始まり
昇った太陽が町並みを照らす。雲の少ない空から降り注ぐ陽光は、昼間ほど容赦ないものではなく、光を浴びたものを適度に温めていく。
朝の風景の中、一人の少女が赤い屋根の店先に立ち、大きく伸びをする。入り口近くには『花屋・ネイビー』と書かれた看板が立っていた。
「ふう、今日も天気良好。なんていう採集日和」
髪はこの地方では滅多に降らない雪を彷彿とさせる白銀色で、背中で無造作にひとくくりにされていた。髪と同色の睫毛に縁取られる瞳は青い。麻のワンピースの上から黄色いエプロンをかけている。
店内には様々な種類の花はもちろん、観葉植物などの樹木がところせましと置いてあった。壁には明らかに観賞用ではないだろう、薬草らしきものが吊り下げられ、甘い香りの中に僅かな刺激臭を含ませている。
少女は床に落ちた葉や、鉢からこぼれたであろう土を手際よく掃除して、切花の入った筒とまだ蕾みの多い花の植木鉢を見栄え良く配置していく。そして店の置くから出てきた人を見て、顔をほころばせた。
「リューア、朝から悪いね、ふあーあぁ……」
起きたばかりといったようになされる大きなあくびに、リューアはくすりと笑う。
「いいえ。おはようございます、ネイビーさん」
ネイビーと呼ばれたふくよかな体を揺らす中年の女性は、もう一度あくびをしながら、おはようと挨拶を返した。黙々と仕事をしていたときの寡黙な様子から一転、リューアの表情ににじんだ幼さに、ネイビーは目じりの皺を一層深くして笑みを浮かべる。
「店の準備、いつもご苦労さん。それより、もうそろそろ出発の準備を始めた方がいいんじゃないかい?」
今日は山へと足を延ばし、山頂付近で薬草採集の予定だった。
ネイビーのねぎらいの言葉に、もう一度リューアはにっこりと笑って首を振る。
「もう準備はしました、リュックも、靴も。この棚の薬草の補充をして、少し着替えたら行けます」
リューアは言いながら、薬草の房をつかみ、棚のそれぞれの引き出しのところに迷うことなくしまっていく。その手際のよさにネイビーは、ほぅと小さく息をついた。
仕事が板についたリューアに店を譲るのも悪くない。どうせ跡継ぎもいないのだし。
「ネイビーさん、終わりましたよー。今日中には薬草持ち帰ってきますからね!」
そんなことをネイビーが考えている間に、リューアはもう仕事を終えていて、もう靴を履き替えようとしていた。無骨な登山用の靴に足を無理やり突っ込んでいるリューアの傍らには、採取用の大きなリュック。幾分小柄な体には不釣合いなそれをネイビーは持ち上げ、ちょうどリューアが腕を伸ばせば肩ベルトに手が通るよう、背中あたりに吊り上げた。促されるまま肩ベルトに腕を通して、リューアが顔を上げて少し照れたように笑う。
「ありがと」
「! ――――っ、ああもうこの子はぁっ」
「うぐ」
なんて可愛い、良い子なんだろう。
ネイビーはたまらず、はにかむリューアをぎゅうと抱きしめた。その強く柔らかな抱擁に、リューアもネイビーの背に手を回して応え、顔が埋もれているため息が出来なくなって結構本気で背中を叩く。
「じゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。山っていっても、国境近くまで行くんだろう? 気を付けるんだよ、最近の南の国は物騒なんだからね!」
心配そうに眉をひそめ、ネイビーはリューアを見送った。大きなリュックで身体の三分の一は隠れてしまっているリューアが前に進みながら、右手を振る。
ネイビーは右手に反射する光のまぶしさに目を細めた。
「……なんて可愛くて良い子に、神様はいったいどれだけの試練をお与えになるんだろう――――……」
一目見れば分かる。
リューアの右腕から指先にかけての関節は、不自然なほどに節くれだっていた。肌も、明らかに人肌ではない金属光沢で、血の通わないそれは義手であった。そして右足もまた同様に、ズボンから伸びる太腿からブーツに覆われて見えない膝下までも同様に義足である。よくみると、義手とは少し意匠が違う。
そして邪魔だとばかりに頭頂部で結い直された髪から覗く、尖った耳。
エルフ――――この世界に存在する、自然豊かで空気が汚されていない場所を好む、人間とは異なる種族。深い森の奥でひっそりと暮らす彼らの外見こそ人間と酷似しているが、基本的には互いに相容れることはないとされている。高い魔力をもち、老化が遅く、また寿命も人間より長い。秘密主義で、自種族以外の者には排他的な傾向があり、外見上の特徴としては、整った容姿と尖った耳をもつ。
大古から地に縁あるドワーフや悪戯好きなフェアリーとともに存在しており、自らの後輩たる存在である人間の所行を、快く思っていない者は多い。必要とはいえ広大な土地を開拓していく人間と、手付かずの自然を愛する古き存在のエルフの関係は、良好なものとは言えなかった。
そんな中、あろうことか一人の人間とエルフが恋に落ちる。彼らは異種族間という愛し合い、子を成し、産み落とした。生まれた子どもは女の子で、新雪のような白銀の髪と、快晴の空のような碧眼だった。
その赤子は、リューアと呼ばれた。
彼らは我が子を慈しみ、精一杯育てた。
しかし、あからさまに対立はしていないとはいえ、度々軋轢を生じさせている種族の間に生まれた混血児が、穏やかな人生を送れるはずがなく。
リューアは齢十七にして、右手足を失っていた。