ウルルの森
アレスは夜の空を飛んでいた。以前にユリウスと飛んだ時より速いスピードだ。
『ミナケシ』の場所はヴルが知っている。アレスはヴルに任せて飛んでいた。
夜明け前に『もうすぐ着きまっせ』とヴルが言った。
「早いな」と呟くと、『当たり前やがな、風魔法の様ななまっちょろい魔法とはちゃいまっせ』と返された。
空が白む頃に『ミナケシ』が咲いている場所に着いた。
ほんの小さな範囲に黒っぽい花が萎れた様に咲いていた。
「萎れている?」
『心配せんでも、日が昇ったらちゃんと咲きまっせ』
ヴルの言ったとおりだった。朝日が昇り日が差し始めると、花は生き生きとしてきた。
『これは土ごと取らなあかん。そしたら長持ちする』
ヴルの助言を受けて、『ミナケシ』三本をスコップで土ごと取った。
一つ目の課題が終わった。
アレスはホッと一息つくと、ヴルの翼を休めるためにも、ここで朝食を食べる事にした。
弁当の包みを開けると、料理長が考えてくれたのだろう、手を汚さずに食べられる様に個別に紙で包んだサンドイッチや肉を挟んだパンが入っていた。水の他にスープの入った水筒も三つあった。朝、昼、晩用なのだろう。皆の気遣いに感動したアレスは宮殿のある方に向かって「ありがとう」と呟いた。
アレスが視線を戻そうとした時、瞳の隅にいるはずのない人影が見えた。
「人が飛んでる!?」
アレスの目はかなり遠くまで見える。見間違いと思いじっと目をこらして見た。すると遙か南に人影が三つ見えた。アレスのいる場所を目指して飛んで来ている様に見える。
『あれは風魔法やな』とヴルが言う。
「では、グランダルの者だろうか?」
『あの飛び方はグランダルの兵ではありません』とルーチェが反論する。
「グランダルではない?」
『ええ、飛び方が少し違います』
「では、サントス?」
『分りません、あの飛び方は見たことがありません』
『はよ隠れな見つかるでー』ヴルが急かす。
アレスは急いで持ち物を片付けると、少し離れた岩陰に移った。
風魔法で飛んでくる所属不明の者達はみるみる近づいてきた。
先日アレスがルーチェから教わったよりも速いスピードだ。風魔法で飛んでいるなら、もう少し離れないと飛べないはずなのに、三人の距離は近い。
三人はさっきまでアレスが座っていた所に降りてきた。
降りるなり、一人が「早くやってしまおう」と言った。
降りた所から少し動いた者に、「風上にいないと花粉でやられるぞ」と注意する。
「わかってる」
何をするのかと見ていたら、火の魔法で『ミナケシ』を焼き払っていく。
「こんな所まで焼き払う必要があるのか?」
「知るかよ、命令だから仕方ないだろう」
「いくら毒花が恐いと言っても、国境を越えてまで焼き払う様に言われるなんて、どうかしてるぜ」
「おい、声が大きいぞ」
「大丈夫だよ、こんな所での話しなんか誰も聞いていないよ」
「分らないぞ、なんでも地獄耳の持ち主らしいからな」一人が声を潜めて囁いた。
「そうなのか、それはヤバいな」
三人は急に黙って作業を続けた。
「全部焼けたな」
「ああ、土の中までかなりの温度をかけたから大丈夫だろう」
「よし、では帰るとしよう」
三十分ほどで『ミナケシ』を全て焼き払うと、来たときと同じように飛んで南に帰って行った。
アレスは三人の姿が完全に見えなくなるまで待って岩陰から出て来た。
「もう少し遅かったら、間に合わないところだった」
『はよここを発とう、他のところも焼かれるかもしれん』
ヴルが急かした。
『時の精霊が、オーガスト国を抜けたら早いと言っています』
「オーガスト国は時の魔法の障壁で囲まれているので、誰も入れないと聞いているが・・・」
『時の精霊がいれば入れるそうです』
「わかった、ではルーチェ道案内を頼む」
『はい』
オーガスト国の障壁に入るときに軽い衝撃があったが、時の精霊の加護を受けて無事に入ることが出来た。アレスはルーチェの案内でオーガストの国境沿いを、見つからない様に低空でウルルの森めがけて飛んだ。
『見えてきました。あそこがウルルの住んでいる森です』
アレスはオーガスト国側からウルルの森に入った。
『ここから先はグランダルになります。歩いて入った方がいいです』とルーチェが言った。
アレスはヴルに翼を閉じて貰うと、森の中に入って行った。
少し歩いたところで、大きな木と繋がった小さな家が見えた。
