その2 通信室から。
ロボ対戦車編。
帝国軍、西部第八基地所属第十五辺境鎮。
夜明け前の薄暗さをかき消す投光機の明かりの中、カイは歩いていた。人々の慌ただしや、そこかしこに積まれた機材のせいか、それとも前線に近い場所で釦隠しに赤と緑のラインを持つ通常軍服でいることへの遠慮からか、迷彩柄が多い基地の中は窮屈に感じられた。保育士を勧められる優しげな顔立ちが次第に曇る。黒い瞳は不安げに、きょろきょろと周囲を見回す。
と、機材の陰に座り込む赤毛の少年の姿を見つけると、カイはすぐに駆け寄った。軍服ではない、ごく一般的な服装の少年だ。
「コハク大佐! こちらにおられましたか、今、前線から打電が」
「判るよ。イェシル起きるよ」
赤い瞳がカイを無邪気に見上げた。珍しい色素を持つ少年の言葉に、カイは表情を険しくした。
「リョク君の機体が?」
少年、コハクは笑顔のままだ。カイは困惑し、口ごもる。そのカイの肩が叩かれた。振り返れば同僚のフジが通信室を指差して立っている。陰鬱に見られがちな顔立ちは表情に乏しく、感情は読み解けない。
「コハク大佐、カイ少尉。スミ少将から召集、早く来いと」
細い、弱々しい声だ。カイは普段の優しげな表情を取り戻し、小さく頷いた。
「ありがとうございます、フジ少尉。ではコハク大佐、通信室へ」
「うん」
コハクが笑顔で腕を差し伸べた。カイも笑顔で応じ、コハクの小さな体を引いて立たせた。コハクはもう片方の手で、フジの腕を取り、二人の間にぶら下がるようにして歩きだす。カイはその稚気に微笑み、慣れていないフジは狼狽し、三人は並んで歩き出す。すれ違う軍人が、奇妙な三人組に怪訝な顔を向けるものの、コハクを見ると納得したように顔を背けた。
赤毛に赤い瞳、そして軍服を着ない子供は、帝国軍内において特殊な存在だ。
基地に設けられた通信設備の一角は、見知った顔が占領していた。一人は若い娘、もう一人は威厳のある壮年の男である。
「まあお二人とも、お父さんみたい」
そう言って微笑をフジに向けるのが、若い娘であるキキョウ曹長だ。
「コハク大佐はこちらの椅子にどうぞ。二人は通信を」
指示を下すのは壮年の男、部隊の最高責任者であるスミ少将であった。カイとフジは敬礼のあとで、用意された席に着く。
通信室は司令室の一角にある。物珍しがる視線を集めていることに気付き、カイは戸惑う。フジは終始俯いている。
「少尉たち、通信機は問題ありませんよ。
それとさっき、第八部局でも応援してるって通信がありました」
キキョウが緊張を解せるようにと微笑む。カイは気を落ち着かせ、周囲の奇異の目を振り払う。
「搭乗者との通信開始、お願いします」
カイはフジを見た。フジは片手を振る。任せる、ということだ。続けてカイはマイクに向かって話しかける。
「通信担当、カイ少尉です。聞こえますか、シュタン中尉」
『クルムズ機感度良好』
耳慣れた素っ気ない声を通信機越しに聞き、カイは安堵する。
「聞こえますか、サチャ中尉」
『ブロイン機、もっちろんろーん』
巫戯け気味の、相変わらずの軽口だ。豪放な烈女の軽口も、今は頼もしい。
「聞こえますか、コンく――失礼、コン准尉」
『ブルスクーロも感度良好でありますっ』
「聞こえますか、リョク准尉」
『はい。イェシル、感度良好』
高揚した声と、落ち着いた声とを聞いて、カイはシュタンの時とは違う安堵を覚えた。直前で出撃が決まったのだが、二人とも、不必要に硬くなったりはしていないようだった。特にリョクは戦場自体が初めてのはずだが、動揺は無いようだ。
「通信回路、全機異常なし。スミ少将」
カイは四人の軍人との確認を終えたことを、上官のスミに伝える。スミが自身の通信機を手に、四人に向って話し始めた。カイたち三人もその言葉に耳を傾ける。
「スミ少将だ。全員、作戦は把握しているな?
