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コメディ短編

世界がカジキマグロに滅ぼされる前に

作者: 灰鉄蝸




「いいですか、知らない人間に親切にする人種はことごとく詐欺師と正当セックス推進法違反者です」



 血溜まりに少女が倒れていた、と思って頂きたい。

 ランニングの途中だったのだろう。

 夜の闇があたりを塗り潰す中、道端に伏せている彼女のジャージは破れ、赤黒い染みと、いくらかの臓器の破片が艶やかに撒き散らされていた。

 通り魔にでも遭ったのか。とどめを刺すまでもなく、もうすぐ彼女は死ぬだろう。

 たとえ今から病院に運ばれたとしても、大量の出血と内臓破裂、感染症の恐れさえある露出した傷口が、速やかにその命を奪い取る。

 もう意識があるかどうかすら怪しい。生きているだけで奇蹟のような瀕死の重傷。


 その無惨極まる姿へ話しかけるのは、うさん臭い声だった。

 少女のぼやけた視界の中、真っ黒な燕尾服だけが闇夜にくっきり浮かび上がっている。

 無駄に親しげな語り口だった。

 まるで児童向け番組で蠢く着ぐるみ、調子外れの陽気さ。


「幸いにも私はホモ・サピエンスではありませんので、お得な取引となっておりますが。いやまったく反セックス主義者は非生産的と申しますが、感情的な嫌悪はむしろマイノリティがあるがゆえの――おっと失礼、脱線しましたね。つまり私があなたを助けるのは、肉体関係が目的ではないと言うことです。うん、素晴らしい!」


 恐るべき自画自賛。

 しばらく耳を澄ますように押し黙った後、何かに気づいたように紳士は手を叩いた。


「あっ、心臓が止まってますね……んっ……しかも脳死状態!」


 詐欺師だとかセックスだとかほざいている途中で、色々手遅れになっていた。

 困ったように頭を掻く男の頭部からは、耳障りな擦過音がしている。硬くざらついた音だ。


「では、契約成立と言うことで! みんなハッピーですね!」


 人命第一である。奇蹟は無料、おかわり自由なのだ。

 嘯きながら少女だったもの――すでに死体である――へ手をかざし、紳士は言い切った。


「何せ、ソドムゴモラ的テロリストをこの世から除去するだけの簡単なお仕事です!」


 その頭部はちょうど、空に浮かぶ満月のように真ん丸だった。

 人体から生えた銀色の金属球体が、爽やかな笑顔を浮かべていたと思って頂きたい。

 具体的にはメカであった。







 矮躯といって差し支えない、貧相な体つきの少女が居たとしよう。

 たとえ現代の先進国の食糧事情が目下、カロリーにおいて恵まれたものであろうと、発育の良し悪しは個人個人の問題である。

 要するに彼女の胸は絶壁だった。

 せめて筋肉をつけようと、夕食後に走り込みをしていた最中。

 猫の鳴き声が背後から聞こえて、気付けば、酷く重い衝撃が腹部に食い込んでいた。


――うぶろばっ。


 到底、乙女の断末魔として出てはいけない類の音を漏らし、彼女は倒れた。

 その後は言うにおよばず。

 そして現在。




「まず人間が祈ったり小便を撒き散らしたり、供物を捧げたりしても、その見返りとして奇跡が起こるわけがないのです。そう、つまり! 上から振ってくるギフトはありがたく頂戴しましょう! 私はあなたの味方です、まあ見方によっては天敵ですが」


