その4 ロボットの中から。
VEMに一般兵士を乗せる。
そう決まった時、最初に選ばれたのがシュタンとサチャの二人だった。この二人が苦心の末に選んだのが、何でもこなせるトキハとツチ、そして何でもは出来ないコンとリョクの四人だった。
コンはあまり頭が良くない。狙撃は当たらない。今日は二度も転倒して、今は気絶していた。
その耳に、苦痛に呻く声が響いた。その声が、コンの頭をたった一つのことに塗り潰す。全神経、全思考が、ただ一つの目的のために総動員される。かつて失ってしまったものを、今度は守るために。
俺の、
仲間に、
「リョクに触るなァッ!」
コンは咆吼と同時に、本能で機体を駆動する。
巨人のブルスクーロは、腹の中の相棒に応えた。
○
一方、激しく揺さぶられるイェシルの中、リョクは計器にしがみついて俯いていた。喉に込み上げてくる吐き気は鉄の匂いがした。眩む視界に憎んだ金髪が掛かる。鼓膜に響く爆砕音は、ヘルメット越しであってさえ鼓膜を破りそうな程だ。そんな中で、カイが自分を呼ぶ声が聞こえている。
リョクはその声に返事をしたかったが、口を開くことが出来なかった。カイやシュタンに醜態を見せたくなかった。心配させたくなかった。だが意地を張っても、歯を食いしばっても、一方的な暴力を前に息が漏れ、リョクは喘ぎ、呻いた。
不意に揺れが止まり、リョクは座席に凭れかかった。肩で息をして、計器と映像で己の状況を把握した――敵VEMがこちらの搭乗者席をこじ開けようとしていることは、すぐに解った。敵は嘲笑するようにリョクを弄び、蹂躙する。まるで体を無理やりに開いて凌辱するように。
一際大きな揺れに、リョクは目を閉じる。瞼を焼く光にゆっくりと目をあければ、搭乗者席の最も内側の壁に穴が空き、そこから敵VEMの指先が見えた。その巨大さに、圧倒的な暴力の形を見る。
そしてリョクは、自分もそれに乗っていることを思い出す。
脳髄が冷えていく。朦朧とした意識の中にあって、リョクの口の端はつり上がった。自分はVEMの中にいる。最早暴力に晒されるままの非力な子供ではない。誰の助けもいらない。誰かに助けられるくらいなら、死んだ方がマシだ。
苦悶の声を呑みこみ、リョクは反撃の一手を打つべく、計器に手を伸ばした。その手が計器に触れる寸前、この世で一番聞きたくない声が通信機から聞こえた。
リョクは咄嗟に両腕で頭を抱え、体を丸めた。機体に先刻までの比ではない衝撃がきた。歯を食いしばっていなければ、舌を噛んだに違いない。搭乗者席に差し込まれていた敵VEMの指先は、内壁を一層に破壊して消えていた。
胸中で悪態を付き、リョクは外部映像を見た。だがすぐに破壊された機体の隙間から、金瞳で外部の様子を見る方が早いと気付く。リョクにとっては面白くない光景だ。
コンの乗る短躯のブルスクーロが、特殊能力者の乗る敵VEMを倒して殴りつけている。
――貴様は馬鹿か。
リョクは呆れかえり、イェシルの腕を動かした。胸中ではコンへの怒りが燃え上がっている。二人は部隊の中で一番若く、年も同じだが、その性格はまるで相容れない。
――何をやってるんだ馬鹿め。そいつは特殊能力者の乗るVEMなんだ、酔っ払いの喧嘩みたいな真似をして勝てるわけがないだろう。貴様の頭には何が詰まってるんだ、筋肉か、ええ? 腕力で敵う相手なら苦労はしてないだろうが。多少体力に自信があるからと言って、VEM戦で組み打ちする阿呆がいるか。貴様だけだ。無駄な事を。ほら、肩が破壊されたじゃないか。貴様が搭乗者に選ばれた理由が全く解らない。この馬鹿め、馬鹿め、貴様など死んでしまえ――
