コーデリア
八年後
シアは十四歳になった。
六月に学校を卒業したら、畑仕事に専念出来ると密かに喜んでいた。
シアの薬草畑は、八年前と比べて三倍の広さになっていた。
シアの頭は畑の事でいつもいっぱいだった。
今も畑を広くしたことで、水やりに時間が掛ることについて考えていた。
シアは畑の端に座り、路肩に実っている野いちごを頬張りながら、畑用の水源についての画策を練っていた。
「シア!シア!大変よ!」
いつも淑やかな母のマリアが、手に持った紙をヒラヒラさせながら、慌てた様子で走って来た。
「どうしたの、お母様?」
マリアはシアの前で立ち止まると、息を整えてから言った。
「大変よ。コーデリアの手紙に、今度の休暇にボーイフレンドを連れてくると書いてあるの」
「ああ、そのこと」
シアは平然と答えた。
「シア、知ってたの?」
「いいえ、知らないわ。でも、最近コーデリアから来る手紙に、ユリウス様なる人物の事が多く書かれているから、もしかしてと思っただけよ」
「そうそう、そのユリウス様と一緒に帰ってくると書いてあるわ」
マリアはシアの横に座り込んだ。そして持っていた手紙をシアに見せた。
シアは手の中の野いちごをマリアに渡して、手紙を受け取った。
マリアは貰った野いちごを迷ったあげく口に入れた。外れだったのだろう、酸っぱそうな顔をした。
「コーデリアも十三歳なのよ。そろそろボーイフレンドの一人ぐらいいても良いんじゃないかしら」
シアはマリアの酸っぱそうな顔を見て笑ったようだ。
ただでさえ表情の読みにくいシアの顔なのに、学校に入学してすぐに、目が恐いと同級生から言われたらしく、それ以来前髪を伸ばして目を隠していた。相変わらず抑揚のない話し方も感情が読みづらかった。それでもマリアはシアの小さな表情の変化を見逃さなかった。
「それで、いつ頃戻って来るの?」
マリアに尋ねながら手紙を読んだ。
「学校が休みになったらすぐに帰ってくると書いていたわ」とマリア。
「どれどれ、あら、学校は二十日から休みと書いてあるわ」
手紙を読んでいたシアの声が突然大きくなった。
「お母様、今日は二十六日よ」
「まあ、大変!王都からは五日くらいだから、今日にも帰ってくるかも知れないわ!」
マリアはそう叫ぶと、慌てて立ち上がり、屋敷に戻って行った。
シアもマリアの後を追った。
屋敷に戻ると、弟のラウルがちょうど帰って来たところだった。
「ラウル!もう着いたの!」
マリアはラウルを見てますます慌てた。
「お母様、安心して、僕はコーデリアより早く出てきたから、そんなに慌てなくて良いよ」
ラウルは母の様子を見て苦笑した。
シアはマリアほど慌てていなかった。
「ラウルお帰りなさい」
ラウルはシアを見て笑顔になった。
「シア姉様、ただいま」
シアとラウルは抱き合って、帰宅を喜んだ。
マリアが二人を見て「本当に、いくつになっても仲が良いわね」と少し拗ねたように言った。
「お母様にもハグしましょうか?」
ラウルは両手を広げながらマリアを見た。
「まぁ、反対でしょう、私があなたをハグするのよ」
マリアはラウルを思いっきり抱きしめた。
ギュッと抱きしめられたラウルは、大げさに苦しんで見せた。
「それより、コーデリアは何時くらいに着くの?」
マリアとラウルを、少し冷めた目で見ながらシアが尋ねた。
「後、二時間くらいで着くと思うよ。僕が早めに帰って来たのは、お母様に、コーデリアのボーイフレンドのことを伝えようと思ったからなんだ」
ラウルは少し間を取って、マリアとシアの顔を見て言った。
「驚かないでよ。コーデリアのボーイフレンドのユリウス様は、ソルレイト公爵の孫にあたる人で、次期ソルレイト公爵家を継ぐと言われているんだ。年齢は十六歳で僕たちより三つ年上になる」
「ソルレイト侯爵と言ったら、王様の叔父様にあたる方よね?」
ラウルの話しを聞いてシアが呟いた。
「そうなんだよ。驚くだろう」
「コーデリアは可愛いから、別に驚かないけど」
