使者
収穫祭が近づくと、城下も農村も祭り気分で活気づいてくる。
まして、今年の収穫祭では、第一王子と第二王子の婚約者のお披露目パレードがあると言うことで、いっそうに盛り上がっていた。
アレスとシアも婚約パーティの打合せで、毎日宮殿に呼ばれていた。
シアとしては、宮殿に来たついでに図書室に寄るのが日課になっていた。
ユリウスも宰相の仕事を覚えるために、放課後は毎日宮殿に出仕していた。ユリウスが宰相付きになって、図書室の出入りは以前ほど堅苦しくなくなった。
いつもはアレスが同行している図書館も、今日はユリウスとコーデリアに任せていた。
シアとコーデリアを図書室に残し、アレスは父王と対峙していた。
目の前のテーブルに、馬車の図柄とパレードのコースを書いた紙があった。馬車の図柄を見たアレスは不満を漏らした。
「どうして、馬車の外形がカボチャなのですか?」
「それは収穫祭だから、それらしい馬車で回った方が良いだろう」
父王はアレスの不満を気にすることなく、笑顔でそう言った。
アレスの怒るのには訳があった。
ジークとマーガレットの乗る馬車は、稲穂を金であしらった美しい細工の馬車が用意されているのに対し、アレスとシアの乗る馬車は、オレンジ色のカボチャに金の縁取りの馬車だったからだ。
「誰がカボチャと決めたのですか?」
アレスの剣幕に父王は驚いた様子で小さく手を上げた。
「だって、お前もルチアもカボチャが好きだっただろう」と呟く。
「私がカボチャが好きですって?」
「ほら、お前、子どもの頃はルチアの作ってくれたパンプキンパイが一番好きと、いつも言っていただろう」
パンプキンパイ?
確かにアレスは子どもの頃、母の作ったパンプキンパイが大好きだった。でも、それは母と別れる悲しい思い出に繋がっていた。
ある日、アレスは父王の命令で、別荘にしばらく行くことになった。その朝、母はパンプキンパイをたくさん作って持たせてくれた。その時はすぐに帰ってくると思っていたから、喜んで母の作ってくれたパンプキンパイを持って行った。
でも、アレスは別荘に行って、そのままブライダム公爵夫人と暮らすことになった。
別荘で暮らし初めて、母はアレスが帰れないことを知っていて、大好きなパンプキンパイをたくさん持たせてくれたのだと気が付いた。
それから程なくして母は亡くなった。
母が亡くなったと聞いてから、アレスはパンプキンパイが食べられなくなった。パンプキンパイを見ると母を思い出した。だから、忘れるためには嫌いになるしかなかった。
事実、父王に言われるまで、パンプキンパイの事はずっと忘れていた。
パンプキンパイ。
アレスの心の中で何かが引っかかった。母親との思い出の中で重要な何かを忘れている様な気がした。
急に黙ってしまったアレスを見て、父王は機嫌を損ねてしまったと思った。
「アレス、お前がそんなにイヤなら、違う外形にかえてもらうよ」
父王の言葉に、アレスはハッとした。
「いえ、父上。私も忘れていました。カボチャの馬車で構いません」
「本当に良いのか?」
「はい」
アレスは父王と議論するより、試してみたいことがあった。その為、早く離宮に戻りたかった。
「本当に、本当に、良いのか?」
父王は何度も、何度も念を押した。あれほど嫌がっていたのに、急に良いと言った理由が分らなかった。
「済みません、父上。母上もカボチャが好きだった事を思い出したのです。だから、カボチャでお願いします」
「おお、そうか。ルチアもカボチャが好きだった。乳母が作るパンプキンパイが一番好きだったと言っておった」
父王が納得した様に頷き、カボチャの馬車で落着したので、アレスは父王の前を辞した。
アレスは離宮に戻る前に図書室を覗いた。ユリウスが魔法書の部屋を指さしたので入ってみると、シアとコーデリアが頭を付き合わせて、一冊の魔法書を読んでいた。
「シア」と声を掛ける。
シアがゆっくりと顔を上げてアレスを見た。
「早かったのですね」
