ナコの物語(2)
気づくと、夕方の街を飛んでいた。昨夜見たのと同じ街に見える。石造りの同じような家が並ぶ。私はその間の道を飛んでいる。家よりも少し高い位置で。
道の両側には、緑が生茂った木々が並んでいて、道路には、昔のビートルみたいな車が何台か往来している。
私は、また昨夜と同じ男の人になっているんだろうか。そう思って体を見ると、格好は昨日と同じ探検隊だった。でも、何となく女の子っぽかった。もっと言うと、私の小さい頃のように思える。
飛んでいる道の先に視線を向けると、そこには円い大きな広場が見える。真ん中には噴水があり、奥には劇場がある。見たことはないけど、たぶん、オペラ劇場ってこんな感じなんだろうな、と思う。
それにしても、なんで昨日の夢と同じ世界の夢を私は見ているんだ。満場一致(私を構成する細胞の一つ一つが。)で史上最悪の夢だったのに。地面に叩きつけられた時の感覚を思い出してしまう。だめだ。早く目覚めないと。そう思って(目覚めろ)と念じる。でも、いくら念じても目覚めさせてはくれない。おかしいな。私はこんなにも完璧に、これが夢であるとわかっているのに。
仕方なく、私はまた、しばらくこの街を飛び続ける、という選択をする。できるだけ低空飛行で。
今まで気づかなかったのか、それとも今まではいなかったのか、どちらかはわからないけど、視線を上げると、飛んでいる人が何人もいるのが見える。多くの人は、私が惰性で向かっている広場に向かっているようだ。
大人の男性はタキシードを、女性はドレスを着ている人が多い。子供はみんな様々な格好をしている。背中にマントをしたスーパーマンのような男の子、鮮やかな赤色のドレスに頭にはティアラ、背中にはアゲハ蝶のような羽が生えている女の子、他にも、プテラノドンのような羽をつけている男の子や、宇宙飛行士のような格好をしている女の子など、子供によって姿は様々だ。どれも、その子が憧れている姿なんだろうな。
最近私は、空を自由に飛ぶ妄想をしていることがよくある。教授のつまらない授業を聞いているときなんかは特に。みんなの上を自由に飛び回って、つまらない話をしている教授の頭をペチンと叩いたりしたい。だから(だから?)、突然落ちて地面に叩きつけられるなんてことがあったらもちろん嫌だけど、空を飛ぶこと自体はそんなに悪い気はしない。
私は、ほとんど無意識に、空高く飛ぶ自分の姿を想像する。すると、次の瞬間、体はふわりと持ち上がる。鼓動の間隔が狭くなるのを感じる。手には汗。
高度はどんどん上がる。そして、背中には、急に綺麗な白い翼が生える。でも、翼が生えてから、無意識に翼の生える想像を私はしていた、ということに気づく。
高度はまだまだ上がり、今、私は、街が一望できるくらい高い位置を飛んでいる。
街は綺麗な円形で、その周りには草原が広がっている。そしてさらにその外側には、荒地や森が広がっているのが見える。海は見えない。
低いところを飛んでいる時に見えていた劇場のある広場は、街の中心に位置している。その広場からは放射状に道が出ていて、その道をつなぐように何重にも円形の道がある。バウムクーヘンみたいだな。
街の風景をひとしきり眺めると、高度を下げて劇場に向かう。
劇場にたくさんの人々が入っていくのが見える。大人も子供も割合は大体同じくらいかな。でも、お年寄りの姿はない。見る限りだと一人もいない。
広場の真ん中、噴水の前に降り立つ。劇場は目の前に見える。
劇場を改めて眺める。夕日に照らされて厳かな雰囲気があるけど、どこか懐かしい感じもする。外壁には石像が一面に彫られていて、屋根の両側には金色の天使の像が外側を向いてラッパを吹いている。これは名古屋城の金のしゃちほこみたいだな。
