プロローグ
行き交う人々が生活する街のとあるビル。その屋上の角に、大の大人たち数人に囲まれた少女が立って外を見下ろしていた。
その異様な光景に、下にいる一般人たちは気がつかない。
いやそもそも賑やかな夜の風景の光は屋上までは照らさず、夜目が利かない限り見えることはないであろう。
「さぁ! 大人しく降伏しろ!! お前はすでに袋の鼠だ!!」
青い制服に防弾チョッキ。武装した大人たちを指揮する男が声をあげる。その手に持つは人をいとも簡単に殺す事のできるライフル銃。
そして声を上げたその相手とは、やはりと言うべきか屋上の端にまっすぐに立っている少女だ。
長い黒髪を靡かせている少女の服装はボロボロ。所々切れ目が入っており、素肌が見え隠れしている。着ている服は白いシャツにホットパンツ。そして黒く風に揺れるコート。それだけの格好。
決して銃などを持っているわけでもなく、唯々その金色の瞳で街並みを見下ろしているだけなのだ。
だが武装した集団は片膝をつき、射撃体勢で少女に狙いをつけている。たった一人の為にそこまでする必要があるのか、と思わずにいられない。それが常識であり、普通の人なのだ。
「…………」
少女はその集団など見ずに、ただ虚空を眺めるように街を眺めていた。そこにどんな思い入れがあったのかはわからない。
少女はただ静かにたたずんでいるだけ。だけど大人達はその姿にも緊張を解かずに少女の動作を真剣に睨んでいる。
不意に、少女がゆっくりと体が斜める――ビルの外側に。
「なっ!? こんなところから落ちたら死は免れないのに!?」
「撃てぇ!! 撃ち殺せ!!」
指揮する男が驚きながらも発砲を許可し、隊員たちはその手に持つライフル銃を一斉に発射させた。
少女はその時、少しだけ後ろを振り向いて一言。
「――――」
銃弾がすべて空中で止まる。大人たちの驚きの目が浮かぶ。
あり得ない。隊員たちの使った弾丸はすべて、対能力者専用バレットだったのだ。
それすらも止めてしまった少女の手が男たちの視界から消えた。重力に従って落下が始まった。
男たちは全員、その場から走り出し、先ほどまで少女が立っていた場所へと立ち、下を向く。そこにはもう少女の姿が見当たらなかった。
逃がしてしまったという事に隊長の男は舌打ちをし、すぐさま隊員の無事を確認する。
全員の無事という事を知った男は安堵の息を吐き、ライフル銃から手を離してベルトから下げる。
「一体奴は、どんなピースだ……」
隊長の男は誰にでもなくそう呟いた。今の相手はこの世に居てはいけない存在。強力で、凶悪で、神出鬼没。それが隊長の見解だった。
詳しくは知らないが、上層部から必ず仕留めろと命令が来てから早2年。今の今まで仕留めるどころか返り討ちに会い、何度も部下を殺されてきた。だが、隊員が全員無事だったのは今回が初だった。いつもは何かしらの影響を受けて死に――
巨大な爆発音。それが自分たちの立っている足元から聞こえてきた。
「なんだっ!?」
驚くのと同時、自分たちの足元に亀裂が走って震え始める。このときになってようやく気がついた。
少女はビルを破壊して我々を殺すつもりだったのだと。
「に、逃げろぉぉぉおお!!」「うわぁぁぁあああ!!」「助けてくれぇぇぇえええ!!」
「冷静になれ! 今すぐこの場を離脱する! ビルの外に飛んでパラシュートを展開! 続け!」
隊長の喝によって冷静を少しでも取り戻してきた隊員は隊長の後を追い、そして一番高い所からビルの外へと飛び出した。すぐさま非常用に持っていた携帯式パラシュートを胸当ての肩の部分へと装着し、展開。
パラシュートが開き、それを操ってビルの外側へと逃げのびる。下を見るとビルが崩壊するのを見た市民たちは一斉に逃げ始めている。混乱の最中、少女を追っていた部隊はこうしてビルの外へと逃げのびる事に成功した。
ただし、全員が無事なわけではなかった。途中、亀裂の間に足を滑らせてビルの中へと落ちた者、落ちてくる瓦礫にパラシュートを破かれ落下した者様々だ。
「クソッ! 今回もか!」
自由が利かない空で隊長の男は確かにそう悔しがった。これまで何度も部下の命を犠牲にしてしまった自分に言い表せない怒りがこみ上げて来ていた。
この日、東京のとあるビルが全壊。死者と怪我人を含め、麓に居た一般市民や警察特殊部隊で、約百人に及んだという。
『Mission Complete』
そう、頭の中で答えた少女が空を落ちていく。閉じていた目を開ける。
眩しい月光が目に入り込んできて一瞬目を猫のように細めた。
そんな光を手でさえぎった後、落ちた場所は水の中。
何千メートルも高い場所から落ちたにもかかわらず少女は痛みで悶絶せずに、むしろ耳に被る水に不快な顔をしてゆっくりと水面に上がっていった。
小さく頭を水面に出し、辺りを見回し、誰もいないことを確認すると頭だけ出して平泳ぎで陸へと向かって泳いで行った。
ここからでもビルが崩壊する姿は見える。それほど離れた場所に来たわけではない。というか、離れれるようなことはできない。
少女はあらかじめ決めていた沖に上がると、さっさと離れるために服を一瞬で乾かし、用意してあったバイクに乗り込み、エンジンをキーを回した。
エンジンが雄たけびをあげ、少女の足は地面から離れた。