暗雲低迷③
※この小説は不定期更新です。
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頬をなぞった指は確かに濡れており、オレが涙を流していたのは確かな事実であった。
涙を流すほどの痛みも、悲しみも味わっていない。しかし、不思議と止まらない涙は指一本では飽き足らず、両手を濡らしてもなお止まる兆しを見せない。
なんで、どうして、と声が漏れているのにも気が付かずに溢れた涙を擦り続けるオレに少女は歩み寄り、ベッドに腰掛けると抱き寄せ、そして小さな左手で後頭部を優しく撫でてきた。
「僕には君がどうして泣いているのか分からない、けどお兄ちゃんは僕が泣いている時にいつもこうしてくれたの。大丈夫、僕がいるから大丈夫、僕は絶対に君たちを見放さない。これもお兄ちゃんがいつも言ってたことなんだけど不思議と落ちつけたんだよね」
うぇへへという独特な笑い声が頭上から聞こえると、不思議と落ち着いてきたのか視界はボヤがかかったままだが、彼女の病衣を濡らす雫は確かに減っていた。
「ねぇ、僕は紗江って言うんだ。紗江でもさえお姉ちゃんでも好きに呼んでね! 君の名前は?」
「……なるみ、一ノ瀬成海」
「なるみちゃんね! ねぇ! 外のこと教えてよ!」
「外?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
外というのは病院の外での話だったようで、最近販売されたゲームや、今話題となっているアニメの話をしたら紗江ちゃんは目を輝かせ、それでそれで! と掘り下げて聞いてきた。年頃の女の子に話す内容ではないだろう。ましてや、最近の女の子がどのような話をしているのかなど破片も想像がつかない。元アラサー間近の男が知っていたらそれはそれで怖いものである。
だが、紗江ちゃんはこんな男子同士が話していそうな内容でさえ興味を持ち、こちらに休む暇さえなくすほどにどんどんと聞いてくる。だが彼女が聞き上手なのか、疲れるわけでもなくこちらとしても楽しく話すことができ、オレのコミュ障は死に設定と化していた。いや、これが本当のコミュ強者の力なのかもしれない。このノリで他の人に話しかけようものなら、一切と言っていいほどに喋ることができずに白い目で見られ、くっ殺堕ちしていただろう。恐ろしきコミュ強者だ。
「他には! ねぇ、他にはどんなお話があるの!」
「はーい、そこまで。紗江ちゃんお薬の時間だよ」
「えっ、うえぇ……今日のお薬って苦い?」
ちょうど話が切れたタイミングで上野さんが部屋に入ってきた。コップと薬の置かれたカートを向かいのベッドまで押すと、なれた手つきで錠剤と封の空いた粉薬を皿の上に並べ、ペットボトルの水をコップに注いでいく。
紗江ちゃんは眉を寄せながらも自身のベッドまで歩き、コップを左手で持つと瞼がピクピクと震えるほどに強く目を瞑って大きく口を開けた。
「うっげぇぇ……マッズい」
「ふふ、まぁお薬は苦いものだよ。良薬は口に苦し、効果のあるものほど苦いからね」
「……うん」
小さく頷いた紗江ちゃんの頭を撫でる手つきはとても優しいもので、紗江ちゃんも安心し切っているのか次第に笑顔へと転じていった。さながらその光景は家族の様であり、患者と看護師には到底見えなかった。
しかし、その尊い光景は強く開けられたドアによって終わりを迎えた。
「まったく……犯人蔵匿は刑法に定められている犯罪ですよ。今の世の中で罰金などしたくないでしょうに……さ、さっさとそこの小娘を引き渡してください、今なら上野恵と依田隼人の罪は見なかったことにしてあげますよ」
その言葉に、咄嗟に前に出ていた上野さんは肩をわずかに動かし、悩むような視線をこちらに一瞬だけ向けた。入ってきたのは昨晩にすれ違った大柄な男二人であり、こちらを見る目はまるでゴミでも見るかのような冷たいものであった。
「それに、どうやらそこにいる犯罪者は怪我などもしていないそうではないですか。でしたら医療従事者はもうお役御免ですよね? おい」
スーツ姿の男が半歩後ろにいる男に顔で合図を送ると、後ろにいた男は背中から機械を取り出し近づいてくる。
「待ってください! そもそもこの娘が犯罪者とはどういう事なのですか!」
「おやおや、邪魔をしないで頂きたい。昨今は犯罪者が多く私たちも暇でない身でしてね、一看護師にわざわざ説明する暇はないですし、義務もないのですよ」
「でもこの娘には説明する義務がありますよね、そして私は紗江ちゃんがお薬を飲んだことを確認しないといけないため部屋から出ることができません」
「……よく口が回ることで。…良いでしょう。そこの娘には住居侵入及びに窃盗、そして中央区に在住していた一ノ瀬成海を殺害した疑いがかかっています。証拠はそこの娘が持っていた財布に被害者の身分証が入っていた、そして目撃情報及び監視カメラに、被害者の自宅に何度も侵入しているのが確認されている。犯行動機は一ノ瀬成海が保有していた莫大な資産と言ったところでしょう。これで満足でしょうか?」
