13 カナン
ネコは出窓の床板をひょこひょこと歩いていた。
それを椅子に座ったエマがぼんやりと眺めている。
窓の外は夕暮れの黄昏色に染まっていた。エマがいる部屋は建物のかなり高い場所にあるらしく、眼下には整然としていてどこか無機質な街並みが見える。それは世界で一番進んでいる街と言われている帝都のものだった。
今エマが座っている黒い椅子は、背もたれや座板に赤いクッションを縫い付けた高価な代物である。囚われの身とはいえ、扱いは悪くなかった。オイゲンに捕まったときはエマは否応なく眠らされたのだが、それと比べると今の待遇は段違いに良い。
監視役は女性の兵士がふたりで担当しており、エマにも相応の敬意を払っている。
今着ている高価そうな綺麗な服に着替えさせられた時、エプロンの中に入っていたネコを見つけられたのだが、「まあ子猫くらいなら……」と寛容な対応をしてもらえた。
もちろん家事労働なんてしなくて良いのだから、考えようによってはクロードの砦にいたときよりもずっと良いといえる。
ただ、それでもエマにとって居心地は良くなかった。
エマはクロードたちのことが好きだった。例え盗賊で悪人だったとしても、クロードの正体が人狼だったとしても。
(ひょっとして、クロードさんはあのときの狼さんなのかな?)
エマはかつて人狼と出会ったことがあった。
その人狼は傷だらけでボロボロになっていて、今にも死にそうに見えた。
だから傷薬を塗って助けたのだ。
ただ、小さい頃のことなどで、あまりはっきりとは覚えていない。
(わたしのことを覚えていたから、砦に匿って助けてくれようとしてくれたのかな?)
そのことをクロードに聞いてみたかった。しかし、あの傷では助かりようがないだろう。
傷を負わせた黒騎士とは捕まった時以来、顔を合わせていない。
何となく避けられている気がする。あんな人でも気まずく思っているのだろうか?
それにしても、何で自分はこんなところにいるのだろう。
エマは自分が重要人物だとは思っていなかった。祖国であるタテス王国は小さな国だったので、元王女とはいえ大した立場にあるとは考えにくいからだ。
ただ……今思えば、タテス王国は少し奇妙な国だった。それはエマが国を出てから気付いたことだ。
庶民でいたときの暮らしは他国とそれほど変わらなかったのだが、王家には変わった風習やモノがあった。タテス王国を出る前は「王家とはそういうものなんだ」と思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
特にあのキカイというものは、どこの国でも見たことが無い。
王族でも父や兄だけが持っていた小さな銃。動かない大きな鉄の人形。そしてあの城の地下にあった巨大な洞窟にあったモノ。
ああいうものが帝国の目的であるとするなら、それが良いことだとはとても思えなかった。
父である王も言っていた。
「機械を扱えるのは我々王族だけだ。王族の血筋だけが認証となるからだ。エマを引き取ったのはもちろん自分の娘であるからだが、王族の血を外に出したくなかったこともある。無論、薄まってしまえば意味の無いものになるのだがな」
父はエマに優しかったが、やはり血筋を大切にしている人だった。
自分に価値があるとすれば、その王家の血なのだろう。
「嫌だな」
ぽつりとそんな言葉が漏れる。
その声に反応したのか、ネコがエマの前にあるテーブルの上にぴょこんと飛び乗ってきた。
そしてチロチロとエマの指をなめた。そのざらついた感触がとても心地よく感じられる。
「ありがとう、ネコさん」
陰鬱になっていたエマの気持ちが少し和らぐ。
と、そこに部屋の扉を叩く音が聞こえた。
監視役の女性たちは勝手に入ってくるようなことはしない。そして、敵とはいえ無視するのはエマの気が咎める。だから、
「どうぞ」
と返事をした。
「初めまして、姫君」
入ってきたのは見知らぬ銀髪の背の高い男だった。歳は30くらいだろうか。
紫色の仕立ての良い服は、男の身分が高いことを示している。目つきは鋭いが、表情は穏やかだった。
「どうも」
エマの返答はどうしても硬いものになる。
机の上に乗っていたネコは、フーッと唸り声をあげて全身を逆立てている。
「わたしはガーネッツ。帝国の宰相をしています。ひとつ自己紹介をしておくと、昔から猫との相性が悪い」
ネコを横目で見たガーネッツは、困ったように軽く眉をひそめた。
(ああ、この人がわたしを連れてくるように命令した人なんだ)
そうエマは思いつつも、何故か悪い感情は抱けなかった。
「綺麗な銀髪ですね」
代わりにそんな言葉が出てきた。
それを聞いたガーネッツは目を見開いた後に、少し間を空けてから、口元に笑みを浮かべて後ろに流した銀髪を撫でた。
「それはどうも……この髪は数少ない誇れるもののひとつでしてね。そして、挨拶が遅れたことにお詫びを。あなたを強引に連れてきた黒騎士のせいで、あちこちで怒られていましてね。ようやく時間ができたという次第なのですよ」
山林を焼き払った黒騎士の非道を、ガーネッツは各所から責められていた。
黒騎士は国を攻めていたわけではない。たった3人の盗賊から小国の元姫を奪還する作戦に従事していただけなのだ。それなのにあの地域一帯に与えた被害が大き過ぎた。貴族の領土ひとつ分の規模の土地を完全に焼き払ったのだ。
帝国の新技術のひとつ・写真によって現場の惨状が明らかになると、いつもはガーネッツの擁護に回る皇帝も今回ばかりは「やり過ぎだ」と苦言を呈していた。
これに反ガーネッツ派の貴族派閥が勢いづき、ガーネッツは政治的な劣勢に立たされている。
「まったく新技術も考え物だ」と自らがもたらした技術革新にため息をついたほどだ。
「黒騎士さんは……ひどい人です。わたしを銃で狙わせることでクロードさんを殺しました」
少し恨みを込めた目でエマはにらんだが、ガーネッツはそれを穏やかに受け止めた。
「それは少し誤解がある。黒騎士はあなたを狙わせたとき、指を2本掲げませんでしたか?」
エマはそのときのことを思い出した。確かに指を2本上げていたような気もする。
「……多分」
「それは敵をつり出すときのサインなのですよ。あなたのことを本気で狙ったりはしていない。時々、戦場で使う作戦です。あなたに危害を加えるわけがない。そんなことをしては元も子もありませんからな」
「タテス王家の血が目的だからですか?」
エマは自分の推論を思い切ってぶつけた。
「話が早い」
ガーネッツは吐息のように軽く笑った。
「その通り。我々の目的はあなたの血ですよ。タテス王国の地下遺跡に入るための鍵となるのが、その血なのでね」
「地下の遺跡? あの洞窟のことを知っているのですか?」
あの洞窟は王家以外の人間には秘密だったはずだ。何故この男が知っているのだろうか?
