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1/1,000,000  作者: 和登
第一章
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04 クロムと九人の仲間たち 1

 04 クロムと九人の仲間たち 1




「ハァッ……! ハァッ……!」


 逃げろ、逃げ続けろ。


「ハァッ……! ハァッ……! ハァッ……!」


 ここは悪夢の中だ。

 こんな馬鹿げた場所があっていいはずがない。

 一刻も早く逃げ出すんだ。


 男は苦悶に顔を歪め心の中で自分を励ましていた。さきほどから心臓が爆発しそうになっていたが足を止めるわけにはいかない。

 威厳もプライドもかなぐり捨て、涙を流し、時おり口元を汚す鼻血を飲み込みながら、それでも走り続ける。

 小便を漏らしていた。

 ブーツの底が小枝を踏んでパキッと鳴った音に「ひい」と情けない悲鳴をあげた。

 彼はまるで捕食者に追われる憐れなネズミだ。いつ背後から死が追いついてくるかと思うと悲鳴が喉元までこみあげてくる。それは次の瞬間かもしれない。いままさに、仲間を引き裂いた血まみれの爪が伸びてきて、彼の足を――

 森が開けて、見覚えのあるところへやってきた。

 ハッと気づいた。

 そうだ、ここは最初に休憩をした広場だ。ということは道を間違えていなかったのだ。

 長い下り階段がある。

 視線を遠くに向けると、座礁して朽ちかけた帆船が見えた。


「……た、助かった!」


 涙でぐしゃぐしゃになった顔を弛緩させ、彼は叫んだ。




 南北に長いブリタニカ島。その丁度中間地点の沖合いに、一つの島がある。本島との距離は近く、船で港を漕ぎ出せば、帆を満足に張る暇なく着いてしまうほどだ。

 レティシア公国がほぼすっぽり収まる面積を持つその島は、ほとんどが古代都市の遺跡になっている。海岸線を守るように城壁が張り巡らされ、都市に入るには東岸の入り江を使うしかない。

 グノーシス王家にとって神聖なこの場所は、ただアイランドと呼ばれていた。

 あるいは、誰が名づけたのかわからないが『はじまりの迷宮』という呼び名の方が有名かもしれない。



 王宮での会議から三日後、島の入り江に一隻のスクーナーが近づいてきた。

 特徴的な縦帆を持つこの小型の船は、本来は沿岸を活発に往来する商人たちが愛用する輸送手段である。が、いま錨を下ろしつつあるこの一隻は見たこともないような優美な装飾が施されていた。帆に紋章を入れるような無粋な真似もしない。貴族がお忍びでクルージングを楽しむための船なのだ。

 やがて十人の男たちが上陸作業を開始する。

 いずれも屈強な肉体を持つ男たちだ。

 彼らは防水した荷物をガレリア人風に頭の上に乗せ、ざんぶと海に飛び込んだ。

 思ったより深かったらしく、ひとりが「うお」と呻いて足を滑らせそうになった。周囲の男たちが笑い声をあげる。胸の下まで海水に浸かりながら進むうちに、すぐにそれは膝小僧を濡らすほどの浅さになった。

 白い砂浜にたどり着くと、海賊のように髭を伸ばした男が仲間に声をかけた。荷を覆っていた帆布をほどき、支度を整える。

 振り返れば、彼らが乗ってきたスクーナーは午後の残照を浴びてゆらゆらと波に揺れていた。遠く離れたところには放置された帆船が見える。

 何年か前にうかつな船乗りが船の操作を誤って浅瀬にのりあげ、いまでは格好の目印になっているのだ。


「クロム、上陸完了だ。とっとと出発しようや」


 樽のような体型の男が海賊髭に告げる。

 クロムと呼ばれた海賊髭は頷き、命令した。


「よーし、野郎ども。弾薬は濡らさなかっただろうな? 行くぞ!」


 砂浜の周囲もそうだが、古代の遺跡はいまや森に飲み込まれそうになっていた。

 長い階段を登っていくと、緑の隙間から白亜の建物がちらほらと顔を覗かせている広場に出た。色鮮やかな蝶が飛び回っているが、生き物の気配はない。


「ちょっ、ちょっとタイム。い……息が切れちまって」


 額の禿げ上がった男が云った。

 長い階段を登ったせいで顔に汗の滴を浮かべている。


「仕方ねぇなァ。少し休憩だ。ロンバーゾ、地図をくれ」


 クロムは仲間に言い渡して、荷物を下ろした。

 さきほどの樽男――ロンバーゾがクロムに近寄ってきて地図を渡しながら声をかけた。


「静かだな。なんの気配もねぇ」


「ああ」と頷きながらクロム。


「なあ、そろそろ話してくれたっていいんじゃねえか? ハーミストル卿はこんな場所に俺たちを送り込んで何をさせようってんだ?」


 地図から顔を上げると、仲間たちはみなこちらに注目していた。

 もったいぶる必要もあるまいと判断して、クロムは声のトーンを一段上げた。


「よし、いいだろう。みんな聞いてくれ。これからわれわれは迷宮の探索を行う。目的地は北西エリア。その辺りは冒険者も滅多に足を踏み入れない場所だ。貴重な植物、珍しい動物、機械、書物、その他何か金目のものがあるかもしれん。それを持ち帰るのが今回の仕事だ」


 一同に動揺が走った。

 なぜ俺たちがそんなことを? と口々に喚いている。

 予想通りの反応だった。クロムは続けた。


「先頃、この『はじまりの迷宮』の地下部分が見つかったというニュースは知っているな? その奥にとんでもないものが眠っているっていうんで、今王家は蜂の巣をつついたような騒ぎになっている」


