異世界の目覚め
とりあえず服を着直し、ベッドに腰掛けることにする。
う~ん、何もわからない状態でいきなりはじめて出会った人に自らの裸体を無防備に晒してしまった。
さっきの少女、可愛かったな。年齢はまだ10歳程度だろうか。顔も非常に整っていて、大人になれば美人になることは容易に想像できた。
そう思うと、なんてヒドイことをしてしまったんだろうと自暴自棄になる。あんな少女に…
俯いていると、さっきの少女がおそるおそると言った感じでまた戻ってきて半分空いた扉から部屋の中を覗いていた。
「あ、あのさっきはすみません。よろしければここがどこだk…」
俺が声を発すると少女はビクビクッと体を震わせてまた逃げ出していってしまった。
「おーい、ちょっと…はあ…」
ため息をついて自分の言葉を飲み込む。せっかく謝ったのに。
あ、そういえば顔立ちが違うんだから、言葉が通じないのかもしれない。
しかし、この国がどこだかも知らないし、俺はほとんど外国語の勉強もしていない。英語を授業でやった程度だし。どうすることもできん。
う~む、と唸っていると、またまた少女がやってきた。今度は右手に何か茶色い塊を握っている。
今度こそあまり刺激しないように、とりあえず顔に笑みを浮かべて少女の目線まで体を小さく曲げてみる。言葉が通じるかわからないので笑顔のままどうしたものかと思慮していた。
少女は俺の笑顔を見るとあからさまに、恐怖を感じています!という表情を浮かべておっかなびっくりしながら近づき、茶色の物体を俺に押し付け走り去っていった。
笑顔作戦も効かないようだ。考えてみれば、俺のこのガタイで目つきは悪いと昔から言われていたのだった。
そんな人間が薄ら笑いを浮かべながら黙って睨んでいれば、小さな子供は畏怖の対象として見るかもしれん。
少女から渡されたモノを見る。これは、クッキー…か?
匂いを嗅いでみるとほんのりバターっぽい匂いがする。
知らない人からモノをもらってそれが何かわからず口にするっていうのは意外と勇気のいることではあるが、とりあえず今はこれを口にしてみるしかないのだろう。
なぜなら彼女は気付かれていないと思っているのかもしれないが、俺には扉の隙間から目をバッチリ凝らしながらこちらをソワソワと伺っている少女の目がバッチリと見えるのだから。
おそらく食べて貰いたいのだろうと思う。
言葉も通じるかわからない、体や顔で怖い印象を抱かせてしまう俺にとって信頼を得るにはこうするしかないのだ。
意を決してクッキーっぽいものを口に運ぶ。
うん。クッキーだった。甘みはすごく遠くにうっすらという感じで出てくる程度で、生地もボソボソとしていて美味しいと感じるものとは言えないが、食べられないことはない。
俺が普通に食べているところを見て少女は途端に表情がパァッと明るくなり、キラキラとした瞳をこちらに向けている。
なんだろうこのカワイイ生物は。
このクッキーは自分で作ったのだろうか。
少なくとも、あまり悪い印象はもっていないような気がする。
いや、気がするだけか。何せ裸体を見られたのだからな。
すこしホッコリした気分になっていると、少女は後ろの方を伺い、サッと隙間から見えなくなってしまった。
そのすぐ後に扉がノックされ、今度はこれまた見目麗しい若い女性が姿を見せた。
「ごめんなさいね、この子ったらノックもせずに部屋を覗いちゃって。」
その女性からは、欧米風の顔立ちから想像できないような流暢な日本語が聞こえてきた。
いや、言葉として聞こえるのが日本語だが、明らかに喋っている口の形はその言葉と一致していない。
洋画の日本語吹き替えを見ているような気分だ。
これはもしかしたら…
俺の中にある結論がよぎる。
俺は何らかの理由により「異世界」というものに飛ばされたのではないか。
死んだはずなのに生きていること、傷が消えていること。
この街の様子。そして、言葉。
しかし、もしそうであったとしても、そんなことが起きたのには何か訳があるはずだ。
魔王を倒してくれ、だとか…いや、やめよう。非常に恥ずかしい妄想だ。
そんな事を考えていると、返答がないことを不思議に思ったのか女性がこちらを伺っているのが見えたので慌てて言葉を返す。
「あ、いえ…えっと実は、少し記憶が混乱していまして。申し訳ないです。」
と、そこまで話したものの、次の言葉に詰まる。
なんと言えばいい?
