07.ウォーター・フライト①
「僕、飛行機ダメなんです。」
スティーブは少し遠慮がちにトミーに言った。それは空港から飛行機に搭乗する前の会話だ。
曰く、昔見たドラマのせいであまり乗りたくないのだと言う。どんなものだったかとトミーが訪ねると、毛むくじゃらのグレムリンが翼に憑りついてジェットエンジンを毟り取って飛行機を墜落させようとする話だそうだ。ドラマでは飛行機は助かるが、出て着たグレムリンが怖くて飛行機を忌避するようになったのだ。
それを聞いたトミーは悪戯っぽくにやりと笑い「じゃあ、グレムリンに気を付けなきゃな!」とからかった。
そうして今は、もう雲の上。一番窓側の席にスティーブ、隣の席にトミーが座る。雑誌を広げ空の旅を満喫しているトミーとは裏腹に、若干顔色の悪いスティーブが落ち着かない様子だ。スティーブは落ち着こうと読み物を手に取るが、それは飛行機の避難マニュアルであったため他の物を読む気さえ失せてしまった。視線はあちこちに彷徨い、ふと目線は窓の外を映す。ちょうど席が窓から翼がよく見える所にあるため、嫌でも視線はジェットエンジンに向いてしまった。天候が悪いせいか視界が悪く、機体もそれほど大きくないせいかも先ほどからぐらりと何度も揺れている。そのたびに目をつむり、無意識に肘掛を握る手に力が入る。グレムリンなんかいやしない。しかし、気持ちは一向に落ち着かない。
「スティーブ、顔色悪すぎじゃね?」
「大丈夫です。」
全く、大丈夫ではない。トミーから見たスティーブは飛行機墜落直前のような真っ青な顔色だった。真っ青を通り越して白いようにも思える。
「大丈夫!落ちやしねーって。深呼吸しろ。」
「大丈夫です。」
「ほら、深呼吸!」
「大丈夫です。」
「吸って、吐いて、吸って、」
「わかってるよ!あめちゃん舐めながらよだれ垂らしてるガキじゃないんだから、子ども扱いしないでくれ!深呼吸の仕方くらいわかってる!」
横で深呼吸の仕草をするトミーにスティーブは苛立った。トミーも彼が全然大丈夫ではないことがわかると、薬か何か頼もうと台車を引くCAを呼びつけようとした。しかし、CAを見た途端気が変わった。
なだらかな撫で肩、すらりとした均整のとれた手足、ちょっと気が強そうであるが整った顔立ち。ぷっくりと膨らんだ唇はとても魅力的。美人だ。しかもトミーにとってタイプだ。
「ちょっと、トイレ行ってくるぜ。」
「ちょっとまて!」
「大人しく、席に、座って待ってろよ!飛行機の中は大丈夫だろ。一応、オブザーバーが身元確認をしたから心配ねーよ!」
そう言って、トミーは席を立ちスティーブから離れていった。CAを追いかけて。置いて行かれたスティーブは文句も言う間もなく消え去ったトミーにさらに怒りを覚えたが、座席から立ち上がることができず、飛行機との恐怖にひとり立ち向かうのだった。
トミーはトイレを通り過ぎ、CAを追いかけていた。ギャレーの中で台車の中を確認しているCAを見つけると、すばやく声を掛ける。
「いいかい?」
「ええ、どうなさいました?」
すると、すぐに台車に飲み物を補充していたCAが台車の影から顔を上げる。手には液体の入ったピッチャーが握られていた。ちょうど今から取り換えようとしていたのだろう。
近くで見るとやはり彼女は美人だ。目鼻、顎はシャープでくっきりとした輪郭。鋭い瞳はダークブラウンがこちらを覗いている。CAだけあってかぴんと伸ばした背筋と立ち振る舞いは女らしさを感じさせた。
「リンダ・ウォーターブリッジさん?良い名前だね。」
ちらりと見えた名札に書かれた名前を褒めてみると、「ありがとう」と小声で奥ゆかしい控えめな笑みが返ってきた。これは好感触と、トミーは彼女に話が盛り上がるように話を振ってみる。
「いや、飛行機がどうにも落ち着かなくてね。で、歩いてたら君みたいな綺麗な子を見つけて思わず声を掛けちゃったってとこかな?」
まったく飛行機が苦手ではないが、こういう話ならウォーターブリッジは話しやすいだろう。ついでに口説き文句なんか入れれば何か反応してくると思い軽い調子で言ってみた。さて、どう返ってくるだろうか。
しかし「怖いのはわかりますよ。」と口説き文句は華麗にスルーされた。至極、残念に思ったが以外にも彼女は飛行機が苦手らしい。
「君はプロだから全然平気そうだ。」とトミーは素直に思ったことを口にすると、彼女は唇を手で隠して小さく笑い「そうでもないですよ。」と返した。
「君も怖いときがある?」
「ええ、少しは感じますよ。」
「飛行機が怖いのにすごいな。」
トミーはまた率直な感想を述べる。一度のフライトであそこまで固まるスティーブの姿を想像すると、日に何度もフライとしている彼女にとってはとても辛いものだろうと思う。