「用事を思い出したので、早めに切り上げてきた。シアはコーデリアとまだここに居る?」
アレスの急ぐ様子が気になったのだろう。シアは首を横に振り、本を閉じると立ち上がった。コーデリアはシアから本を預かると本棚に戻した。
「お待たせしました」とシアがアレスの横に来て言った。
「ごめん、急がせたのではない?」
「大丈夫です。さあ、行きましょう」
シアはアレスを促す様に部屋を出た。
部屋の外でユリウスに声を掛ける前に、コーデリアに「俺たちは離宮に行くけれど、君はどうする?」と尋ねた。
コーデリアはシアの護衛に徹しているらしい、「同行します」と返事が返ってきた。
アレスは苦笑いを浮かべながら、その旨をユリウスに告げた。ユリウスは仕事が終わったら、離宮に寄ると返事をして、仕事に戻って言った。
宮殿から離宮への道を歩きながら、「ユリウス様が宰相様のお仕事の手伝いをされているので、図書室に入りやすくなりました」とシアが言った。
「それは良かった。さっきは何を読んでいたの?」
「風魔法について読んでいました」
「風魔法?」
「先日、ユリウス様と二人で風魔法を使って空を飛んでいたでしょう。それを調べていました」
「ほう、それで」
「確かに文献には空を飛べると書いてありました。でも、風魔法を使える人が空を飛ぶのは初めて見ました。どうして、便利なのに普及していないのでしょう?」
そう言われてみればそうだった。今度父王に聞いてみようとアレスは思った。
「それより、アレスはどうして早かったのですか?」
「思い出したことがあるんだ。それを試してみようと思っている」
アレスの様子に、シアは少し歩調を速めた。もちろんコーデリアも早足になった。
離宮に着くと、執事にシアとコーデリアを応接室に案内するようにと言い残し、一人母の部屋に行った。
アレスは扉に掛けてあった魔法を見て、誰も入っていないことを確認して部屋に入った。そして、クローゼットを開けて、母ルチアのスーツケースを取り出した。この間は気にしていなかったが、スーツケースはカボチャ色のオレンジだった。
オレンジは母の好きな色だった。このスーツケースを見た時に何故気付かなかったのだろうと思った。
スーツケースを見ていると、母の声が聞こえてくる様な気がした。
『アレス、この色はカボチャの色よ。私のお母様が好きな色だったと乳母が教えてくれたのよ。だから、私も大好きな色なの。アレス来てご覧なさい。このスーツケースは魔法で開けることが出来るのよ』
そうだった、母上はいつもそう言って、このスーツケースを俺に見せていた。
『アレス、開けるときはこう言うのよ。“カボチャさん開いて下さいな”・・・分った?』
母上がスーツケースに笑顔で問いかけると、不思議なことにスーツケースは静かに蓋を開いた。
アレスはスーツケースに近寄り「カボチャさん開いて下さいな」と言った。
スースケースは音もなく開いた。
スーツケースの中に美しいドレスが一着入っていた。金や銀の細かい刺繍が施していて豪華だけれどシックなドレスだった。アレスはドレスをゆっくり持ち上げて横に置いた。ドレスの下にまた鍵の掛った蓋があった。
アレスはこの鍵の解き方も知っていた。
笑いながら尋ねる声が聞こえる。
『アレスの好きな物はなあに?』
「僕はお母様の作ったパンプキンパイが大好きです」とアレスは声に出して言った。すると鍵がカチリと開く音がした。
アレスは蓋を持ち上げて中を覗く。中には三冊の本とノートが一冊入っていた。
本は小説が二冊と、光と風の魔法が書かれた魔法書が一冊入っていた。ノートの表紙にはカボチャの絵が描いてあった。どうやら母の日記の様である。これにも魔法の鍵が掛っていた。
これを解く魔法は・・・。アレスは思い出していた。
『アレス、これはお母様の大切なことが書いてあるノートなの。だからアレスには開けられないわ。もし、お母様が居なくなって、どうしても見たいときはルーチェにお願いしてみてね。そうしたら開けてくれると思うわ』
