ななこの物語(4)
気づくと、私は大学の教室で机に突っ伏している。周りは見えないけど、匂いで元の場所に戻ってきたと感じる。
顔を上げると、大きなユタがいる。
「大きくなったね。」
「あなたは僕の親戚のおばさんか何かですか?」
ゆうただ。あー怖かった。なんだあの赤い男。どういう世界観だ。本当に私の夢なのか。私の中に、あの巨大で赤い男を創り出す余地は存在しない。そんな教育は受けていない。
黒板の上の時計を見る。四限が終わる時刻になっていた。
電車に乗り込むと、二人並んで座る。
「そういえば、ななこは今日遅刻してきたでしょ。」
「うん。」
「それなのに、就活説明会のときも眠っていたでしょ。」
「うん。それで?」
「いや、ただ事実を二つ並べただけだよ。」
ゆうたは目を逸らしている。他の人が見れば、あの二人は揉めているんじゃないかな、と思うかもしれない。でも、これは私たちなりの高度なイチャイチャだ。私もゆうたもそれを十分理解した上でこの会話をしている。
これはこれで楽しいけど、そんなことよりも、さっき見た夢の話を聞いてほしい。
「そんなことよりも。」
「何がそんなことよりもなの?」
「さっき見た夢の話を聞いてください。」
「はい。まあいいや。どうぞ。」
「お昼に話した夢あったでしょ。また同じ世界の夢を見たの。教室には小さい頃のゆうたとそっくりな男の子がいました。名前はユタと言っていました。私が物語を書こうとすると怒られました。窓の外には、信じられないくら
い巨大で真っ赤な男が、にんまりと笑ってこっちを見ていました。」
「ななこの頭の中ってどうなってんの?」
「え、どうなってんの?」
「いや、おれに訊かないでよ。」
私は漠然とした会話がとても好きだ。曖昧な言葉の間で揺れていたい。
私はゆうたにきく。
「なんか、意味とかあると思う?」
「あー。無意識が夢に現れるみたいな?」
「そうそう。」
「そうだね。でも、ユタ?はさ、おれといつもいるから出てくるのはそんなに不思議でもないと思うんだよね。あと、物語を書こうとして怒られたのはさ、ななこ自身が書いている場合じゃないって思ってるとか。就活もあるし。」
「たしかに。それらしいことを言うね。」
「それらしいでしょ。」
「じゃあ巨大な赤い男は。」
「それは、完全にバグです。」
なにバグって。私は笑いながら言う。
「なんで神様は、私を作るときにそんなバグを仕込んだの?」
ゆうたも笑う。
「いや、神様も忙しいからさ。ちゃんと作ったつもりだったけど、気づいたらバグがあったって感じだと思うよ。そんなに責めたらかわいそうだよ。」
「気づいたら、夢の中に巨大で真っ赤な男が出てくるバグがあった?」
「もうやめな。神様を責めるのは。」
「そうね。やめることにする。」
「でも、同じ世界の夢を見続けてるのはけっこう不思議だね。」
「そうだよね。」
私は窓の外を見る。住宅地。遠くにアパート。ベランダに洗濯物が干してある。ワイシャツが何枚かと、白の長袖のインナー、靴下、ハンカチ、トランクス、タオル、たぶん、一人暮らしの男の人なんだろうな。あ、私、人の家の洗濯物見すぎかな。
「ななこ。何を真剣に考えてるの?」
「うん。」
「『うん』だって。」
私もゆうたも、その後は会話を交わさなかった。車窓からは夕日が差し込み、淡い橙色に車内は染まっていた。そんな雰囲気を、私たちは最寄り駅まで無言で楽しんだ。
夜ご飯は、コロッケと切り干し大根の煮物、ちぎったレタスにプチトマトののってるシーザーサラダ、なめことねぎの味噌汁に、あきたこまち。それと、静岡茶。たまに、こうやって一つ一つ確認している。やっぱり、ゆうたの言った通り、バグが仕込まれているのかもしれない。
コロッケはお昼も食べたけど、おばあちゃんが作った方がおいしい。あまり甘くなくて、じゃがいもの味がしっかりする。私は、まずはじめにコロッケに手をつける。おじいちゃんとおばあちゃんはサラダから食べている。
