呪い
翌日、昨日と同じ時間にシアは現れた。
長い棒を二本とロープ、そして卵を入れる為の大きな袋を持って来た。
「これを持って」とアレスに二本の棒を渡すと、シアは神殿のある崖に向かって歩き始めた。
シアは今日も難なく崖の隙間を見つけて入って行く。
この崖には竜の魔法が掛けられていて、アレスのように竜に関係する者でないと容易に見つけることは出来ないはずだった。
やはり、変わった子だとアレスは思った。
階段を昇り、昨日卵を見つけた場所で立ち止まった。
下を覗くと卵はまだそこにあった。
シアは長い棒をアレスから受け取ると、階段と壁の窪みに差し込んで動かないように、クロスに固定した。それに長いロープの中央を結びつけた。ロープの先は棒を挟んで二つに分かれた。その両方をそれぞれ身体に巻き付けて結んだ。
二本になったロープのたるんだ部分をアレスにわたすと、隙間を降りて行く準備を始めた。
「君が降りるの?」
アレスは驚いた。
「そうよ、あなたは私が落ちないようにロープを持っていて」
「僕が降りるよ」
「だめよ、下から引き上げるのに、上にいる方が強い力を使うのよ。だから、私が降りるの」
シアの言ってることはもっともだった。シアがいくら力持ちでも、アレスを引っ張って上げるには無理があった。
壁の窪みに足を掛けて降り始めたシアに、アレスは「気を付けて」と声を掛けた。
半分眠っているような無表彰の顔がアレスを見た。「任せて」と言っているように見えた。
シアは慎重に降りていく。
卵は思ったよりも大きかった。シアの身長の半分くらいあった。
卵の近くまで降りると、卵に触れないように下に回り込んで、ゆっくりと袋を広げた。
腰のロープを一本外して、袋の穴に結びつけた。そして卵が岩に触れていない浮いた部分に注意深く袋を下から被せていく。
その時、卵がトクンと動いた。
シアは咄嗟に落ちないように卵を支えた。
卵はどうにか落ちずに岩の間に挟まっていた。
卵は少し向きを変えていた。
シアは下からすっぽりと卵を包むと、アレスに引き上げるよう合図をした。
アレスはゆっくり卵の入った袋を引き上げた。
シアも卵の袋を下から支えながら、岩の窪みに足を乗せて、器用に壁面を登った。
アレスが階段の上に卵を引き上げた時には、シアも階段に手をかけて登り着いていた。
シアは袋と自分の腰に巻いたロープを外すと、棒とロープは後で回収することにして、竜の神殿に卵を持って行った。
神殿の台の窪みに卵を置くと、石像に声を掛けた。
「卵を持ってきました。アレスの呪いを解いてください」
石像から竜の精霊が現れた。
「死んでしまった卵ではだめだ。その卵はもう死んでいるのであろう?」
竜の精霊は冷たくシアを見下ろした。
「死んではいません」
シアは声を張り上げた。
「嘘をつくでない!」
竜の精霊は大きな声で一喝した。
「嘘ではありません」
シアも譲らない。
「嘘でないというのなら、その証拠をみせよ」
もう一体の精霊が、言い合う二人の間に入った。
「わかりました。その代わり、皆さんの力を貸してください」
「我らの力?」
「はい、この卵にこのように皆の両手を宛てて欲しいのです」
シアは卵の表面に両手を宛てた。アレスにも同じ事をするように言った。
シアは竜の精霊を見た。
「証拠を見せますので、台座から降りてきて下さい」
竜の精霊は「証拠をみせよ」と言ったてまえ、渋々ながら台座から降りてきた。そして、シアと同じように卵に両手を宛てた。
「皆で卵がかえるように願って下さい」
シアは皆にそうお願いすると、卵に意識を集中した。
『卵さん、あなたはさっき動いたわ。だから生まれてきて』
シアの指先から淡い金色の光が現れた。それは卵全体を包み、卵に手を置いている四人をも包んでいった。
ホワホワと暖かな光が全体を包んだ。
卵の表面にピシピシとヒビが現れた、それは少しずつ大きくなり、そして卵の中から竜の子が現れた。
「おお、何という!」
竜の精霊は驚いた。そして生まれたばかりの子竜を抱き上げた。
淡い金色の光はもう消えていた。
「生きていたでしょう」
シアが抑揚のない声で、竜の精霊に言った。
「ありがとう。あれからずいぶん経つから、もう生きていないと思っていました」
母と思われる竜の精霊は涙を流した。
「これで、アレスの呪いを解いてくれますね」
「解いてあげたいのだが、彼はもう変化が始まっている。やってはみるが、元に戻すのは無理かも知れない」
「無理でもやってみてください。お願いします」
竜の精霊はアレスの手を取り、解除の呪文を唱えた。
アレスの身体から銀色に輝く竜の化身が見えたが、またアレスの中に戻ってしまった。
「ああ、無理だ。この少年には銀の竜がついてしまっている」
「銀の竜ですか?」
「青や赤といった竜ならば、すぐ解けるのだが、彼には竜の中でも強い、銀の竜がついている」
「あなたも銀の竜のように思えるのですが、そのあなたでも解けないのですか?」
