目覚め
コーデリアの婚約パーティを終えてホテルに戻り、子供達もそれぞれの部屋に帰った後、ライト伯爵とマリアは、パーティの余韻の残る疲れた身体をふかふかのソファーに預け、やっとゆっくりとした時間を過ごしていた。
「コーデリアもこれから大変でしょうね」
朝出かけたまま、公爵家から戻ってこなかった娘の事をマリアは思った。
「そうだね、まさかあのまま公爵家に引き取られるとは思わなかった」
コーデリアは公爵夫人としての教育を受けるため、今後は公爵家で預かると言われたことをライト伯爵は思い出していた。
「大丈夫よ。コーデリアはしっかりしているから」
マリアは夫を元気づけるように言った。
「そうだね、寂しい気がするけれど、うちにはもう一人娘がいるからね」
伯爵は娘がいなくなった寂しさを紛らわすように笑った。
そんな夫を見てマリアが少し躊躇うように言った。
「サミエル、そのシアの事なんだけど」
「シアがどうかしたのか?」
「あなたは公爵様のお相手で忙しくされてたから、気付かなかったと思うけれど、今日ちょっとした騒ぎがあったの」
「ちょっとした騒ぎ?」
「シアがアレス王子と庭に出て行って、戻ってこないと会場で騒ぎになったの」
「シアがアレス王子と?」
「後でユリウス様から聞いた話しでは、シアが一人にならないように、事前にアレス王子に相手役を頼んでいたらしいの」
マリアは思い出したのか苦笑いを浮かべた。
「そうか、竜伝説の好きなシアは、アレス王子の容姿に興味を持っただろうな」
伯爵が呟いた。
「そうなの、それで静かな所で話しを聞きたいと思ったみたいなの」
「シアらしいな」
伯爵は思わず笑みがこぼれた。
「でも、ラウルの話しだと、アレス王子がシアを口説いていたと言うのよ」
「ラウルはシアが一番だから、王子じゃなくても、男性と話しているだけでそう思うのだろうな」
「そうね、そうかも」
二人は顔を見合わせて笑った。
「この話はまだ続きがあるのよ」
「続き?」
「ええ、その場所で奥様に会ったの」
「ブライダム公爵夫人に会ったのか?」
「ええ」
伯爵が驚くのも無理はなかった。マリアは伯爵と結婚する前は、ブライダム公爵家で侍女をしていたのだ。公爵家の一人娘アリシアの侍女兼話し相手として、姉妹のように過ごしていた。アリシアが他国に嫁いだ後も、公爵夫人はマリアを側において、ライト伯爵と引き合わせたのも公爵夫人だった。
「久しぶりにお話がしたいと。明日シアと一緒に来るようにと、屋敷に招待されたわ」
「シアと一緒に?」
伯爵が意外な顔をした。
「アレス王子は女の子に興味が無いと聞いたわ。その王子がシアと話しているのを見て、シアに興味を持たれたのかも知れないわ」
「男子としては見てなくても、あの王子はシアの興味のど真ん中だからな・・・」
夫のシアに対する見解にマリアが「そうね」と笑った。
「ねえ、サミエル。あの話しをする時が来たと思うの」
あらたまって夫を見るマリアに、伯爵が少し寂しい顔をした。
「そうだな。私もそう思う」
「明日話してみるわ」
「ああ、急に娘が二人も居なくなるのは寂しいけれど、早いほうがシアにとってもいいだろう」
二人は互いに慰め合うように抱き合った。
翌日昼過ぎに、マリアはシアを連れて、ブライダム公爵邸に向かった。
マリアは出掛ける前に、若い頃ブライダム公爵の一人娘アリシアの侍女をしていたとシアに教えた。
ブライダム公爵夫人は、マリアと二つ年下のアリシアを侍女とお嬢様ではなく、姉妹のように待遇してくれて、毎日がとても楽しかったと話した。
マリアにとって、ブライダム公爵家は思い出深い懐かしい場所なんだとシアは思った。
ブライダム公爵邸に着くと、夫人自ら出迎えに来ていた。
「まあ、奥様。申しわけございません」