 目を覚ますと、頭にデ〇スター(昔のSF映画のあれだ)をくっつけた巨漢が部屋でくつろぎ、演説をぶっていた。

 まさに混沌である。

 こんな経験がある中学生って少ないよね、と独りごち、件の少女――安藤エリコは空ろな笑みを浮かべた。

 元々、クラスメイトに万年低血圧と揶揄される自分だが、このように過酷な試練を科されるほどの悪人だったろうか。

 もう嫌だ、天の岩戸に引き籠もりたい。

 思わず宗教がかった現実逃避をしたくもなろう。


「いやはや存外、驚かれませんね――これでも私、人間ではないんですよ」

「うん、知ってる」


 親切そうに話しかけてくる異形の男は、控えめにいって不審者そのものだ。

 何せエリコが瀕死の重傷を負い、脳裏で走馬燈がちらつく中、ペラペラと慇懃無礼に喋っていた怪人である。

 走り込みの最中、通り魔に後ろから刺された傷の完治といい、現実離れしたことが起こりすぎている。


「もう悲しみで涙がちょちょ切れそうで。あたしの頭がついに狂ったのかなあって」


 まるで魔法みたいだと思ったが、そんなことはどうでもいい。

 何故なら、相手はどう見てもメカである。

 不審すぎる。


「幸運なことに現実です。あなたは通り魔に腹部を破壊され、他ならぬ私の治療で蘇生しました」


 簡潔な事情説明の後、こちらの反応を確認することさえせず、怪人は自己紹介をはじめた。

 まるで対話をする気がないかのようだ。


「おっと申し遅れました、私めはスパエラと申します、以後お見知りおきを。ところで、すでに死体になっていたあなたを蘇生させたことで、相応の手続きがございまして」


 スパエラは燕尾服のポケットからハンカチを取り出し、頭部の金属表面をつるりと撫でた。

 壮絶に嫌な予感がした。


「いわゆる、魂の契約というやつですね。もちろん、詩的ポエットな比喩であって実情に沿った取引ではございませんが、私めのそれは極めてお得、奇蹟の大盤振る舞いですので――」


