03 少女
エマが目を覚ました後、クロードたちはその処遇を決めかねていた。
解放して自由にしてやるにも、ここは奥深い山の中なので、そう簡単なことではない。
盗賊としては身柄を帝国に高く売りつけるべきなのだろうが、クロードたちは帝国のことが嫌いだったので、その選択肢はなかった。
そんな悩む盗賊たちの様子を見て、エマが意を決して宣言した。
「何でも言ってください! 何でもやります!」
当初は「儚げな少女」という印象があったエマだが、その翠眼には強い意志があった。
「何でも、って言ってもな。俺たちは盗賊だぞ? 王女のあんたに何ができるよ?」
クロードは困ったように頭をかいた。
「タテス王国は小さい国だったので、それほど高貴な育ちではないのです。あと修道院では、すべて自分でやらなければならなかったので、大抵のことはできる自信はあります!」
エマは両手でぐっと握りこぶしを作った。意外とたくましい元王女のようだ。
「……じゃあ、とりあえず部屋をひとつ綺麗にしてもらおうか。いつまでも俺の部屋にいさせるわけにはいかないしな」
そう言うと、クロードはエマを空き部屋に案内した。
砦なので部屋はたくさんあるのだが、どれもホコリが積もり、蜘蛛の巣が張り巡らされ、うす汚れていて悲惨な状態である。
これを見ればすぐにエマは投げ出すだろうと、クロードは思っていた。
ところが──
「わかりました! 井戸はどこですか? 掃除道具はありますか? 無ければ要らない布があれば頂きたいのですが? あと、男物でも構いませんので、動きやすい服があれば貸して下さい!」
エマが勢い込んで質問してきた。
「男物の服? 着るのか、それを?」
「当たり前です。こんな服では掃除に向きませんから」
そう言うと、エマはドレスのような装飾の多い服の裾を摘まんで見せた。
露わになる素足にクロードは目を背ける。
「わかったわかった! 盗んだ物の中に女物の衣服もあったはずだから、そこから適当に持っていけ!」
クロードはエマの手を引っ張って、盗品を適当に詰め込んだ部屋に連れていった。
「わぁ、色々あるんですね」
好奇心をのぞかせて、その部屋の品々を吟味し始めるエマ。
「ここにある布切れとか、掃除に使っても良いんですか?」
エマが少し古びた布を掲げた。
「この部屋のものは要らないから勝手にしろ。井戸は中庭にある。掃除道具もその辺に転がっているだろうから好きにしていいぞ」
クロードは手をひらひらさせると、部屋を後にした。
エマは雑多に積まれた箱を丁寧に並べ直し、それからひとつひとつ丁寧に確認した。
「これが良さそう」
選んだのは、黒いドレスに白いエプロンのメイド服だった。エプロンのお腹のところには大きなポケットがついている。家政婦の制服のようなものなので、掃除するにはちょうど良い。
エマは部屋のドアを閉め、鍵をかけてさっと着替えると、腕まくりして部屋の掃除に挑んだ。
──
「よく働くな、あのお姫さん」
砦の中庭でひたすら剣を振るっていたムラクモは、機敏に動くエマの姿に目を見張った。
ホコリを吸わないように口に布を巻いたエマは、どこからか持ってきた長い木の棒を持って部屋に突入すると、蜘蛛の巣を片端から巻き取っていった。
それが終わると、今度は探し出してきたほうきでホコリを部屋からかき出していく。
煙のようにホコリが立ち込めるが、それにも構わず掃除を続ける。まるで決死の突撃を仕掛けている戦士のようだ。
すっかり身体中がホコリだらけとなったエマが、次に向かった先は井戸である。
懸命にロープを手繰って井戸から水を汲み始めた。
力仕事なので、エマのホコリで汚れた頬に汗が流れたが、その姿はかえってムラクモの目には美しく映った。
「仕方ない」
剣を振るう腕を止めると、ムラクモは井戸に向かった。近くにいたネコがとてとてと一緒についていく。
「水は俺が汲んでおいてやるから、掃除を進めろ」
ムラクモは井戸のロープをエマから奪い取った。
「え、良いんですか!?」
煤だらけになった顔から、華が咲いたような笑みを浮かべるエマ。
その表情を見て、ムラクモは顔を赤らめた。
「あっ、ああ……おまえが水まで汲んでいたら、夜になっても終わらんだろ? それに水汲みなら俺の鍛錬にもなる」
本当は水汲みなど大した鍛錬にならないのだが、ムラクモはとっさにそんな言い訳をした。
そして右手だけで、一気に井戸からバケツを引き上げてみせる。
「すごい! ありがとうございます!」
「別に大したことではない」
ムラクモは照れたように顔をそむけた。
「ところでムラクモさんにひとつ聞きたかったことがあるのですが……」
エマの視線は、ムラクモについてきたネコに向けられていた。
「その猫は何ていうお名前なんですか?」
「ネコだ」
「ネコ? いえ、動物の名前じゃなくて、ムラクモさんが付けた名前を聞いたんですけど……」
「だからネコだ」
「……猫にネコですか?」
さすが盗賊なだけあって、雑な名前の付け方をするものだとエマは思った。
「今度、わたしと遊んでね、ネコさん」
そう言って微笑むと、エマは水が入ったバケツを持って小走りに部屋の掃除に戻っていった。
「変わった姫さんだな……」
ムラクモはその後ろ姿をぼんやりと眺めていた。
──
「……よく綺麗にしたな」
クロードはエマが掃除した部屋を見て驚いた。
部屋が綺麗に磨き上げられており、塵ひとつ無い。
ベッドのシーツも新品のものを探し出して取り換えられている。
「ええ、自分の部屋ですから」
エマは顔をほころばせた。掃除が終わった後に顔も拭いたので、今は綺麗なものである。
クロードとしてはエマにとっとと泣きを入れてもらって、ここから出て行ってもらおうかと思っていたのだが、当てが外れた形となった。
(どうしたものかな?)