『あれがウルルの家です』ルーチェの声が弾んでいる。
アレスが近づくと家の扉が開いて、一人のお婆さんが出て来た。
しわしわの顔の真ん中に鷲鼻があって、いかにも魔法使いと言う感じのお婆さんが目の前に現れた。
『ウルル!』
ルーチェがアレスの肩から飛ぶ。
ウルルと呼ばれた魔法使いのお婆さんはルーチェを見て驚いた。
「ルーチェ、ホントにルーチェなのかい」
『ええ、私よ。お久しぶりです。今日は私の守護者を連れてきたの』
ルーチェから聞いて、ウルルはショボショボした目でアレスを見た。
「おや、精霊をたくさん連れているね」
「見えるのですか?」
「見えるよ。竜と時の精霊を連れている」
「時の精霊は借り物ですが、ヴルは私の相棒です」
「ほう・・・」
ウルルは黙ってアレスを見ていた。
「竜の精霊を相棒と呼ぶお前さんはルチアの子かい?」
「はい、アレスと申します」
ウルルの目が懐かしい者を思い出す様にアレスを見た。
「よく似ているよ」
「そうですか」
「立ち話も何だから、中にお入り」
ウルルが家のドアに手をかけた。
アレスは「いえ、その前にやっておきたいことがあるので、後で寄らせて頂きます」とウル
ルの申し出を断った。
「やっておきたいこと?」
ウルルの疑問にルーチェが答える。
『ドククライ草とドクチラシ草を取りに来たの』
ウルルの小さな目が大きく開いた。
「そんな猛毒の草を何に使うのさ!」
固まったウルルに、ルーチェが毒を消す万能薬を作るためだと説明する。
ルーチェの話を聞いたウルルは、「では、万能の毒消しを作るのに使うと言うのだね」と言った。
「それで万能薬が出来れば良いのですが、時間がありません。だから、色々な可能性を試す為にも必要なのです」
「わかったよ。ルーチェは何処にあるか知っているのかい」
『この森の湖の側で見た様な気がするの』
「湖はグランダルとサントスの国境にあるよ。こっちの森を抜けると行けるよ」ウルルは指で方向を教えると、「採るときは充分に気を付けるんだよ」とアレスに注意した。
アレスは頷くと、「帰りに必ず寄ります」と、ウルルの家を後にした。
静かな森の中をしばらく歩いて行くと下に湖が見える崖の上に出た。
想像していたよりも大きな湖だ。
「湖畔までは、この崖を下りていくしかないのかな?」
『この湖ではないわ』
困惑した表情でルーチェが呟く。
『もっと小さな森の中の湖。小さな川があって』
「川?」
アレスは湖に面した崖を見る。何カ所からか湖に水を落としている滝が見える。
「あの滝の上の方かも知れないね。ウルルの家から近いところは・・・」
アレスは一番近い滝を目指して歩く事にした。湖沿いは国境兵に見つかる危険があるので森の中を通ることにした。
しばらく歩くと小さな川があった。
橋もない小さな川だ。
『アレス、この川は国境のようや』とヴルが警戒する様に言った。
「分った、気を付けるよ」
川を上流に向かって歩く。
すると、小さな池が見えてきた。
『あ、あれです!』
ルーチェが叫んだ。
池の畔に小屋が建っている。国境を警備する者の小屋かもしれない。
アレスは注意して近づいた。
『小屋には誰もいないと思います』とルーチェが言った。
「どうしてわかる?」
『あの小屋は、ルチアのお母さんが絵描きの人と会うときに使っていた小屋で、その時も誰も住んでいなかった』
「絵描きの人?」
『ええ、森の中で出会った若い絵描き。ルチアのお母さんはその人に絵を描いて貰っていたのです』
「ルーチェも一緒だったの?」
『絵を描くときは、ルーチェは外で待っていました』
「じゃあ、その時に草を見たんだね」
『ええ、時間つぶしにこの辺りを飛んでいたときに見ました』
「場所は覚えている?」
ルーチェが池の周りをキョロキョロと見て、『あそこだと思います』と小屋の向こうを指した。
アレスは誰もいないと聞いても、用心しながら小屋に近づいた。小屋は長年の雨風で相当痛んでいる様だった。窓枠は朽ちた様にところどころ壊れて、ガラスも白くなって割れていた。とても人がいる様には見えなかった。
それでも、そーっと小屋を横切ってルーチェの後を追った。
いち早くその場所に着いたルーチェが手を振っている。
気を付けながらもその場所に着いたアレスは、『ドククライ草』と『ドクチラシ草』が咲いているのを見つけた。