 こほん、と咳払い。

 一々芝居がかっているのが不快である。

 しかしながら、続く宣言はもっと鮮烈であった。




「無料の奇蹟一回につき、地球時間で二十四時間分の強制労働です。おめでとうございます!」




 無料の定義が乱れていた。

 エリコは突っ込みどころ満載すぎる状況に、血圧を上げて声の限り叫ぶ。


「思いっきり有料じゃないッ!」

「比喩的表現というやつですね。あなた方の、さもしい野蛮な生活に比べればただ同然、お買い得ですね!」

「詐欺で訴えてやる! 契約した覚えすらないよ!」


 悩むのも悲しむのも馬鹿らしい。

 天使もかくやという邪気のない笑顔――金属表面に晴れやかな無料スマイルを投影している――が腹立たしかった。


「ご安心を。我々の郷里では違法ではありませんよ。当方の偉大な祖国においては、人類は万民に愛される動物ですから、エリコさんも大人気になりますよ」


 頭の悪そうな振る舞いが貴婦人に人気です、と、にこやかな解説が入った時点でエリコは確信した。

 ますます禍々しい印象になったのは気のせいではないらしい。

 どの辺に年頃の乙女が安心できる要素があったのだろう。

 天使か悪魔か知らないが、こいつは関わるとろくなことにならない類の生き物だ。


「地球の危機です。力を貸して頂けませんか」

「あのね、会話の順番がおかしいと思うんだけどさ。もっと穏当なタイミングがあると思うの、うん」


 アドバイスをした理由は単純で、さっさと別の人間のところへ行って欲しかったからだ。

 大体、通り魔に襲われたこと自体ショックな出来事なのに、何が悲しくって狂人の相手をしなければならないのか。

 その黒い思惑を知ってか知らずか、スパエラは申し訳なさそうに項垂れる。


「失礼。やはり机上の学問だけでは、未開生物との接触には限界がありますね。我々の研究もまだまだと言ったところですか」

「……魔法とかそう言う方向じゃないの?」

「血まみれで痙攣している小動物の前で笑顔の紳士です、そんな風にリリカルな境遇の生まれなわけがありません」


 すごい説得力だった。

 一応、地球人向けの自虐のつもりだったらしいのだが、堂に入りすぎていて笑うに笑えない。

 否、やっぱり面白い。

 結局、失笑じみた「んふっ」という掠れ声が室内に響いて、ひどく気まずい空気だけが残された。

 おほん、と咳払い一つ。異形の男は佇まいを直して。


「エリコさん、ともかく事情を聞いてくださいませんか」


 これ以上、話を妨害する理由もなかった。

 勝手に喋り始めたスパエラが言うには、彼らの種族――ファンタジックな異世界ないし異次元の出身らしい――は、はるか以前から地球を見守っていたのだという。

 生物育成型のテーマパークとして。

 その発端となった動物飼育ブームとその終焉により、地球が迎えた運命は波乱に満ちたものだった。

 曰く、育成に飽きたオーナーが、氷河期や隕石の激突を起こして無理やり企画を打ち切ろうとしたこと。その無責任な運営により放置され、荒れ野と化したテーマパークの跡地のはずだったが、生き残った人類が文明を築き今日まで生き残っていた光景に、全国民が感動の涙を流したこと。

 その愛らしさに何度目かになるペットブームの波が到来、かくして貴重なペットの繁殖地として保護されている地球に、凶悪犯罪者が逃げ込んだこと――


「……ペット?」

「ええ、あなた方はペットショップでも大人気ですよ。やはりというべきか、熱心な愛好家も増えていましてね。原産地から直輸入された個体はプレミアがつくほどですが、学生でも手が届くお手頃なものもたくさんあります」


 どうやらペットブームで一番人気の動物は地球人類らしい――聞かなかったことにしたい事実だった。

 ドン引きしたのが顔に出ていたのか、胸中を察したかのように怪人が手で合図。

 フォローすべき部分があるという。


「エリコさんが何を考えていらっしゃるのかはよくわかります。御国でもやれ神隠しだ、UFOだ、キャトルミューティレーションだと嘆かわしい報道がされていたそうですね。ですが勘違いして頂きたくないのは、宇宙人による拉致事件などと言われている事象はすべて非合法な取引だと言うことです」


「そ、そうなんだ」

「ええ。本国で流通しているペット用ホモ・サピエンスは、合法的なライセンスのもと捕獲を――」


追い打ちのように、ペット云々の話題から救いがなくなった。真剣に考えるとどうしようもないので、彼女は考えるのをやめた。


「あ、その話はもう結構ですので、先に進めてください」


 この少女、警戒感から、いつの間にか話し言葉が敬語に変わっている。


「……件の凶悪犯罪者は、その危うい言動で当局に中止されている人物でした。彼はかねてから非生殖器での性行為を過度に礼賛し、淫行に耽っておりました。それだけなら正当セックス推進法違反者として矯正施設送りで済みましたが、あろうことか――異種姦通の趣味があったのです」


 それも愛玩動物相手の、とのたまうスパエラの雰囲気は真剣であった。

 人外の身振りに、どこまで人間の常識が通じるか怪しいところだが、茶々を入れてしまえるほど神経が図太い彼女でもない。

 結果、スパエラのペースに呑まれてしまう。


「彼の変態的欲望の対象は、地球在住のホモ・サピエンスに限られており、極めて冒涜的な計画が実行に移されようとしていたのです。当局が動いたときには地球へ逃亡済みでした。もちろん、紳士として彼を放っておくことは憚られますね、ええ」


 そこで私は紳士の義務を果たしに追跡してきたのです――と誇らしげに胸を張る怪人。

 一方、あまりにもひどい内容に少女は頭を抱えた。


「動物愛護団体からのクレームを避けるため、原住生物の感動的な行いによって解決されねばならないのです。いいですか、あなた方の野蛮さは罪ではありません。どんな蛮行にも未開種族のセオリーがあるのです、進歩的価値観を持ち、絶対的権威を保有する我々は可能な限りその風俗を尊重致します」