確かに母上はそう言っていた。
アレスは肩の上のルーチェを見た。
「ルーチェ、母上が、どうしても中を見たいと思った時は、ルーチェにお願いしろと言っていた。これを開けることは出来るか?」
アレスの問にルーチェは少し驚いた顔をした。
『思い出したのね。出来るわ。でも、開けることは、ルチアの真実を見ることになるけど、それでもいいの?』
「それでもいい。俺は真実が知りたい」
『分ったわ』
ルチアは、ノートの上にひらりと下りて、何やら言いながら踊っていた。
『開いたわ。でも、閉じたらまた魔法が掛るから、見たいときはその都度教えて』
「分った」
アレスは母の日記を開いた。
それはシュタルト国に嫁ぐ前日から始まっていた。
“明日シュタルト国に向かって出立する。今日でこの閉ざされた生活から離れられるのは嬉しい。明日から私は自由に人と話が出来ると思うと楽しみしかない。ドレスとか装飾品は国が用意しているので、個人的な物は持って行く必要はないと言われたけれど、王様にお願いして、お母様が大切にしていたお婆さまのドレスを持って行く事を許して貰った。このドレスはお母様が結婚する時に着る予定だったけれど、着せて貰えなったとウルルから聞いた。お母様も私と同じで、城の中では一人だったらしい。後はお気に入りの小説を三冊入れることにした。魔法書は国から持って出るのを禁止されているけれど、ウルルに頼んで小説に見える様に外見を変えて貰った。よほど魔力の強い者でない限りバレないと言っていた。悪い子だと思うけれど、お母様がよく読んでいたという魔法書は、お母様を知らない私にとっては、お母様の代わりの様な物だったから手放せない。シュタルト国に着いたら、結婚式にはお婆さまのドレスを着たいとお願いしてみよう。シュタルト国の王太子様はどんな方だろう?優しい方だと信じよう。”
アレスは母が旅立つ前にスーツケースにドレスを詰めながらシュタルト国に希望を持って来たのだと思った。続けて次のページも読みたかったが、最後のページに何が書かれていたかが気になったので、急いでページをめくった。その時ページの隙間からハラリと一枚の紙が落ちた。乳母からの手紙の様だった。ルチアがアレスの呪いの事で問い合わせた、その返事だった。
アレスは手紙を見て驚いた。
“可愛いルチア、この手紙は誰にも見られない様に魔法に乗せて運ばせるので、必ずあなたに届くと信じています。あなたの子どもの呪いは時が解いてくれます。心配しないで時を待ちなさい。それより、ルチアあなたに災いが迫っている様に感じます、くれぐれも気を付けるように。使者が訪れた時には、特に気を付けて対応して下さい。ルチアの幸せをいつも祈っています。あなたの乳母より”
と書かれていた。
「ルーチェ、母上の乳母は大魔法使いと言っていたね」
『ええ、そうよ。とってもすごい人よ』
この乳母に会ってみたいと思った。
「ルーチェ、その人にはどうすれば会える?」
『グランダル国からオーガスト国に広がる国境の森に行けば会えると思うわ』
「遠いな・・・」
『シュタルト国から山を越えて行くよりは楽ですよ』
「シュタルトからも行けるの?」
『行けますけど、高い山を越えないと行けません』
「分った」
この手紙を読むと、俺のことは心配するなと書いてある。では、母上は何故自死したのだろうとアレスは考えた。
アレスは、災いが迫っていると書かれた文面が気になった。日記に何か書いてあるかも知れないと、最後に書いた日のページを開いた。
“明日、国から私に使者が来るらしい。アレスの呪いの事が国に知れたらしいと国王が言われていた。国王は私に知らせたのか?と問われたけれど、私は誰にも知らせていない。国には知らせる相手などいないのに、どうして知られたのだろう。もしかして、ウルルに宛てた手紙を誰かに読まれたのだろうか?ウルルの返事は魔法で届いたけれど・・・。ウルルが気を付けなさいと言っているのは、この使者の事かも知れない。明日は気を引き締めて会うことにしよう”