「でも、やらなくちゃ。」と唇をクッと上げて笑う。
「なにかへっちゃらになる秘訣でも?」
そう問いかけてみると、彼女はにっこりと笑ってトミーの質問に応える。
「そうですね。しいていうならこう考えると楽になりますよ。‘運命に身を任せる’。」
ピッチャーを抱えた彼女は何か遠くを見るような目をして話を続ける。
「飛行機が怖いのは、死んでしまうかもしれないと言う恐怖。自分ではどうにもならない恐れがあるから。普段はほとんど意識していないけれど、自分ではコントロールしようがないことに人間は恐怖心を抱くんです。どこにいたって死ぬときは死ぬというのに。だからもう、いっそのこと腹をくくるのです。ここで死んでしまうのは、それが運命だからって。」
「すごいな。」
運命なんてもの早々考えものではない。感じることでさえあまりないと言うのに運命として受け入れるのはすごいことだとトミーは思った。達観している。そう、感じさせる。
「…あなたは運命というものを信じますか?」
ふと、彼女の方からトミーに質問をしてきた。信じていないと思われたのだろうか。トミーは口元をキュッと伸ばし、人懐っこい笑みを作った。
「もちろん、信じてるさ。運命の人に出合えてからね。君と俺は運命によって引き合わされたのかも?」
なんて、調子のいいことを言ってみた。
けれどその瞬間、ウォーターブリッジの顔から笑みが消える。言ってはいけないことを口にしてしまったのかと、トミーは一瞬「しまった」と思った。トミーは恐る恐る彼女の顔色を覗く。その瞬間、首筋がゾワリとした。そこには影が差し、人形のように冷たい表情があったのだ。
「会うべくして会った。そうね。」
何か彼女は納得したように呟く。
「わたしがあなたの運命の人。会うべくして会うあなたたちに死を呼び込む運命の人よ!」
手に持つピッチャーを抱え、小声で笑う。しかし、その笑みは先ほどの印象とは打って変わり、得体も知れない不気味さが浮かんでいる。ウォーターブリッジの異変に気付いたトミーはどうしたか、訊ねようとした時、彼女の持っていたピッチャーが床に落ちてしまいそうになる。トミーは慌ててピッチャーを受け止めようと手を伸ばした瞬間、異変が起こった。
「な、なにぃ!?」
瞬間、ピッチャーから水が飛び出す。まるで、意思があるかのようにトミー目がけて飛びかかって来たのだ。慌てて、トミーはピッチャーから離れ距離を取ろうとする。しかし水のほうが早かった。
水がトミーの腕を、鋭く切り裂いたのだ。
痛みに耐えるような短い悲鳴と苦悶の表情が現れる。傷口を見れば鎌で引き裂かれたような傷跡だ。距離を取らなければ首をやられていた。
その傷口を見たウォーターブリッジは笑っている。先ほどまでのきりっとしたCAの雰囲気はなくなり、にんまりとした人を馬鹿にしたような下碑な笑みだ。
「あんた、ルネートゥルの能力者か!」
傷口を抑え込んだトミーが唸ると、ウォーターブリッジは得意そうに一層笑みを深め肯定する。
「初めまして、オブザーバー。あなたからわたしに近寄るなんて正直驚いたわ。けど、これもまた運命!潔く受け入れることね!」
水は突如、トミーに襲い掛る。水は蛇のようにトミーに巻き付いたかと思うと、水は球体になりトミーの顔を包み込む。溺死させるつもりだ。トミーは水を顔から剥がそうとするが、水は剥がれ落ちることはない。
「すぐに殺してあげるつもりはないわ。じわじわと、ゆっくりなぶり殺しにしてあげる。苦しみなさい。」
十秒経過、二十秒経過。そろそろ一分か。肺が空気をくれと、喉をきつく締めあげてくる。さすがに苦しくなったトミーは喉元を抑え、苦痛の表情を浮かべる。
「命乞いのつもりかしら?」
トミーは彼女に手を伸ばす。まるで、助けてくれと言わんばかりに伸ばせるだけ右腕を伸ばした。命乞いをする様を見て、人を馬鹿にしたような笑みを見せる。しかし、トミーが腕を伸ばしたのは彼女ではない。
「何!」
ウォーターブリッジの近くに置いてあった台車が急に彼女目がけて突進してきた。油断していたウォーターブリッジはその場に尻餅をつき、その衝撃で水に拘束していたトミーは解放された。
トミーは咳き込みながらも肺に空気を溜める。一つ唾を飲み込むと、台車をぶつけられたウォーターブリッジを視界に収める。近くにいたらヤバい。本能的にそう感じ取ったトミーは体勢を立て直す。
「美人には棘があると言うが、こりゃきつい!」
倒れたウォーターブリッジの隙を見て、トミーはギャレーを飛び出した。
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