風魔法
アレスとシアが王宮の図書館に行ってから三日経っていた。
何時もの様に図書館に集まり、収穫のない報告を聞いていたアレスは、シアの眠たげな様子を見てやれやれという顔をした。
「シア、昨日もあまり寝てないんじゃないか?」
シアは半分目を閉じたままコクリと頷いた。
「例の『聞耳の魔法』と『千里眼の魔法』のポーション化をまだ考えているのか?」
少し呆れぎみにアレスは尋ねた。
「そうなの、あと少しだと思うのだけど・・・。たぶんベリーが足らないと思う」
シアの話しを聞いていたコーデリアは、領地のベリーを思い出した。
「ベリーはお父様の屋敷の裏山にたくさんなっていたわ。私が採ってきましょうか?」
勢い込んで提案すると、
「それは私も考えたけれど、行って帰ってくるのに十日掛るわ。その為に作業を中止したくないし、学校も休めないでしょう」とシアは妹を見てため息をついた。
『そのベリーの林まで距離はどのくらいあるのですか?』
アレスの肩の上でルーチェが尋ねた。
「直線距離にしたら、二百キロくらいかな。どうして?」
『アレスが風魔法を使って飛んでいけば、二日もあれば帰って来られるのでは無いかと』
「風魔法で飛べるの?」
風魔法で空が飛べるなんて聞いたことがない。
妖精の声が聞こえない側近達は、突然アレスが風魔法で飛べると言ったので驚いた。
『そこの横の人も風の魔法を使えるみたいだけど』
ルーチェがユリウスを見たので、アレスは「そうだよ」と答えた。
ユリウスは王族の系列だが、竜魔法は使えない。どうやら竜魔法は直系一代のみ使えるようで、国王の子以外の兄妹の子には継承されないようだった。だからユリウスは父親のフィリップと同じ風属性の魔法を継いでいた。風魔法はユリウスの祖母の魔法と聞いている。
「アレス、風魔法で飛べるってどういうこと?」
ユリウスが怪訝な顔で尋ねた。
「ああ、ごめん。俺の精霊が、俺も風魔法が使えるようだと、最近教えてくれたんだ」
アレスが竜の精霊を連れていることをユリウスは知っているので、ヴルが言ったことにした。
「アレスが風魔法を使える?」
「俺の精霊がそう言っているんだ」
「その、精霊が風魔法で飛べると言っているのか?」
ユリウスがそう聞くのも無理は無い、魔法学校でも風魔法で空を飛べるという話しは聞いたことが無かったからだ。
『使い方次第よ』
「使い方次第らしい」
「使い方次第?」
話しだけでは分らないので、実際にやってみようと言うことになった。それで、場所を離宮に移動することにした。
シアはやりかけの作業を続けたいと、家に帰ることを望んだので、ラウルに送らせた。
離宮の庭。
高い塀で囲まれているので、思う存分に練習が出来る。
『まず身体に風を巻き付ける感覚で魔法を掛けてみて』
「身体に風を巻き付ける感覚」
アレスは風を意識する。
ゴォーと強い風が巻き上がったが、勢いで庭の隅まで弾き飛ばされた。
「いててて」アレスは背中から落ちた。
『もっと優しい風でないとダメよ』とルーチェが呆れたように言った。
「優しい風といっても」
アレスが手こずっていると、ユリウスは少しコツを掴んだみたいで、少し浮いた。
『そう、それ』
ユリウスを見てルーチェが手を叩く。
「それだって」
手放しでユリウスを褒めるルーチェに、アレスは少しムッとした。だいたい今まで風魔法なんか使ったことが無いのに、すぐに上手くなるわけがないと文句を言った。
『風の力で身体を持ち上げるの』
精霊の指導の下、どうにか少し浮き上がることができるようになった。
『その浮き上がった状態で、上昇気流を作って飛ぶの』
「上昇気流を作る?」
アレスがブツブツ言っている間に、ユリウスが風を使い高く舞い上がった。
『上手、上手』
精霊が嬉しそうに手を叩いている。
練習の様子を見ていたコーデリアも「さすがです、ユリウス様」と手を叩いて喜んでいる。
『降りるときはゆっくりね』
「降りるときはゆっくりだそうだ」
アレスはユリウスに先を越されて悔しそうに言った。
『アレスは今日初めて風魔法をつこーたんやからしゃーない』
ヴルが慰めたのがいけなかったのか、アレスの闘争心に火が付いた。どうやらアレスは負けず嫌いのようだ。
ユリウスが静かに降りてきた。
着地すると、興奮したようにアレスに言った。
「アレス、こんな使い方は初めてだ」
「良かったな。俺はまだ出来ない」
「何膨れているんだよ。年期が違うから早くできただけだよ。アレスもすぐに出来るさ」
ユリウスはそう言って、コーデリアを見た。
「コーデリア見てたかい?」
「ええ、しっかりと見てたわ」
ユリウスは興奮冷めやらぬ様子で、コーデリアに尋ねる。コーデリアも興奮していた。
「はいはい、俺は練習するので、もう帰っていいよ」
ユリウスはふてくされたアレスを見て、
「じゃあ、アレスは練習を続けてくれたまえ。続きは明日教わることにするよ。そろそろコーデリアを連れて帰らないと叱られそうだ」とユリウスはコーデリアを連れて、軽やかに帰って行った。
アレスはユリウスが帰った後も暗くなるまで練習を続けた。そうして、やっとユリウスが上がった高さまで飛べるようになった。
『はい、上手に出来ました』
ルーチェが褒めてくれる。
『アレス、なんでそんなにムキになるんや。竜魔法をつこーたらこんな練習せんでも空は飛べるんとちゃうか』とヴルが少し呆れた口調で言った。
