、距離をとろうとして剣を大きく振るった。それをクロードはくるりと後方に一回転することでかわす。
「やはり何か仕掛けていたか」
黒騎士の声に僅かな苛立ちがにじむ。
「ユーリに作らせたんだよ」
クロードは袖をめくって二の腕に付けていた腕輪を見せると、それを頼もしそうに叩いた。
「俺の攻撃が雷を帯びるようになる特製の腕輪だ。どうせおまえの身体も金属製なんだろう? 効いてそうな顔をしているぜ?」
実際は仮面によって黒騎士の表情はつかめない。だが、その動きにはさっきまではなかった、ぎこちなさを感じる。
それを振り払うように黒騎士は中段に構えて、静かに動きを止めた。
長期戦の不利を悟って、すぐに勝負を決める覚悟を決めたのだ。
クロードも体勢を低く取って、じりじりと距離を詰めていく。
互いに相手の間合いをはかる。剣の長さの分、黒騎士のほうが間合いは広いのだが、かわされた瞬間、一気に劣勢に陥る。ふたりの戦いは爪先ほどの距離を詰め合う神経戦の様相を呈していた。
先に焦れたのはクロードだった。それは獣の本能によるものか、雑な盗賊の性格的なものなのか。
ぐっと足に力を入れると、弾丸のような速度で一気に襲いかかる。
必要最小限の動きで、獣の疾さに立ち向かうは漆黒の騎士。
その剣先は正確にクロードの肩口をとらえた。
だが、人狼は獣ゆえに恐れを捨てて、そのまま飛び込んだ。
左肩から鮮血が舞い散る。
代わりに右手の爪が黒騎士の左腕を鷲掴みにし、顎の牙が首に喰らいついた。
弾丸すら弾く鎧に牙が喰い込み、そこを起点に黒騎士の全身に電撃が流れる。
「ガアァァッ!」
黒騎士は剣を無茶苦茶に振るって暴れ始めた。
後ろに跳んで距離をとったクロードは、その様子をじっと観察している。
やがて黒騎士は動きをピタリと止めると、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「やったのか?」
肩から血を流し、胸を激しく上下させているクロードに、ジークフリートが声をかけた。
「そう祈ってくれ。これ以上は無理だ」
狼の顔が牙を見せてシニカルに笑った。
そして、作業に没頭してたガーネッツに目を向ける。
「後はあいつだけだ。まあこれくらいはハンデだな」
痛みに顔をしかめながら、クロードは神の玉座に近づいていく。
それに気づいたのか、別の理由なのか、ガーネッツが不意に動きを止めた。




