エルダーの苦悩
多くの場合、人間の手というものは作業を行うことに特化しており、本来は殴ったりという攻撃には不向きだった。脆すぎるのだ。知性を持つ多くの生物の場合、道具に頼る傾向があるため、自らの肉体を武器することはそれほどなく、自然とそういう部分では退化してしまう。そのため、相手の体に大きなダメージを与えるような攻撃を素手で行うと、拳を骨折してしまったり手首を挫いたりということが往々にして起こるのだ。
ましてやここでは強力な武器や攻撃は再現されない。武器を用いた攻撃ではダメージを与えられない。となると必然的に素手での攻撃になり、そして素手で相手にダメージを与えるとなればその反動は自分にも返ってくるのである。その為、ここで長く暮らしてる人間はケンカもしなくなる。自分も痛いだけだからだ。
しかし、ヘルミのようにまだ来て間もない者の場合、ここの環境に適応できていないこともありケンカになってしまうこともある。恐らく相手も似たようなものなのだろう。アーシェスには、相手の心当たりもあった。この辺りでヘルミの挑発に乗ってケンカをするような人間はそんなにいない。しかももしその予測が正しければ、吹っかけたのは間違いなくヘルミのはずだ。向こうはもう、自分からケンカを仕掛ける段階は過ぎていたのだから。
「ヘルミ…」
自分がいくら話しかけても全く反応すら返そうとしないことにアーシェスは、ただでさえ小さな体をさらに小さくさせるようにうなだれた。とその時、自分の背後にユウカがいることにようやく気付いて「うわ!」と思わず声を上げてしまった。
「ユ、ユウカ、ついてきちゃったの?。てっきり自分の部屋に帰ったと思ってたのに。あなたまで来る必要なかったんだよ?」
動悸を抑えようとでもするかのように胸を押さえながら、アーシェスが言った。それにユウカも困ったようにおろおろしながら、
「ご、ごめんなさい、つい……」
と応えた。だが思わぬユウカの登場でアーシェスも少し落ち着きを取り戻していた。例え二百万年生きようとも、人間には限界があるのだということを改めて自覚した。何でも思い通りになる訳でないという当たり前のことが思い出された。
「ま、いいわ。今日はこのくらいにしておきましょう」
気持ちを切り換えられたことで、彼女の表情にも余裕が戻ってきていた。焦っても仕方がないのだと思えた。
そしてアーシェスはユウカを連れて、ヘルミの部屋を後にした。ヘルミは結局、毛布にくるまったまま何一つ身動きすらしなかったのだった。