 素晴らしい上から目線だ。

 いっそ清々しい域の差別であり、どうやら地球存亡の危機は一山いくらの市民団体のおかげで延命されるらしい。

 どうせなら、自分の知らないところで人類が滅んだり滅びなかったりして欲しかった。

 エリコは深々と溜息をつくと、世にあふれる夢見がちな十四歳の元へスパエラが向かわなかった現実を恨んだ。


「薄々わかってたけど最低……」

「ええ、悲しむべき不幸な事件です。一刻も早く解決しなければなりませんね、エリコさん!」

「断ってもいい?」


 思わずこぼれた心の声だった。



「それは残念です。では、今生の別れですね!」



 耳を疑う反応が返される。

 わざとらしい営業スマイルのまま、丸っこい金属からほとばしる言葉は邪悪だ。

 どこか楽しげに死刑宣告が開始された。


「いいですか。あなたが諦めてしまう場合、たった今から地球上で七十億人が亡くなってしまいます。ええ、悲しいことに! "奇跡"的な確率で連鎖した大災害が! 超高出力魔導熱線砲の直撃が、めくれあがった地殻津波が地表を壊滅させ、本来出るはずもない犠牲が出てしまうのです! 不幸中の幸いは、我が故郷の恥知らずが偶然にも巻き込まれてしまうことぐらいでしょう」


 これは自明の理だが、エリコはあくまで一介の中学生であり、断じて全人類の存亡を背負う義務はない。


「地球を守るためっていってたじゃないですかぁあ!」


 あまりにもあんまりだった。

 想像を絶する支離滅裂さに本音を叫ぶ。

 というか人口的に絶滅してないかそれ、と少女は思った。


「脅迫だよ、馬鹿じゃないのっていうか馬鹿、人でなし!!」

「仰るとおり。私めは人間ではございませんので、そういった不幸な行き違いもままあるかもしれませんね」


 彼女の罵倒に反応してか、メカ紳士の頭部――丸い金属塊がゆらりと波打ち、真っ黒な穴が開いた。

 それは紛れもなく砲門だった。間違いない。

 スーパーレーザーだの波動砲だの、無駄に強そうな感じのなんかすごい大砲。

 そう、無駄だ。

 少なくとも地球を守るためには要らない武装に違いない。

 もしかしたら、こけおどしなのかもしれないが、希望的観測が外れた場合のリスクを考えると迂闊なことは言えなかった。

 思えば、この時点でエリコの未来は決まっていた。


 つづく長台詞は、独善と偏見と身勝手にあふれていた。


「人間の協力者、その繊細な手を借りることで解決できた問題が手遅れになり、地球上の全生命諸共、消滅させねばならくなる――悲劇ですね。ええ、しかし不可抗力です。その場合、我々の安全保障のため是非とも絶滅して頂かねばなりません」