手袋をした上にバリアで防護して、触れない様にそっと採る。
『ミナケシ』を採る時は気にもしていなかったが、あの後、花粉にも毒があると聞いたときは冷や汗が出た。猛毒の『ドククライ草』と『ドクチラシ草』にもそんな特性があるかも知れないと思い、慎重に慎重に採ったのでかなり緊張した。
草を袋に収めて、その場を離れると一気に緊張が解けて、思わず深呼吸をした。
「さあ、帰ろう」とアレスが声をかけたとき、ヴルが警戒する様に言った。
『気いつけや。なんか居るで』
アレスは小屋まで戻り、陰に隠れて辺りを覗った。
人の気配はしない。でも何かいる気配がする。
森の奥から悲鳴が聞こえ、小さな精霊が出て来た。精霊は何かに追われている様だった。
追っているものを見ると黒い霧の様に見えた。
『あの精霊は!』ルーチェが叫ぶ。
「知っているのか?」
『ずっと昔、サントス王の肩に乗っているのを見たわ』
「サントス王の精霊?」
『アレス助けてあげて』
アレスとルーチェの話が聞こえたのか、サントス王の精霊とアレスの目が合った。
サントス王の精霊はアレスの方に向かって飛んできた。が、途中で何かにぶつかった。
ぶつかる様な物は何も見当たらないのに、壁があるかの様にそれ以上は近づけなかった。
『大変、国境の境界に阻まれているわ』
「国境の境界?」
『それぞれの国境には境界にシールドが張ってあって、侵入者を感知するようになっているの。だから簡単に国境は通れないの』
ルーチェはそう説明した。
「俺も国境を越えたが、オーガスト国の障壁以外なにも感じなかった様な気がするが」
『それは私たちが居るから、アレスはフリーパスで来れたの』
「そうなのか。ではあの精霊はどうして通って来れないんだ」
『サントスの精霊だから入って来れないんだと思う。こっちに守護者がいれば入れるのだけど・・・』
「あのままにしていたら黒い霧に飲まれてしまう。何とかならないのか」
『名前を呼んであげたら良いと思う。でも私は名前を知らないの』
「ヴルは?」アレスの視線の先でヴルが首を振った。
その時アレスの頭の中に声が聞こえた。
『名前はシン』
驚いて精霊を見ると、今にも黒い霧に飲み込まれそうになっていた。
アレスは「シンこっちへ来るんだ」と叫んだ。そうすると、スポンと抜ける様にシンの身体が落ちた。黒い霧は見えない壁の手前で立ち止まり入っては来なかった。
精霊は黒い霧が追って来れないのを確認すると、立ち上がりアレスの方に飛んできた。
『ありがとうございました』
精霊はアレスにお礼を言った。
「ルーチェの話しだと、君はサントス王の精霊らしいけれど、どうして黒い霧に追われていたんだ」
黒い霧はまだ見えない壁の向こうにいた。
『私の名前はシンと申します。確かに数ヶ月前までサントス王の元にいました。でも、サントス王が息子に王位を譲ったときに、私は森に帰ることにしました』
「どうして?」
『新しいサントス王の側には、あの黒い霧が付いていたからです』
「サントス王に黒い霧?」
『はい、それで私は、前王に森に帰ると申し出ました。私が森に帰ってもサントスの守護は変わらないとも申しました』
「それなのに、どうして?」
『分りません、森に帰ってしばらくして、時々黒い霧が私の側に現れる様になりました。私は少しずつ森の奥に追い詰められました』
「そうだったのか。逃げられて良かったな」
『ありがとうございます。あなた様に名前を呼んで頂けなかったら、黒い霧に飲まれていました』
シンは再び丁寧にアレスに謝意を表した。
「サントスの森には帰れないんだろう」
『はい、もう戻れません』
「君は何処に行きたい?」
『もし宜しければ、私もあなた様の仲間に加えて頂けませんか?』
サントスの精霊の申し出に、アレスは驚いた。
「俺はサントスとは関係がないよ」
『それでもあなた様は私の名前を呼んでくださいました。私はあなた様に付いていきたいと思います』
アレスはそんな事をしても良いのだろうかとヴルを見た。ヴルは『ええやないか』と言ったので、シンを仲間に加える事にした。
黒い霧は壁の向こうにまだいた。どうやらシンが消えたのでこちらを覗っているようだ。誰かの命で動いているとしたら、アレスは見つからない方が良いと思ったので、黒い霧が居なくなるまで待たなければならなかった。
待つ間、アレスは小屋の陰で腹ごしらえをする事にした。
