秘めた能力
シュタルト国の王宮は、緑に囲まれた丘陵に建ち、黄色と白を基調とした外壁が、遠くから眺めると黄金色にも見える美しい建物だった。建物の全景は三百メートルにも及ぶ長さの一部三階建ての城だった。建物はいろいろな趣のある庭園で囲まれている。東の森の庭園には、小さな礼拝堂が建っている。北の庭園の奥には塀に囲まれた小さな離宮があった。離宮はアレスが呪われているとわかった後、王妃とアレスを人目から遠ざけるため建てられたものだった。アレスは今もこの離宮を住まいとしていた。
馬車は東の門から入り、礼拝堂の前を通り過ぎ、王宮の裏手に回った。そして、人の往来の少ない入り口の前に停まった。
入り口の前でアレスが待っていた。
馬車からブライダム公とフローレンシアが降りてきた。
アレスはシアが馬車から降りるのに手を差し伸べた。シアはアレスの手を取り優雅に降りてきた。この数日間で公爵家の令嬢としての品位を身につけたようだった。
「お待ちしておりました」
アレスがブライダム公に挨拶をする。
「ここから入るのか?」
ブライダム公にしては、アレスが待っていた場所が意外だったらしい。少し機嫌が悪そうに見えた。
「すみません、私の執務室で待つようにと、国王陛下から指示がありました。私の執務室は、この入り口が一番近いので、この場所に馬車を誘導するように申し伝えました」
アレスの説明を聞いてもムッとした顔が直ることはなかった。
ブライダム公は美しく着飾ったシアを見せびらかしたかったのだろう。国王と面会するからとシアはドレスを着て、髪も結い上げて美しく着飾っていた。相変わらず表情は乏しかったが、それでもシアの美しさは目を引いた。
たまたま通りかかった者達は、アレスとシアを驚いた目で見ていた。
アレスはブライダム公とは違い、人が少ない入り口で良かったと胸をなで下ろしていた。
ヴルに言わせると『了見が狭い』らしい。
「こちらにどうぞ」
建物にはいり、二人を執務室に案内した。
部屋に着く頃にはブライダム公の機嫌は良くなっていた。
アレスに与えられた執務室の中を一通り見回してから、満足そうにソファーに腰を下ろした。シアはブライダム公が座るのを見て、その横に座った。
「アレス、お前もそろそろ側近を持ってはどうだ?」
「そうですね」
アレスもそれは考えていた。
「ユリウスと仲が良いようだが、どうなのだ?」
「彼も王位継承者の一人ですからね。ユリウスのお爺さまとお父様が何と言われるか・・・」
「そうだな・・・」兄と甥の顔を思い出したのだろう、ブライダム公は少し苦い顔をした。
「他に良さそうな者はいないのか?」
「シアの弟のラウルを考えています」とアレスは言った。
「シアの弟か・・・」
ブライダム公は先日会った、誠実そうな少年の顔を思い出した。魔力も強いと聞く。あの少年ならアレスの側近に適任と思えた。
ブライダム公は頷いた。
「アレスはラウルを側近にするのですか?」
シアはもの問いたげにアレスを見た。
「シアは反対なのか?」
アレスはシアが喜んでくれると思っていたので少し不安になった。
「いえ、そうではありません。ラウルに出来るか心配しているのです」
「ああ、それなら心配いらないよ。シアはずっと離れて暮らしていたから知らないと思うけれど、ラウルは優秀だよ。魔法においても勉学においても、学校ではいつも上位にいるよ」
「そうなのですか」
シアの顔に安堵が浮かんだように感じた。
反対されたのではないと、アレスがホッとしていると、シアは思い出したように言い足した。
「ラウルを側近にするのであれば、コーデリアも一緒でないといけない気がします」
アレスはシアだったらそう考えるだろうと思っていたので、コーデリアを側近に出来ない理由を告げた。
「コーデリアはユリウスの婚約者だから、勝手に決められないよ」
「そうなのですか」少しガッカリした声がシアから漏れた。
そこへ、国王の使いが入ってきた。
「お待たせいたしました。国王陛下が会われるそうです。今回は私的な顔合わせと仰せられ、国王陛下の私室で会われるそうです」
使者はそう前置きをして、三人を先導して歩き出した。
国王の居住フロアーの一室に案内すると、「こちらでお待ちください」と出て行った。
長卓に椅子が六脚あるだけの小さな部屋だった。
「この部屋は、陛下の寝室の近くにある部屋だ。私と陛下が内緒話をする部屋だよ」とブライダム公は訳知り顔で囁いた。
そこへ国王陛下の来室を告げる案内があった。
三人が立ち位置を移動する前に、国王が入ってきた。
