17 潜入
帝都へと入る門の前に馬車が列をなしていた。
その列は途中で複数に別れ、グループ分けされた門番たちが手際よく積み荷のチェックを行っている。
おかげで並んでいる馬車の数こそ多いが、それほど待たされることはない。
何事も効率化が重んじられている帝国ならではの光景だった。
その中に、青い髪をした女商人率いる馬車の隊列が見えた。
「ラクシュさん、相変わらずすごい馬車の数ですね。また増えたんじゃないですか?」
顔見知りの門番が女商人に笑いかけた。
ラクシュの商会は帝国でも知られており、平民から貴族たちまで幅広く取引をしている。
「帝国の方々がたくさん買って下さるので、どんどん馬車の数が増えているのよ。馬の餌代だけでも毎月家が建ちそうだわ」
肩をのぞかせた蠱惑的な衣服をまとっているラクシュが、軽い冗談で答えた。
その言葉だけでも門番の心証がぐっと良くなる。
「一応、積み荷のチェックを行っても?」
少し遠慮がちに門番は尋ねた。
「もちろん。それがあなたのお仕事ですもの。でも、欲しいものがあったら、この場で売ってもいいわよ。あなたの奥さんの誕生日は今月じゃなかったかしら? 安くしとくわよ?」
記憶力は商人にとって武器である。ラクシュは一度取引した相手の名前はもちろん、家族構成からその誕生日まで詳細に記憶していた。
「それは助かります! ちょっと見つくろってもらってもいいですか?」
門番の意識は積み荷のチェックから、妻へのプレゼント選びへと移っていった。
そのため馬車も増えたが、ラクシュの部下の数も増えていたことにあまり警戒感を抱かなかった。
もっともそのひとりは印象に残りづらい平凡な顔立ちをしていたため、特には問題なかっただろう。
しかし、別のひとりは黒髪を染めて身元を誤魔化していたし、さらにもうひとりは女装をして性別すら偽っていたのだ。ただ、女装が似合い過ぎていて、「美しい……」と逆に目を惹いてしまっていたのだが。
──
「僕が女装とはね。魔法が使えれば、こんなことをしなくても簡単に入れたのに。大きな街はこれだから面倒くさい」
帝都に入るなり、化粧を顔から拭き取ったユーリが馬車の中でぼやいた。
大きな都市となると、どこでも魔法への対策は行われている。元々、魔法使いは畏れの対象であり、異端と紙一重の存在であった。そういったモノが勝手に中に入ってこないように、都市部では警戒しているのだ。
例えば魔力を探知すると色が変わる石というのがある。帝都の門番たちはそれに紐を通して首に下げて、誰かが魔法を使っていないか常に確認していた。
「よく似合っていたじゃない。わたしよりも男の目を惹いていたから、ちょっと嫉妬してしまったわ」
ユーリが化粧を拭いた布を、ラクシュが名残惜しそうに見ている。
「どうでもいいじゃねぇか。帝都に入っちまえばこっちのもんだ。ラクシュ、エマが捕らえられているのはどこだ?」
一番下働きの姿が似合っていたクロードは、馬車の窓枠から城のほうをにらんだ。
帝国の本拠地なだけあって、今まで見た中で最も巨大な城である。青く美しい屋根が特徴的な宮殿が中央にあり、その周囲を石造りの真っ白な館が壁のように取り巻いていた。
「あの白亜の塔よ。貴人を幽閉したときに使われている建物だから、待遇としてはそれほど悪くないわ。盗賊と一緒に暮らすよりはマシな生活なんじゃない?」
ラクシュが宮殿に隣接する白く高い塔を指さして、皮肉を言った。
「籠の鳥なんて幸せなもんじゃないさ。……きっとな」
クロードは強がった。自分自身も本気でそうとは信じられていないのだろう。
「まあ、わたしにはどうでもいいことだけどね。それでどうするの? 本当にガーネッツが皇帝を裏切って動くとでも? ちょっと信じられない話だけど」
「裏切るかどうかはわからないが、ガーネッツたちは古代文明にこだわりがあった。なんせ、黒騎士が山を焼き払ってまでエマを連れて行ったんだからな。なのに、そこから自分たちを外されて、『はいそうですか』と納得するような連中じゃない。きっと何かするだろうさ。そこを横からかすめ取るのが盗賊の流儀ってもんよ」
「嫌な流儀もあったものね。言っておくけど、絶対にわたしに迷惑をかけないで? もしわたしを巻き込んだら、あんたたちを骨も残さず焼き尽くすからね」
