03 ブッチの件 3(後)
03 ブッチの件 3(後)
(なあなあ? 手伝ってやろうか? はっきりいって見てらんねーわ。このままじゃイイトコ一つなくボロ負けするぜ? 手伝ってやるぜ、なあ?)
相変わらず幻聴は続いていた。ウザさを増して。
ブッチはクドリャフカの呼吸を読もうと口元を見つめながら、じりじりと近寄った。
(なあってば。俺のサポート、いる? いらない?)
「いらない」
ぼそりと呟き、ドリブルのリズムを変える。チェンジ・オブ・ペース。
(あ、また小細工。だーから、そういうの通用しねぇって。小賢しいマネは――)
うるさい。
ブッチは父の声を振り払うように、やや強引に切り込んだ。ゴール下まで粘れたのは初めてだ。いけるかもしれない。
と、クドリャフカがブロックするように目の前にたちはだかった。なんとかシュートは打てたものの、ボールは見当違いの方向に飛んでいってしまう。彼はバランスを崩してクドリャフカに激しく接触した。二人はもつれあうようにコートに転がった。
はっと気がつくと、ブッチはクドリャフカに抱きつくように倒れていた。ちょうど顔が彼女の胸の谷間に埋もれている。
「うわわっ!? すみません!」
慌てて叫んで離れると、甘い香りが鼻をくすぐった。
「いや、大丈夫……それより今のはわたしの反則だな。カウントワンスローだ」
クドリャフカはスカートの乱れを直しながら立ち上がった。
年上の女性を抱きしめた感触がまだ手に残っていて、ドキドキしながらブッチはボールを受け取る。
(あああっ、てめー、俺の戦友になんてことしやがんだ!? 思いっきりおっぱいに顔を埋めやがってよ! さては狙ってたな、このエロガキ!)
「狙ってない」クールに呟くブッチ。「ていうか、硬かったよ。なんかゴツゴツしたものが」
そう、クドリャフカの胸の谷間には、何か板のようなものの感触があった。
アクセサリーにしては大きすぎるようだが。
(……チッ。なんでもいいや。それよりぜってー決めろよ。チャンスだ)
シュートモーションに入っていたブッチにはフリースローの権利が与えられる。
点差を考えると、恐らく最後の得点チャンスだろう。
しかし、深呼吸して狙い澄まして放ったシュートは惜しくもリングに弾かれてしまった。
(ぷ。だっさ)
からかうように云った父の声は、一転して真面目くさった口調で続けた。
(なあ、手伝わせろよ。クドのやつ、遊びだとかいいながらお前のこと試してやがんだ。息子がヘナチョコだと思われたら、死んでも死にきれねー……。一つ気づいたことがある。あいつ、攻撃に移る前にちょっとした癖があるのよ。俺がタイミングを教えてやるから、俺のいう通りにしてみろよ)
「いらない」
(頼むよ、ブッチ。もうじきお前と話すこともできなくなる。なのに最後の会話がこれか? 喧嘩して終わりなのか? 最後くらい親父のいうこと聞いてさ、ナイスシュート、アディオスブッチっていわせてくれよ)
「お断りだ」
「どうした、ブッチ? 何をブツブツいってるんだ?」
クドリャフカはゆっくりドリブルしながら近づいてきた。
現在0対9。あと一点で彼女の勝ちだ。クドリャフカはもはや積極的に攻める気はないらしく、やや緩みが見える。と同時にブッチに対する興味も失せているようだった。
(ふん、クドめ。あとは適当に流す気だな。だけどそーはいかねーぞ。ビックリさせてやろうぜ。なあ? 父と息子の最後の共同作業だ)
「……いいから、そういうの」
(聞け。もうあいつはペナルティエリアには入ってこない。俺が合図したら、あいつの二歩手前まで突っ込んで思い切りジャンプしてみな。そうすりゃ指先が届くはずだ)
「僕も僕なりに考えてることがある」ブッチは呟いた。「次こそ取る」
(ばーか。それで今まで抜かれてんだろうが。いいから聞けって。ほら、前見ろ。来る!)
いつまでもブッチが棒立ちしているので、クドリャフカは急接近してきた。
横をすり抜けると見せかけて、体の軸を外してシュートする気なんだと察する。このパターンは何度も見た。
ブッチは棒立ちを続けた。ギリギリまで我慢した。
(何やってんだ、オイ!?)