「少しは生臭い意図隠そうよ! ていうか実行するのあなたで確定なんだ!?」


 世界の危機である。

 まさか、命の恩人が地球滅亡を仄めかす元凶その人であるなど誰が想像しようか。

 いや、さっきからのスパエラの言動を鑑みる限り、想定の範囲内と言えなくもないが。上げて落とすというより、終始、暴言しか言われていない気がする。


「ファンシーな夢と希望の代わりに、磨き抜いた誠実さを提供する……文明種族たる私めの好意ですね!」

「好意よりもナルシズム治してよ!」


 叫びながらも、とっくの昔にエリコは諦めていた。



――これ、もう逃げられないよね。



 こうして彼女は動物愛護団体への隠れ蓑として、二十四時間の強制労働に駆り出されることになったのである。

 地球を守るため為された、十四歳の少女の尊い自己犠牲であった。

 無論、世界平和が云々と極めてうさん臭いキーワードを喋らされたのは言うまでもなく、後にその決意と覚悟のくだりはスパエラの本国で好評を博すのだった。







 まず東京都がこの世の地獄になっていた、と思っていただきたい。

 結論から述べよう。エリコが説得された時点で、事態はすでに手遅れであった。

 満員電車から溢れ出すのは悲鳴を上げる老若男女であり、逃げ遅れた人間を足蹴にしながら駆け出すも、次々と背後から襲いかかる"それ"に胸を貫かれ絶命していく。

 あたりに充満するのは猫の鳴き声。


 それを都庁の天辺から眺めている、ジャージ姿の少女が一人。


 安藤エリコその人である。眼下で繰り広げられる恐るべきカタストロフに対し、エリコの目はどぶ川のように濁っていた。

 スパエラとの遭遇から一週間、次々と事件解決に駆り出され、ことあるごとにスパエラに助けられた結果、その強制労働期間は延長に延長を重ねていたのである。

 しかも件の“ソドムゴモラ的テロリスト”に操られた敵は、大半が顔なじみやクラスメイトだった。

 具体的な事件は割愛するが、正気を疑うような変人奇人の饗宴が展開されていたのである。

 つまり性的な意味で。


――ならば十四歳の乙女とて、こうもなろう。


 くり返しは笑いの基本だ。

 普通なら心を折るであろう惨事も、連続しすぎると失笑もののギャグに様変わりするらしい。


「おや、泣いたり笑ったり怒ったりと言った情動が見受けられませんが、如何しました?」

「べつに。あたし、東京嫌いだし」

「ははあ。なら仕方ありませんね」


 脇で水筒から茶をすするスパエラ(チューブから体内に流されている)とのやりとりも、非人道的なコミュニケーションだった。

 やがて意を決したようにエリコが前に踏み出し、ビルから飛び降りる。

 スパエラもこれに続き、都庁から地上まで、勢いよく自由落下――着地。

 二人は重力制御を利用し、羽毛が地面に落ちるかのごとく柔らかにアスファルトの大地を踏む。

 見れば、高層ビルが織りなす摩天楼を、無数の影が這い回っている。

 大きさはちょうど人間くらいだが、前後に長い体躯は人間のものではありえない。


 街中に響き渡る大合唱。

 にゃーん。


「エリコさん、あれが我々の敵の最終計画」


 可愛らしい鳴き声であった。

 されど死者の眼のごとく空ろな、魚類特有の丸く暗い双眸は陸生哺乳類のものではない。

 そいつは槍のように尖った上顎から赤い雫を垂らし、怪物が二本足で近づいてくる。ほとんど弾丸じみた胴体は、青白い鱗を纏った大型肉食魚のものだが、どういうわけか人間じみたアスリート風の手足が生えていた。

