22 オイゲン
「これ、落ちたら死ぬよな?」
予備の飛空艇に乗り込んだクロードは遠ざかっていく地上を見て、股間が縮むような思いをしていた。
「俺は死なない。いや死ねんのだ。黒騎士たちを見事に倒し、この剣をジークフリート殿に返すまではな」
飛空艇に乗り込んだ後、ムラクモは暇さえあれば皇帝から預かった剣をうっとりと眺めていた。「こいつ、帝国に寝返ったんじゃないか?」とクロードが心配になるほどに。
「ちなみに僕は絶対助かるよ? 魔法である程度宙に浮けるからね。ただ、僕にしか効果がないから、君たちは死ぬと思う」
ユーリは血も涙もないことを言った。彼は空を飛ぶという貴重な体験を通じて、何とか飛行する術式が作れないものかずっと考え込んでいた。
盗賊の3人は大きめの一部屋を与えられていたが、船内でもっとも大きな部屋を使っているのはジークフリートである。また、飛空艇に同乗した中には、正規の飛空艇のクルーたちや近衛兵たちに加えて、オイゲンとその弟子たちの姿もあった。
ただ、オイゲンは部屋からほとんど出てくることはなかった。
元の主であるガーネッツが反乱を起こすことを事前に察知できなかったこと、そもそもガーネッツに誘いを受けなかったこと、ライバル視しているユーリたちが何故か飛空艇に同乗したことなどがあって、誰とも顔を合わせたくなかったからだ。
これからガーネッツたちと戦うのも、オイゲンにとっては非常に気まずい。本当は城で待機していたかったくらいだが、皇帝の命によって飛空艇に同乗することを命じられたのだ。
(何でこんなことになった?)
茫然と雲海を眺めながら、オイゲンは考えていた。
何よりもショックなのは、この飛空艇の存在である。一度に何百人を乗せて空を飛ぶことができる、とんでもない乗り物だ。これが科学というのであれば、魔法に勝ち目などない。
皇帝から「魔法にも期待している」と言われたものの、本当に自分が必要とされているのかオイゲンには自信がなくなっていた。何しろ仲間だと思っていたガーネッツにも信頼されていなかったのだ。
もっとも先に裏切ったのはオイゲンではあるのだが。
同乗したオイゲンの3人の弟子たちは、いつも根拠の無い自信に満ち溢れているオイゲンの消沈した姿を見て、さすがに何と声をかけていいのか迷っている。
そんなとき突然部屋の扉が開いた。ノックも何も無しに。
「誰だ!」
オイゲンの弟子が咎めたが、勝手に入ってきたのはユーリだった。
「ユーリ様……なぜここに?」
弟子たちは目を丸くした。彼らは同じグリモア国の出身であり、元々ユーリのほうが身分も上である。そして本来であれば目指すべき頂点でもあった。
ふさぎこんでいたオイゲンも、突然の闖入者に腰を抜かさんばかりに驚いている。
「なっ、なんだ、おまえ? 何しにきた? わたしを笑いにきたのか?」
オイゲンはみっともないくらい慌てふためいていた。
「笑う? 何のことだかわからないけど、手を貸して欲しいんだよ。今この飛空艇からヒントを得て、飛行魔法を組んでいるんだけど、浮遊、推進力、制御等々、複数の魔法を組み合わせなければならないんだ。ひとりだととても手が回りきらなくてね。よく考えたら、この船に君たちがいたことを思い出して来たというわけさ」
ユーリの言葉にオイゲンたちは驚いていた。飛空艇という科学の結晶のような存在を見ても、ユーリはまだ対抗するつもりなのかと思ったからだ。
「魔法? 魔法だと? どんな魔法を作ったところで、この飛空艇にかなうものか! 魔法は科学に負けたんだぞ! 今更魔法使いが空を飛んだところで何になる!」
オイゲンが顔を茹でたタコのように真っ赤にして怒鳴り散らした。
「何になる? 飛びたいから飛ぶんじゃないか? 科学とかどうでもいいよ」
ユーリは小首を傾げた。本気で不思議に思っているのだ。
(そうだ、こいつは昔からそうだった。本当に魔法のことしか考えない。人とか他のこととか、何も目に入らないヤツだった)
ユーリとオイゲンはグリモアの魔法使いとして同期である。それがオイゲンのそもそもの不幸だった。
ふたりは一時期グリモアの双璧と称えられるほどの魔法使いだったが、根本が異なっていた。
幼いころから神童と謳われたユーリと、努力に努力を重ねることで周囲から賞賛されたオイゲン。
