5.小休止と食事
海と大地はひとまずの完成を見た。普通に行けばこれから天、すなわち神々の住まう天界を創ろうという流れなのだが……。
「住むのは。地上でも。……いいんじゃない?」
エウラシアがそう言いだしたのだ。聞けば、エウラシアたちは元々地上の高い山に住んでいたらしい。
山の名はオリンポス。神々が天へ遷都するときにそのまま名前を引き継いだのである。
「私は。……ニンフだから。できることなら。大地と共に。ありたい」
珍しく悲しげに微笑みながらいうエウラシア。しかし、ツツミもレカエルもそれなりの時を彼女と過ごしてきたのだ。その顔の裏を読むことなどたやすい。
「面倒なんだね」
「面倒なんですね」
見破られた瞬間、エウラシアは物憂げな表情を引っ込めた。
「……ちっ」
まさかの舌打ちである。今までなんだかんだ式をリードしてきたエウラシア。ここまで拒否を示すのは初めてである。
エウラシアは糸が切れたように新しい大地に受け身も取らずうつぶせに倒れた。
「ちょっ、エウラシア!?」
「私は。もういい。……ここで。大地と。一つになる。……でも。覚えていて。命は。んー、巡り。……めぐ……」
名言風に取り繕う事を放棄して完全に沈黙するエウラシア。ツツミは言った。
「エウラシア……うつぶせになると、髪で全身覆われてなんか虫っぽいね」
「今言うべきはそうではないでしょう」
冷静に指摘するレカエル。エウラシアに近づいて語りかける。
「至高の存在である我が主。そのみ使いたる私が卑しくも地上に居を構えるなど言語道断です。そもそもこの大地に巡る命などないではありませんか。あるのは私たち三人だけ。それでも生命の輪を繋げたいというのであれば」
聖槍を、振りかぶる。
「この聖槍があなたを喰らいましょう」
ごすっ、と鈍い音。エウラシアは半回転して断頭台の一撃を避けた。一房の髪が逃れられず切断され、宙へと舞い上がる。
瞬間べろり、とドクロの舌が髪の毛をとらえ捕食した。
『……ゲッゲッゲ』
ドクロから満足げな笑い声が聞こえる。
「レカエル。やっぱそれ絶対聖なる物じゃない。というか槍でもないよ、斧だよ」
「しつこいですね」
斧を担ぐように手元に戻すレカエル。本当に首を落とすつもりだったのかは定かではない。
なんにせよ、レカエルも普段に比べて過激が過ぎるようであった。とどのつまり……。
「私たち、疲れてるんだよ」
こちらの世界に来てどれほどたったか。時計はない。太陽ですらツツミの狐火で代用している現在正確な日数を知ることは不可能である。
それでも力の限りアトムを使役し、疲れたら眠るという事を繰り返した三人は思いのほか疲弊していた。
「休息を提案するね。今必要なのは食事だ!」
ツツミは右手を挙げて宣言した。神の使いたるもの、飢えとは無縁である。食べずとも死ぬことはない。
が、嗜好品としての食事は精神の平穏に必要なものであるとツツミは考えていた。考えてみれば、こちらに来てからまだ一度も物を口にしていなかった。
「自分たちが食べるものを出すくらいなら大した手間でもないでしょ?」
望む食べ物を出す程度であればお茶の子さいさいである。もっとも前の世界にいたときにはツツミは人間界に降りて買い食いすることのほうが多かったのであるが。
「そうですね、では各々食事をとりま……」
「それじゃ面白くない」
「はい?」
「第一回最もグルメな神使は誰だ選手権!!」
要は、三人で食べ物を出し、優劣を競おうというのである。
「……そんなことをして何の役に立つのですか」
「優勝者が今後の方針を決定するようにすればいいじゃん。レカエルが勝ったら天界を創るのが最優先。エウラシアが勝ったら当面は地上で暮らすという事で。私は……正直どっちでもいいかな」
高天原も昔は地上にあったそうだしね、と付け加えるツツミ。
「いいでしょう。あなたたちに本当の……」
「いいの?」
遮ったのはエウラシア。
「勝てば。天界。創んなくても」
「う、うん。まあ当面は……」
鬼気迫る雰囲気を感じたツツミ。エウラシアは口端を吊り上げた。
「私。頑張らないため。全力。尽くす」
そういうわけで始まった第一回最もグルメな神使は誰だ選手権。より他の者の舌をうならせた神使が勝利である。
あくまでも自己申告だが、そこは互いの誇りにかけて勝負となった。トップバッターはレカエルである。
「これに勝るものなどありません」
そう言って手を一振りすると、レカエルの手元には皿とグラスが現れた。グラスの中には紫の液体がなみなみと注がれている。
ワインだろうか。皿の上に載っているのは薄い煎餅のような……。
「パン?」
「主の御子が地上で暮らした時の最後の晩餐。全粒粉を用い酵母を使わず焼き上げたパン。これぞ食の究極形です!」
自信たっぷりなレカエル。しかしあまりに粗末ではないか。そう思いながらもツツミはパンを口にした。
