プロローグ
初投稿デス(手直ししました7/1)
雨の降りしきる夜の街道に、一人、俺は壁に寄り添い座っていた。
右脇腹と左肩からは、赤黒い液体が俺の身体を嫌がって外に這い出てきている。
それが雨と混ざり合い、俺の身体を伝ってアスファルトに染みこむ。
ここで、俺の人生は終わりを告げる。
関西一帯を取り仕切る広域指定暴力団、時任組。俺はその一人息子、「時任侠也」。
父親が組長という事だけで今まで散々な不都合を被ってきた俺は、組を継ぐ気などさらさらなく、かといって大した夢も目標もなく毎日を過ごしてきた。
理不尽な暴力や恐喝を嫌う俺にとって、親父のやっていることは別世界の出来事のように、卑劣で残忍に映っていた。
自分からは何もしていないのに、その肩書だけで周囲から疎まれていた事に強い憤りを感じていた。
母親は俺が中学に入る頃に癌で倒れ、半年後に眠るように死んだ。俺の唯一の理解者だった。
俺は親父から逃げるように、東京へと出てきた。
親父も俺の今までの態度に思うところがあったのか、半ば継がせることを諦めていたのだろう。入学費用を用立ててくれた。
生活費も用意していたが、そこまで親父の世話になりたくないので、バイトをはじめて生活費は自分で稼いでいた。
遺伝なのかなんなのか、特に鍛えているわけでもないのに俺の身体は筋肉量が多く、まるでボディビルダーのような体型だ。
それに顔つきも悪い。
俺はこの身体も顔も大嫌いだった。
しかし、強い男(見た目だけだが)への憧れのようなものでもあるのか、それともただ利用したいだけなのかはわからないが、大学時代は俺を慕ってくれている友人も多く、言い寄ってくる女性も何人かいた。
まあ、俺はこのヤクザの血を俺の代で終わらせるつもりだったので、女性からの誘いは全て断っていたが。
それに俺は今まで喧嘩など一度もしたことがない。暴力を振るったこともない。というか、この身体と顔つきのせいで、相手が最初から尻込みして絡んでこない。
そしてなにより親父の干渉もない。
なんとも平和に大学生活を満喫していた。
―梅雨のジトッとした空気が肌を舐めるような感触を感じたある日のこと、大学から帰った俺は、バイトに行く準備をしてまた家を出た。
講義が長引いた為にバイトの時間まではギリギリだった。
辺りはすでに薄暗く、午後から太陽を覆っていた雲はさらに厚みを増している。
急いでいて傘を持っていくのを忘れた俺は、雨に振られないうちにとその足を早めた。
バイト先の飲み屋は、テナント広告が多く貼られている雑居ビル街の一つに構えられている。一つ裏道を抜ければアフター5のこの時間に多くの人で混み合う路地にたどり着くのだが、バイト先の飲み屋のある通りは非常に閑散としており、数分おきに人が通る程度であった。
なんとか時間までに着きそうだと、飲み屋のある裏道を走って通り抜けて角を曲がったその時、見慣れた姿で立つ一人の男を俺の眼が捉えた。
「ああ、おやっさん。どうも。ちょっと遅刻しそうになって慌てて走ってきました。」
「…やあ、侠也くん。」
バイト先の飲み屋のおやっさん。
飲み屋の店主にしては口下手で、愛想が良いということもない。
でも味はそこらの飲み屋ではまるでかなわないくらい美味いものを作るし、何よりこんな人相の俺を雇い入れてくれ、生活費が苦しい俺の為にまかない料理だけでなく翌朝のおかずまで用意して持たせてくれる、とてもいい人だ。
「侠也くん、いきなりで悪いんだけど…そのままの格好で構わないから、マサさんのところまでおつかい、頼まれてくれないかな。いつもの焼酎、1ケース分」
「俺が…ですか?はい!わかりました。すぐ行ってきます」