 英語でソードフィッシュ、実はマグロではない食物連鎖の上位者。



「――カジキマグロ人間です」



「え、あ、うん…………どこが?」


 若干、死にかけている表情筋が引きつった。

 昨晩エリコが食べた夕食はカジキマグロのソテーである。

 その赤身肉は美味なものだが、断じて手足の生えた醜怪な半魚人もどきではなかった。


「手足と鳴き声が不自然だよ! っていうかもう自然って何さ!」


「カジキマグロに突き刺された人間は、奴らの同類へと変異します。あなたも私が助けなければ危うかった。この惨状では――もう、東アジアは手遅れでしょう」


 にゃーん。

 咆哮と共に襲いかかってくる影に向けて、エリコも負けじと飛び掛かる。

 一瞬の交差の後、弾丸の勢いで突進したはずのカジキマグロが爆裂。すれ違いざまに叩き込まれた手刀が、すさまじい圧力を送り込み、その肉体構造を破壊したのである。

 撒き散らされる臓物をものともせず鈍い眼差しで周囲を睥睨すると、圧迫感に波が引くように後退するカジキマグロ。

 すべて、エリコが毎日飲まされているマジカル健康食品の成果だ。

 今では、重力制御と身体能力の異常な増幅はお手の物。

 ここに至るまで何度、奇蹟という名の借金を増やしたかは語るも涙、言わぬも涙である。


「通り魔の正体ってこんな半魚人だったんだね……」


 打ち棄てられた自動車や脱ぎ捨てられた衣服が、青物市場の野菜よろしく無造作に並んでいる。

 かすかな音に足を止めると、主を失ったスマートフォンが足下にあった。

 屈んで拾ってみると、生中継の映像が再生されている。

 惨劇を上空から写そうと頑張る、さるTV局のリポートだ。


『ここ東京は、もはや魚によって支配されています、う、うわっ!』


 上空から報道していた青年の真ん前に魚の顔が映る。同乗していたスタッフが感染者だったらしく、カジキマグロに変貌したのである。鋭い上顎で全身をメッタ差しにされ血の海に沈むリポーター、どんどん傾くヘリの窓から見える景色。

 遠くで、何かが爆発する音がした。

 無言でスマートフォンの電源を切った彼女へスパエラが声を掛ける。


「行きましょう。奴の居場所が判明しました」







「これは……」


 人通りの少ない公園に、四メートルほどの肉塊が鎮座していた。

 一言で言うなら、たくさんの触手を生やしたヤドカリだ。甲殻にあたる部分はスパエラと同じ金属で構成されており、艶やかな光沢を保っていた。

 しかしそれ以外は無惨なものだ。

 生殖器を模したと思しき触手はすでに腐敗をはじめ、腐りかけの魚介類に似た悪臭が公園に立ちこめている。

 頭部の金属部分に空いた穴が致命傷のようだった。

 カジキマグロの上顎に貫かれれば、丁度あのぐらいの穴が開くだろう。

 検屍を終えたスパエラが訥々と語り出す言葉を、エリコは黙って聞いていた。


「彼は半魚人と……背徳的な行為に及びたい、そんな願望を持ってしまったのです。前々からお気に入りだった地球人類をベースに、その対象を作り出そうと試みたのでしょう。そしておそらく、その成果物に命を奪われた」


 哀愁すら漂わせる言葉だった。


「ごめん、ちょっとね。どういう顔すればいいか悩む場面なんだけど。地球ごと倒そうとした相手の割りに、あっさりし過ぎって言うか」


 半ば嫌味に近い台詞だった。

 しかしスパエラの返答は想定外の、無駄に壮大なものだった。


「それだけ不測の事態を引き起こす存在なのですよ、あれは。人類の文明を吸収したカジキは、やがて全宇宙へ拡散し、我々にとっての脅威となるはずです。星を砕き、ブラックホールの重力を振り切って、太陽の熱で増殖する銀河規模の蝗害」