プチトマト。食べ物の彩りが足りないとき、おばあちゃんはよくトマトをサラダに添える。私は嫌いだけど、出されたら我慢して食べる。残すのはよくないから。
「就活はどんな感じだ。」
おじいちゃんはレタスをしゃきしゃき食べながら言う。
「まあまあ。」
「そいつはいいや。」
「そうかな。」
そうかな。そうなんだ。ならいいんだけど。おばあちゃんが口を開く。
「まあまあって言ったじゃない。」
「言った。」
「そしたら、おじいちゃんが『そいつはいいや』って言った。」
「言った。」
「何か問題があるかしら。」
「でも、本当にまあまあうまく言っているんだったら、『まあまあ』っていう曖昧な返事じゃなくて、もっと具体的に『〜になりたいから〜系の会社を受ける』とか言ってると思う。」
するとおばあちゃんは間髪入れずに言う。
「そう思うならそうなんじゃないの?」
そして二人とも笑っている。私は、笑いながらもむきになって言う。
「生徒にもそんな回りくどいやり方するの?」
二人は言う。
「まあまあ。」
「まあまあ。」
「え?なにそれ。」
おじいちゃんは言う。
「いや、なんでもいいよ。そういう時期だから一応訊いてみたけど。」
「一応。」
「そう、一応。」
おじいちゃんは笑いながら続ける。
「別に就職しないでいつまで家にいてもいいし。まあ、おれらが死んだら困るかもしれないけどな。」
おばあちゃんは言う。
「どうだろうね。なんとかなるかもね。でも、ゆうたくんが働いて稼げば問題ないかしら。」
「ゆうたにも言っておく。」
おじいちゃんは少しびっくりしている。
「え。結婚するのか?」
私はすぐに訂正する。
「いや。まだ付き合ってもいないよ。」
「そうかそうか。でもするなら早くしてくれよ。しばらくは死なないけど、のんびりしてるとおれらもボケるかもしれないからな。」
「うん。考えとくよ。」
おばあちゃんの顔が一瞬曇ったように感じた。気のせいだろうか。
私の思考は、ゆうたとの結婚式のことへと飛ぶ。
やっぱりウェディングドレスは着たいな。友達は誰を呼ぼうか。ゆうたとの今までの日々をスライドにしてまとめたいな。あ、かける音楽はどうしようか。aikoの曲をずっと流していようか。でも、ゆうたの好きなミスチルの曲も何曲かは入れてあげないといけないかな。
おばあちゃんの声で、あるべき世界に引き戻される。
「ななこ。今何考えてたの?」
「もちろん結婚式。」
「就活と結婚はなんでもいいけど、ご飯は早く食べちゃいなさい。」
ご飯を食べ終えると、お風呂に向かう。お風呂は、毎日私が洗ってお湯を張っている。他には食器洗い係、玄関掃除係を兼任している。でも、逆に言うとこれしか家のことはやっていない。とてもいい身分だ。おじいちゃんは、洗濯係、掃除機係(掃除係ではない。掃除機でホコリを吸う係という意味)を担っていて偉い。でも、おばあちゃんは、その他のすべての係を担っているので、やはり一番偉いのはおばあちゃんだろうか。
私は、服を脱ぐと洗濯機にいれると、浴室に入る。そして、イスに座ると体を洗い始める。
おじいちゃんとおばあちゃんは、高校の先生だった。どちらも数学だ。遺伝子がうまく伝播したのか、私が高校の時まで一番得意だった科目は、数学だった。でもそれは、定期テストの点数が高かったというだけで、本当の意味で数学が得意だったのかはわからない。 ちなみに、私は今、文系の大学に通っている。高校のときまで数学が一応得意科目だったのに。理由は、ゆうたが文系だったから。おじいちゃんもおばあちゃんも、私が「ゆうたが文系だから私も文系にする」と正直に言っても、反対一つしなかった。そしてこの選択は、今考えても良い選択だったと思う。