何か言ってやろうと思ったが、先刻のダメージのために咳きこむばかりで、リョクは無言で最後のボタンを押した。イェシルが起動する。唯一、遠距離戦のみを想定していたイェシルにだけ搭載されていた火器が稼動する。肩に内蔵された、遠距離砲だ。誘爆の危険と機動性の低下から、他の三機には搭載されていない。また、もし敵VEMが執拗に搭乗者席を攻撃せず、他の機関を攻撃していたら、暴発してイェシルは破壊されていたかもしれなかった。
その砲弾が、コンのブルスクーロを投げ飛ばし、起き上っていた敵VEMを直撃した。着弾の衝撃と爆発で煙が立ち込める。その煙が静まらぬうちに敵VEMの腕が伸びてきて、リョクのイェシルの頭部を鷲掴みにし、背中から地面に叩きつけた。衝撃で意識が飛びそうになるのをこらえ、リョクは敵の損傷を肉眼で確認した。装甲が剥がれた程度で、中破と言ったところだった。起動には問題ないようである。
もう一方の肩にある砲弾を使うべく、リョクは再び計器に手を伸ばした。こんな至近距離で砲撃すれば、搭乗者席の装甲を破壊されている自分もタダでは済まないが、シュタンやカイの勝利のためだと思えば何の躊躇いもなかった。二人はリョクの支えであり、救いだった。むしろ、リョクは歓喜のために口の端を吊り上げる。
だがその考えを奪うように、敵VEMは再びリョクのイェシルから引き剥がされた。またしてもコンのブルスクーロのためだ。ブルスクーロはイェシルの装甲ギリギリの所を狙って、背負っていた甲羅を両手で振り回した。敵VEMの腕がイェシルの頭を離す。
ブルスクーロは甲羅を棒高跳びの棒のように使い、飛び蹴りを食らわせ蹴り飛ばす。甲羅を捨てて着地し、イェシルを背後に庇ったブルスクーロの右手には近接戦用大型ナイフが握られている。クルムズなどにも装備されているナイフと違い、VEM用に開発された近接兵器を搭載しているのはブルスクーロだけだ。特殊能力者の乗るVEMならばともかく、一般兵士にはVEMで格闘戦を行うほどの体力は無い。コンだけが例外だった。
コンのVEM操縦は、他の隊員と大きく違う。航空隊出身のシュタンや戦車隊出身のサチャは、当然のようにVEMを機械、兵器として扱う。リョクにとっては砲台だ。だが、コンはVEMを己の肉体の延長として動かす。コンの操縦するVEMの動作は、「巨人」の肉弾戦である。今もコンは敵VEMを相手に、人間同士が闘うような動作で、ナイフ戦を挑んでいる。VEMで熟練した近接格闘が可能な搭乗者として、狙撃の難には目を瞑り、コンは選ばれた。
相手は格闘戦が苦手なのか、今のところ装甲を何度か切り裂かれている。だが、超能力者を乗せるVEMの能力は尋常ではない。自己修復力のために幾度も復旧し、そう簡単には致命傷に至らない。だが、とリョクも認めざるを得ないことに、時間が経ち、攻撃が長引くにつれ、自己修復が追いつかないほどの損傷をコンは与えている。大きな転倒で無ければ、コンは無茶な駆動に耐える。
密着して戦い続けることが出来れば、いずれコンが圧倒するかもしれない。その前に先程のような瞬間移動で遠く離れられては厄介だった。リョクは肩の遠距離砲の標準を敵VEMに合わせ、発砲のタイミングを計る。間にいるブルスクーロのことは無視して、発射ボタンを押した。コンに当たれば良いとさえリョクは考えていたのだが、勘が良いコンはは、ブルスクーロに弾丸が当たる寸前で身を沈めた。ブルスクーロの頭部を掠め、敵VEMの下腹部に直撃する。爆煙に巨体が隠れ、リョクは大きく息を吐く。
『気ィ抜くな!』
忌々しい声が緊迫していた。リョクは計器に目を落とし、爆煙に映る敵VEMの影から稼働を確認した。