声は無視した。
クドリャフカの動きは速すぎて、目で見てからでは反応できない。
タイミングが全てだった。
問題は右にずらしてくるのか左にずらしてくるのかわからないことだったが、それはもはや運を天に任せることにする。
「1……2……」呟く。「……3!」
下から突き上げるようにブッチは何もない空間に手を伸ばした。すると、誘い込まれるようにボールのほうから当たりにきた。
とん、と手ごたえがあって、ボールがほぼ真上に打ち上げられる。
ブッチはジャンプしてボールをキャッチすると、ドリブルしてペナルティエリアから出た。
キルスティールからのカウンター――これをずっと狙っていた。
驚愕して振り返るクドリャフカを見ながら、シュートモーションに入った。今なら外さない、その確信がある。
「親父の手助けは必要ないから」
(……こんのクソガキ)
ブッチはシュートした。
さしゅっとネットを揺らして、ボールはゴールをくぐった。
そして、とん、とん……とコートを転がる。
やった、と思うが達成感はさほどない。ブッチ自身こんなにうまくいくとは思わなかったのだ。
(……ったくよ。最後までお前とはうまくいかなかったよな。親のいうことは大人しく聞きやがれってんだ……)
声は苦々しげに囁いた。
一瞬言葉が途切れた後、
(……まあいいか。一点は一点だもんな。よくやった、ブッチ)
ブッチは耳を疑った。
やっぱり幻聴なのかもしれないと思う。
あの父が負けを認めて、それどころか労いの言葉をかけるなんて。
ブッチが戸惑っていると、声は云った。
(さってと……。そろそろ逝くわ。じゃあ元気でな)
まるで眠気を催したように頼りない。
(おっと、忘れていた……。俺は一つ仕事をやり残しちまったんだ。悪いがブッチ、かわりに頼む。まあ、俺ほどの働きが出来るとは思えんが、クドを助けてやってくれ――)
その言葉を最後に、それまでウザいくらいに囁き続けていた声が突如消えた。ほのかに感じていた圧迫感のような気配もなくなる。
脱力してへなへなとブッチはその場にへたりこんだ。
何事かとクドリャフカが駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫か!? ブッチ? どうしたんだ!?」
「ク、クドリャフカさん……」
震えながらブッチはクドリャフカを見上げた。
何か云おうとしたが、後が続かなかった。ぱくぱくと空しく口を動かす。
じゃあ元気でな。
まるでちょっとした用を済ませにいくとでもいった気軽な言葉。いつもと同じ、何気ない口調。ジャン・ジャックは死してなお、全くブレることがなかったわけだ。
というよりも今のはなんだったのか。
本当に死者の魂が語りかけていたのだろうか。
「クドリャフカさん――いままで――いままですぐ側に、親父がいたんです」ようやくブッチは云った。「すぐ側で、ずっと話しかけてきたんです」
「……何?」
「本当なんです! はっきりと聞こえていたのに……どうしちゃったんだろう。急に聞こえなくなっちゃった。ずっと聞こえていたのに……!」
「落ち着くんだ」
鋭く叱責して、クドリャフカが肩を掴んできた。
今自分はよほど情けない表情をしているのだろう、とブッチは思った。
ふうと吐息を漏らし、クドリャフカは、
「ジャン・ジャックのやつ、息子が心配であの世からちょっとだけ戻ってきたのかもな。ありそうな話だ。本当に君のことを心配していたから――」
「というか、親父は本当に死んだんですか?」言葉を遮ってブッチは云った。「なんだか信じられない。もしかしてまだ生きているんじゃないんですか? 何か……別の……変なものになっちゃったとか……」
わからなくなってきた。死者があれだけはっきりと喋れるものだろうか。
しかし、クドリャフカは首を振った。
「いや――それはない。残念だが、ジャン・ジャックは……君の父親は、間違いなく死んだ。最後まで仲間を守り、撤退を支援してくれた。お陰でわたしは生きのびて、いま君と話をしている。父親としてのあいつがどうだったかは知らんが、冒険者としては立派な男だった。勇敢で、頼りになって、みんなのために働いていた」
「……嘘だ」
「嘘なもんか。君が知らないだけだ」
ふいにまた腹が立って、ブッチは拳を地面に叩きつけた。
父親のニヤニヤ笑いが脳裡に浮かぶ。
いつも自信満々で自由気ままに生きていた姿が。
ぽた、ぽたといまさらのように涙が溢れてこぼれた。
真夜中のコートに風が吹きぬけていく。
クドリャフカは長い金髪をざわめかせていたが、決意を固めたように唇を引き締めた。
「ブッチ」と呼びかける。「これはまだ極秘なんだが聞いてもらいたい話がある。実は……いまこのブリタニカ島に世界中から冒険者が集まってきている。もうじき災厄がこの世界を襲い、このままでは多くの人が死ぬ。われわれはそれを食い止めようとしているんだ」
「……災厄……?」
「そう、災厄だ。唯一の希望は『はじまりの迷宮』の奥に遺された古代人の遺物だ。それも奥の奥、誰も足を踏み入れたことのない最深部に。しかし、誰かが行かなければならない。誰かが、命を賭けて」
ブッチの肩に置かれていた手に力がこめられた。
月の光を浴びて、クドリャフカの顔は沈んで見えたが、目だけが妖しく輝いていた。
「ブッチ――わたしたちと一緒に来てくれないか」
つづく