・・・
イカン、何を言っても頭のオカシイ奴と勘違いされて家を追い出される未来しか想像できん。
どうしようか…。
「ああ、そちらに関してはあなたをここまで運んできてくださった方から大体のことは聞いたわ。名前はキョウ…だったかしら?遠い国から来られて、何かのショックで記憶を失っているんだって?大丈夫?どこか痛いところとかない?」
突然の言葉にまた驚いた。
どうしよう。まだ目を覚ましてから数十分と経っていないのにもう俺の思考回路はショート寸前だ。
俺を運んできた人?しかもソイツは俺の事を知っているようだ。
誰だ?思い当たる節が一切ない。
というかココが異世界だとしたら思い当たる人物どころか知り合いすら一人もいないという事にはならんだろうか。
しかし、とりあえず事情はわかっているということなので適当に話を合わせておくか。
名前は侠也なのだが、別にいいか。
「痛いところは今のところ大丈夫です。こちらで休ませてもらっていたようでありがとうございます。えっと…」
「ドナよ。私の名前。ちなみに後ろで覗いてるのは娘のティティ。気にしないでゆっくりしていきなさい。」
ドナさんの後ろの扉がガタガタッと震えた。
おそらくティティと呼ばれたあのクッキー少女のことだろう。まだ見ていたのか。
クッキーのお礼をちゃんと言わなければな。
「よろしくお願いします、ドナさん。それと、ティティちゃん。さっきはありがとうね。美味しかったよ。」
俺がそう言うと、また扉がガタッと震える。
「ティティ、こっち来て挨拶なさいな。ごめんねキョウくん。いつもは人懐っこいんだけど今日はなんだかヘンみたいね。」
そりゃそうだろう。なんせ不意打ちとはいえ見知らぬ男の裸を突然見せられたのだ。
っていうか、キョウくんって。いきなりフレンドリーですなドナさん。
まあ、そういう風に接してこられた経験があまりないから俺としては嬉しいんだけど。
ティティはおずおずといった様子で俺の顔と床を交互に見ながら、扉の裏からドナさんの隣に移動した。
「ティティ。10さい。急にドアあけてごめんなさい。ゆるしてください。おそわないでください。」
ちょっとちょっと何を物騒なことをおっしゃっているのやら。
ドナさんの目も少し淀んできた。これはマズイ。弁明をしなければ。
「あ、あの~違うんですドナさん。ちょっと着替えて…というか、体の状態を確認しようと裸になったらですね、ティティちゃんがですね」
しどろもどろになりながら説明をする。
「アッハッハ!な~んだそういうことか!ティティったらおませちゃんになっちゃって。」
ドナさんが大笑いしてティティの頭をガシガシ小突いている。
清楚っぽい見かけによらず豪快な性格なのかもしれない。
「あのクッキーはこの子がはじめて作った料理なんだよ。美味しく食べてもらえたようでよかったじゃないの、ティティ。」
ティティはそう言われて、顔を髪の色と同じくらい赤くしてうつむく。でも嬉しそうだ。
俺の気持ちもホッコリとしてきた。
最初に出会った人たちがこんなにいい人たちで良かったと心から思った。
すったもんだがありながら、とりあえず記憶喪失という体でこの世界に関する話を聞くことが出来た。
どうやら俺の予想は当たっていて、ここは今まで俺がいた世界とはかなりの部分が大きく変わっているようだ。
今いる村の名前はミズモ村。イーストクラシカルという王国に属する小さな村だそうだ。
人族の生息域では一番東に位置する国で、人口の規模も生活環境もなかなかに良いという。その割には、この村を見るとそれほどいい環境に思えないのだが…この世界では科学技術はあまり発展していないようだ。
この世界では多種多様な種族が存在している。
俺達のような人間族。
その他には、獣族と呼ばれる獣の特徴を示した者達や、エルフという妖精の特徴を持った者達、ドワーフという地下に町を作ってそこで暮らす者達。全身が鱗に覆われたリザードマンなど。
さらに、ここよりも更に東に存在する『常闇大陸』と呼ばれる大陸には、魔族と呼ばれる存在がいるらしい。
彼らは青白い素肌でコウモリのような羽を生やし、体中に奇怪な模様を纏った面妖な存在だ。
しかし、魔族は特にこちらに害を加えるでもなく、極希に1体か2体ほどで上空を飛び回って観察にくる程度のようだ。