やがて太陽をすっぽりと覆う恒星球殻(ダイソン・スフィア)を建造し、飛躍的に文明を発達させ、全宇宙に拡散するカジキマグロが生まれるだろう。

 あらゆる文明を飲み込み、増殖を続けながらその形質を変態させるのだ。

 巨大化を繰り返した結果、ブラックホールの深奥、事象の地平以外に恐れるものが無くなった神のごとき異形さえ。

 皆、アスリートもかくやという太い四肢を持っているに違いない――


「カジキマグロ違うよね、それ。いやもう手足とか鳴き声とか色々突っ込みたかったけど」


「いいえ。カジキマグロこそ、地球人類が行き着く究極の進化形。奴はそれを利用し、現行のホモ・サピエンスを消し去ろうとしていたのです」


 突っ込みにまともな答えが返ってこないものの、エリコにとって意外だったのは彼の怒りだった。

憤っている。

 ひどく真剣な、深い激情が今のスパエラからは感じ取れる。

 もしかしたら、と少女は思う。たった一週間の共闘とはいえ、その経験が彼の価値観に影響を与えたのではないだろうか。


「――カジキマグロには動物愛護の精神が足りませんね!」


「台無しだよ!」


 忘れていた。

 この異世界のメカっぽい紳士は、そもそも人間をペット供給源としてみているのだ。


「エリコさん、提案があります」

「……なに?」


「私の奇跡を使って、カジキマグロを人間に戻してみませんか。――強制労働も今までとまとめて一回分になります」


「えっ……待って、さっきぶち殺した分は? 元に戻るの?」

「ええ、死体は死体では? エリコさんは殺人の罪と向き合うべきでは?」

「クソが!」


 正常な判断能力が奪われる境遇にあっても、少女の反抗は尽きることがなかった。

というより、彼らの突っ込みどころが多すぎるのだ。

 なぜ、また強制労働なのか。

 温情で手心を加えてくれてもいいじゃない、と涙ぐむ彼女へとどめを刺すような言葉。


「手続き上の問題がありまして。未開生物を対象とした奇蹟の場合、強制労働をセットにしなければ奇跡の行使ができないのです。何せあれの運用には、我が国でも複雑なプロセスを介しますからね――如何でしょう?」

「お役所仕事め……!」


 もちろん、安藤エリコは涙を呑んで頷くほかなかった。







 エリコに面倒ごとを押しつけると、スパエラは颯爽と地上を去っていった。

 長年、共にあった戦友へ語りかけるかのような言葉を投げかけ、彼女の作り笑顔を撮影しながら。

 おそらく何から何まで安藤エリコの献身によって解決されたことにして、動物愛護団体の追及をかわす腹積もりなのだろう。

 結局、最後に残った二十四時間分の強制労働を思うと、迂闊なことは言えない自分が恨めしい。

 あいつら、最悪の侵略者じゃないと愚痴る。

 奇蹟によって『人間らしくなった』半魚人へ目を向けた。


「滅茶苦茶だよ」


 たしかに皆、人間らしい秩序を取り戻している。いたずらに人間を襲ったりしないし、混乱しながらも現状を認識しようと頑張っているようだ。

 しかし。

 姿形がカジキマグロのままだった。

 カジキマグロによって殺された人間が皆、奴らの同類と化していることを思えばその混乱は加速するだけだろう。

 何せ容姿で見分けがつかないし、人間の言葉を話せるかも怪しかった。

 ゾンビ映画と違って、生前の姿が判別できないのである。


「そりゃ、元通りには絶対ならないだろうなーとか思ってたけど。ないよ、これは」


 気付けば、足から力抜けていた。

 へなへなと路面に座り込み、どっと押し寄せた疲れに溜息がもれた。

 あまりにも現実離れした出来事が連続し、急に解放されたせいで緊張の糸がぷっつり切れてしまったらしい。

 道端には人を襲うのをやめたカジキマグロがたむろし、道端で拾った携帯電話でゲームを遊んだり、女性の下着を奪い合って殴り合いを始めている。

 むしろ問題はこれから増えそうだった。

 何か、いい解決法はないものかと考えて――神頼みと奇蹟だけはないな、と即決。

 人間の手だけできるものがいい。



――そして面倒ごとはなくなればいい。


 

 ごそり、と廃ビルから物音がした。

 目を向けると、小学生くらいの児童が混乱した様子で辺りを見回し、こちらを見て駆け寄ってくる。

 混乱の中、ずっと隠れていたらしい。

 年長者を捜していた子供たちへ笑いかけると、エリコは今日の朝から何も食べていないのを思い出す。

 まず空腹を満たさねばならない。

 未来のことは、その後に考えてもいいはずだった。

 何となく、思いつきを口にする。


「とりあえずカジキマグロでもさばいて料理作ろう」


(終)

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― 新着の感想 ―
[良い点] もしもこれが至極真面目な語り口だったら、二重の意味で年齢制限をつけざるを得ないような過激な内容ながらも気が抜けてしまうような、エリコとスパエラの掛け合いがまさしくシュールギャグと呼ぶにふさ…
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