そう口にしながら透明な袋に入ったオレの財布を後ろの人物から受け取り、オレと上野さんに見えるようにヒラヒラと動かした。
たしかに当たり前のように自宅へと帰っていたが、今思えば姿が変わっているため、他の人からしたら知らない子供が現れ、そしてオレの家に入っているように見えたのだろう。
「そんな……」
「嘘ではありませんよ。……そしてその娘の存在が不思議でしょうがない。指紋やマイナンバーをはじめとしたあらゆるデータを漁ったところ、何一つもデータがなかった。他にもいつ生まれたのか、そして本当に人であるのかすらも。一番最初に目撃されたのは7月28日でこの日に一ノ瀬成海は消息を絶ち、代わりに鎧状の魔物が被害者の家に入るのが確認されています。そして3時間ほど経過した後に今度は鎧の魔物、ではなくそこの娘が被害者の自宅から出てきた。不思議ですよね? 出てきたのが鎧の魔物ではなく誰も見たことがない銀髪の、そして青く光る目をした小娘なのですから」
「 」
「驚きで声も出ませんか。まぁ我々も同じでしたしあなた達も被害者ですからね。そこの魔物……いえ、薄汚い魔物に騙されていたのですよ。なんと魔法少女ですら騙していた様ですし、騙されていても仕方ありませんよ。さぁ、そいつが暴れないうちに私たちが捕まえますので、道を開けてもらえませんか?」
「違う……オレは魔物じゃない、オレが一ノ瀬成海だ」
もう何も見たくない、化け物を見る様な目を見たくない。
初めて普通の人のように見てくれた人たちにそんな目を向けられたくない。警察に面と向かって言いたかった言葉は俯いた顔から僅かな声量で発せられた。とうぜん誰にもそんな言葉が聞こえてるわけもなく、コツコツと近づいてくる足音と泣いているような微かな呻き声だけが病室に響き渡った。
視界の右端に黒色の靴が映ると、ピピっという電子音が鳴り響いた。
「チッ、こんなバケモンを手錠ひとつで抑えろだと? フェローどもは無理を言ってくれる。本当に金はくれるんだろうな……」
その小さな囁きはオレにしか聞こえない本当に小さな声であった。しかし、恐怖から震えて待つしか出来なかったオレの脳を落ち着かせる大きな声でもあった。
思い返せば、こいつらは一度たりとも警察手帳を見せていない。いや、これに関しては確か市民から提示を求められない限り出さなくて良いんだったか。仮にこいつらが警察でないと考えると、オレのことを捕まえる理由は何だ? フェロー、金という二語から考えると、こいつらはフェローと言われるやつに雇われたものという考えが安パイか……いや流石に浅はかだな。事実は小説よりも奇なり、想像のつかない事態など現在進行形で体験している。
……一先ずは逃げるか。ここでこいつらが警察であろうがなかろうか金、という一語が出てきた時点で何をされるか分かったもんじゃない。
だがどうやって逃げる? 入り口はもう一人の男に完全に塞がれている。窓からは体格的に出ることはできるだろうが。見るからに三階以上、低い木だとしても二階のはずだ。……いけるな。二階ならこのままでも行ける、問題は三階以上だった場合だ。落下中に鎧になることができたら問題がない。だが、正確な変化に必要な時間と耐久面を計測できていない。失敗したら捕まるか、そのまま死の2択だ。
だが賭けるしかない。
どちらにせよ捕まったらお終いだ。
「……やってやんよ、国だか何だか知らねえが何者かの犬に成り下がった奴に捕まってたまるか。」
「あぁ? 何言ってやがる、さっさと手を出せ。午前8時3分逮捕だあ゛っ!!」
「ヒイッ……い、痛えよなぁ? こちとら25年男やってたんだ! 弱点なんか分かりきってんだよ!」
逃げるために、油断している男の股間を蹴り上げた。初めて味わうグニッとした何かを蹴った感触。今はなき己が股間もヒュンとし、声が上擦ったが問題ないだろう。
内股になってオレのベットに頭を押し付ける男が回復する前に、窓際に立ち下を眺める。階層はおそらく四階、恐怖に足が震えて、後ろの男のようにへたり込みそうになるも、ヒュンとするものは既にない。そう考えたら頭の中が無になり、不思議といけそうな感じがしてきた。
「あ゛あ゛っ!! あいづを! あのチベットスナギツネみたいな顔をしている奴をづがまえろ!」
「早まらないで! ここは股間だから!」
「うぁ ああぁ」
くぐもった声で叫ぶもの、慌てて叫ぶもの、うめき声、股間を押さえてあたふたとする大柄な男。振り返ればこれまでに無いほどなカオスな空間が広がっていた。
あまりの騒ぎに少し引き、一歩下がるとその場は何もなかった。
『あ』
「あっ……ひああぁ! へ、変人!!」
こうして、一ノ瀬成海の人生は閉じたのであった。
閲覧ありがとうございます。完結じゃないです。
投稿を始めた頃と比べて更新頻度がとても遅くなってしまい申し訳ないです。来月からはもっと更新ができるように頑張ります!目指すは月に15話以上!
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