しかし、こちらから調査に派遣された冒険者達は一人も戻ってくることはないという。
ほとんどが謎に包まれた不思議な存在だ。
科学はそれほど発展していないが、魔力という概念が存在し、魔力によって様々な恩恵を受けている。
魔力を道具に込めて使用する魔道具や、魔法も存在する。
しかし、人間族は魔法を使うことは出来ないようだ。しかし体内には魔力があるので、魔道具に魔力を込めるといったことは出来るらしい。
なんでも、昔は人間族も魔法を自由に扱えていたのだが、百数十年前のある時を境に全く魔法が使えない子供ばかりが生まれ、今や全ての人間が魔法を使えなくなったという。
ドナさんは詳しいことはあまり知らないという事なので、それ以上のことはわからなかった。
そして、魔力を糧に生きている魔物と呼ばれる存在もいる。今までの世界にいたようなウサギやイノシシといった野生生物も存在するが、魔物はそれとは違った生態系を持ち、身体のどこかに魔石が埋め込まれているためにそれで見分けられるそうだ。
度々村や町を襲い、被害を出すこともある。人族に対してはかなり敵対意識を持っているようだ。
そして、それらを狩る為に冒険者達がおり、各地にギルドを設営して登録した冒険者は、魔物を狩ったりギルドからの依頼を達成して生計を立てているということだ。
イーストクラシカルの王都や周辺の街にもギルドがあり、この村にも討伐目的でやってくる冒険者が討伐地点までの中継地として利用していたりするらしい。
なんともファンタジー。まるでゲームの世界じゃないか。
クラクラしてきた。あまりにも現実離れしすぎている。
これはもしかしてドッキリなんじゃないか?とも思ってしまうほどだが、ドナさんの口ぶりを見る限り、嘘を言っている様子はない。
「あ~それと…ね。基本的にはアタシ達は、他の人族にとっては差別の対象みたいになってるからさ。特に獣族なんかには難癖付けられないようにうまくやんなきゃダメよ。ちょうど、この村にも冒険者の土狼族が2~3人、来ているらしいからね。」
どうやら獣族や他の一部人族などは自分たちを「新人類」と呼び、人間族を「旧人」という呼称を用いて迫害しているという。
彼らは人間よりも身体能力が高く、種類によって鼻が利く、耳が良い、魔法を使えるなど全体的に人間よりも優れた特徴を持っている種が多い。
イーストクラシカルを治める女王も人間族ではなくエルフだ。
エルフは人間族に友好的な種族で、この王国内に限っては監視の目も行き届いており、目立った差別というのはない。
それでも精神に根付いてしまった差別意識はなかなか拭うことは出来ず、王国にいる獣族などは人間族と問題を起こして補導されるといったケースは多いという。
ただ、獣族は特に冒険者に多く、その強靭な身体能力で魔物を多く狩り、王国にも貢献しているのであまり無碍には出来ないらしく、女王もその対処に苦慮しているとのこと。
「人間族が全く獣族に対抗できないってわけじゃあないんだけどね…。ま、それでも一度騒動を起こしたら、獣族は気が短いし、死人が出ることだってある。あまり刺激しないのが見のためってことさね。」
ドナさんは笑ってそう言う。
差別か。
どこの世界にも同じようなことが転がってるもんだ。
ま、それでもどういう理屈かはしらんが、一応言葉は通じているわけだし。
ドナさんが言うには、今まで言葉の通じない人に出会ったことはないという。
口の動きはバラバラでも、自然と入ってくる言葉はわかるようになっているようだ。
原理が全くわからん。魔道具を使っているわけでもないし、いったいどうなっているのやら。
言葉が通じるなら、少しづつ心を通わせていくことも出来そうなもんだが…
ま、あっちの世界じゃ同じ人間であっても差別があったんだし、こっちの世界の事情もまだ良くわからんうちから考えていても仕方ないな。
しかし、冒険者か。いい響きだ。
こんな世界に来たからにはやってみたい職業第一位ではないだろうか。冒険者。
相手が獣族でなければ色々と話を聞いてみたいと思ったが、今の話を聞いてしまうとそうも言っていられないな。
残念だが諦めよう。
でも、これからどうしよう…?