『アレスは緊張感と言うものがないの?』とルーチェに呆れられたが、時間を考えると食べていた方がよいと思ったのだ。
サンドイッチを食べてスープを飲み干した頃に黒い霧がサーッと晴れるのが見えた。それでも木の葉の裏に少し残っているようだ。シンが戻って来るのを監視しているのかもしれない。
アレスは霧の木の葉に気付かれないように、小屋の反対側から森に入り、ウルルの小屋に戻った。
ウルルはアレスがシンを連れているのを見て驚いた。
「おや、サントスの精霊を連れてきたのかい」
「黒い霧に追われていたのを助けました」とアレスが言うと、
『サントスの森で黒い霧に追われていたのです』とルーチェが補足した。
ウルルは驚いていたが、「そうかい」と言って考え込んでしまった。
考え込んだウルルはしばらくすると、「私も少し調べてみよう」と言った。そして、疲れただろうとアレスにお茶を出してくれた。
アレスはウルルに会ったら聞きたいことがあった。
「ウルルさん、私はあなたにお尋ねしたいことがあります」
改まったアレスの様子にウルルが軽く目を見開いた。
「なんだい?」
「ウルルさんは世界中を回った大魔法使いと聞いています」
「ウルルでいいよ。それで・・・」
「時の魔法について教えていただきたいのです」
「時の魔法?」
「私の友人が誤って時の魔法を使ってしまったんです。それでその解除の仕方をご存じではないかと・・・思っていました」
「それは、アレスに精霊を貸してくれた人かい」
「はい」
「オーガスト国に生き残りがいたんだね。それもかなり高貴な生き残り」
「・・・」
「おや、話してくれないのかい」
「すみません」
「いいよ、友達のことは簡単に人に話すものじゃないからね。『時の魔法』は聞いたことがあるけれど、あの魔法は門外不出と聞いているよ。オーガスト国の継承者にしか引継がれないとも聞いている。申し訳ないけれど解除の仕方は分らないね」
アレスはガッカリした顔をした。
「でも、時の精霊を連れているなら、オーガスト国の図書室に入れるのではないかね」
ウルルのその一言にアレスは驚いた。そうだ、時の精霊を連れていたらオーガストの障壁を通り抜けることが出来た。だったら、オーガスト国にも入っていける。考えたこともなかった。
「ありがとうございます。希望が見えてきました」
「今の話しで役にたったのかい」
「はい、ありがとうございます」
「それは良かった。それより、アレスそろそろ帰らないと暗くなるよ」
窓の外が少し暗くなって来ていた。
アレスもオーガスト国を通って行くにしても、日のある内に山の頂上に着いていたいと思っておたので、ウルルに別れを告げる事にした。
「今日はありがとうございました」
ウルルは「またおいで」と言って、アレスに一冊ノートと一枚の紙を渡した。
「役に立つかどうかは分らないけど、ノートには毒草の扱い方が載っているよ。それとこっちは魔方陣を書いておいたから、アレスがこの紙を開いて『ウルルの家へ』と唱えたら、いつでもここに来れる様にしている。使うといい」
アレスはウルルの気遣いに感謝した。
ウルルの森はオーガスト国に繋がっている。山越えをしなくてもいつでも来て良いよと言ってくれているのだと思った。
「本当にありがとうございます。次に来るときは友達も連れて来たいと思います」
「ああ、いつでもおいで。もし、サントス国の黒い霧がこの森まで来るようなことがあった時は使えないようにしておくから、心配しなくても良いからね」
「サントス国の黒い霧が来ると思っているのですか?」
「いずれ来るだろうさ。でも私はその前に逃げるから平気だよ」
「本当に気を付けてくださいね」
「心配する顔は、ルチアと同じだね」
ウルルはそう言って見送ってくれた。
アレスはオーガスト国を通り、夕暮れ時に国境の山に着いた。
そこで夕食を取って少し休憩し、暗くなってから空を飛んだ。
夜遅くにブライダム公爵の屋敷の上を通ったとき、シアの研究室の明かりが見えた。
アレスはシアがまだ起きていると思い、研究室の前に降りて、ドアをノックした。
少し待っていると、シアがドアを開けてくれた。
アレスの姿を見たシアは無事に帰ってきたことを喜んだ。そして、中に入るように勧めた。しかし、夜も遅いので、アレスは取ってきた毒草とウルルのノートをシアに渡して離宮に戻った。