噴水の周りには、アコーディオンを奏でている人や、パントマイムをしている人などが何人かいる。私はそれを横目に見ながら劇場に向かう。入り口の前まで来て、背中に目をやる。(ちょっと中に入るにはこの翼は邪魔だな)と思う。すると、すぐに翼は小さくなり、ついには跡形もなく消える。なんだ。そんなこともできるのか。
中に入ると、やはりたくさんの人がいる。何が行われる場所なのかはわからないけど、それぞれがこれから始まる何かを楽しみにしているようだった。
時間になったのか、会場の扉が開き、みんな一斉に中に入っていく。私もその流れに乗って中に入る。
会場に入ると、一番後ろの右の席に座ることにする。場内は、建物の外観から予想したように、オペラをやるようなところに見える。でも、どこを見ても、舞台が見つからない。これでは、ただの広い空間に人が集まって座っているだけだ。
場内の明かりが一瞬にして消える。今までガヤガヤと話していた観客からは歓声が上がる。ライブ会場のような盛り上がりだ。
「お集まりいただき、大変ありがとうございます。まもなく開演いたします。」
アナウンスが聞こえると、観客は静かになり、場内は静寂に包まれる。アナウンスの声には聞き覚えがある。誰だったかな。記憶の中にある色々な声を探っているうちに、私は別の世界に飛ばされる。
海の中。
完全に海だ。海面から漏れる光は、ゆらゆらと私たち観客を照らしている。しかも、さっきまで座っていた観客たちは、私も含め、みんな人魚のような格好になっている。
耳には、水の中なのに、愉快な音楽がはっきりと聴こえる。リズミカルなドラムに煌びやかなトランペットの音、暖かいクラリネットの音が耳に心地よい。
気づくと、私たちの周りにはたくさんの魚が、音楽に合わせて踊るように泳いでいた。ショッキングピンクの魚、真っ赤な口紅のような色をした魚、他にも、様々な色の魚たちが私たちの間を泳いでいる。
夢のような光景だな、と思って、私はすぐに恥ずかしくなる。『夢のような光景』ではなく実際に『夢の中の光景』だこれは。私はこれを、大学に向かう電車の中で見ている。
音楽が終わると、あたりは急に暗くなる。
次に明るくなったとき、私は、元いた会場の席に座っていた。
「本日もお集まりいただき、ありがとうございました。今日の公演はこれで終了になります。お気をつけてお帰りください。」
アナウンスが聞こえると、観客は席を立ち上がる。
「今日もまたすごく綺麗なショーだったな。」
「あのピンク色の魚は流石にやりすぎだろう。」
観客は楽しそうに会話をしながら出口に向かう。もちろん、みんな興奮はしていたけど、それは日常の範疇を出
ない範囲のようだ。とんでもない世界だな。でも、これは私の夢だから、とんでもないのは私ということになるのだろうか。
劇場を出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。広場の真ん中にある噴水は明るくライトアップされ、広場全体も外灯でほんのり明るく照らされている。
私は、もう少しこの夢の中で遊びたいと思うようになっていた。
空高く飛ぶ想像をする。すると、やはり体はふわりと舞い上がる。背中を見ながら、翼はちょっと恥ずかしいかなと思っていると、その気持ちが伝わったのか(誰にか伝わったのかはわからないけど)、今度は翼は生えてはこない。
空の方を見ながらどんどん上がる。目線の先には半分に欠けた月があり、その周りには一面に星が輝いているのが見える。
街が見渡せる位置まで来ると、その位置にとどまり、街を見る。街の真ん中の広場は明るいけど、その周りは、外灯が控えめにあるだけで、落ち着いた雰囲気だ。
私は、そんな街の風景をしばらくぼんやりと見つめる。すると、だんだんまぶたが重くなるのを感じる。街の景色がぼやける。もう少しこの雰囲気に浸っていたいけど、眠気には勝てず、ついには眠り込んでしまう。