男所帯に少女を住まわせるというのは、あまり良いことではない。クロードは盗賊だが女には優しい男だった。
「それで……良かったら、わたしに料理を作らせて下さい!」
「料理?」
「わたし、料理もできるんです! そんなに上手くはないかもしれませんけど、でも、みなさんよりは……」
エマはクロードたちと何回か食事を共にしたのだが、焼いた肉に塩を振っただけのものとか、野菜を適当に切っただけのものとか、とにかく粗雑なものが多かった。
それもそのはずで、クロードたちは食事を当番制にしていたのだが、3人ともちゃんとした料理の経験がない。しかも、剣や魔法への情熱はあっても、料理に対する向上心はなかった。結果、腹さえ満たせればそれで良いという考えのもとで食事を作っていたので、適当なものになることが多い。
3人とも食事には漠然とした不満を抱えていたのだが、お互い様なので口には出せないでいたのだ。
「じゃあ……作ってもらおうか?」
クロードはまともな食事への誘惑に負けた。
「はい!」
エマははりきって調理場に向かった。
中に入って確認してみると、意外なことに食材の種類は豊富で充実している。しかも新鮮で傷んだりしていない。
「何でこんな良いお肉とお野菜が?」
エマが不思議に思っていると、ちょうど調理場のそばを通りかかったユーリが自慢げに話しかけてきた。
「僕の魔法のおかげだよ? この調理場には食べ物を瑞々しく保つ魔法が施してあるのさ。そうでもしないと、すぐに腐ってしまうからね」
「凄いです、ユーリさん!」
エマはユーリに駆け寄ると、両手でその手を握った。
「こんなに素晴らしい魔法が世の中にあったんですね! 感動的です!」
その目はきらきらと輝いており、心からそう思っていることがわかった。
「え? うっ、うん……」
想像以上の反応の良さに、ユーリはたじろいでいる。
ユーリにとっては大した魔法ではない。それでも破壊の魔法以外を称賛されたのは久しぶりだった。
「ユーリさんみたいな魔法使いがたくさんいたら、きっと世の中は幸せになるでしょうね!」
そう言うと、エマは可憐に身を翻して調理場に戻った。
「たくさん? いや、僕は天才だから、たくさんはいないけど……」
自分がいたら幸せになるなんて言われたことは一度もない。恐ろしい魔法使いとして畏怖されてばかりだった。ユーリはエマに握られた手を眺めた。
──
その晩、盗賊の砦の食卓には久しぶりに、いや初めてまともな料理が並んでいた。
バスケットには焼いたパンがたくさん入っている。小麦をきちんと挽いて、エマが生地から作ったのだ。
大きな鍋には、刻まれた野菜と肉をしっかり煮込んだスープがなみなみと入っている。
さらにじゃがいも、玉ねぎ、チーズ、肉をパイ生地で包んで焼いたポテトパイもテーブルに置かれていた。
「お口に合うかどうか……」
恥ずかしそうに微笑むエマをよそに、3人の盗賊たちは料理をかきこむように食べた。
クロードは口にパンを詰め込み、それをワインで流し込んでいる。
ムラクモは一杯目のスープを一瞬で完食すると何度もおかわりした。ネコも食卓の上に乗り、スープの中に入っていた肉を美味しそうに食べている。
ユーリはポテトパイを一口ほおばると満足そうな表情を見せ、後は無言でひたすらポテトパイを食べ続けている。
その様子を見ながら、エマは嬉しそうに自分が作った料理を食べ始めた。