隠された秘密
雨が降っていた。
アレスとユリウスはブライダム公爵邸を訪ねていた。
あいにくブライダム公は、先日のソルレイト公爵邸で起こった出来事を、国王に報告に行って留守だった。
アレスとユリウス、そして公爵夫人とシアの四人でブライダム公が帰ってくるのを待っていた。
表の方で馬車の停まる音が聞こえた。
帰って来たようだ。
公爵夫人は立ち上がり、夫を出迎えに部屋を出て行った。
しばらくすると、ブライダム公が夫人と一緒に部屋に入ってきた。
馬車を降りたその足で、直接来たようだ。外出着のまま三人の前に現れた。ブライダム公は疲れた顔をしていた。
「ずいぶんと待たせたようだな」そう言いながら外套を夫人に渡し、ソファーに座る。
夫人は外套を持って部屋を出た。
「今日はフィリップの事で王宮に行っていた。おおかた、お前達もフィリップの事で来たのだろう?」
「はい、お爺さまが詳しいことは、ブライダム公爵に聞くようにと言われました」
ユリウスが神妙な顔で公を見た。
「そうらしいな。ソルレイト公がそんな事を言っていた」
「父が爵位を継げないほどのこととは、いったい何があったのだろうと、前々から疑問に思っていました。教えてください何があったのですか?」
ブライダム公はユリウスを見た。
「フィリップの間違いは二つある」
その時、夫人がブライダム公のお茶を持って入ってきた。
夫人が座るのを待って、ユリウスが尋ねた。
「二つとはどういうことですか?」
「一つはアリシアのことだ、でもそれは爵位を失うほどの事でもなかった。もう一つはアレスの呪いに関することだ。これは重大な過ちだった。直接手を下したわけでは無いが、フィリップの軽率な行動が、アレスの呪いに手を貸したことになった」
ユリウスは顔を伏せて呟いた。
「やはり、アレスの呪いに加担していたのですね」
ユリウスの様子を見て、ブライダム公は「加担したのではない。都合良く使われたのだ」と訂正した。
「使われた?」
ユリウスが顔を上げて公を見た。
「まず、一つ目の話からしよう」
ブライダム公は、夫人が運んで来たお茶を一口飲んだ。
「今の国王アランがまだ王太子だった頃の事だ。
アランとフィリップとアリシアは、年も近いので子どもの頃から仲が良かった。
丁度お前達の年頃になった頃、アランはアリシアを異性として見るようになった。フィリップもそうだったのだろう。だけどアランがアリシアを好きなのを知っていたので、表には出さずいた。
初めは幼い恋だった。それほど深刻な事でもなかった。アランが十七歳、アリシアが十六歳の時だ、二人はお互いを好きだと認め合うようになり、アランはアリシアと結婚したいと私に言ってきた。私は国王が許されたらと、結婚には反対しなかった。
私が結婚に反対しなかったので、アランは国王にアリシアと結婚したいと申し出た。ところが国王は従兄妹同士だと血が濃くなる、それは良いことではないと、結婚に反対された。そして強引に婚約者を決めてしまった。当然アランは反対したが、国王は聞き入れなかった。その時の婚約者が今の二妃だ。
その話を聞いたフィリップは、アランがアリシアと結婚出来ないのなら、自分と結婚して欲しいと、アリシアに結婚を申し込んだ。アリシアはアランと結婚できないのは、従兄妹だからと言われた。だからフィリップとも付き合えないと断った。
ところが、フィリップは、アランは王太子だから駄目だと言われたのだ、僕はそれには当てはまらないと言って、それから、ことある毎にアリシアにしつこくつきまとい始めた。
アランを好きだったアリシアは、結婚を反対されたショックから立ち直れないでいたのに、フィリップからしつこくつきまとわれて、精神的に参ってしまい。しばらく静養のため王都を離れることにした。
ところがその話しを聞いた、フィリップはどうして僕の事を避けると、怒ってアリシアを攫って監禁してしまった。アランが助けに来て事なきを得たが、そのことが国王の耳に入り、フィリップは今後アリシアに近づいてはいけないとの命令を出した。
それで、この問題は解決したのだが、フィリップは面白く無かったのだろう。そのあと荒れ始めて、このままではいけないと、ソルレイト公爵は結婚したら落ち着くだろうと、まだ婚約者のいなかったフィリップの結婚相手を決めて、早々に結婚式を挙げさせた。無理矢理結婚を決めてどうなるかと思っていたが、フィリップも結婚して落ち着いたようだった」