「なんだ? とんでもないモンって?」とロンバーゾ。


「俺が知るかよ。けど、陸軍主導で調査隊を派遣するらしい。旦那様は蚊帳の外に置かれて焦っておいでなんだ。それで子飼いの俺たちに独自調査をやらせようってわけだ。そうすりゃ宮廷内の発言権を維持できると思っているんだろう」


「ケッ。政治ってやつか」男の一人が云った。


 ロンバーゾも呆れたようにため息をつく。「やれやれ! まさか冒険者の真似事をさせられるとはねぇ!」


 彼らが嘆くのも無理はない。クロムたちは表向きは荘園の警護兵ということになっているが、本来の仕事は調略。大貴族ハーミストル卿の手足として裏の仕事をこなしてきた。その分報酬も高額で、プロとしての誇りを持っている。それだけに納得がいかないのだろう。

 無論クロムも不満がないわけではない。が、仕事は仕事だ。

 地図をしまうと、まだボヤいている仲間たちを振り返った。


「さあ! 出発だ! 呑気に煙草吹かしてんじゃねぇ!」


 と、その時だ。

 気味の悪い地響きが足元で鳴りはじめたかと思うと、見えないハンマーで殴られたように、ぐらりと地面が揺れた。


「地震だ!」


 ロンバーゾが叫ぶ。

 立っていられないほどの横揺れに、男たちは地面に屈みこんで不安げに周囲を見回した。遠くの森で、ぎゃあぎゃあと見慣れない鳥たちが飛び立つ。 

 五分ほど揺れ続け、やがて痺れに似た余韻を残して地震は収まった。

 やれやれ、とロンバーゾ。


「近頃やけに揺れやがる。悪い事の前触れでなけりゃいいが」


「そうだな」とクロムは頷いた。「さあ行くぞ! グズグズしてると日が暮れちまう」



 一行は歩き出した。『はじまりの迷宮』は立体的かつ複雑で、道はあちこち曲がりくねっている。クロムは何度も地図を確かめなくてはならなかった。

 その地図にしたところで先人の冒険者が血と汗を代償に作成したものであり、抽象的で非常にわかりにくい。

 三本並んだオレンジの木とか、人の顔に見える染みのついた白い壁とか、頼りないランドマークをあてにしなくてはならないのだ。

 行軍を続けながら、クロムはここはなんて不思議なところなんだと改めて驚きを深くしていた。おそらくこの辺りは住居として使われていたのだろう。しかしこれほど巨大な建築物を造り上げたこと自体が驚異の一言である。

 例えば、地図に「陸の橋」と記された場所がそうだ。

 元は高層建築物だったものが倒壊して、ひとつ上の道に橋のように架かっているのだ。誰かが表面にロープを張りわたし、その命綱は風が吹くとひゅんひゅん小刻みに震えるという凄まじさである。

 クロムたちはおっかなびっくりロープを掴んで橋を渡った。

 瓦礫を越えてみれば、かつて高速道路だった場所には朽ちた車両が苔むし、こんもりした山になってえんえんと続いている。人骨も散乱していた。古代の居住者か、はたまたここで息絶えた冒険者か。

 そういえばいまだに生き物を見かけない。

 迷宮には怪物が生息していると聞いたが、その気配すらないのは不気味だった。



「なんか、ヤバイっすよ、ここ――」 

 

 二回目の休憩中に、最年少のエイシルが訴えるように云った。

 地図によれば現在地点はセントラルパークという場所。緩やかな川が流れている林の中だ。

 一行は遅めの昼食を取ることにして、持ってきた缶詰を開け、ビスケットを齧っている。


「ヤバイって何が?」


 からかうように云ったのはハワードだ。

 彼はライフル銃を抱くようにして座っていた。ライフル銃はボルトアクション式で装弾数は五発。構造は単純だが、信頼性は高い。熟練者なら五百ヤード先の標的に命中させることも可能である。


「なんていうか、こう……雰囲気が、です」


 恐る恐る周囲を見回してエイシルは首を竦める。


「なんだよ、雰囲気って!?」


 ハワードは爆笑した。モーリスやアルスたちもニヤニヤ笑う。臆病風に吹かれたヤツは馬鹿にされる――これは彼らにとってルールのようなものだ。


「お前ら、ぺらぺらぺらぺら、まるで女だな。とっとと喰っちまえ」


 クロムは怒鳴って、また地図を覗き込んだ。

 方角を確かめながらなので無理ないことだったが、行軍は予想以上に捗っていなかった。かれこれ二時間は歩いているのに、全体図で見ると、最初の入り江からほんの一マイル西に移動しただけである。


「このペースじゃ北西エリアに着くのは真夜中になりそうだ」


 一緒に地図を覗き込んでいたロンバーゾに彼は云った。


「そいつはまずいぜ、クロム。俺はこんなところで野宿はごめんだ」


「俺もそうさ。仕方ない、これからは歩きながらめぼしいものを探そう。あらかた冒険者どもが持っていっちまっているだろうが、何かあるかもしれん――ハワード、どこへいく?」


 ハワードは立ち上がって、食事の輪から離れようとしていた。

 その片手には空になった皮袋が握られている。


「ちょっとそこの川で汲んでこようと思って」


「大丈夫か? こんなところの水」とロンバーゾ。


「大丈夫だろ」ハワードは笑った。「流れていたし、見た感じ綺麗なもんだったぜ? 汲んだらすぐに戻ってくるからさ」 


 手をひらひら振るとハワードは林の向こうへ消えた。

 そして、それっきり戻ってこなかった。




 つづく

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