青い目を光らせてラクシュが凄んだ。その威圧は物理的な波動を伴っている。
「わかった、わかったよ。約束する」
思わずクロードは両手を軽くあげて、荒ぶる青龍の化身をなだめた。
──
「閣下、このたびは誠に残念なことになってしまい、このオイゲン、痛恨の極みであります」
オイゲンはあっさりと皇帝に付くことを決めた後、謹慎中のガーネッツを見舞っていた。
皇帝から様子を見てきて欲しいと命じられたからだが、後ろめたさもあって半分は本心で言っている。
ガーネッツと一緒にいると思っていた黒騎士の姿はない。表情が伺えず何を考えているかわからない黒騎士のことが苦手だったので、オイゲンは少し安心していた。
「何、大したことはない。陛下も『おまえたちは働き過ぎだ。少しは休め』と仰っていたくらいだからな。謹慎とはいっても休暇のようなものだ」
ガーネッツは柔らかな笑みを浮かべていた。城では常に冷厳としていたので、オイゲンにはそれが珍しく思えて、本当に休息をとっているように感じられた。
「……陛下に対して思うところなどあったりはしないのですか? 今まで宰相閣下はあんなにも帝国に貢献してきたではありませんか。確かに黒騎士卿はやり過ぎたかもしれませんが、それにしても古代文明の調査任務から宰相閣下たちを外してしまうとは。そもそも、陛下が皇帝の座につけたのも宰相閣下のお力添えあってのことだったではありませんか」
オイゲンは踏み込んだことを尋ねた。
もう少し遠回しに探りを入れようかとも思っていたのだが、穏やかに見える今のガーネッツならいけるかと考えた。
「ないな。今までわたしは出しゃばり過ぎていたのだ。わたしが仕え始めたころは陛下もまだ若かったのだが、立派に成長なされた。これからは楽をさせてもらうさ」
突然角が取れたようになったガーネッツにオイゲンは内心驚いていたが、多忙な政務から解放されたと思えばそれも無理はないことのように思える。
「なるほど。しかし、黒騎士卿はどうされているのですか? 何せずっと前線に立っておられた方。じっとしているのは、いささか苦手なのでは?」
「あいつは演習場で部下たちと訓練をしているよ。謹慎中なのにご苦労なことだ。」
「訓練……ですか。それはまた黒騎士卿らしいことで」
オイゲンには厳しい訓練に励んでいる黒騎士たちの姿が容易に想像できたので、ガーネッツの話をあっさり信じた。外見に似合わず元々単純なところがある男である。それに、いつになく優しく接してくれているガーネッツの言葉に感じ入ってしまっていた。
「そうだな。だが、当面我々は動けん。その間、陛下のことを頼むぞ、オイゲン」
ガーネッツはオイゲンに歩み寄って、その肩に手をおいた。
「はい! それはもう、宰相閣下の代わりとなって陛下の力になる所存です!」
頼りにされたことを素直に喜び、オイゲンはその表情を明るくした。
──
「オイゲンが来たので?」
屋敷からオイゲンが辞去した後、しばらくしてから黒騎士がガーネッツの館に戻ってきた。
「ああ、来た。あの様子ではやはり陛下に篭絡されたようだな」
ガーネッツは口の端をゆがめた。
「いっそ始末したほうが良かったのでは? 魔法の腕だけは確かな男です」
黒騎士が不穏な雰囲気を漂わせる。
「それでは陛下に勘づかれてしまうだろうさ。陛下はオイゲンにはわたしの様子を見に行くよう命じたのだろうが、わたしにはオイゲンが自分に付いたことを教えたかったのだろう。それをもって、こちらの動きを牽制する効果を狙ったのだ」
首を軽く振ってガーネッツは皇帝の考えを正確に見抜いてみせた。
「では、陛下はこちらの動きに気付いていると?」
「いや、『下手なことはするなよ?』という、どちらかといえば思いやりのようなものだ。我々が本気で反逆するとまでは思っていない。これでも長いこと主従の関係にあったのだから、その程度の信頼関係は期待してもいいだろう。それに陛下とて、こちらの真の目的は知らないのだからな。カナンの城に我々がどれだけの重きを置いているのかも」
「では決行で変わりなく?」
黒騎士がその仮面の下の黒い視線で、宰相の目をのぞき見た。
「当然だ。おまえのほうこそ準備に抜かりはないか?」
「無論、時間になれば全員所定の配置につくことになっている」
その言葉に、ガーネッツは後戻りのきかないやるせなさを感じていた。