「同じ力だからこそ、解けないものがあるんだ」
竜の精霊が済まなそうに言った。
「アレスが卵の代わりになったという事は、その子は銀の竜ですか?」
「解らない、その子供の持っている能力によって決まるのだ。その少年の能力が大きかったから銀の竜がついたのかも知れない」
「では、その子が同じ銀の竜だとしたら、アレスについた銀の竜を、その子に移すことは出来るのですね」
「やれないことはないと思うが、お前に出来るのか?」
竜の精霊が信じられないと言う顔をした。
「望みがあれば、やってみるまでです」
シアはアレスと竜の子の手を繋いだ。繋いだ二つの手の手首をシアはそれぞれ持った。
「もう一度解除の呪文を唱えてください」
竜の精霊がシアと同じように二人の手を掴んで呪文を唱えると、再び銀の竜の化身が現れた。シアはアレスから出た化身の手を掴むと子竜の手に移るよう祈った。
手元からまばゆい光が放たれた。
光に包まれたシアとアレスは意識を失ってその場に倒れた。
竜の精霊は意識を失って倒れた少女と少年を見た。
少年と少女の側には、銀色に輝く鱗を持った子竜が父を見ていた。
「時の姫よ、ありがとう」
母の竜が意識のないシアに話しかける。
「この子の時が動き出すまで、まだ時間がある。今日の事は夢として忘れるように・・・」
竜の精霊はシアに魔法をかけて神殿の記憶を消した。そして、シアの身体を伯爵邸のシアの部屋に飛ばした。
生まれたばかりの子竜に、父は「アレスの側で守れ」と命じた。
子竜はアレスの身体と一緒にアレスの屋敷に飛ばされた。
アレスは暗闇の中で目が覚めた。
さっきまで竜の神殿にいたはずなのに、家のベッドの中にいた。
アレスは起き上がって回りを見た。
部屋の隅にぼんやりと薄光りのするものが見えた。
「誰?」
「俺だよ」
それは近づきながらそう言った。
近づいてきたのは、子竜の精霊だった。
「子竜!?」
「お前の中の方が居心地良かったんだけど、時の姫の力で引き離されて、本来の身体に戻ることになってしまった」
「時の姫?」
「あのヘンテコな子だよ」
「ああ、あの子か・・・」
アレスは神殿での出来事を思い出すと「僕の呪いはどうなったの?」と聞いた。
「自分の目で確かめたら良いだろう」
投げやりな感じで子竜は言った。
アレスは明かりを点けて、シャツの袖をまくって見た。
「鱗がなくなっている!!」
アレスはシャツを脱いだ、そして腕や背中を触ってみた。何処にも鱗は無かった。
「呪いは解けたの?」
「そうだよ、解けたんだ。だから俺がここにいる」
「あの子にお礼を言わなくちゃ」
「あの子には会えないよ」
「どうして?」
「あの子の記憶は消したと聞いた」
「なぜ?」
「父から聞いた話だ。七年前卵が消えたのは、その頃起こった地震のせいだと城の者達は思っているらしいが、本当は盗まれたんだ」
「盗まれた?」
「どういう目的で盗んだのか解らないが、盗んで行く途中で地震が起きた。それで卵を落としてしまったらしい」
「誰が盗んだの?」
「それが解らないから、俺がお前の用心棒としてここにいるんだ」
「用心棒?」
「お前は今まで、呪いで竜化するからと城から遠ざけられていた。それが呪いが解けたと聞いて、喜ぶ者とそうでない者が現れる。あの子がお前の呪いを解いたことがわかると、あの子もお前の騒動に巻き込まれる。だから記憶を消した。本当はお前の記憶も消した方が良かったのだが、俺が側にいることを知っておくためには記憶を残しておいた方がいいと考えた。だからお前も今までの様にのんびりと過ごせなくなるということだよ」
「ああ、そういうことか・・・」
アレスは呪いが解けたと喜べない現実を知っていた。
その頃、シアも家のベッドの下で目を覚ましていた。
何故ベッドの下で寝ていたのか解らないが、狭いところを上った夢を見ていた気がした。
ベッドの下から抜け出して、伸びをしていると、窓の外が騒がしいのに気が付いた。
「シアさまー、シアさまー」
シアを呼ぶ声が聞こえる。
不思議に思いながら、シアは窓を開けて「私に何の用」と声をかけた。
「シア様!」執事の驚いた目とバッチリ合ってしまった。
シアが窓を閉めて、下に降りようとドアを開けると、息を切らした執事が立っていた。
「シア様、どちらに行かれていたのですか」
「どちらって?なんか・・・ベッドの下で寝てたみたい」
「ベッドの下ですか?」
呆れたように執事が言った。
「昼間薬草を採りに行った所まで覚えているのだけれど、その後戻ってベッドの下で眠ってしまったみたいなの」
シアもよくわからない説明をした。
「とにかくご無事で良かったです」
「たぶん、催眠作用のある薬草を見つけたから、そのせいだと思うわ。採るときは気を付けるようにするから、明日からの薬草取りは許可してもらえるかな」
執事は、今後薬草を採りに行くときは、庭師と一緒に行動する事を条件に許可をした。
シアは竜の神殿の事は何も覚えていなかった。