どこまでも出鱈目な巨大兵器。リョクとコンはその猛威を目前に見ていた。次にあの爆煙の向こうから現れる機体は、どんな機動を見せるのか。それを凌ぐことは出来るのか。
『伏せてろ!』
緊迫するコンとリョクを、通信機から響く一喝が叱責した。ブルスクーロが露出したイェシルの操縦席を庇うように、二機は重なり合って伏せる。
リョクは生き残っていた計器で、外部の様子を確認する。
二人を一喝したのはサチャだ。二機が咄嗟に伏せるや否や、シュタンのクルムズが肩に担いだ大口径のVEM用ロケットバズーカを放つ。狙いは敵VEMの操縦者席だ。敵機を仕留めるにはそこを狙うのが一番確実だと、一機目との戦闘で学んでいた。
砲弾は真っ直ぐに、敵機を爆散させた。リョクは足だけになった敵機を確認すると、ふっと息を吐いて搭乗席に凭れた。
勝ったのだ、とリョクは安堵した。
○
砲撃の直後、シュタンの乗るクルムズは反動で背面に倒れた。倍以上の音が響き、続いて芝居がかった甲高い悲鳴が響く。
『きゃーっ! 押し倒されたー!』
「冗談じゃないッ」
危機的状況にも関わらず、シュタンは間髪いれずサチャに言い返した。シュタンの乗るクルムズの下には確かにサチャの乗るブロインの機体があり、故にサチャはふざけているのだが、好きでそうなったのでは断じて無い。二機とも破損が激しく、単機でVEM用ロケットバズーカを使用できる状況ではなかった。そこで肩から下は無事だったクルムズが射手となり、手指を破損していたブロインの計器を繋げて照準を合わせたのだ。VEM用ロケットバズーカは予め無人のコンテナに詰めていたものであり、そのコンテナを背に、ブロインがクルムズを抱えて反動を押さえ込もうとしたのだが、砲撃の威力の前に背中から倒れたのである。
『いやぁん、怒らないでぇ』
「余裕だな?」
サチャの悪ふざけに、シュタンは怒りを込めて返す。
「あいつらは無事か」
計器の壊れたクルムズのシュタンからは、周囲の様子がわからない。
『だってサーモグラフィ見ればわか……ごめんごめん、オシャカになってたんだっけね』
「二人とも無事なのかッ? 信室、確認は!」
『はい、敵VEM破壊を確認。二人も無事です』
カイの安堵した声を聞いて、シュタンも深く息を吐いた。サチャは先にそれを知っていたから、ふざけていたらしい。
尤も、サチャは何時でもふざけているが。
『砲弾は敵VEM二の背面エネルギーパックに直撃、機体は大破。今は膝から下だけしか残ってません。
それと、コン君もリョク君も無事です。良かった』
『ほほーう? んで? これからどーするよ?』
揶揄する口調でサチャが割って入る。その揶揄はサチャ自身にも向けられる。
『ぶっちゃけもーブロインとクルムズは戦えねーですよ。姫さんも無理だろーし。
ブルスクーロ一機で敵地突撃?』
『そんな無茶は……ああ、少将から連絡です。この方面で確認されていた敵VEMが最大で二機でしたので、VEM隊の任務は終了。今、整備班のトレーラーが周りますから、お待ちください』
基地の攻略も予定以上に早く済むようだとカイが付け足した。シュタンはそっと息を吐き、部下に通信で呼びかけた。
「コン機ブルスクーロ、リョク機イェシル、聞こえるか? 応答しろ。戦闘は終わりだ」
『っ、はい、リョク機イェシル、無事です』
リョクの声に、シュタンは眉間に皺を寄せた。
「正直に言え。怪我の状況は?」
『少し、気分が悪い程度で外傷はありません。中尉たちの方は?』
『おいおーい、どーするよシュタンさん? 超絶に喘ぎ声な姫さんから心配されてますよ我々?』
『だッ……!』
誰が姫だ、との何時もの文句は咳で中断される。シュタンはため息を付く。
「休め、リョク。次の指示は通信室経由で行う。サチャは黙れ。
