ナコの物語(3)
「ナコ!起きろナコ!」
声がする。私は机に突っ伏している。ということは、信じたくはないけど、つまり私は眠っていたということになるんだろうか。たしか、職員が入ってきて、資料を配って、パソコンの準備をして、、、残念ながら私の記憶はそこまでしかない。
顔を上げると、ゆうたがいる。でも、ゆうたはゆうたでも小さい頃のゆうただ。
「ゆうた?」
私は目をこする。あーそうか。また私は夢を見ているんだ。ゆうたの格好を見てそう思う。探検隊の服と帽子を身につけている。周りは、小学校の教室のように見える。
「誰だその男は。」
男の子版ゆうたは、顔をしかめながらも左の口角だけは上がっている。名前はゆうたではないのか。そうだ。私は「ナコ」と呼ばれていた。
「ウタ。」
「そいつも誰だ。」
一文字目を無くす仕組みだと思っていたけど違った。じゃあたぶん、
「ユタ。」
「はいそうです。私の名前はユタと申します。初めまして。お世話になります。」
ゆうたの男の子版であるユタは、わざとかしこまって頭を下げる。とてもかわいい。そういえば、小さい時のゆうたはこんな感じだったかな。
ユタが顔をあげても、しばらく私は顔をじっと見つめる。そして、あと少しで頭をなでそうになる。
「ちょっとちょっと。何してるんですかナコさん。」
ユタは私の手を優しく除けると、少し心配そうな表情になる。私は、なぜかこのタイミングで、やっぱりこの夢は物語として書こう、と決意する。机の上を見ると、ちょうど開いたノートとペンが置いてある。
私はペンを手に取ると、すぐに夢のことを書き始める。
「ナコ。急に何書いてるの。」
「いや、この夢のことを物語で書こうと思って。」
するとユタは慌てて私のペンを取り上げる。
「ちょっとちょっと。」
ユタは真剣な顔をしていた。少し怒っている風にも見える。なぜそんな表情をしているのかはわからないけど、とりあえず今は謝った方がいい気がした。
「ごめんね。わけのわからないことをして。」
「いやいや。ごめんごめん。」
ユタは首を振りながら表情を和らげ、取り上げたペンを私に渡す。
少し気まずい間が空いてから、ユタは目を合わせずに言う。
「ナコ。じゃあ、そろそろ帰ろうか。」
私は、机の横にかかっている帽子とリュックをとり、とりあえず机の上のノートと筆箱をしまう。次に机の中を覗く。教科書っぽい本がたくさん入っているけど、これはたぶん置いていくんだろうな。
私は、まだ続いている気まずい雰囲気を壊すために、わざと大きな声を出す。
「よし!帰ろう!」
「急になに!うるさいよ!」
ユタは笑いながら目を見てくれた。とりあえず安心した。私はユタに嫌われたいとは思わない。どっからどう見てもゆうただから。
ユタは、先にドアに向かって歩き出す。私もそれについていく。部屋を出る前にもう一度部屋の中を見回してみる。普通の小学校の教室に見える。
「ナコ。帰るんでしょ。」
「うん。帰るよ。」
廊下に出ると、並んで歩く。私が窓側だ。外を見る。いつも見るのとは違う空が見える。それは、この前夢で見た空とも違っている。切り貼りのようだった。印象派の絵画のようにぼやけていたり、漫画のようにはっきりと雲が描かれていたりする。太陽は子供の落書きのような歪な形をしている。
そして、その男はいきなり現れる。
ゆっくりと流れてきた。左から。その大きさは、頭部だけで窓枠を覆い尽くしてしまうほどだ。しかも、色は真っ赤。画像編集で塗りつぶしたように塗りムラのない綺麗な赤。進行方向を向いて流れていたのに、徐々にこちらに顔を回転させている。不安になるくらいにんまりと笑っている。私は、この異様な光景に恐怖を感じずにはいられない。足がガクガクする。窓から目を逸らして横のユタを見る。窓の外の状況には気づいているようだけど、別に慌てたり怖がったりはしていない。当たり前のようにただ見ているだけ。
私は、もう窓の方は見ないようにして、ユタの顔を見ていた。でも、そのユタの顔が、だんだんと歪んでいく。異様なのは空だけではないようだ。いや、本当の意味で狂っているのは私なのかもしれない。これは私の夢で、すべて私の頭の中で想像された出来事だ。
私は、窓もユタの顔も見れずに足元を見るしかなくなる。でも、やがて自分の足はだんだんと薄くなっていく。もうだめだ。どうしようもない。
私はしゃがみ込んで目をつぶる。
「ナコ。どうしたの。おい。ナコ。ナコ!、、、」
ユタの声がだんだん遠ざかっていく。