シアは爵位とかに興味が無いみたいで、高位の家系とは思うけれど、それが何か?という感じだった。
しかしマリアは違った。
「まあ、大変。シア、あなた早く着替えていらっしゃい」
マリアはシアの作業着を見て言った。
「ラウルはお父様に帰宅の挨拶に行って、そして今の話しを伝えてちょうだい」
それからは屋敷中が、大慌てで、コーデリアのボーイフレンドを迎える準備をした。
ラウルの報告通り、かっきり二時間後、コーデリアとユリウス・ソルレイトを乗せた馬車はライト伯爵邸に着いた。
シアは両親やラウルと一緒に、玄関前に立ち、コーデリアとボーイフレンドのユリウスを出迎えていた。
馬車のドアが開くと、コーデリアが飛び出して、シアに抱きついた。
「シア姉様、会いたかった」
シアは客人の手前どうしたものかと、少し考えたが、いつも通りコーデリアを抱きしめて「お帰りなさい」と言った。
コーデリアの後から降りてきた、ユリウス・ソルレイトはコーデリアの態度に少し呆れた顔をしたが、すぐに人好きのする社交的な笑顔で、ライト伯とマリアに挨拶をした。
ユリウス・ソルレイトは金色の髪に鳶色の瞳の、スラリとした長身の美しい少年だった。十六歳という年齢より少し大人びて見えた。
コーデリアから解放されたシアの前に立つと、少し意外な顔をしたが、すぐに表情を戻して挨拶をした。
「初めまして、ユリウス・ソルレイトと申します」
「初めまして、フローレンシア・ライトと申します」
ユリウスはシアの声にも驚いたようだ。
「コーデリアが尊敬するお姉様にお会いできて光栄です」と言っている言葉が、シアには少しガッカリしているように聞こえた。
「遠いところお疲れでしょう。中にお入り下さい」
ライト伯はユリウスを家の中に案内した。
客間のソファーに全員が落ち着くと、ライト伯爵が言った。
「コーデリアの手紙が今朝届いたので、何の準備も出来ていませんが、ゆっくりして下さい」
それから二時間ほどユリウスを交えて、簡単なお茶会が開かれた。
ユリウスは夕刻近くになると、ライト伯爵領の隣にある王国領地の別荘に約束があると言って帰って行った。
ユリウスを玄関先で見送った後、部屋に戻って来たコーデリアはシアに聞いた。
「シア姉様どう思った」
「ユリウス様のこと?良い方だと思うわ」
挨拶の時にシアが感じたことは黙っていた。
「お姉様が良い方だと思ったのなら、ユリウス様に決めようかな」
「私がじゃなくて、コーデリアが好きなら、私は誰でも賛成よ」
「ううん、私の一番はシア姉様よ。私は学校の女子の中でも魔力が強い方だから、他の方からもお誘いがあるの。自分の身内に魔力の強い娘を迎えたいと、何処の家でも考えているみたい。一番うるさいのがジーク第二王子だわ」
「王子様からもお誘いがあるの?」
シアは驚いた。
「そうよ。私の魔力は魅力的らしいの。でも、王子様はダメ」
「どうして?」
「シアお姉様がピンチの時に簡単に動けないでしょう」
「わたし?」
「そうよ、昔から言っているでしょう。私もラウルもお姉様の為に魔法を磨いているの」
真剣な顔でコーデリが言う。
妹も弟もいつも私を守ると言ってくれる。何故そう考えているのか未だにわからないけれど、この話題は、今はまだ、深く触れない方が良いような気がした。
シアは質問を変えた。
「それで、コーデリアにとってユリウス様は合格点なの」
「そうね、学校では王子様達を除いたら、ユリウス様が一番よ。家柄も良いし、人柄もいいわ」
「王子様達?」
「王子様は二人いるの。二人とも私より一つ上だわ。シア姉様と同じ年よ。第一王子はアレス様というのとても珍しい青銀の髪に金色の目をしているわ。もう一人はうるさい第二王子のジーク様」
「青銀に金色の目?竜の呪いを受けているの?」
何事にも興味を示さないシアが、興味を持った様だった。
その様子を見たコーデリアは、笑いながら話しを続けた。
「シア姉様は竜伝説に興味があるから、すぐ呪いとか思っちゃうかも知れないけれど、違うみたいよ。アレス王子のお母様が異国の方らしいの、だから珍しい髪と目の色をしてると聞いたわ」