コンは? 酔ってないか?」
通信系統からリョクが外れる。シュタンはコンに呼びかけるが、やはり応答はない。機動の際に打ち所が悪かったかと不安になっていると、通信室とサチャの苦笑が聞こえてきた。
○
リョクはヘルメットを外すと、金髪と金瞳を晒してグタリと計器に凭れかかった。顔立ちには疲労が濃く、妙に艶めかしい。サチャが冗談で「姫」と呼ぶのも無理はない顔立ちだが、本人はそれを嫌っていた。
「よく保ってくれた、イェシル」
途切れがちに機体に感謝を言い、リョクは肩で大きく呼吸した。機体の損傷の激しさは十二分に承知していた。もっと上手くイェシルを使えていたら、という後悔がリョクにはあった。搭乗者席の破損は激しく、容易に降りることも出来なさそうだ。
「リョク! 無事かッ?」
後悔に沈んでいるリョクの耳に、一番聞きたくない声が響いた。通信機を兼ねたヘルメットは外していたから、肉声である。変形した装甲を無理やりに引きはがされ、イェシルの搭乗者席が晒される。明け始めた空の明るさに目を細めて、リョクは腿に装備された拳銃をホルスターから引き抜いた。
「来るな!」
狙いは定まらないが、リョクは躊躇うことなく発砲した。自決用に装備されているために銃弾はたった二発、それを撃ち尽くした。心臓に命中していればいい、と本気で思った。が、ほんの僅かな足止めにしかならない。イェシルに覆い被さるブルスクーロの搭乗者席を降りたコンは、躊躇無く拳銃を構えたリョクの首に抱きつく。機体ごと大地に叩きつけられた時ほどではないが、その揺れにリョクは息が詰まる。
「離せッ! この馬鹿ッ!」
振りほどこうにも、コンとリョクの体格差はもともと絶望的だ。身長は同程度だが、筋肉量がまるで違う。弱っている今では全く振りほどけない。激怒してコンを睨むと、リョクが全く想像しなかったことに、コンは涙ぐんでいた。リョクはまた息がつまる。何故コンがかくも昂ぶるのか理解出来ないリョクが二の句を繋げずにいると、乱暴に頭を撫ぜられた。嫌悪が戸惑いに変わる。
「良かった、元気で。いつものリョクだ」
それで終われば、リョクは戸惑いつつも拳を降ろしたかもしれない。
「本気で心配したんだぞ、姫様細いし」
「きッ――貴様あああああっ!」
リョクはコンに殴りかかる。コンは全く意に介さない。階級も年も上のサチャに「姫」と呼ばれても、殴り合いにまではならないが、同じ年のコンが相手だとリョクは激怒した。毎度のことである。
サチャの横暴に勝てるリョクではないし、コンにも腕力では勝てないのだが、後者に対してはとにかく腹が立つのでリョクは反撃に出るのだ。
「意外と元気?」
「黙れ! 死ね!」
リョクが表情を引き攣らせて言うと、コンは笑った。そうして勝手にイェシルの機器を操作して、他機と通信室と交信する。
「思ったよりも元気ですよ、リョクは」
『あんまり虐めちゃ駄目だよ、コン君』
カイの苦笑が返ってくる。サチャが爆笑しているのが聞こえた。
『前線では敵基地の制圧が完了したそうです。スミ少将、どうぞ』
『あー、スミだ。敵VEM二機の破壊を以て、VEM隊は帰還。あとは十五部隊の仕事だ。
これからトレーラーを回す。それまでは、くれぐれも仲良くな』
スミに言われては、流石にリョクも口を噤む。ひとしきり笑ってから、サチャが言った。
『色々反省点はあるけど、当初の目的は無事に果たせたってワケだな?』
『そう言うのは基地に戻れてからにしろ』
『基地に戻るまでが戦闘です、ってか? あーあ、整備班の顔が目に浮かぶわー』
基地に戻るまでに、コンにやり返そう――息を切らしたリョクの気力は、そこで尽きた。