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ななこの物語(3)

 目を開けると、前の席には、携帯を一生懸命見ているおじさんが座っている。その奥の窓を見ると、見慣れた景色。そろそろ大学の最寄駅に着く頃だった。



 こっそりと教室に入る。教室を見回すと、一番後ろにゆうたが座っているのが見える。私は、音を立てないようにゆうたの隣に座る。


「ななこ、二限が始まるのは十時半だって知ってる?」


 ゆうたがにやにやしながら小声で言う。私は眉をひそめて軽く返答する。


「そうなんだね。忘れてたよ。」


 こんなことを言っているけど、ゆうたは基本的には優しいやつだ。たぶん、頼まなくても後でノートの写真を撮って、私に送ってくれるだろう。


「まあそれはそれとして。ななこは今日の就活説明会出る?ここの教室でやる。」


 そう、もうそんな時期だ。私もゆうたも大学三年生で、今は十二月。


「うーん。とりあえずね。」


「そうかそうか。じゃあ一緒に出よう。」 


 授業はもう終盤になっていた。黒板にはピラミッド型の階層が書かれていて、階層にはそれぞれ名前がつけられている。大学生になってからこのピラミッド型の図を何度見ただろう。中身は違えど、基礎となる部分は一番下にあり、それを十分満足するという前提でその上に層が積み重なる。発達の段階だったり、理解の段階だったり。


「概念の中にいくつかの概念が含まれる場合があります。その場合、含まれる方の概念よりも、それを含む概念の方が階級としては下の層、つまり、より基礎の概念と考えることができます。そして、概念には、潜在的に、より下の層に向かおうとする力が働いています。」


 教授の話は全く耳に入らない。日本語で話しているな、くらいの情報しか得られない。教卓の前まで飛んでいって、その広いおでこをペチンとしてやりたい。


 黒板の上の時計を見る。あと少しで終わりだ。



 授業が終わると、ゆうたと一緒に食堂に向かう。朝ごはんを食べてから移動しかしていないけど、なぜかお腹はしっかりと空いていた。


 ゆうたはカレーライス大盛りにサラダセット、私はコロッケ定食を受け取り、席に着く。夢のことをゆうたに話す。はじめはカレーを食べることに夢中だったけど、だんだん気になり出したのか、途中からは、手に持ったスプーンを置き、私の方を見ながらちゃんとうなずきながら聞いている。


「いい夢だね。おれも空飛びたいな。」


「でも、落ちるかもよ。落ちたら、痛くはないけど、体はぐちゃぐちゃになる。」


「今おれカレー食べてるんだけど。」


「それは申し訳ない。」


 ゆうたは再びスプーンを持ち、カレーをすくったところで手を止める。


「それさ、書けば?」


 私がいつも書いているノートのことを言っているんだと思う。小さい頃から、私はノートに物語を書いている。いや、物語というよりも妄想の方が近いのかもしれない。こうだったらいいな、と思うことを自由に書いている。他の人に見せたことは一度もない。でも、もちろん、絶対に見られて困るようなことは書いてはいない、と思う。万が一、もし万が一、誰かに見られたとしても、「やー恥ずかしい」と赤面することですむくらいのことしか書いていないと思っている。


「もしこうだったらなって想像するのが楽しくて書いてるから、夢で実際にあったことを書くんじゃ意味ないよ。ただの記録じゃんそれじゃあ。」


「あら、そうかい。」


 気づくと私は、お味噌汁を一口食べただけで、まだ一口もコロッケに手をつけていなかった。


「書いたら読ませてよ。」


 ゆうたは話を聞いていなかったんだろうか。


「私の話聞いてた?」


「うーん。」


 聞いていない。


 ゆうたは、お皿に少し残ったカレーをかきこむと、立ち上がる。


「ななこは三限は空きコマか。」


 時計を見ると、あと少しで十三時になるところだった。


「そう、空きコマ。就活の説明会って四限だよね?」


 ゆうたはリュックを背負い、空の皿を載せたトレーを持ち上げる。


「そうそう。じゃあ、もう始まるから行くね。またあとで。」


「うん。またね。」


 私はやっとコロッケを一口食べる。もう冷えてしまっている。そんなに私、ずっと話してたっけな。まあいいや。冷えてもコロッケはおいしい。食堂のコロッケが特別おいしいと言っているわけではなく、『コロッケ』の持つ高いポテンシャルのおかげで、食堂のコロッケであっても満足できる、という意味だ。


 さっきはゆうたに書かないと言ったけど、実は少し、書きたいな、とも思っていた。誰かにこの話を伝えたいとなんとなく思っていた。そんなことを考えながらお米を箸ですくい、口に運ぶ。



 コロッケ定食を食べ終えると、図書館に向かう。午前の講義のノートを写そうと思った。もちろんノートの写真はさっきゆうたから送ってもらった。


 図書館に入ると、仕切りで一人一人区切られている自習机に向かう。携帯を机のコンセントにつなぐと、ゆうたがさっき送ってくれたノートの写真を見る。そして、バッグから筆箱とノートを取り出して、写し始める。でも、内容は一切頭に入ってこない。ただの手動コピーをやっているだけだ。ゆうたの文字は丸くてかわいいな、とか考えながら書き写す。逆に私の字は、ゴツゴツしてるし読みにくい。


 ご飯を食べた直後だからか、それとも単純作業をしていたからか、眠気がまた襲ってくる。このまま突っ伏して眠ってしまおうかとも思ったが、せめてこれが全部写し終わってからにしようとなんとか耐える。でも、写している途中でだんだん意識が飛んでノートに変な線を何回も引いてしまう。そしてついには眠って、、、しまわないようにぎりぎりのところで耐える。


 目を覚ますために、図書館内をふらふらする。すると、偶然、さっき授業をしていた教授の本を見つける。


 『概念の階層と階層遷移 入門』


 『入門』と書いてある本では入門できない。私は今まで大学に通って学んだことの一つだ。でも、一応履修している授業の内容っぽいから手に取る。



 概念を階層として捉える。例えば、『時間』という概念を、一番基礎となる階層、つまり、第一層に設定することにしよう。すると、『未来』や『過去』といった概念は、第二層に設定することができるだろう。『時間』という概念があるからこそ、『未来』や『過去』といった概念には意味が生まれる。


 

 何ページかめくる。



 現在属している階層とは違う階層に概念が移ることを『階層遷移』というが、どの概念にも、より下の階層に移ろうとする力が働いている。



 やっぱり、さっき授業で先生のとこに飛んで行って、おでこをペチンと叩いた方が良かったかもしれない。何を言っているのかわからないし、たぶん私の人生でこの考えが必要になることはない。断言してもいい。


 チャイムが鳴る。壁にある時計を見る。四限の始まる時間だった。あれ、三限が終わるチャイムって鳴ったっけ。



 私は急いで教室に入る。ゆうたは、午前の講義と同じ席に座っていた。私もその隣に座る。良かった。まだ始まっていないようだ。


「もう来ないと思ったよ。」


「私もそう思ったよ。」


 進路担当の職員が前の扉から入ってくる。そして、資料を配ると、黒板の上からスクリーンを下ろし、パソコンの準備を始める。

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