「何を謝っているのマリア、ここはあなたの家も同然よ。主人もあなたに会えると喜んでいるわ」
公爵夫人は本当に嬉しそうにマリアを迎えた。
「今日はお招き頂きありがとうございます」
マリアとシアは丁寧に婦人に挨拶をした。
「固い挨拶は抜きよ、今日はお天気がいいから、庭にテーブルを用意したのよ」
アプローチからそのまま庭の方に案内された。
花が咲き乱れた美しい庭にお茶会の準備が整っていた。
テーブルにはすでに二人の人物が座っていた。一人はアレス、もう一人はこの家の主人ブライダム公爵だった。
マリアは公爵の姿を見ると、走って行った。
公爵も立ち上がり笑顔でマリアを迎えた。
「久しぶりだねマリア、元気そうで何よりだ」
「ありがとうございます。公爵様もお元気そうで、嬉しく思います」
ブライダム公爵は、マリアの横にいるシアを見た。
「マリアの娘かね?」
「はい、フローレンシアと申します」
「初めてお目に掛ります。フローレンシア・アリシア・ライトと申します」
シアは公爵に丁寧に挨拶をした。
「おお、君の名前にはアリシアがついているのだね」
公爵が微笑む。
「はい、母がとても大切な方の名前を、私に付けたそうです」
「まあ、マリア」
公爵夫人がマリアの肩を抱いた。
公爵は少し感慨深げに頷いた。
「さあ、今日は久しぶりに会ったのだから、楽しくすごそう。アレスもいるが気にしないでくれ」
明るい声で公爵が言った。
お茶会が始まった。
公爵夫妻はマリアを娘が帰ってきたように喜んでいた。
シアとアレスは、大人達の話しの輪から少し離れた場所に移動して、二人で話しを始めた。
「昨日、私が呪いを解いたと言ってたでしょう?どうやって解いたの?」
シアは覚えていないので、詳しく知りたかった・
「それはよく解らない」
「よく解らなくて、それで私が解いたとどうして解るの?」
「それはな、姫さん」
アレスの肩の上から竜の精霊ヴルが口を挟んだ。
「私は姫さんじゃないよ」
「いや、姫さんなんだけど、今は姫さんじゃないだけなんだ」
「ヴルは何を言っているんだ」
アレスが呆れた。そして覚えてるところだけ話し始めた。
「俺は君と竜の神殿に行って卵を見つけた。その卵からヴルが生まれた。その後どうして家に帰ったか覚えていないが、呪いが解けていた」
「竜の神殿って本当にあるの?」
「あるのって、君は俺が教えなくても知ってたよ」
「君じゃなくて、シアでいいわ」
シアとアレスとヴルは、竜の神殿の話しで盛り上がっていた。
そんな二人を見て、伯爵夫人がマリアに言った。
「あんな風にアレスが楽しそうに話しているのを初めて見たわ」
「シアは、竜伝説が大好きで、だからアレス王子と竜伝説を重ねて見てるのだと思います」
マリアはシアの事を、どう説明していいのかわからなくて、そう説明した。
「ここだけの話だけれど、アレスが竜に呪われていたのは本当よ」
「まぁ!」マリアの口から驚きの声が漏れた。
「十五年前にアリシアが嫁いだオーガスト国がローダン国に攻め込まれた時、オーガスト国は国の時を止めたの」
「国の時を止めたのですか?」
「ええ、オーガスト国王の魔力は時を操る事ができたらしいの。それで、国民を戦争に巻き込まないために時を止めたみたいなの」
「ではアリシア様は・・・」
「止った時の中にいるわ。何年の時を止めたのか解らないけれど、時は止っていても身体の中は動いているらしいの。四年後に動いたら、四年だけ年を取った状態で目覚めるらしいわ」
「・・・」
マリアは言葉が出なかった。
「その魔法が発動されたとき、わが国では大きな地震が起きたわ。それで竜の卵が何処かに行ってしまったらしいの。私たちは千年前の王と竜の約束を忘れてはいなかった。だから、卵が無くなることは考えていなかった。アレスが生まれて、初めて卵が無くなったことに気が付いたの。
