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ななこの物語(2)

 私はやっと目を覚ます。全身汗でびしょびしょだ。すぐに電気をつけ、現実感覚を取り戻そうと努める。


「ちゃんと夢だったんだな。」


 自分に言い聞かせるように小さく呟く。窓の外は、眠る前に降っていた雨がまだ降り続いている。風で窓はバタバタと鳴る。


 そう簡単に落ち着くこともできず、ただ天井の明かりを見つめてしばらくぼんやりとしていた。


 時計の針は二時を指していた。


 朝になって目を覚ます。ベッドから起き出ると、カーテンを開ける。さっきまでの天気が嘘のように、雲ひとつない青空。日差しで目の奥が痛い。私は、目が光に慣れるまでしばらく空を眺める。


 ふと、昨日の夢を思い出す。たぶん、足から着地したんじゃないかな。


 人間の体はほとんどが水でできている。これはよく聞く話だ。私が地面に叩きつけられたとき、それは、雨が地面に落ちて跳ねるのと大差なかった。目をつぶっていて本当に良かったな。


 元気な声がして、視線を下ろす。家の前を走っていく小学生が二人。たぶん兄弟。色違いのセーターを着ている。お兄ちゃんが紺色で、弟は赤色。それぞれ胸に大きく「K」「T」と書いてある。サザエさんみたいだな。


 私は、寒くなってもう一度ベッドに潜り込む。いい天気だけど寒い。枕元の携帯を開く。どうやらアラームは私の手で解除されたらしい。五分ごとに四回鳴らしたのに。ついでにSNSを開く。親指でスライドして流し見る。そして、見たことある投稿までさかのぼると、携帯を閉じ、ベッドから出る。


 タンスまで素早く移動すると、白のパーカーと暖かい厚手のインナー、裏地がもこもこの黒いジーンズを取り出す。そして、再び布団の中に潜り込む。私は、布団の中で震えながら着替える。タンスから取り出してきた服はまだ冷たい。服が体温に馴染むまでしばらくじっとする。また携帯を開き、SNSの投稿を眺める。当たり前だけど、さっきと同じ投稿が並んでいる。


 

 階段を降りてリビングに行くと、おばあちゃんはテーブルの前に座ってテレビを見ていた。私が「おはよう」と言うと、おばあちゃんは「おはよう」と言って立ち上がる。そして、食器棚から茶碗とお椀を取り出し、お椀を私に渡す。


「お味噌汁は自分でよそって。」


「はーい。」


 おばあちゃんは炊飯器の前でご飯を、私は鍋の前でお味噌汁をよそう。豆腐がたくさん入っている。


「おばあちゃんは朝ごはん食べた?」


 何言っているのという顔で少し笑いながら、おばあちゃんは言う。


「もうとっくに食べたわよ。」


 何時かと思ってテレビを見ると、八時五十五分だった。ニュースの最後に星座占いをやっている。


「ななこ。ぼーっとしてないで早く食べちゃいなさいよ。」


「うーん。」


 私は、お椀にお味噌汁をよそったままの姿勢でしばらく星座占いを見ていたけど、お椀をテーブルに置くと、席につく。あ、お箸。


「ななこ。はい。」


 おばあちゃんの手には箸と納豆。


 私は受け取りながら言う。


「あれ、おじいちゃんは?」


 おばあちゃんはわざとらしく区切って言う。


「おじいちゃんは、朝起きて、散歩に行って、一回帰ってきて、新聞を読みながら朝ごはんを食べて、ゆったりと朝のニュースを見てから、さっきドライブに出かけました。」


「ほうほう。」


「何がほうほうよ。早く食べて大学行きなさい。」


「はーい。」


 お味噌汁を一口すする。自然と「ふー」と声が漏れる。薄味で出汁が効いていて、優しい味がする。大学の食堂とは全然違う。大学のは、濃くて出汁が効いてなくて、まあ、それはそれでおいしかったりする。


 納豆をかき混ぜる。


「第十位は、おうし座のあなた。友達と些細なことで大喧嘩。気のおけない友達だからこそ、感謝の気持ちは忘れずに。ラッキーアイテムは、」


 ラッキーアイテムは?