「父はそれほどまでに、アリシアさんを好きだったのですね」
「そうだな、一時はどうなるかと思ったが、本当に落ち着いてくれて良かったよ」
「その後はどうなったのです」とアリシアが聞いた。
「それから一年後、ちょうどユリウスが生まれた頃だ。西のローダン国とサントス国が手を結び、グランタル国とオーガスト国に圧力を掛けてきた。この二つの隣国が戦いに負けてしまうと、シュタルト国としても平穏ではいられなくなる。その為、シュタルト国も隣国グランタル国、オーガスト国と和平公約を結ぶことにした。そして、アランにグランタルの王女を迎えることになった。しかしアランにはアリシアとの結婚を反対されたときに、国王が決めた婚約者がいた。実を言うと、この婚約はいろいろと裏があったらしいのだ。国王は話してはくれなかったが、国王に反する者を押さえるために、仕組まれた婚約だったみたいだ。だから約束が違うと婚約者側といろいろ揉めたらしいが、嫁いでくる王女を二妃にすることはグランタル国をないがしろにしてしまう事もあり、婚約者だった娘を二妃にすることで収めた。アリシアもまた、隣国オーガスト国王の王妃として嫁ぐことが決まった」
ブライダム公はフーと息を吐いた。
「結局、アラン王太子とアリシア様は、政治の為に引き裂かれたのですね」
表情の無い顔でシアが呟いた。
「そうだな、アランはアリシアがオーガスト国に出立するまで、アリシアとコッソリ会っていたみたいだから、二人は本当に愛し合っていたんだろう」
「本当に好きな人と一緒になれないなんて、何だか寂しいですね」とユリウスが言った。
「そうだな、だから国王はアレスの結婚には寛大なんだと思う。アレスには好きな人と結婚して欲しいと考えているのだろう」
アレスは複雑な顔をしていた。
『アレス、どないしたんや?』
ヴルがアレスに声を掛けた。
「いやなんでもない」
そんなアレスの手を取ってシアが言った。
「大丈夫よ。国王は王妃様をアリシア様ほどには愛せなかったかも知れないけど、大切にしていたのは間違いないわ」
『姫さん、その一言は言わん方がよかったんちゃうか』
どうして?と言う顔で、シアはヴルを見た。
「コホン」とブライダム公は咳払いをして「二つ目の話しをしよう」と言った。
「アレスの呪いに関することだ。先ほども言ったが、フィリップに取ってこれは重大な過ちになった。直接手を下したわけでは無いが、彼の行動がアレスの呪いに手を貸したことになった。
この事実が分ったのは、アレスの呪いが解けた時、竜の精霊から聞かされた、卵は地震で消えたのでは無く、人の手によって動かされたということだ。
誰かが竜の神殿に入った事を示していた。
竜の神殿の入り口は王家直系のそれもごくわずかの者しか見ることが出来なかった。だから神殿に入ったということは、見える誰かが手引きしたということになる。その時、神殿の入り口が見える者は、国王とソルレイト公と私、そしてアラン王太子とフィリップの五人だけだった。その為、隠密で調べることになった。
一番怪しいのがフィリップだった。あの時、フィリップは入り口の近くの別荘にいた。ソルレイト公はフィリップに竜の神殿に行かなかったかと問いただした。その時のフィリップの記憶は曖昧だった。行ったとも行かなかったとも何も思い出せないと言った。
それで、彼といつも一緒に行動していた従者に聞くことにした。私たちの質問に、従者は青い顔で、あの日数名で飲んでいて、酔っ払って酩酊していたフィリップに、竜の神殿が見たいと誰かが言っているのが聞こえた。それが誰だったか顔を見ていなかったので分らないと言った。従者はフィリップを止めたけれど、どうしてかフィリップは言われるまま神殿の入り口に行き、皆で中に入ってしまったらしい。フィリップは入ったところで、酔っ払って動けなくなったそうだ。
しばらくして大きな地震が起こり、従者はフィリップを連れて逃げ出すのが精一杯で、誰が神殿に行ったか覚えていないと言った。ただ、その日飲んだ者達に、従者は一度も会ったことがなく、いつの間にかフィリップの周りに集まり、一緒に酒を飲んでいたと言った。