普段はほとんどおやっさん自らがいく仕事であるが、もしかしたら俺の今までの成果が見込まれて、仕事を頼んだのかもしれない。
少し嬉しくなった俺は、声を張り上げて了承し、マサさんの酒屋に向かう方向へその足を向けた。
その直後だった。
ふいに、右肩をグッと押し込まれるような感触を感じた。
その直後、その部分に鋭い痛みを感じ、その部分を確かめようと手を肩に置き後ろを振り返る。
後ろには、無表情のままこちらを見るおやっさん。
白い割烹着に所々飛び跳ねたような赤が混じっていた。
…その手に、血塗れの包丁を握って。
肩に置いた手を離すと、俺の手は鮮血に染まっていた。
何が起こったのか全くわからず、俺はただ肩口とおやっさんの顔を交互に見るだけだった。
痛みが強くなり、思わず膝をつく。
周囲には人は通っていない。
雨がポツポツと振り出し、少しずつ俺とおやっさんの身体を濡らしていく。
「おやっさん…なんで」
絞りだすように俺はその疑問を口に出した。
「ごめんよ侠也くん。」
そう、おやっさんが言うと、俺に近づき、もう一度脇腹に向かって包丁を突き立てた。
痛みと衝撃でワケがわからなくなっていた俺は、自分の身体を庇うこともできずに刃を受け入れていた。
「グッ…ガハッ…」
内蔵がやられたのか、口から大量の血を吐き出す。
衝撃でよろけて壁に右肩をぶつけ、さらなる痛みでたまらず壁に寄りかかるように蹲った。
声が出せない。
このようなことをして無表情で俺を見下ろすおやっさんが怖くてたまらない。
どうして?なんで?頭のなかをグルグルとめぐるが、答えが浮かばない。
おやっさんがこんなことをする理由が全く思い浮かばない。
おやっさんはさらに赤く染まったその姿で、表情を固めたまま俺の前にしゃがみ込む。
「誠のこと、侠也くんに話したっけなあ。大阪で働いてたんだよアイツ。」
息子の誠さん。
おやっさんの話では、関西の国立大学を卒業後、大手電機機器メーカーに就職しているという。
おやっさんが誠さんの話をする時は、無口な彼が顔をほころばせながら嬉しそうに語っていた。
自慢の息子だった、と。
しかし、数年前、事故によって死亡。一人息子だったそうで、その話をした時のおやっさんの寂しそうな顔は今でも脳裏に焼き付いている。
結婚を誓い合った彼女がいたそうだが、事件後に行方不明となっていた。
「誠はさ、会社の帰りにトラックに跳ねられて死んだって聞いてたんだ。でもな…本当は違ってたんだ。誠は殺されたんだよ。事故に見せかけて。」
無表情だったおやっさんの顔が少しずつ崩れていく。
トラックの運転手は誠さんを撥ねた後、電柱に激しく激突して死亡。
おやっさんはその怒りをどこにもぶつけることが出来ずに苦しんでいた。
しかし、最近になってその事故が、事故に見せかけた殺人だったことが明らかになったという。
「俺の信頼してる情報屋稼業の人間の調べだ。誠の婚約者のアヤちゃんはな、時任組の幹部の男が目をつけてた女だったってよ。」
――時任組。その言葉がおやっさんの口から出た時、俺は全てを悟った。
後の内容はあまり覚えていない。
地元の警察もグルだとか、俺の苗字が気になって調べたらやっぱり時任組の倅だとわかっただとか、いろいろ言っていたが、頭に入って来なかった。
最後におやっさんは、「君に罪はないのはわかっているが、どうしてもヤツに、息子を失う辛さを味あわせたかったんだ」と言った。
俺が死んだことであの親父が辛さを味わうのかどうかは甚だ疑問ではあったが、俺もその姿は見てみたい、と、冗談にもならないことを思ってしまった。
その後、俺をその場所に置いたまま、どこかに電話をかけておやっさんはいなくなってしまった。
内容はもう聞こえないが、たぶん警察だろう。
雨が俺の身体を冷やしていく。