才能がない人間は見返りの少ない努力に苦痛を感じ、才能がある人間は酬いのある努力を楽しむことができる。オイゲンのしてきた血のにじむような努力は、ユーリにとっては喜びですらあった。
(かなうはずがない)
オイゲンは早い段階でそう悟った。自分が苦痛に感じているものを、ユーリは喜んでやるのだ。魔法で勝てるはずがなかった。それにオイゲンがユーリをいくら意識しても、ユーリはオイゲンを視界にすら入れずに魔法にのみ没頭していた。
──いつか、こっちを振り向かせたい──
それは叶わぬ恋に似ていた。
ただ、オイゲンが勝っていた部分もある。それは人望である。ユーリの周りには人が集まらなかったのだ。天才ゆえに凡人を理解できず、魔法を人に教えることも、人と感情を分かち合うこともできなかった。また、本当に魔法以外のことを考えない、ということもある。人間関係を一切気にせず、当然政治的な立ち回りもできなかった。
一方、オイゲンは苦労してきたが故に、人に魔法を教えるのが上手かった。人に頼り、頼られてきたから人間関係にも気を配った。
故に最終的に出世したのはオイゲンだった。いくら才能があっても魔法が上手く使えても、ユーリは人の上に立ちようがなかったからだ。
しかし、魔法使いとしての頂点はユーリであると誰もが思っていた。オイゲン自身も優れた魔法使いであったが故に、それは認めざるを得なかった。
地位と栄誉は手に入れたが、本当に欲しかったものは手に入らない。そんな鬱屈とした日々を送っていたオイゲンだったが、ある時、突如として古代文明の技術を復活させた帝国が勢力を拡大し始めた。
グリモア国は古代文明の技術を魔法とは相反すると見て、帝国に敵対することに決定した。
だが、オイゲンは考えた。
(帝国に負けたとき、魔法に未来が無くなってしまうのではないか)と。
魔法使いたちはそろいもそろって反帝国で一致したが、逆に言えば帝国に負けた場合、魔法使いたちが弾圧されることになってしまうだろう。それを危惧した。
だから、グリモアを裏切ることにしたのだ。早い段階でガーネッツと内通し、劣勢が明らかになったところで帝国側に寝返る準備を整えた。魔法の未来を繋ぐために。
ガーネッツから裏切りの証として要求されたのは、ユーリの殺害である。
帝国もユーリのことを最強の魔導師として警戒していたのだ。皮肉なことに裏切り先の帝国でさえ、自分よりもユーリを評価していたのだった。
それがかえって裏切ることへの躊躇を無くした。
ユーリは何も考えていない。魔法の未来も、帝国との対決も本質的にはどうでもよくて、ただ強い帝国と魔法で戦えることを楽しみにしていたのだ。
自分が欲しかった才能の持ち主は、その才を自分のためにしか使わない。
前線で共に戦っていた際に、ガーネッツから渡された小型の銃でユーリの後頭部を撃った。
稀代の魔法使いはあっさりと倒れ、その代償としてオイゲンは帝国に迎えられた。
卑怯な裏切り者として。
その扱いに耐えるために、オイゲンは傲慢な態度をとるようになっていったのだ。
なのに、その殺したはずの相手がやはりそんなことは気にもせずに「一緒に魔法をやろう」と声をかけてきた。何もなかったかのように。科学との対決など目に入っていないかのように。
(ああ、こいつはこういうヤツだ。いつまで経っても純粋な子供のように魔法を楽しむ)
──それがたまらなく憎くて、たまらなく羨ましかった──
「どうしたの、オイゲン? ぼーっとして。君はそんな見た目なのに、緻密な制御系の魔法は得意だったよね?」
白い魔法使いは無邪気に聞いた。相変わらず人の気持ちを考えないから、こちらの気持ちを逆なでしてくる。こんな自分にずっと付いてきてくれた弟子たちは、どうしたらいいのかわからず狼狽えていた。
(そうだな。わたしも魔法は好きだよ。それはこいつにだって負けていないはずだ)
「そんな見た目とは何だ、そんな見た目とは! 同い年のくせに風格も何もない恰好をしおってからに! 魔法使いならもっとそれらしい恰好をせんか! 容貌で相手に心理的な効果を狙うのも立派な魔道なのだ!」
オイゲンは自分に気合いを入れるように、無理矢理声を張り上げた。
「それに制御魔法なら、おまえよりもわたしのほうがはるかに上だ。おまえの術式の構想を言ってみろ。わたしが手直しをしてやる。どうせ適当に自分だけがわかるように作っているのだろう」
とりあえず魔法をやろう。肥えた魔法使いは飛空艇の中でそう思った。




