雪
僕が何度か彼女の会社に通うようになって、いつしか僕たちは二人だけで逢うようになっていた。12月のはじめだった。地下街のお店で食事を終えた僕たちは、階段を上がって外に出た。細かな雪が音もなく舞っていた。ターミナルまで続く大きな道は色とりどりのイルミネーションが施され、道沿いの建物のライトアップと絡み合い、まるで雲の中へ続く道のようになっている。
きれいね。
彼女が空を見上げながら言った。細かな雪が彼女のまつげに落ちて、溶けた。しばらく彼女は空を見ていた。雪は降り、いくども彼女の顔に落ちては溶けていた。僕は言った。
寒いね。あそこのラウンジでコーヒーでも飲もう。
僕は道路の向かい側にある、大きなホテルのロビーラウンジを指差した。彼女はだまってうなずいた。少しずつ雪は勢いを増しているようだ。彼女の長い髪が少しずつ白く覆われていく。もうすぐロビーラウンジだ。
ホテルは僕たちと同じように、暖を取る人でいっぱいだった。ラウンジの窓際にちょうど二人がけの席を見つけて、僕は彼女の手をとった。
コーヒーとココアを。
注文をとりに来たウエイトレスに僕は言った。彼女はいつもココアだ。しばらく外の景色を眺めながら、僕たちはいろいろな話をした。僕の小さいころの話や、彼女が大学生のころの話。僕は犬が苦手で、彼女は泳げない話。彼女は幼稚園のころからお母さんと二人で暮らしていて、僕は実家が見えるところに部屋を借りて一人で暮らしている話。そんな二人以外にはどうでもいいような話を僕たちは延々としていた。だんだんと雪は強くなり、いつしか窓の外は白く覆われていた。壁にかけられた時計をみると、11時を少し回ったようだ。
そろそろ行こうか。
彼女は黙ってうなずいた。
地下鉄の駅まで僕たちはただ手をつないで歩いた。なぜかは分からないが、そうしなければ彼女がどこかに行ってしまいそうな気がしたからだ。
地下鉄のホームに人はまばらだった。電車はすぐにやってきた。空いているシートを見つけて彼女をそこに誘った。でも彼女はドアのすぐそばに立った。
私はここがいいの。
彼女はそう言った。僕は黙って彼女の隣に立った。彼女はただ外を見ていた。僕は彼女の右側にいた。
やがて彼女の降りる駅が近づいた。駅名のアナウンスが頭の上から聞こえていた。
ふと彼女を見ると、目からひとすじの涙が頬を伝っていた。僕は混乱した。彼女は僕を見た。地下鉄が止まり、ドアが開いた。
今日はありがとう。おやすみなさい。
そう言って、彼女は地下鉄を降りた。まるで彼女は自分が涙を流していることに気づいていないようだった。
おやすみ。
僕にはそう言うのが精一杯だった。