涙が自然と溢れる。
あんなに優しくしてくれたおやっさんが、俺を殺した。
しかも、原因は時任組。
今まで散々苦しめられて、やっと少しは離れられたと思ったらコレだ。
ここにきてもまだ、親父に苦しめられる。
今際の際でさえ俺は、あの家から逃げられないのか。
涙と血に濡れながら、流れ落ちるそれを拭うことも出来ず、俺は目を閉じた……。
――目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
最初は、病院に運ばれて奇跡的に助かったのだと思ったのだが、どうやら違うようだ。
ベッドの材質が一般的な病室のそれとは大きく異なり、木材で出た簡素なベッドに藁が敷いてあるだけのもの。部屋自体も粗末な作りで、天井は低く、壁はところどころ隙間が開いており日光が差し込んでいた。
とりあえずベッドから起き上がり、自分の状態を確認してみる。
身体に痛みはない。誰かが着せたのか、麻のような素材で作られた簡素な服を着ていた。
傷口部分をまくって見てみる。傷は綺麗サッパリなくなっていた。
俺は訳が分からなくなり、とりあえず服を全部脱いでみる。…いや、傷がないのだから、もしかしたら自分の体ではない誰かに入ってしまったのではないかとか、そんなありもしない妄想にかられてしまったのだ。
うん。見慣れた身体だ。ろくに運動もしていないのに無駄に引き締まった筋肉。背は最近測っていなかったが、大学進学してすぐにあった身体測定では190ジャストだったか。
顔も手でいじくってみるが、別段変わった部分はないように思う。
この身体つきと目つきで、俺は何もしていないのに小さい頃から怖がられていた。俺としては何の役にも立っていない要らないモノだった。
しかし、体が俺のものだと確認できたが、ではなぜ傷口が消えているのだろうか。
あれだけ深く刺された傷だ。例え何年も経っていたとしたってそうそう消えるようなものではない。
ふいにあの時を思い出す。
自分の体を2箇所も貫かれ、その場に放置された。あそこは人通りも少ないし、見つかってから病院に運ばれたとしても難しい状況だったろう。
まだうまく頭が回らない。
おやっさんが俺を刺したというショックがでかい。こんな俺を可愛がってくれたおやっさん。
彼をあのような凶行に走らせたのは、俺が時任組の組長の息子だったという、その一点だけだろう。
と、思いたい。
俺はおやっさんを信頼していて、おやっさんも俺を信頼してくれていると思っていた。
少なくともあの日までは。
…まあ、今はそれよりも現状の把握が大事だ。
窓の外を見る。
そこはのどかな田舎町、という表現がピッタリ似合うような所だった。
窓から見える家のほとんどが木やレンガ造り。遠くの川の横には水車が設置され、水の流れにあわせてゆっくり回り続けている。
ちらほらといる住民は俺が着ている服と同じような衣装で、顔立ちは遠目ではハッキリとはしないが、西洋風のホリが深い人が多い感じがする。髪の色も、金髪や茶髪といった色の人ばかりだ。
ヨーロッパのどこかの田舎町に眠っている間に運ばれでもしたのだろうか。
親父がやったのか?いや、そうする理由がわからん。俺は欧州地方に行ったことはないし、親父がよく行っていると聞いたこともないし。
考えを巡らせていると、ギィ…と微かな音を立ててドアが開いた。
そこにいたのは、赤い髪を後ろにまとめ、あどけない姿をしたヨーロッパ風の顔立ちをした美少女であった。
彼女は俺に気付くと頬を赤らめ、体をワナワナと震わせて
「ギイイイイヤアアアアアアアアアアアア!!!!」
という叫び声を上げてその場を再び飛び出して行ってしまった。
あ、俺全裸なの忘れてた。