慌てて竜の神殿に行ったら、神殿から卵は消えていたわ。私たちは地震のせいだと思った。オーガスト国がかけた時の魔法で起きた地震で、卵が何処かに消えてしまった。それでアレスは呪いを受けたのだと思った。
その呪いのせいで、アレスの母親は心労のあまり病気になってしまったわ。ただでさえ異国から嫁いできて慣れない生活をしていた上に、生まれた我が子が、呪いを受けていると知って、とても耐えられる状態ではなかった。
主人と私は王妃とアレスの援助をすることを申し出たの。そうすることがせめてもの罪滅ぼしと思ったのよ。でもアレスの母親は亡くなってしまったわ。アレスも年とともに身体に変化が現れ始めたわ。それでアレスがいつ変化しても大丈夫なように、竜の神殿に近い別荘に住むことにしたの。
アレスが六歳になった時、変化はまだ見えない部分だけだった。私はアレスの学校の事を王と相談するために王都に戻ったわ。王からあまりいい返事を聞けないまま戻って来たら、アレスの呪いが解けていたの。アレスは多くは語らなかったけれど、ある女の子が呪いを解いてくれたと言っていたわ」
「そうなんですか」
マリアは公爵夫人の話を驚きながらも静かに聞いていた。そして、ふと思った。
「まさか、その女の子がシアと仰るのではないですよね」
マリアはまさかと思った。
「アレスはそうだと言っているわ」
「まさか・・・」
「それでね、フローレンシアを家で預かりたいの。この家の養女として、しばらく様子を見たいと思っているの」
マリアは話しの展開について行けなかった。でも、混乱する頭の中で、今日マリアがここに来たもう一つの目的を考えていた。
「旦那様、奥様」あらたまった口調で、マリアは公爵夫妻を見た。
真剣な顔で自分たちを見つめるマリアを見て、断られることを覚悟した公爵夫妻の前に、マリアが一通の手紙を差し出した。
「これを読んで頂きたいのです」
公爵夫妻は怪訝な顔で手紙を受け取った。
“親愛なる マリア
結婚おめでとう。
結婚式に出席出来なくてごめんなさい。
いま私の国はローダン国の突然の侵攻に驚いています。
後半時もすればこの城は落ちるでしょう。
私たちはそれを止めなければなりません。
時の魔法を使うつもりです。この魔法を使ったら、もうマリアが生きている間に二度と会うことはないでしょう。
マリア、結婚するあなたに、こんなお願いをするのは間違っていると思っています。でも、たとえほんの少しでも望みがあるのなら、と思い書いています。
私の中に小さな命が芽生えています。この小さな命を、このまま時の旅に連れて行ってもいいものか迷っています。
もし、マリアとライト伯爵が許してくださるのなら、この小さな命をマリアに託したいのです。
この手紙は特別な魔法で書いています。
もし、許して頂けるのなら、下の呪文を唱えて下さい。マリアに小さな命が移ります。
勝手なお願いとわかっています。
マリアの事だから私の願いを叶えたいと思うかも知れません。でも無理はしないで下さい。
マリアと伯爵が、望まれたら、お願いいたします。
"アリシアの代理となることを誓います"
もし生を受けて、十三歳を過ぎたら、次の呪文を読ませてください。
"可愛い フローレンシア"
マリア、いつまでも元気で、幸せを祈ってます。
愛を込めて あなたの妹アリシア より "
公爵夫妻は、マリアから見せられた、アリシアの手紙に驚いた。
「マリア、まさかあの子は・・・」
二人がシアを見る。
「ええ、アリシア様の子どもです。サミエル・ライトと私が相談して決めました」
マリアは静かな声で言った。
そしてシアを呼んだ。
「シア、ちょっとこっちへ来て」
