楽園にも見える社会のもう一つの面
給料は、手渡しでもいいし振り込みでも構わない。と言うか、決まった形がないのだ。通貨の代わりに物品でも構わない。物品で支払われる仕事が嫌なら他の仕事をすればいい。農業や漁業を生業としてる者は、それこそ物々交換で必要なものを手に入れる場合が多い。
また、ここに来たばかりの者に対しては、しばらくの間、日給という形で給金を渡すのも慣例となっていた。手持ちの通貨がないのだから、それに配慮してのことである。
そしてこの社会の一番の特徴としては、行政や政府が存在しないということである。そう、まさに無政府社会なのだ。とは言っても、この<書庫>そのものを管理している者はいるので、それがある意味では政府であり行政であり司法でもあるから、完全な無政府というわけでもないとも言えるのだが。しかし、ここに暮らしている者は一切それに関与できない。
その一方で、泥棒や強盗をする必要がないからそんな者も滅多におらず、死なないから殺人事件が存在せず、どんな怪我をしても必ず元の状態まで回復するから傷害事件があってもそれほど深刻な話にもならず、様々な価値観を持つ人間が存在するということは性的嗜好や習慣についても様々な人間がいるために性衝動を制御する方法が必ずあることでレイプ事件もほぼなく、破壊衝動や暴力的傾向を持つ者すらそれほどの期間を置かず牙を抜かれたように大人しくなってしまう。暴力に依存する意味がここには存在しないのだ。故に、クォ=ヨ=ムイのような邪神ですら借りてきた猫のように大人しくなってしまうのである。
それだけを聞くと、いかにもここが理想の楽園の様にも思えるだろう。だが、実際には意外とそうでもない。年間の自殺者は、新しくここに来る人間の数とほぼ一致しているという厳然たる事実がそれを物語っていた。
死ねないのに自殺?。と思うかも知れない。だが、ここにも自殺と言うか、<自殺のようなもの>は存在するのだ。要は、一切の生命活動を休止し自らを凍結してしまえば、滅ぶことはないが実質的には死んでいるのと同じである。それについては今後詳しく語ることになるだろう。
ここは、己の状況を受け入れることができるようになった人間にとっては楽園にも思える社会ではあるが、死ぬことも滅することもないという事実は、別の角度から見るならここが<絶対に解放されることのない、緩やかな永遠の監獄>でしかないという一面も確かに存在するのだ。故に、それから逃れたいと望み自ら生命活動の休止を選択する者もいるということでもあった。
石脇佑香も、いずれはその現実に直面することになるだろう。それは、ここに暮らす者にとっては避けることのできない現実なのだから。