体が洗い終わると、湯船に浸かる。私は、体育座りの状態から、浴槽の縁に後頭部を乗せ、天井を見上げる。そして、息を長く「ふー」と吐きだす。浴室内は湯気が充満している。しばらくすると、頭を起こし、今度は、お湯をすくってはこぼすことをくり返す。ふと、両の手のひらを見る。当たり前だけど、これは私の両手だ。この先もずっと。たぶん、いつもこうやって両手を見ているんだろう。ただ、今日はいつもと違う。いつもとは違って、意識的にこの動作を行っている。「両手を見ている」と頭の中で言語化された上で私はこの動作を行っている。
右手を見る。中指が不規則に振れることに気づく。そしてそれに気づくと、薬指も振れていることがわかる。次には左手の中指、薬指。たまに小指も振れる。私は、手の感覚が気持ち悪くなって、両手を握り合わせる。もう手を見るのはやめよう。
思考は、夢で見た世界に移る。
空を飛んだこと、海の中で魚たちが踊っている姿、ユタが頭に思い浮かぶ。それから、地面に叩きつけられたこと、巨大な赤い男も思い出してしまう。
なんであんな夢を見るんだろう。この夢にはどんな意味があるんだろう。こんなこと、考えてもしょうがないのに、どうしても考えてしまう。意味をつけないと、私の脳が納得しないんだろう。それに、意味をつけないと、物語として書くことができない。
気づくと、私は何十分もお湯に浸かっていた。早く出て、書きながら考えよう。
自分の部屋に来ると、考えをノートに書き出す。
・空を飛んだり好きな格好ができたり
・好きな格好になれる
・想像が現実になる世界?
・ショーは誰かの想像をみんなで見ている?
・切り貼りみたいな空 ←誰かの想像?
・巨大で真っ赤の男? ←これも誰かの想像?
・探検隊の格好? ←わからない
・学校では何を学ぶ? ←わからない
・教室でノートに物語を書こうとするとユタが怒る ←わからない
・最初に見た夢でなぜ落ちた? ←わからない
・「想像を現実にする力」長い ←IP←ださい?
・みんながIPを使うと矛盾が起きそう ←制限があることにする?
↖︎それとも自然とそうならない?
しばらく考えたけど、もう「えいや」と書いてしまうことにした。それに、作り話だから、私の好きなようにすればいい。よくわからないところは別にわざわざ書かなくてもいい。
『ナコの物語(下書き)』
この世界では、想像を現実にすることができた。人々はその力のことをIP(Imaginat -ion Power)と呼んだ。これは、そんな不思議な世界に住む少女、ナコの物語。
IPは、この世界では当たり前の力だった。それは、時間が過去から未来にしか進まないという事実と同じくらい自明なことだった。そしてこの力は、皆に平等に与えられており、基本的には自由に使うことができた。でももちろん、他者の自由を阻害しない範囲において自由、という意味だ。例えば、ナコがトマトを世界から消すことを想像し、現実にしようとしたとしても、それを望まない者が一人でもいたら現実にはならない。
(ちなみに、ゆうたはトマトがとても大好きだ。「ナコの物語」に戻る。)
ある日、ナコは劇場に向かう。空を飛んで。もちろんIPだ。
劇場ではIPを利用したショーが行われる。作者の想像を観客は体験することができる。今日は海のショーだ。
ナコはショーを見る(詳細あとで)。
ナコは、この劇場が大好きだ。将来、ナコはここの支配人となり、観客を楽しませるようなショーを作りたいと考えている。(?)
ある日、ナコは友達のユタと学校の廊下を歩いていた。ふと窓を見ると、大きな赤い男が現れた(詳細あとで)。
パソコンを起動する。そして、ノートの下書きを打ち込む。私は無心になってキーボードをカタカタと鳴らす。海のショーや巨大な赤い男(怖いけれどやっぱり書こう)の出てくる箇所は詳細を書き加える。あっという間に打ち終わる。そして、打ち込んだファイルはゆうたに送る。パソコンの画面、右下の時間を見る。もうすぐ二時になろうとしていた。どうやらあっという間ではなかったらしい。
パソコンの電源を落とすと、私はベッドに潜り込む。目をつぶっても、ナコの世界がぐるぐると頭の中を回っているでも、気づくと私は、またその世界に入り込んでいた。