「……おいしい!」
いわゆる現代のパンではない。酵母を使っていないため、クレープくらいの厚みしかないそれはやはり煎餅のようにパリッと砕ける。
生地には塩が使われているのだろうか。ほのかなしょっぱさが丸ごと挽かれた小麦の風味を引き立たせる。シンプルであるだけに技が光る一品であった。
「おいしい。うー。これは。なかなか……。ん?」
同じく舌鼓を打っていたエウラシア。しかしグラスの方に口を付けた瞬間眉をひそめた。ツツミもグラスに手をつける。
こちらもなかなかの逸品だ。ブドウの酸味が強すぎず弱すぎずぎりぎりのラインを保っている。しかしこれは……。
「ブドウジュース?」
確か最後の晩餐に出されたのはブドウ酒、ワインではなかったか。訝し気にレカエルを見ると視線をそらされた。
「お、お酒はいいのです。お酒は」
「いや、人間じゃあるまいし大人になってからとか言わないでしょ?そもそも私たち成年どころかとっくに……」
「いいのです!」
頑なに説明を拒むレカエル。とはいえ上々の選手権の始まりであった。
二番手はエウラシア。深く深く瞑想している。下手をすればこちらにきて一番集中しているのではないだろうか。
やがてエウラシアは目を見開き、両手を掲げた。握られているのは見慣れた形の果実。
「リンゴ?」
形はごくある普通のリンゴである。ただしその色は……。
「金色だぁ!」
光を浴びて輝く黄金の果実。エウラシアは一つをツツミに、もう一つをレカエルに渡そうとしたのだが……。
「……離れなさい、悪魔!」
聖槍を構え威嚇するレカエル。エウラシアはキョトンとしている。
「それは知恵の実ではありませんか!」
レカエルによると、人間の祖先がこれを食べたことが、すべての害悪の始まりであるそうだ。
まるで親の仇のようにリンゴをにらみつけている。それを横目にツツミは自分の分にかぶりついた。
「なにこれ!ほんとにリンゴ!?」
甘い。そして甘いだけではない。口の中ですべての味覚が爆発しているようだ。それでいて無秩序ではなく調和がとれた味と食感。
果物の範疇にとどまらない何か別の存在だった。エウラシア曰く、以前食べたものをイメージして作ったレプリカに過ぎないそうだが……
「すごい。でしょ」
「反則だよこんなの!」
「これが。元となって。神々と。人間を。……巻き込んだ戦争が。起きたりした」
「そりゃそうだよ、こんなおいしい食べ物!!」
「……んー。味。は置いといて……」
エウラシアは何か言っているようだったがどうでもいい。
「レカエルはいらないんだよね? もーらいっ!」
ツツミの反応に少し迷ったようなレカエルだったが振り切ったようだ。
「か、構いませんよ」
幸せいっぱいにツツミはリンゴを食べ終えた。これは優勝は決まったかもしれない。しかしどちらも素晴らしい品を用意してくれたのだ。
こちらも答えねば。ツツミは両手で印を切った。
「はっ!」
現れたのは茶色い紙の箱である。
「……それ、食べ物なんですか?」
「中に入っているんだよ」
ツツミはにやりと笑って箱を開けた。中身を取り出し、二人に手渡す。
ボールを半分に切ったような形で、全体的に赤い装飾が施されている。透明の薄い皮がその全体を覆っていた。
「皮は破って、ここを半分あけて、中に入っている袋の粉をいれて。で、水を沸騰させてこの線まで注いで。そうそう。そしたら三分待つ!」
訳が分からないながらも指示に従うレカエルとエウラシア。時間になってツツミは二人を促した。
「よし。私はこれを使って食べるけど……二人はフォークとか出せばいいんじゃないかな?」
不安げな表情で食器を出し、恐る恐る口にする二人。次の瞬間驚愕の色に変わった。
「す。すごい」
「こんな……こんなおいしいを凝縮したスープが……!」
「この。白い。麺? モチモチして。……よく。味も。しみ込んで。」
「上に載っている具もおいしいんだよ。おあげっていうんだけど」
「……これは負けを認めましょう。潔く引かざるをえませんね」
「完敗」
どうやら満足してもらえたようだ。ツツミは嬉しそうに笑う。
「でしょでしょ? まだいくつか箱の中に残っているから、葛籠に入れてまた今度食べよ?」
「あら、同じものがいくつも入っているのですね。……おや?緑色のものも……」
「えっ!? レカエル! それこっちに!!」
ツツミはレカエルから緑色のそれを奪い取り手をかざした。瞬間狐火が現れて燃やし尽くす。
「ツツミ?」
「……私としたことがこんなものを紛れ込ませてしまうなんて。いい? あれは私にとって、レカエルの知恵の実以上に忌むべき存在なの」
「まぁ……」
「赤を讃えるなら、緑は貶めなければならないの。迂闊だった、元世界にいたとき一つ紛れていたイメージが無意識にあったんだ」
無事この世界の平和を守ったツツミ。そして、第一回最もグルメな神使は誰だ選手権の栄冠もツツミに輝いた。