本作戦は第十五辺境鎮部隊による敵基地攻略戦の増援であるが、我が隊にとっては初陣となる」
サチャが茶々を入れるように口笛を吹く。
「十五辺境鎮部隊からの要望は、敵VEMの拿捕及び大型兵器の破壊である。歩兵は無視していい、デカイのを潰せ。いいな?」
了解、の言葉が四つの声で返される。スミの動作につられるようにして、カイたちも背後を振り仰いだ。三段ほど高くなった場所に、作戦の総指揮者である西部第十五基地司令がいる。彼もまた、この作戦のために西部第八郡から出陣してきたのだ。
「VEM隊、準備完了しました」
「VEM隊展開、了解。歩兵、戦車隊の展開も確認。
機動を許可する」
「はっ。通信兵、打電」
「シュタン中尉機クルムズ以下、全機、起動開始」
『完了。全システムクリア』
シュタンの言葉に、カイはスミを見た。スミの腕はゆっくりと振り上げられ、号令とともに機敏に振り下ろされた。
「立て!」
『帝国に栄光あれ!』
四つの鬨の声に、カイは思わず身震いした。
「以降、VEM隊への指示はスミ少将に移管する」
「は! 帝国に栄光あれ!」
「帝国の錆たれ」
敬礼で応えるスミに、司令官が応じた。
初陣だ、とカイはじわりと手に汗を握る。ちらりと隣を見れば、フジも緊張気味だ。キキョウはカイとフジを気遣うように微笑んでいる。三人の中で、一番若く、一番経験を積んでいるのが彼女なのだ。
戦場からの映像では、三機の巨大人型兵器が運搬用のトレーラーから起き上がっていた。分割された画面の隅に映る後方の丘もまた、同じ兵器であった。
ヴィタ・エクス・マキナ――通称VEM。狭義には機体を動かす人工知能を指すが、広義にはそれが搭載された巨大人型兵器を言った。従来は、コハクのような特殊な能力者でなければ操縦できない、極めて限定的な兵器である。効率の悪いヒト型であるのは、帝国でもっとも燃費の良い動力源であるヴィタ炉がヒト型でないと起動しないという、いまだ解明されない欠点を持つ為だ。
その火力は凄まじく、帝国軍はVEMの量産と搭乗者の拡大を図った。その推進を中心になって進めたのが部隊の最高責任者であるスミである。技術面での協力は、運搬用トレーラーの一台に乗り込んだテツが牽引してきた。ネジはスミとテツの旗下に集った技術者の一人である。
実用化にこぎ着けた今、戦場にいる四機の搭乗者――シュタン、サチャ、コン、リョク――は、いずれも一般兵である。なんの特殊能力も無い若者たちだ。
朝焼けの荒野に、砂漠迷彩の巨人が立ち上がっていた。それぞれに意匠も形も異なる。共通しているのは、二本の足、二本の腕、望遠レンズの二つの瞳、そして背中に背負った『甲羅』と呼ぶ盾だ。まるで亀のようだが、手足は長い。
「現場の判断はシュタンに一任するが、基本は事前の打ち合わせに従うように。羽目を外しすぎるな」
『誰に言ってるのさ?』
緊張気味のスミの言葉を混ぜっ返したのはサチャだった。カイは肩を竦める。烈女の巨躯には搭乗席が狭いだろう。
「全員だ、全員。
通信班も事前の打ち合せ通り。カイが四人と、キキョウが外部との通信を担当。フジはデータ解析。
良いな?」
「はい」
今度は通信室の三人が返事をする。
キキョウが柔らかな、しかし明瞭な口調で言葉を続けた。
「西方より打電。敵戦車隊が出現、応援を乞う」
「サチャ機ブロイン、西に戦車隊だ。潰して来い」
「サチャ中尉、西方に進んで下さい」
キキョウの言葉を受けてスミの出した指示に、打電したカイはサチャが搭乗者席で口の端を吊り上げるのを見た気がした。搭乗者席の映像は出ていないし、搭乗者もフルフェイスヘルメットを被っているので、表情を見ることは出来ない。それでもカイは、サチャの獰猛な微笑をありありと思い描いていた。
『おっけーい!』
三機並んだVEMの一体が、スキップでもするように軽々と、西へ走った。
『いぃぃぃぃぃぃぃっやっほぉぉぉぉぉぉぉぉう!』
搭乗者の声は全て通信担当のカイに聞こえる。そこから必要な情報を取捨選択し、他へ回すのがカイの役目だ。VEMで飛び上がった時の喜色に満ちた咆哮は、誰にも報告しない。
『対戦車砲、構え!』
着地と同時に、サチャ機は担いでいたVEM用対戦車砲を下ろした。巨大な機体が膝立ちをし、対戦車砲は肩に構えられる。
