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 ミアが向かったのは、相談所ではなく、学園長室だった。どうやら、客人は応接室にて待っているようだ。応接室には、廊下からと学園長室からの二つ、出入口があるので、あまり公に知らしめたくない密会に使われることもある。とはいえ、一学園生である私が知っているくらいだから、公然の秘密という程度の密会だ。


「やあ、ようこそ」


 我が物顔で部屋の主のように振る舞い、私たちに歓迎の言葉を投げて微笑む男性を、私は知らなかったが、アシュレーには見覚えがあったようだった。


「……ラヴァン侯」


 アシュレーの呟きに、男性をじっと見つめる。

 この方が、ラヴァン侯爵、エリオン・アクセルロッド。なるほど、浮気性の侯爵にとっては、伯爵家以上の格がありかつ「何も文句をつけない」という令嬢は掘り出し物と思えたかもしれない。


 なるほど。遊び人というからには、その遊びに付き合ってくれる人間が少なからずいるはずだ。ラヴァン侯爵はそれなりに整った顔立ちをしていらっしゃる。

 とはいえ、顔立ちだけを比べるならば、アシュレーのほうがより美しいだろう。

 我が弟アシュレーは、超絶美形の少年であるけれども、群衆の中で真っ先に目を奪われてそのまま捕らわれてしまうような魔力を持たない。その清廉さがアシュレーの魅力とも言える。

 ラヴァン侯爵には、その魔力がある。どんな群衆の中でも、後ろ姿だけでも、視線を向けずにはいられないような。目が合えば、そらすことを許さないような。


 ミアが控えるように脇に避け、私とラヴァン侯爵が向かい合う。侯爵は腰かけていた椅子から立ち上がると、私に手を差し出した。握手を求めているようだ。


「はじめまして。あなたが、私の妻になってくれる人ですね」


「もう決まった話だとでも?」


「おや、これは手厳しい。勇み足だったかな。どうにも、年を取ると機会が減ってしまうのでね。つい、逃さぬように前のめりになる。……お互いの条件の話をしましょうか」


「ええ。そうですね。アシュレー、あなたは授業に戻りなさい」


「しかし、姉上」


「これは私の問題ですよ」


 それでもアシュレーがここに残ると聞かないか、あるいは縁談を否定するのであれば、私も応接室から出ていくつもりだった。身内びいきが入ってしまうけれども、アシュレーの人を見る目には信用がある。ラヴァン侯爵を「惑いすぎる不惑」だの「とんでもない遊び人」だのと噂を語ってはいたが、否定するようなことは言わなかったのだ。


 はたして、アシュレーは納得のいかない表情ではあったものの応接室から出ていった。ミアが安堵したように息を吐いてから、私たちを椅子に座るよう促した。お茶が出される。


「さて。……私からの条件はお聞きになりましたか?」


「ええ。なんでも、働きたくない、とのこと。私もよくわかります。昔は遊んで暮らせていたものを、今はどうにも窮屈な……ああ、すみません。働きたくない、よろしいですよ。私に必要なものは妻です。跡継ぎも、甥に決めてあるので、必要ありません」


「あら、好条件ですね」


「でしょう?」


「ええ。わざわざ私に向けて手を差し出さなくとも、いくらでも釣れそうではございませんか」


「なかなか、言いますね。それについては、私からの条件を話さなければならないでしょうね」


 すでに八割がた、結婚を決めてもいいと考えていた。ラヴァン侯爵にはどうやら私の条件を飲むつもりがあるようだし、私としても、先にミアに伝えてあるように、必要以上に触れ合うつもりはない。どうしてもラヴァン侯爵“夫妻”でなければいけない場に妻として立つだけだ。


 耳を傾けて待っても、ラヴァン侯爵は条件を言い出さない。あるいは私は試されているのかとも思いながら、ただ待つ。あちらこちらへ視線を飛ばし、ラヴァン侯爵は口を開きかけては閉じ、また視線をさ迷わせる。私はじっと待つ。干渉しないと言ってあるからでもあり、興味がないからでも。


 目を合わせたまま、幾分か経った。ラヴァン侯爵の瞳は、光の具合で水色にも金色にも見える。空色と呼べば誰にでも伝わるだろう。私が映っている。授業の始まる鐘が鳴り、また幾分か経ったところで、ついにミアが動いた。


「あの、お二人とも……ええと、にらめっこじゃないんですから……。そんな、敵対するように、探り合うような無言のやり取り、なさらないでください……」


「ああ、すまないね。つい、美しい瞳から目をそらせなくて。透明でかつ底知れぬ、海のような深い青……はじめて見る色だ」


「ええ、私も。つい見とれてしまって……あなたの空色の目に、映る自分の顔に」


「気が合いそうですね」


 ラヴァン侯爵がそう言って微笑むと、応接室内の空気まで穏やかになったように感じられた。視界の隅でミアがホッと息を吐いている。落ち着かない思いをさせて申し訳なかったと思う。


「そうかもしれませんね」


 気が合うかどうかなど判断つかないし、それに、私の条件が飲まれるのであれば気が合うかどうかなど大した問題ではない。


「条件をお聞きします」


「……私の条件は一つです。私に恋情を持たないこと。私の妻に、なってくれますね?」


「契約書が必要ですね」


 ラヴァン侯爵は私の冗談を冗談と受け取ってくれたようで、また少し笑った。「それはまた後日」と言った。私が立ち上がると、ミアが慌てて扉を開けに動いた。ラヴァン侯爵はお茶に手を伸ばしたらしい、背後にカチャリとかすかな陶磁器の音を聞いた。

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