01 ブッチの件 1(前)
01 ブッチの件 1(前)
「……どの子だ?」
「あいつだ。間違いない。ほら、目元なんかそっくりだ」
「……どれ?」
「あれだよ。コートの中央にいるだろう?」
王宮で議論が繰り広げられているちょうどその頃、とある競技場の金網フェンスの側で、二人の人影がなにやらひそひそと囁き交わしていた。
一人は無精髭を生やした中年男で、もう一人は背の高い金髪の女性だ。
地元の人間ではないことは、旅装で包んだ身なりからわかる。どちらもいかにも旅慣れている雰囲気で、荷物は足元に置いたトランクだけだった。
ここはグノーシス王都から汽車で二日ほど北上したところにある商業都市インバネス。
その郊外にあるパブリックスクールの運動庭園である。
二人の人影の見つめる先では十三、四歳くらいの少年たちがランブルボールというバスケットボールに似た競技に興じていた。
少年たちは間もなく開催される球技大会のために練習試合をしているのだ。
ボールを持った短髪の少年がディフェンダーにフェイントをかけ、見事な体捌きで相手陣地に切り込んでいった。
「グッド! なかなかいいペネトレーションだ」
二人のうち、女性の方が満足げに頷きながら云った。
その隣にいる無精髭の男が舌打ちする。
「クドリャフカ。ジャンの息子はそっちじゃねェ――」
男はそう云いながら両手で女性の顔を挟み、強引にコートの中央に視線を向けさせた。
「こっちだ。いま地面に転がされた方」
「何ィ!? シュートを決めた短髪の子じゃないのか?」
「違ェよ! よく見ろ、顔が全然似てないだろーが!」
「……ショック。息子に運動神経は遺伝しなかったのかな?」
彼女は忌々しげにつぶやく。
そして地面に倒れたディフェンダーの少年を見つめた。
少年は土埃をはたきながらようやく立ち上がったところだった。
「かもな。でも、そんなことはどーでもいい。後からどうにでも『いじれる』」と男。
「うむ」クドリャフカと呼ばれた金髪女性は頷いた。「そういうことなら実に『いじりがい』がありそうだ」
クックッ、と笑ったクドリャフカはトランクを担ぎ直した。
「よし――ではさっそく校長室にいこう。気の重い役目だがこれも生き残った者の務めだ。約束を果たしにいこうじゃないか」
そして片手をフェンスに触れたまま歩き出す。
が、数歩歩いたところで彼女は振り返った。
「校長室のある建物は……こっちでいいのかな、マルコ?」
不精髭の男マルコはふうとため息をつく。
さきほど見た案内板の地図を思い出しながら、反対方向に歩いて手招きした。
「逆だ、逆。ったく、相変わらず方向音痴なんだからよ……」
それから十分後。
クドリャフカとマルコは、ガートランドという教員に案内されて、校舎の薄暗い廊下を歩いていた。
休日ということもあってどの教室もひっそりと静まり返っていたが、まともな学校教育を受けていない二人にとって校内の様子は興味深かった。
この時代、教育制度は中世の頃に逆戻りしている。ほとんどの子供は最低限の読み書きを両親から習うか、もしくボランティアが運営するグラマースクールに通うのが精々だ。寄宿舎を完備したパブリックスクールで六年間みっちり学問を学ぶなどというのは、富裕層の子供に限られていた。
やがて二人は三階の角部屋に通された。
校長先生はハリネズミのような白髭をたくわえた紳士だった。
既にガートランド先生がおおまかな事情を伝えていたので、新たに説明することは何もない。早速お目当ての生徒を呼び出してもらうことにする。
さらに待つこと、十五分。
ドアをこんこん、とノックする音がして、
「校長先生。三学年のブルーノ・リンツです」
思春期特有のかすれた声が聞こえてきた。
「どうぞ――」
校長先生が招きいれると、おずおずとドアが開かれる。
さきほど地面に転がされていたあの少年が顔を現した。クドリャフカの隣で、マルコが勝ち誇ったようにフッと笑う。
クドリャフカはといえば、冒険者の性質で少年を素早く観察していた。
少年の背はそれほど高くない。手足は細く、まだ良い筋肉がついていないようだ。が、体のバランスは悪くないし、顔色も良い。
父親譲りの栗色の髪をもっている。
そしてその目鼻立ちは、なるほど、ジャン・ジャック・リンツの面影があった。
「来ました。彼がブルーノです。みんなからは短くブッチと呼ばれています」とガートランド先生。
その少年――ブッチはなぜ校長室に呼び出されたのかと戦々恐々としているようだ。
室内に見慣れぬ二人組がいることに気づいて、眉をひそめる。
「突然呼び出してすまない」と校長先生。「が、緊急の用件なんだ。これからとても大切な話があるから、心して聞くように。いいね?」
彼が頷くのを見届けてから校長先生は云った。
「こちらの二人は今朝の汽車でインバネスに着いた方たちだ。君は面識がないかもしれないが、君の父上の仕事仲間とのことだ。それで……彼らは君にあることを伝えるためにわざわざ来てくださったんだ。あることというのは、つまり――」
「先生。そこから先はわたしから話しましょう」
語を引き継ぐようにクドリャフカ。
彼女はつかつかと前に進み出ると、自分の胸までの高さしかない少年の前で立ち止まった。中腰になり、視線を合わせる。怯えたような顔が目の前にきた。
「はじめまして、わたしの名はクドリャフカ・サバーカ。職業は冒険者だ。君の父親と同じ。冒険者だ」
突然、彼女はブッチの両腕を強く掴んだ。
気付けの意味もあるし、ショックを受けて倒れないようにするためでもある。
「ブルーノ……いや、ブッチ。どうか落ち着いて聞いてくれ。君の父親、ジャン・ジャック・リンツが死んだ。今から一週間前、とある迷宮を探索中に命を落としたんだ。わたしは生き残った者の義務として、それを息子である君に伝えにきた」
「――――え?」
ブッチは呟いた。が、それ以上の言葉は一切でてこない。
クドリャフカは続けた。
「こんなこといきなりいわれても、どうしたらいいかわからないと思う。だが事実だ。パーティーメンバーの一人として、君にはいくら謝罪してもしきれない。ただ――どうすることもできなかった。
さらにわれわれは、迷宮の奥深くにジャン・ジャックの遺体を置いてきた。これもどうすることもできないことだった。わかって欲しいのは、迷宮というのは一種の極限状況で、非情な決断をしなくてはいけない時がある。われわれは帰還を最優先した。ある重要な任務のために、絶対にあそこで全滅するわけにはいかなかった」
クドリャフカはブッチの腕を掴んだまま頭を下げた。
「申し訳ない――われわれは、遺体を見捨てた」
部屋に重苦しい沈黙が沈殿した。
しばらくしてクドリャフカが顔を上げると、ブッチは壮絶な表情をしていた。
噛み締めた唇は今にも叫びだしそうだった。
体が震えているのが伝わってくる。
床に落とした視線は、しかし、どこを見つめているかわからなかった。
クドリャフカはブッチが口を開くのを黙って待った。
悲しみに泣き叫ぶならそれもよし、もし罵倒してきたらそれを甘んじて受け止めるつもりでいた。
が、ブッチの第一声は彼女の予想とは異なるものだった。