『準備完了、敵影を確認! よっしゃあ、撃つよ!』
「サチャ中尉、攻撃地点へ到達! 攻撃します!」
「撃て!」
スミが画面に見入ると同時に、サチャの声がカイの耳朶を打った。
『帝国に栄光あれ!』
対戦車砲が火を噴き、戦車の列に落ちた。爆音の後、激しい砂埃が舞い上がった。サチャは機体の背にある楯を外すと砂埃を払う。幾つもの戦車が銃撃で破損し、或いはその影響で横転し、虚しくキャタピラを空転させていた。風の影響もあって、随伴歩兵には大分犠牲が出ている。
『はんっ、戦車の弱点ぐらいお見通しだっての! 無限軌道も空中は走れねぇってな!』
前面に据えた楯を砲台代わりにして、サチャの乗るVEM、ブロインは、腰部に収納していたマガジンを再装填して対戦車砲を構えた。今度は先刻のように連射せず、一撃一撃、確実に戦車を撃破していく。帝国軍の戦車隊もそれに合わせて進軍を開始し、サチャはその援護に回る形になった。
『畜生、連中の露払いみてーで気にくわねー。連中にも当てちゃろか? 誤爆ってことで』
「中尉、聞こえてます」
『聞かなかったことにしとけ、カイ少尉』
カイは苦笑し、サチャがVEM隊に来ることになった経緯を思い出す。
サチャは帝国軍歩兵科の戦車隊所属の軍人だった。かのテンロウ会戦を生き延びた猛者の一人であるのだが、諸事情からVEM隊に来ることになった。故に戦車の長短所に詳しく、帝国戦車隊に複雑な感情を持っている。
今回は北部基地で留守を預かっているツチは、戦車隊時代からのサチャの部下で、彼女を追いかけてVEM隊に入隊した。まるで女神と狂信者のそれだと、常々他の隊員たちが零しているような間柄である。この出撃も、ツチはサチャとともに出撃すると主張して、寸前まで人員変更に肯んじなかった。
『サチャ中尉、西方は任せる』
『おっけい。任せとけっての、隊長殿!』
どことなく血に飢えた獣の獰猛さが、シュタンに答えるサチャの軽快な口調には混じる。
『コン、訓練通り、友軍後方から敵機を銃撃。共に前進。
敵VEMを発見しても一人でかかるな』
『了解』
コンとシュタンは敵勢力の厚い正面にいる。そこで味方の背後から援護射撃をしている形だ。味方の前進に合わせて、二機も前進し、火力を保ったまま敵部隊の制圧に参加している。
三機とも、味方の後衛からの援護を問題なくこなしている。転倒もせずに進んでいるので、カイは密かに安堵した。訓練中、盛大に転倒する様を見てきているのだ。
「これが通常の運営という形で落ち着きそうだな。戦車と同レベルかもしれないが」
「移動砲台、ということですね」
スミの言葉にキキョウが頷く。でも、とカイは口を開いて中継画面を見た。
敵と味方の戦車が接触していた。混戦する最前線の頭上から、VEMは後衛の戦車部隊を砲撃する。敵戦車の一台が、その砲身をシュタンの乗るクルムズに向けた。弾丸が飛ぶ。VEMは的が大きい。砲弾はクルムズに当たった。
だが、中距離からの戦車砲ではVEMにダメージを与えられる威力は無い。シュタンは背負っていた盾を構えて砲弾を受け止めたが、機体同様の素材で出来た盾は微かに黒ずんだだけであった。カイはシュタンの活躍に、言葉を続ける。
「火力と防御力、攻撃力も、戦車よりもVEMの方が上でしょう」
「シュタンやサチャの狙撃ならな。コンは相変わらず下手糞だな」
これまで、サチャとシュタンの砲撃の多くが敵戦車に命中し、破壊していた。その一方で、シュタンのやや後背にいるコンの砲撃はほとんど当たっていない。弾幕程度の効果はあるのだが、コンの射撃はあまり正確ではない。出撃前から解っていたことだ。リョクの持つ欠点もあり、本来ならばこの二人が初陣を飾るはずではなかったのだ。
「メラージャムブの損壊は惜しかった」
参戦していたはずの機体を呼ぶスミの声には、幾ばくかの悲しみが混じっていた。部隊が所有する機体が損壊したことを嘆いているだけでは無いのだ。カイはスミが抱いている喪失感を思い、目を伏せる――北部に残った、メラージャムブの乗り手であるトキハの抱えた喪失感にも思いを馳せながら。
だが今、ここにトキハはいない。カイは戦闘中の後輩を擁護する。
「コン君は他の点で優れてます」