「すまない、急な来客で遅くなった」
叔父であるブライダム公だからだろうか、国王は軽く言葉をかけながら入ってきた。よく見ると従者を伴っていない。案内の従者は扉から離れてしまっていた。国王は一人で部屋に入ってきた。
「陛下、お一人では無防備ではありませんか?」
ブライダム公が秘密の相談に訪れた時でも、従者は必ず入り口の外に一人立っていた。
「大丈夫だよ、今はアレスがいる。それに大声を出せばすぐに誰かが飛んでくる」
「そう言われましても・・・」
ブライダム公がブツブツ言っているのを横目で見ながら、王はシアに目を移した。
シアは国王が入ってきたときから、下を向いて淑女の礼をしていた。
「そなたが、アレスの婚約者で、ブライダム公の養女となったフローレンシアか?」
「はい、初めてお目に掛ります、フローレンシア・アリシア・ブライダムと申します」
「アリシア・ブライダム・・・。そなた、アリシアとも言うのか・・・」
国王は「アリシア」というに名前に興味を持ったようだった。
「はい、母の大切な方のお名前を頂いたと伺っております」
「そなたの母は、ライト伯爵の夫人であったな」
「はい、マリア・ライトと申します」
「マリア・・・何処かで聞いたような・・・」
国王の視線が空をよぎる。
「もしかして、アリシアの侍女をしていた、あのマリアか?」
思い出したように尋ねる。
「そうです、陛下。あの侍女だったマリアです」
シアの横からブライダム公が国王に告げる。
国王は笑顔になった。
「そうか、そうか、あのマリアか。懐かしいな。マリアの子なのか」国王は嬉しそうに「フローレンシア、面を上げて余に顔を見せておくれ」と言った。
シアは国王から顔を見せるように言われるまで、ずっと下を向いていたので、少し疲れを感じていた。ようやく国王からお許しが出たので、ゆっくり顔を上げた。
シアの顔を見た国王は驚きで目が丸くなった。
「アリシア・・・」国王の口から呟きが漏れた。
「いえ、私はフローレンシアです」
シアはいつもの調子で訂正した。
「ああ、すまない。フローレンシアだったね」
国王は戸惑った顔で呟くと、ブライダム公を見た。
「どういうことです?」
国王の反応は、ブライダム公の予想した通りだった。
「陛下、大きな声で言えませんが・・・」ブライダム公は、国王に近寄るとそっと「アリシアの子どもらしいのです」と耳打ちした。
「なんと!」
「詳しいことは申せませんが、私も最近知ったのです」とブライダム公は言った。
「アレス、お前は知っていたのか」
国王はアレスを見た。
「いいえ、私は子どもの頃に会ったフローレンシアしか知りません」
「子どもの頃会った?では、お前の呪いを解いたという少女は・・・」
「はい、彼女です」
アレスの呪いを少女が解いたという話しは、ブライダム公夫妻と国王しか知らなかった。
世間的には、アレスの呪いを解いたのは、偶然別荘に立ち寄った旅の魔法使いと言うことになっていた。一人でいたアレスは、その魔法使いがどういう人だったのか、呪いが解けたときの記憶が曖昧になっていて、思い出せないと言うことになっていた。
「そうか、それでか・・・」国王は納得したように頷いた。「あれほど見合いを嫌っていたお前が、パーティでたった一度会っただけの少女とあっさり婚約を決めたことに疑問を感じていたのだ。なるほど、これで疑問が解けた」国王は納得したように頷いた。
しばらく国王は穏やかに頷いていたが、急に険しい顔になりアレスを見た。
「それであれば、アレス、お前はフローレンシアを守らなければいけない」
「もちろんそのつもりです」
「フローレンシア、あなたのことはこのアレスとシュタルト国王である私が守りましょう」
「陛下、私もです」とブライダム公が慌てて口を挟んだ。
シアは、国王やアレスが自分を守る理由が分らなかった。弟妹には、こういう時はいつも「守って貰わなくても大丈夫」と言ってしまいそうになるのだが、そうは言えない雰囲気だったので、黙っていることにした。
アレスの肩の上で、ヴルが訳知り顔で頷いていた。
「ブライダム公、会見をこの部屋にして良かった」
少し経ってから国王が安堵したように言った。
「と申しますと?」
ブライダム公は、国王が何故そう思われたのか不思議に思い尋ねた。
「他の部屋では話しが漏れる恐れがあった。この部屋は余の私的な部屋だ。幸いフローレンシアの事は、先日のユリウスのパーティで見かけた者が多い。その噂を聞いたから、わざわざこの部屋にしたのだが、違った意味で功を奏したようだ」