「そうなんだ」
シアはガッカリした声で呟いた。
「それにね、アレス王子はもう決めた方がいるという噂を聞いたわ」
「それでユリウス様になったの?」
「それもあるけど、ユリウス様には、もしシア姉様とユリウス様が争うことになったら、そんな事はないと思うけど、私はシア姉様に付くけど、それでもいいかと尋ねたら、ユリウス様はそれでもいいと言ってくださったから、お付き合いすることにしたの」
「そうなの・・・」
コーデリアの一番がユリウス様でないことに、シアは複雑な気持ちだった。
ユリウスはライト伯爵邸を出ると、一時間ほどブラブラと伯爵領の様子を観察した。
伯爵領の人々は生き生きとしていて、問題はなにも感じられなかった。
ユリウスは街の中の様子を確認した後、王国領の山の中腹に建つ屋敷を訪ねた。
玄関をノックすると、中からアレスが出てきた。
「来なくても良かったのに」
ユリウスの顔を見ると、少し不機嫌に言った。
「良いじゃないか、近くまで来たから寄らせて貰った」
「君とは学校で会うだけで十分だよ。休みの日まで会いたくないね」
アレスがどんな顔をしようが関係ないという感じで、ユリウスはずんずんと中に入ってきた。
「お婆様は?」ユリウスが尋ねる。
「君が来るかもと言ったら、買い物に出掛けた」
「ひとりで?」驚いたように聞く。
アレスと一緒にいるお婆さまは、ユリウスの父の弟であるブライダム公爵の夫人だ。
その公爵夫人が、メイドも連れずに、ひとりで買い物に行くなんて想像が出来なかったようだ。
「お婆さまは、買い物を楽しんでいるんだ」
アレスがまだ小さかった頃、呪いのせいで城から離れたこの屋敷で暮らすことが決まったとき、ブライダム公爵夫人はアレスの事を心配して一緒にこの屋敷に住んでくれたのだ。その時から、公爵夫人は買い物も行ったし、食事の支度も全てしてくれた。
アレスは話題を変えた。
「ところで、コーデリア・ライトの家に行ったんだろう」
「ああ、彼女の尊敬するお姉様にも会って来た」
「その顔だと、あまり良い感じではなかったんだね」
「その通り、コーデリアとラウルがどうしてあの姉に執心するのかよくわからない」
「どんな感じだったんだ」
「ちょっと変わってはいるが、僕から見ると普通の娘という感じだった。それなのに、コーデリアもラウルも姉を挟んで座って、片時も姉から離れないんだ。僕はライト伯爵夫妻とばかり話しをしていた」
不満そうなユリウスの様子を見て、アレスは苦笑した。
「ユリウスは、その姉に嫉妬しているの?」
「そんなわけないだろう!」
ユリウスは否定したが、明らかに図星のようだった。
「それで、コーデリア嬢とはこれからどうするんだ」
「婚約しようと思う」
「婚約!」
アレスは意外な顔をした。
「ジークが狙っているみたいなんだ。ほっておけない!」
「そうか、ジークか」
ジークはアレスの2ヶ月しか違わない弟だ。
「お前だったら、文句はないんだけどな」
「俺は決めた人がいる」
「そうだったな。早く見つかるといいな」
「ああ」
アレスは呪いを解いてくれた少女を捜していた。
子供の時は見つけても守れないと思っていたので捜せなかった。でも、今は魔法学校で魔力の使い方も覚えて守れる自信がついた。
だからあの時の少女を捜していた。
でも何故か少女の記憶が曖昧で、どんな少女だったか思い出せないでいた。
子竜の精霊ヴルも覚えていないと言った。
直接会ったらわかると思い、休みになるとこの屋敷に来て、町や村を捜していたが見つからなかった。
アレスは少女の着ていた服装から、農家の子だと思っていた。
ユリウスは二週間ほどアレスの屋敷に滞在し、その間、何度かライト伯爵の屋敷を訪れた。何故か意図的にシアがいない時間を狙って訪問しているようだった。
ユリウスが王都に向けて発った次の日に、シアは街の学校を卒業した。
王都に戻ったユリウスは、父親にコーデリアと婚約したいと願い出た。