フィリップは何かの魔法を掛けられていたのかも知れないと我々は思った。しかし、魔法を掛けられて誘導されたとしても、それは許されることではなかった。
また、これも許されることでは無かったが、国王とソルレイト公と私は兄弟という立場で内密に話し合い、竜の卵が消えたのは地震があったからというこれまでの説明を変えずに、この話を秘密にすることにした。秘密にしてもフィリップの行動は許せるものではなかった。国王は爵位は孫のユリウスが直接継ぐことを命じ、ソルレイト家を降爵することはしなかった。呪いの原因が地震で卵が消えたことから変えない以上、フィリップの事は公にできなかった。ソルレイト公はフィリップを、病気の為爵位を継げないと公表した。
甘い裁決と言われるかも知れないが、アレスの呪いにソルレイト公爵家が関わっていたことは三人の秘密としたのだ。しばらくして国王は体調を崩されて、アランに王位を譲ると直ぐに亡くなられた」
「この話は、父上はご存じなのですか?」
アレスがブライダム公に尋ねた。
「直接聞いたことは無いが、今日も我々の話を聞いただけで、何も言われなかったから、たぶん知っておられると思う」
「では、父上はすべてご存じなんですね」
「そうだと思う、だからフローレンシアの話しを聞いたとき、守らなければならないと言われたのだ」
「私を守る?どうして?」
『姫さん、よう考えてみ、竜の神殿に入って卵を持ち出そうとした者はまだ捕まってないんや。もし、姫さんがアレスの呪いを解いた事を知ったなら、姫さんは狙われるんやで』
「そうなの?」
『そうや!』
ヴルが珍しくシアに強く言った。
「フローレンシアを守るって、どういうこと?」
ユリウスが不思議な顔をする。
「竜の神殿に入って卵を持ち去ろうとした者達は、俺の存在が邪魔だと思ったんだろう。でも俺は呪いが解けてしまった。俺を亡き者にしたかった者からすれば面白く無いことだ。今まで俺だけを狙っていたら良かったけれど、俺がシアと婚約したことで、シアに何か仕掛けてくるかも知れない。シアだけじゃ無く、ユリウスにも手が伸びるかも知れない。父親の事を知っている誰かが、ユリウスを脅してくるかも知れない。これまでの事を考えると、俺の周りにいる者達に手を出さないとは考えられない。それに、シアの時の魔法のこともある。これはまだ誰にも知られてはいけない事だと思う」
アレスは考え事をしながら話していたので、いつの間にか普段公爵の前では使わない「俺」と言っていることに気付いていなかった。
「アレス、言葉遣いが乱暴になってますよ」
公爵夫人が窘める。
アレスは驚いた顔をして夫人を見た。
「すみません、考え事をしながら話していたので気付きませんでした」
いつものアレスを知っている者からしたら、公爵達の前でおとなしくしてるアレスの方が気持ち悪いくらいだった。
「とにかく、アレスの側にいる者が、相手にとって邪魔な存在になるのなら、私たちもアレスの足手まといにならないようにするだけです」
ユリウスは決意を込めた拳を振り上げた。
「すごいな、ユリウス」
「いえ、父の事を知った以上、私は本心でアレス殿下に忠誠を誓いますよ」
『今までは本心じゃ無かったように聞こえるで』とヴルが突っ込みを入れたのを無視して、
「ありがとう、ユリウス、心強いよ」とアレスはユリウスに言った。
公爵夫妻が嬉しそうに二人を見ていた。
「それで、先日の事はどうなりました?」
あらためてユリウスはブライダム公を見た。
「ああ、今回の事はフィリップも時の魔法で罰を受けているのなら、それで済ませようと言われた」
「そうですか。ありがとうございます」
ユリウスはブライダム公に、深々とお辞儀をした。
「ユリウスが謝ることではないよ。それより、フィリップが時の魔法で動けないことは、口外しないようにと言われている」
「分っています」
その場の全員が頷いた。
「あら、すっかり暗くなってしまったわね」
窓の外に目をやった公爵夫人は、夜のように暗くなっているのに驚いた。
雨のせいだろうか、それとも、秘密を聞いたせいだろうか、アレスとユリウスは見えない影の存在を確実に感じていた。