「変わった娘という噂ですか?」
ブライダム公は顔をしかめた。
「怒るな、噂を聞く限り、あまり人目に付かない方がアレスの為と思ったのだ」
『ハハハハ』
肩の上でヴルが大笑いをした。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
アレスは微妙な顔をした。
「二人ともそう怒るな、婚約披露のパーディで誤解を解けば良いではないか」
国王は屈託なく笑った。
「婚約披露パーティと言えば、第二王子のジーク殿下もご婚約なされたとお聞きしましたが」
ブライダム公は国王に尋ねた。
「おお、そうそう、その話しもあったな。先ほどから立ち話になっておる。少し座ってゆっくり話そう」
国王は皆に座るように言って、自らドアを開けて従者を呼んだ。そしてお茶を持ってくるよう指示した。本当に呼べば聞こえるところに居たらしい。
しばらくして、従者の一人がお茶を運んで来ると、各々にお茶を注いで渡した。
「さて、婚約パーディの話しだが、二妃は、来週から学園が始まるので、とりあえず婚約の発表を今週中にして、皆に婚約の事実を伝えることにして、披露パーティは収穫祭に合わせて行うのはどうでしょうかと言っておった」
「収穫祭ですか」
「そうだ、収穫祭の祭りに合わせて、国民にも祝って貰おうという考えらしい」
「それは面白そうですな」
国王とブライダム公は、婚約披露パーティの話しで打合せを始めた。
アレスとシアの婚約に関する話しではあるけれど、主催者は国王なので、二人は打合せからは外されていた。
話しに入っていけない二人は、退屈な時間を、来週から始まる、魔法学校について話すことにした。
ブライダム公が国王との打合せを終えて王宮を出たのは、面会が始まって一時間後の事だった。
シアがブライダム邸に戻ると、ラウルとコーデリアが来ていた。もちろんユリウス同伴である。
「王宮に行っていたんだって?」とラウルが目を輝かせた。
シアはラウルに軽く頷くと「着替えてくる」と、出迎えた侍女を伴って部屋へと行った。
「シア姉様、すっかり公爵令嬢ね」
コーデリアがシアの後ろ姿を目で追いながら、うっとりと言った。
「そういう、コーデリアも公爵夫人教育頑張っているんだろう」とラウル。
「私はまだまだよ。シア姉様は私たちとは次元が違うのよ」
コーデリアはラウルを睨んだ。
二人の話を聞いていたユリウスが尋ねた。
「君たちは、いつもシア姉様が一番なんだね。どうして?」
「知りたい?」
コーデリアは上目遣いでユリウスを見た。
「ああ、知りたい」ユリウスが真面目に答えると。
「教えない」
コーデリアはやや冷たく言った。
コーデリアには、それ以上兄妹の中に立ち入って欲しくない、という意思が感じられた。
何となく気まずい雰囲気が流れたとき、アレスが入ってきた。
ユリウス達を見ると「君たちも来ていたんだ」と声をかけた。
ユリウスはホッとした表情になり、アレスに尋ねた。
「国王の面会はどうだった?」
「うまくいったよ。俺とジークの婚約の発表は、今週中にするらしい。詳しくは聞いていないけれど、婚約披露のパーティは収穫祭に合わせる様なことを話していたよ」
「収穫祭に合わせて!」
「そう話していた。俺たちはすっかり蚊帳の外で、話しには加われなかった。もっとも俺にとっては、パーティなんてどうでも良いんだけど・・・」
「そうはいきませんよ」
いつの間に来たのか、ブライダム夫人がアレスの横に立っていた。
「お婆さま」
「次期国王の婚約パーティですよ。アレス、あなたが主人公にならないといけないのですよ」
アレスはお婆さまの言うことは逆らえなかったので、小さく「はい」と答えた。
そこへシアも着替えを終えて戻って来た。
全員そろったので、簡単なお茶会が始まった。
お互いの近況などを話していると、ユリウスが時計を気にしだした。
「ユリウス、時間が気になるのか」
アレスが尋ねた。
「時間を決められているんだ」と言って、コーデリアに「帰る時間だよ」と声をかけた。コーデリアは少しの間抵抗していたが、ユリウスが父親とお爺さまに逆らえないのを知っているので、折れて帰ることになった。
「コーデリア、あなたも大変ね」とシアから慰められて、コーデリアは「また来ます」と言って帰って行った。
後日、ユリウスから聞いた話では、ユリウスの両親は、ブライダム公爵の所は、同じ公爵家なので、ユリウス同伴なら行ってもいいと許可が出たらしい。ただし滞在時間は一時間と決められたそうだ。なかなか大変みたいである。