少し離れたところで、アレスと話をしていたシアは、マリアに呼ばれて、アレスと一緒にテーブルに戻って来た。
「シア、あなたはもうこの手紙の内容がわかる年になったわ」
マリアから手紙を受け取ったシアは黙って読んでいた。
そして、「お母様、私はお母様の子どもではないの?」と尋ねた。
「あなたはお父様とお母様の子どもだわ。でも、アリシア様の子どもでもあるの」
「そうなの、では、私はこの呪文を読めばいいのね」
驚いているのか解らない、いつもの感じでシアが聞いた。
「そうよ、“可愛いフローレンシア”と書いてあるわ」とマリアが言った。
「違うわ、それはフロックよ。本当は“眠れる子よ目覚めなさい”と書いてあるわ」
シアが呪文を言った途端、シアの周りが淡い光に包まれた。
シアの髪が錆びた銀色から、綺麗な淡い銀色に変わった。半分眠っていた目がパッチリ開いて、美しい少女が現れた。
「アリシア」「アリシア様」公爵夫妻とマリアの目が大きく見開いた。
アレスもヴルも驚いた。
「みんなどうしたの?」
当のシアはまったく気付いてなかった。
アレスの肩の上でヴルが呆れた。
「姫さん、話し方は変わらへんのやな」
「どういうこと?」
解らないままに、公爵夫妻とマリアに抱きしめられた。
アレスの為にシアを養女に迎えようと話していた公爵夫妻は、今度は自分たちの為に養女にすることを望んだ。
マリアもアリシアから預かった命を、本来の場所に返すことに依存はなかった。ライト伯爵とも夕べ話して決めていた。
後はシアの気持ちだった。
「養女にはなれません。私には大切な畑があります。畑を残して来る事はできません」
シアはきっぱり断った。
「シア・・・」マリアが困った顔をした。
「ハハハ」とアレスが笑い出した。
「畑?なんだよ、それ」笑いながら聞く。アレスの笑いはなかなか止らなかった。
「薬草畑があるんです」
笑うアレスを見て、シアはムスッとした顔で言った。
「この庭に畑を移してはどうだろう」
公爵が提案する。
「そうよシア、それに王都にいれば、ラウルやコーデリアといつでも会えるわ。私もお父様も今まで以上に会いに来るわ。だから、お願い」
「お母様は、私を家から追い出したいの?」
「そうではないわ。でも、あなたは私の子であって、私の子ではないの」
そこでヴルが助け船を出した。
「姫さん、ここに残れば時の魔法の事が学べるかも知れへんで」
「時の魔法?」
「そうや、姫さんの本当の両親がかけたと時の時の魔法を解いて見たくないか?」
「それは興味あるわね」
「せやろ、ほな王都の方が情報集まると思うで」
「そうか、そうだよね。うん、わかった」
ヴルはアレスを見て、してやったりとドヤ顔になった。
周りはヴルの声は聞こえてないので、アレスが通訳をして皆に話した。
慌ただしいお茶会は、全てが丸く収ってお開きとなった。
シアは明日から公爵邸に住むことになった。
とりあえず、伯爵とラウルに今日の出来事を説明するために、マリアと一緒にホテルに戻った。
公爵夫妻は、シアの事が公にならないうちに、アレスと婚約させようと考えた。
それで、マリアが帰った後、すぐに城に出向いた。
王はブライダム公爵の突然の話しに驚いたが、公爵夫妻が養女とするシアとアレスの婚約を特に注文も付けずに認めた。
王は、前夜に開かれたユリウスの婚約パーティで、アレスが変わった女の子と一緒だったという話しを聞いていた。そして、変わった女の子が、ユリウスの婚約者の姉だということも知っていた。
アレスは王の子でありながら、ずっと叔父のブライダム公爵に預けていた子である。ブライダム公爵が決めたのであれば、特に反対する理由はなかった。
こうして本人達が知らない間に婚約が成立してしまった。