日記の最後のページは、国からの使者が来る話しで終わっていた。
アレスは、ドレス以外は、スーツケースに戻し、蓋をして魔法が掛っていることを確認してクローゼットにしまった。そして、ドレスを持って応接室に戻った。
「ごめんね。ずいぶん待たせてしまった」
アレスがドレスを持って戻って来たのでシアとコーデリアは驚いた。
「どうしたの?そのドレス」
「母上のお婆さまのドレスらしい。本当は自分の結婚式に着たかったみたいだけれど、着ていないみたいなんだ。だから、今度のパレードにシアに着て貰えたらと思って持ってきた」
ドレスの話しで、シアは、先日クローゼットで見つけたスーツケースの魔法をアレスは解いたのだと思った。コーデリアはその話しを知らないので、シアはあえてアレスに尋ねることはしなかった。
「お婆さまのドレス?」
「母上のお婆さまが結婚式に着たドレスらしい」
シアが手に取るよりも先に、コーデリアがドレスを確認していた。
「型は少し古いけれど、とても綺麗なドレスね。シア姉様に似合うと思うわ。ブライダム侯爵夫人にお願いして、少し手直しして頂いたら、もっと素敵になると思うわ」
着る物にはあまり興味を示さないシアも、コーデリアのお墨付きも貰ったので、持って帰って相談してみると言った。
しばらく三人でお茶を飲んでいると、執事がユリウスが来たことを告げた。
ユリウスは疲れた顔で、お茶を断って、コーデリアを連れて帰った。
馬車を見送りながら、「俺が頼んだとはいえ、ユリウスも大変そうだな」と呟く。それを聞いたシアはどうしてと聞いた。
「宰相は結構難しい仕事を振ってくるらしい。それはジークの側近に対しても同じらしい。そういった面では、宰相は差別をしていないみたいだ。だから、同じ仕事を同じように与えられるから、どちらが有能か他からも見えてしまう。ユリウスとしては、負けられないところみたいだよ」
シアのように一度覚えたものを忘れなければ、あまり大変ではないのだろう。アレスはガンバレ!と心の中でユリウスを応援した。
ユリウスを見送ってから、シアをブライダム邸まで送って行った。
ブライダム公爵夫人は、アレスの母のドレスを見て、驚きそして喜んだ。
「王妃様のお婆様のドレス!なんて素敵なのでしょう!シアに合わせて少し仕立てを変えてもらいましょう。婚約披露のパレードに間に合うように、さっそく明日仕立て屋を呼びましょう。王妃様もきっと喜ばれると思うわ」
まるで自分の事のように喜ぶ夫人を見て、アレスも嬉しくなった。
「お婆様にお任せしますので、よろしくお願いします」
アレスはドレスのことをお願いして離宮に戻った。
離宮に戻ると、ラウルが待っていた。
「ラウルどうした」
ラウルは界域軍の寮に入っていたので、最近は学校でしか会っていなかった。
「アレス様のお耳に入れておきたいことがありまして」
「俺に?」
「はい、実は、グランダル国の使者が、アレス殿下とシア姉様の婚約の祝いと称して国を出たらしいです」
「グランダル国の使者?」
「何も聞かれていませんか?」
「聞いていない」
今日父王に会った時も、何も言っていなかった。
「その話は何処から?」
「密偵から界域軍に連絡があったそうです。父は界域軍の諜報関係の仕事をしている関係から、アレス殿下はこの話を知っているかと聞かれました」
「使者か、こちらでも調べてみよう。ありがとう、ラウル」
アレスがそう答えると、ラウルは「それでは、失礼いたします」と言って去って行った。
母が最期に会ったのも使者だった。
『アレス、その使者は気ーつけなあかん』ヴルが耳元で呟いた。
『ええ、ルチアも使者と会った後に亡くなったわ』とルーチェも心配そうに言った。
父王から数日前に聞いた、グランダル国の正当な後継者という言葉が思い出された。
後継者問題が絡んでいるのだろうか。そうすると、狙われるのは俺だけど、シアも守らないと何があるかわからない。アレスはグランダル国の動向に不気味なものを感じていた。