「知っていますよ。あの城の地下に眠る遺跡。あれこそがタテス王国の本体であるといってもいい。あなたも見たことがあるはずだ。カナンの城を」
「カナン……」
エマの脳裏に父の言葉がよぎる。確かに父は城の地下にあった巨大な鉄の洞窟のことを『カナンの城』と呼んでいた。あの奇妙なモノがたくさん並んでいた場所のことを。
「何故あなたがそのことを知っているのですか? あれはタテス王国の秘密のはず」
「世の中に本当の秘密など少ないのですよ。ちょっと調べれば、タテス王家が古代文明カナンと密接な関りがあったことは容易に想像がつくことです。タテス王国は小国だが奇妙なほど長い歴史を持つ国でね。歴史上、何度も他国に侵略されて滅亡の危機を迎えたが、そのたびに奇跡を起こして生き延びてきた。突然の天変地異が良い例だ。攻め寄せてきた敵軍が巨大な落雷で壊滅したという記述もある。敵国の首都が消失した、なんて話もあった。一番有名なのは5体の守護騎士の話ですが、見たことは?」
「鎧だけなら。タテス王国に危機が訪れると勝手に動くと言われていました。でも動かなかった」
王の間の最奥に置かれていた5体の守護騎士の鎧が本当に動いてくれていれば、タテス王国は滅亡しなかったはずだ。
「結構。いずれもかなり昔の話で伝説とされていたが、今でもタテス王国は恐れられていて、誰も手を出そうとはしなかった。もともと辺境にあって重要な国というわけでもなかったということもあるがね」
「……そのタテス王国をあなたは滅ぼしました」
エマは拳を強く握って、ガーネッツの灰色の瞳を見つめた。
「言い訳をするつもりはないが、わたしは滅ぼすつもりはなかった。ただ、タテス王に協力して欲しかっただけのこと。本格的に戦争をしたら、何をされるかわかったものではなかったからね。国境に軍を配置して威圧することで、わたしはあなたの父君にひとつだけ要求したのですよ。既にあなたは国外に逃がされた後だったようですがね」
「要求?」
「カナンの城に立ち入らせて欲しい。そう言っただけです。タテス王の目の前でね。ただ、その反応は強烈なものでした。あなたはタテス王がどのような最期を遂げられたかご存じですか?」
ガーネッツは思わせぶりに両手を開いてみせた。
「帝国に殺されたとしか……」
エマはガーネッツの仕草に不穏なものを覚えた。
「とんでもない。我々は王を殺してなんかいませんよ。タテス王は『カナンのことを知っているのは、この場にいる人間だけか?』と尋ね、わたしはそれを肯定しました。タテス王国と交渉する目的は『古代文明の遺産がある』としか、陛下にも報告してなかったものでね。それが良かったのか悪かったのか……」
ガーネッツはわざとらしく肩を落とした。
「どういうことですか?」
エマの心臓が早鐘のように激しく動く。
「タテス王が城ごと我々を吹き飛ばしたのですよ。強力な爆薬によるものなのか、知られざる古代文明の技術によるものなのかわかりませんが、カナンの城のことを知る者をひとりも生かしておきたくなかったのでしょう。同時にカナンの城への入り口を封じるという目的もあった。わたしは奇跡的に生き残ることができましたが、同行していた部下たちは全滅。タテス王も王族も全員死んでしまった。あなたの兄シドもね。もし、陛下にまで詳細な目的を知らせていたら、帝国がどんなことになっていたのかわかったものではなかった。そういう意味ではタテス王は無駄な人の死を望まなかったとも言える」
「兄も死んだのですか!」
予期していたこととはいえ、エマは目の前が真っ白になるような衝撃を覚えていた。強く優しかった兄シドの顔が頭をよぎる。あの兄が死んだなんて信じられなかった。
「そう。あのとき、タテスの王族はひとり残らず死んだ。他国に落ち延びたあなた以外はね。何故あなただけが逃がされたのかはわかりませんが、今となっては王家の血はあなたしか持っていない希少なものなのですよ」
ガーネッツはその風貌にふさわしい冷徹な笑みを浮かべていた。