「竜魔法はなるべく使いたくないんだ」
アレスは覚えたばかりの風魔法の練習を繰り返しながら言った。
『ジークのためか』
アレスは横目でヴルを睨んだ。
ジークは竜魔法を苦手としていた。
竜魔法を使えることが王位継承に影響することはないのだが、使えないより使えた方が良いと考える者もいて、王太子を決めるのに、竜魔法が問題になるのをアレスは嫌っていた。だから、竜魔法は人前では使わないようにしていた。
生まれたときはどちらも竜魔法の能力を授かっていたのだが、アレスの呪いが大きかったため、ジークの竜魔法がアレスに吸収されたらしい。しかし、それは竜魔法だけに作用しただけで、他の属性の魔法では、ジークはかなり優秀なレベルの魔法を使うことが出来た。
同属性の魔法を受け継ぐ兄弟は、魔力が強い方に主魔法が流れる傾向があると聞く。現国王の兄弟もそうだったらしい。国王は竜魔法を使えるが、他の兄弟は兄ほど使えなかったと聞いている。
アレスは高い魔力を持っている上に呪われていた。呪いが解けるまでアレス自身が竜そのものになっていた。だからアレスはヴルと同じくらいの竜魔法が使えるのだ。決してジークが劣っているのではないとアレスは知っていた。
『難儀なこっちゃな』とヴルはますます呆れた。
「そうだね」とアレスはヴルの言葉を聞き流し、また練習に励んだ。
翌日は休みだった。
ユリウスが朝早くから訪ねて来たので、昨夜遅くまで練習していたアレスは、欠伸をかみ殺しながら起きてきた。
「やあ、おはよう」
アレスはユリウスの爽やかな笑顔が気に触った。
「おはよう、休みだというのに早いね」少し嫌みっぽく返事をした。
「休みだからだよ。昨日掴んだコツを忘れないうちに、次を教えてもらいたいと思ってね」
昨日の興奮がまだ冷めていないのか、ユリウスは妙に張り切っている。
「アレスはあれから練習をしたんだろう?」
「ああ、やっと飛べるようになった」
あくびをしながら返事をすると、
「それじゃあ、今から練習したら、今夜でも飛べるだろうか?」とユリウスが聞いた。
「何処へ?」
「シアのベリーを取りにだよ」
アレスはユリウスが早く飛べたのが悔しくて、後は負けたくないという思いだけで練習をしていたので、ユリウスに言われるまで、何故飛ぶ練習を始めたのかを忘れていた。
「そうだったな」
「忘れていたのか」
ユリウスは呆れたようだった。
それから後は、ルーチェ指導の下、アレスとユリウスは練習を重ね、空中で姿勢を保持し飛べる様になった。
『近づきすぎてはダメよ。風がぶつかり合って弾かれるわ』
危うく接触しそうになったアレスに、ルーチェが注意をする。慌てて身をかわし一定の距離を保つ。飛んでいるときは、近づいて会話は出来ないようだ。
アレスとユリウスは離れた状態で、意思疎通を図る方法を考えた。結局、慣れるまでは降りるタイミングを伝える方法だけに絞った。降りるときは、前方に回り下を指さす事にした。
昼からは休息をかねて、地図を見ながら順路を検討することにした。
幸い離宮の側を流れている川は、ベリーのある山から流れてきていた。川沿いを飛ぶことにした。一度に二百キロは飛べないので、休憩できそうな所も決めた。
夕方近くにブライダム公爵の屋敷を訪ね、シアに今夜ベリーを採りに行くと伝えた。
シアは大丈夫なの?と心配したが、アレスとユリウスが大丈夫と言ったので、必要なベリーの名前と、なっている場所を書いた紙を渡した。
暗くなるのを待って、アレスとユリウスはシアに見送られて空を飛んだ。
夜に飛ぶのは、飛ぶところを人に見られたくなかったからだ。
途中何度か休憩を挟み、明け方近くにベリーのなっている山に着いた。
アレスはルーチェを介して、山にいる精霊にベリーの種類を聞きながら、シアが紙に書いたベリーを集めた。
全てを集めると、別荘に行き仮眠を取ることにした。
二百キロを飛んだ後の作業は流石に疲れたようだ。
アレスもユリウスも居間に入ると、ソファーに倒れ込んで寝てしまった。
先に目が覚めたのはアレスだった。
アレスは空腹を感じていた。昨夜出発してから何も食べていなかった。
別荘の使用人は、必要な時に連絡をして来て貰うようにしていたので、夏休みが終わった今は、皆家に帰ってしまい、別荘には誰もいなかった。
厨房に行き、食料庫の中を覗く。さすがに何も無かった。それでも捜していると、缶詰を見つけた。アレスはそれを二つ持って居間に戻った。
居間では起きたばかりのユリウスが大欠伸をしていた。
アレスは缶詰をユリウスの前に置いた。
「ビーンズのスープの缶詰があった」
「ありがとう。今度飛ぶときは、食べ物を持って飛ばないといけないな」
缶詰を受け取って、蓋を開けながらユリウスが呟いた。
「そうだね。パンもいるね」
アレスも同感だと答えた。
二人は缶詰を夢中で食べた。
缶詰は彼らの空腹を少しだけ満たしてくれた。
空が暗くなってから、再び飛んだ。
帰りは行き以上に休憩が必要だった。
なんとか明け方近くにシアの畑に着いた。畑の隅にベリーを入れたカゴを置いて、離宮に戻った。
微かな物音で目覚めたシアは、アレスとユリウスが畑の側に立っているのが見えた。
慌てて畑に出て行ったが、ベリーがいっぱい入ったカゴを残して、二人の姿はもう無かった。