「解っている。まだ『甲羅』を使ってない」
スミが苦笑し、前線の戦闘に意識を戻した。シュタンのクルムズ、サチャのブロインは、VEMが背中の炉心制御回路を守るために背負った『甲羅』を盾代りに使い、敵の戦車砲を回避しているが、コンのブルスクーロは未だにそれをせず、敵からの砲撃を移動で回避している。コンは射撃が下手だが、細かな動きに強い。普通ならば激しい動きに操縦者自身が根を上げるが、野戦隊出身であるコンの体力は尋常ではない。また、隊内で一番小さなブルスクーロの機体は小回りが利く。
「サチャ中尉、敵戦車破壊数が十を突破。機体のダメージ、軽微」
「その調子でブロインを大事に使えと言ってやれ」
カイは苦笑しつつ、フジの告げたデータとスミからの指示をブロイン機のサチャに伝える。
『よっしゃ任せとけ! 二度と戦車に乗る気がなくなるくらい、叩き潰す!』
『ブロイン、後衛であることを忘れるな』
『へいへーい。ったく、現場責任者殿は頭が固いことで』
『おまえが前に出ると味方に被害が出る』
ややうんざり気味だったシュタンの声が、不意に変化した。
冷静な声に、偏執的な狂気が滲む。
『潰すのはゲリラだ』
敵であるなら一人とて生かしておかない、と言外に言う口調だ。カイは物音に気付いてキキョウの席を見た。日頃は紅潮しているキキョウの頬が、シュタンの声に蒼褪めている。
慣れているはずのキキョウが、一瞬怯える程のシュタンの狂気――その理由を、カイもキキョウも知っている。シュタンは戦闘機乗りだった昔、敵の拷問で右腕を奪われた。現在のシュタンの右腕は義手である。その事件を契機に、シュタンは敵への強い憎悪と復讐から、激しい攻撃精神で戦場に挑んでいる。狂気染みた敵愾心――それがシュタンの特徴である。理由を知っていても、周囲を怯えさせるほどの感情。だがシュタンの狂信的な敵愾心が、VEM隊にある帝国軍内部への複雑な感情を、外に向けさせることにもなっていた。
『はっ。敵と味方を間違うほどじゃない』
『それは頼もしい』
シュタンの皮肉混じりの返答を待つまでも無く、サチャの意識が敵に集中した。キキョウは緊張が解けたように息を吐き、再び計器に意識を集中させる。
以前からシュタンを知るカイは、シュタンの狂気を痛ましく思うものの、隊のことを考えると、それを許容せざるをえないのだった。
今のVEM隊は、皆どこかの部隊から放逐された者の集団だった。サチャとツチは戦車隊に、コンは野戦隊に複雑な愛憎がある。儀仗航空隊にいたトキハは、飄々とした態度に隠した熱量を自機の損壊とともに露わにしていた。VEM隊を組織したスミ自身が、現在の帝国を疑っているのだ。
そのスミが隊長に選んだのがシュタンである。内部に向きがちな憎悪を外に向けるのが、シュタンの憎悪だ。
『サチャは西方、コンは前線部隊の援護を維持。
リョク、今現在の前線までの命中率はどの程度か』
『ほぼ八割』
『把握した。移動の時は指示する』
かつて隊長を務めていたこともあるだけに、シュタンの現場指揮は手慣れている。自身は正面の戦列の後ろにいて、周囲を見ている。現在の陣形は楔形で、コンの向かった正面が最も敵基地に近い。
「このまま終わってくれれば良いが……」
スミが拳を握りながら、祈るように言った。
まだ、最大の仮想敵は姿を見せていない。このままなら、味方戦車隊を援護して戦列を突破し、敵基地を制圧出来る。通常戦闘において、VEM隊火力を追加することの優位ならば証明できる。
だが、皆がこのままでは終わらない事を感じていた。そして、それが来るなら今が、こちらの火力を最大限に活用出来るこの地点が、最も理想的であった。
不意に、司令室全体に警報が鳴り響いた。
「来ました! 敵VEM一機、正面に出現!」
『こちらコン、ブルスクーロ! 敵VEMを視認!』
『全機、攻撃目標を敵VEMに変更! コン、銃撃!』
「来たかッ」
キキョウとコンの声に一瞬遅れ、シュタンの指示とスミの舌打ちが響いた。カイは他部署から届いた敵の情報を四機のVEMに回し終え、映像に目をやった。三つの帝国VEMのうち、最前線にいたコンのVEMブルスクーロが銃で狙いを定める。
的は、迷彩塗装をした巨人であった。