「薄味で出汁が効いていて、優しい味がするお味噌汁。」


 そんなことあるかな。でも、助かった。おばあちゃんありがとう。


 朝のニュースが終わると、ワイドショーが始まる。海外のコンビニ強盗の映像が紹介されている。覆面の強盗は、拳銃で店員を脅すと、持ってきたバッグにお金を詰めさせる。でも、バッグが重かったのか、逃げるときに転んでしまい、その拍子に手を滑らせて拳銃を店員の側に落としてしまう。店員は急いで拳銃を手にとり、強盗に向ける。コミカルなアテレコと効果音。私は、(同じようなの何回も見たことあるな)と思いながらも、チャンネルは変えずにしっかりその映像を最後まで見る。


「百回かき混ぜるとおいしいんだってね。」


 おばあちゃんは口を尖らせながら言う。気づくと、私は信じられないほどずっと納豆をかき混ぜていて、納豆は完璧な仕上がりになっていた。


 私はテレビを見るのをやめ、ご飯をある程度急いで食べる。そして、食べ終えると食器を洗おうと流しに向かう。私はこの家では食器洗い係だ。


「いいからいいから。ななこはもう支度して大学行きなさい。」


 私は「ありがとう」と、気のおけないおばあちゃんに感謝の意を述べてから、それなりに急いで支度を済ませて外に出る。


 駐車場には、ホンダの軽自動車が止まっている。かわいい水色。私は毎朝見るたびに、(あ、ホンダの軽自動車だ)と思う。そして、運転席側の窓に映る自分の顔を見て、前髪を軽く整えてから家の敷地を出る。


 隣のゆうたの家を横目に歩く。教室で座っているゆうたの姿が思い浮かぶ。


 私とゆうたは、同じ大学に通っている。もっと言うと、幼稚園、小学校、中学校、高校も同じところに通っていた。


 ゆうたとはとても仲がいい。でも、付き合ってはいない。私はゆうたのことが好きだし、ゆうたも私のことが絶対に好きだ。そういう曖昧な状況を双方楽しんでいる。もうそれはそれは大変な変態だ。



 十分ほど歩くと、駅の前まで来る。駅前は楕円のロータリーになっていて、真ん中には、ベンチが置かれているだけの簡素な広場。そしてその周りは、ファストフード店やコンビニなどが並んでいる。その並びにある喫茶店の中を、私はなんとなく見る。三十年前にはもうあったとおじいちゃんは言っていた。おばあちゃんくらいの歳の女性がマスターをやっているらしい。今はまだ開店前らしく、店内は暗かった。私はこの喫茶店には入ったことがない。


 駅の階段を登る。前から化粧の乱れたお姉さんが降りてくる。私は横目でその人を見てしまう。お姉さんは申し訳なさそうにしているように見える。思うに、このお姉さんは別に悪いことはひとつもしていない。自らの規範意識が自分を縛っているだけだ。


 階段を上り切ると、改札に向かう。私の前の男子大学生は、改札機にICカードを叩きつけるようにして通って行く。別に怒っているわけではなく、ただの癖なんだろう。


 私は、そっとICカードを当てると、改札を通り抜ける。


 ホームに降りると、いつもの位置に向かう。どこでもいいけど、一度決めると変える方が面倒だ。


 電車が来るまでは、携帯を見ているか、駅の向こう側にあるラブホテルをぼんやりと眺める。『ホテルピンポン』という摩訶不思議な名前。外壁は薄いピンク色で、男女が卓球をしている絵が大きく描かれている。ずいぶん前からここにあるんだろう。外壁は所々剥げている。卓球をする男女は、顔が描かれていない。どんな気分で卓球をしているんだろう。外壁にこのえが描かれるためには、過去に誰かが「卓球する男女の絵にしよう」と言って、誰かが「そうしよう」と言ったことになる。絵よりもその事実の方が摩訶不思議だ。


 電車がホームに入ってきて、『ホテルピンポン』は視界から消える。電車に乗り込むと、空いている席に座る。


 大学の最寄り駅までは二時間もかかる。大学に入学した当時は、通学時間のことは気にしていなかった。むしろ、英語の勉強をしたり、本を読んだりと有意義な時間にできると思っていた。でも、それはただの理想にすぎなかった。席に座ると、自然と手には携帯があり、SNSのアプリを開いている。一日一人の人間には二十四時間もの時間が与えられているのに、そのうちの四時間は無駄な時間を過ごしていることになる。そして、それを今まで通った二年間分で計算すると、のところでいつも考えるのをやめる。失ってしまった時間は戻ってこないから。それよりも、これからどうするかということが大事なのだ。


 私は席に着くと携帯を開く。そして、すぐに寝る。


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