アレスは、ユリウスとコーデリアが帰った後、ラウルを公爵邸にあるアレスの私室に誘った、アレスはラウルと二人になると、側近の話しを持ちかけた。
ラウルは驚いていたが、条件付きならと返事をした。
「条件とは?」アレスが尋ねる。
「僕が守りたいのはシア姉様です。シア姉様が一番目なのです。側近になったとしても、アレス王子は二番目になります。それでもいいのなら王子の側近になります」
アレスを真っ直ぐ見て話すラウルを見て、アレスは笑った。
「シアを守るのは俺だよ」
「いえ、シア姉様は僕たちが守ります」
かたくなにラウルはシアを守ると言い張った。
アレスは、コーデリアがユリウスに言った、ボーイフレンドの条件を思い出した。この兄妹はシアの何を守りたいと思っているのだろうと興味がわいた。
「これは一部の人しか知らない秘密なんだけど」アレスはラウルを見て言った。
「俺が何故シアを守りたいと思っているのか、話してあげるよ」
ラウルの目が真剣になった。
「俺がシアを守らなければいけないのは、シアが俺の呪いを解いてくれたからなんだ。呪いを解くほどの強い回復の力を持ったシアの能力は魅力的だ。シアは気づいていないらしいが、誰かに知られたら狙われるだろう。だから俺はシアを守らなければならないんだ。その為には君の力も必要になってくる」
アレスの話しに、ラウルは少し考えていた。
しばらくして、ラウルは話し始めた。
「僕たち兄妹がシア姉様を守りたいのも、その回復の力が関係しているのです。これは父も母も知らない事です。僕たち兄妹が三歳の時、両親は出掛けて留守でした。僕たちは魔法が使えることが面白くて、大人の目を盗んで、二人で覚えたばかりの魔法を使って遊んでいました。遊びに夢中になって、気づかないうちに強い魔法を使っていました。僕たちの魔法は思っていたよりも強く、二人同時に放った魔法がお互いに当って、とても深い傷を負ってしまいました。助けを呼びたいけれど声も出ませんでした。血がたくさん流れて意識も消えかけていました。そこへシアが走って来たのです。シアが回復魔法を使えるのは知っていました。でもそれは、小さな切り傷やかすり傷を治す程度のものだったのです。シアは泣きながら僕たちにすがって「治れ、治れ」と何度も叫んでいました。そのうち僕たちの全身は白い光に包まれて意識がなくなりました。死んだのだと思いました。しばらくして目が覚めたら、元の場所に倒れていて、傷がすっかり消えていました。流れた血の跡も消えていました。シアは僕たちの横で気を失って倒れていました。僕たちはシアが助けてくれたと思いました。後でお礼を言うと、シアは僕たちを助けたことは何も覚えていませんでした。そんな事があって、僕たちは魔力を制御する方法を学ばないといけないと思いました。そして、早く強くなって、シアを守れるようになりたいと思ったのです。シアの回復魔法の能力を知った人が、シアを連れて行かないように、悪い人からシアを守る為に、強くなる事を決めたのです。アレス王子と一緒です。僕たちもシアに助けられたのです。だからシア姉様を守らなければならないのです」
ラウルの話しは衝撃的だった。シアは自分でも気付いていない、強い回復能力を持っているらしい。
「ラウル、それならなおさら俺の側近になって欲しい。シアの秘密を共有できる者として側に使えて欲しい。俺は竜の精霊が付いているから危険は避けられる。だからいざという時はシアを守って欲しい」
『シアにも精霊は付いてまっせ』ヴルが口を挟んだ。
「シアに精霊が付いている?」
『前から言ってるやろ、姫さんには時の精霊がついてるって』
「時の精霊。そうかそれで時の姫か」
アレスがヴルと話していることは、ラウルには聞こえていないので、ラウルは変な顔をしていた。
「ごめん、俺の精霊と話していた。とにかく俺の側近の件考えて欲しい」
アレスはそう言って、ラウルに手を差し出した。
ラウルは少し躊躇って、アレスの手を握った。
「わかりました。アレス殿下の側近になります」
「ありがとう」
アレスが喜んだのもつかの間、ラウルは困った顔で「コーデリアが知ったらどうします?」と聞いた。
「本来なら、コーデリアにも声をかけたかったが、ちょっと問題があって・・・」
「ソルレイト公爵のご子息の事ですか?」
ラウルの言葉にアレスは驚いて「そうだ」とだけ言った。
「何かあるんですね。わかりました。この話コーデリアには内密にしておきます」
この時、ラウルは優秀な側近になるだろうとアレスは思った。