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感情の持ち方がわからない少年

こんにちは、この作品の著者です。楽しんでいただければ幸いです。読んでいただきありがとうございます!

第一話 愛を知らない少年


小雨が降る夜だった。


月明かりに照らされた街を、一人の少年が涙をこらえながら歩いていた。


彼の名前はアンシエタ。


帰る場所はない。


家もない。


家族もいない。


道行く人々は彼を見ても気に留めなかった。


まるで存在していないかのように。


そんな時だった。


一人の女性が彼の前で立ち止まった。


月明かりに照らされた茶色の髪が風に揺れている。


「どうしたの? こんな時間に一人でいるなんて。」


アンシエタはゆっくり顔を上げた。


「僕には……誰もいません。」


女性は少し驚いた表情を見せた。


「誰も?」


彼は静かにうなずく。


すると女性は彼の前にしゃがみ込み、優しく抱きしめた。


アンシエタは目を見開いた。


温かかった。


知らないはずの温もりだった。


「大丈夫。」


女性は優しく微笑んだ。


「今日から、あなたは一人じゃない。」


「深刻な ……?」


「私の名前はスミカ。」


彼女はそう言って微笑む。


「もしよかったら、私があなたの家族になる。」


その瞬間。


アンシエタの人生は大きく変わった。


――七年後。


「アンシエタ! 早くしないとバスに遅れるわよ!」


家の中にスミカの声が響く。


「今行く。」


十六歳になったアンシエタは、愛用のMP3プレイヤーを手に取った。


制服を整え、家を出る。


いつもの音楽がイヤホンから流れ始めた。


学校へ向かう途中。


彼は周囲の人々を眺めていた。


親子。


友達同士。


恋人たち。


アンシエタには理解できなかった。


愛情とは何なのか。


恋とは何なのか。


家族とは何なのか。


だが、彼らが幸せそうに見えることだけは分かった。

やがてバス停に到着した。


アンシエタはいつものように静かに待つ。


数分後、バスが到着した。


彼は乗り込み、窓際の席へ座った。


音楽を聞きながら外を眺めていたが、不意に近くから聞こえてくる声に気付く。


「だから逃げるなって言ってるだろ。」


低く威圧的な声だった。


アンシエタは片方のイヤホンを外した。


少し離れた席で、一人の男子生徒が少女の手首を強く掴んでいた。


少女は苦しそうな表情を浮かべている。


「やめて……。」


「俺の言うことを聞け。」


周囲の乗客たちは気付いている。


しかし誰も動かない。


少女は助けを求めるように視線をさまよわせた。


そして――


アンシエタと目が合った。


「お願い……。」


かすかな声だった。


だが彼には聞こえた。


アンシエタは立ち上がる。


ゆっくりと二人の前へ向かった。


「その手を離せ。」


男子生徒は不機嫌そうに顔を上げた。


「あ?」


「離せと言った。」


少女の腕を自分の後ろへ引く。


男子生徒の顔が怒りで歪んだ。


「何様だお前!」


彼は拳を振り上げた。


しかしアンシエタは冷静だった。


男子生徒が殴りかかる。


その瞬間。


アンシエタは身をかわし、腹部へ鋭い一撃を入れた。


男子生徒の呼吸が止まる。


さらにもう一撃。


男子生徒は床へ倒れ込んだ。


周囲が騒然となる。


恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にした男子生徒は、そのままバスから逃げ出していった。


車内は静寂に包まれる。


そして次の瞬間。


拍手が起こった。


アンシエタは何事もなかったように自分の席へ戻る。


少女は慌てて彼の元へ駆け寄った。


「あ、ありがとうございます!」


アンシエタは首を傾げる。


「礼を言われることじゃない。」


「え?」


「助けるべきだと思っただけだ。」


少女は呆然とした。


彼は本気でそう思っているらしい。


感謝されることを求めていない。


見返りも求めていない。


そんな人を彼女は初めて見た。


その時だった。


彼女はアンシエタの制服に気付く。


同じ学校だった。


「同じ学校……?」


少女の胸に興味が芽生える。


彼はいったい何者なのだろう。


***


学校へ到着した後。


アンシエタは校門へ向かって歩いていた。


その後ろでは少女がこっそり追いかけている。


だが隠れているつもりなのは本人だけだった。


アンシエタはとっくに気付いている。


「……。」


しかし何も言わない。


すると突然。


「ゆなーーー!」


少女――優奈ゆなの背後から誰かが飛びついた。


「きゃあっ!?」


優奈は驚いて振り返る。


そこには親友の鏡音かがみねがいた。


「何してるの?」


鏡音はニヤニヤしている。


「さっきから怪しいんだけど?」


「な、何でもないよ!」


「嘘だぁ。」


鏡音は笑う。


「まさか恋?」


「ち、違う!」


優奈は顔を真っ赤にした。


鏡音はますます面白そうな顔になる。


「じゃあ頑張ってね!」


「だから違うってば!」


鏡音は手を振りながら去っていった。


優奈は深くため息をつく。


そして再びアンシエタを見る。


彼は相変わらず無表情だった。


それが余計に気になった。


***


放課後。


優奈は何度も深呼吸していた。


話しかけるだけ。


それだけなのに緊張する。


アンシエタが校門へ向かう。


今しかない。


優奈は走り出した。


「ま、待って!」


アンシエタが振り返る。


そして開口一番に言った。


「なぜ朝から僕を追いかけているんだ?」


「っ!?」


優奈の顔が一気に赤くなった。


見抜かれていた。


「そ、それは……!」


言葉が出てこない。


しかし勇気を振り絞る。


「お礼を言いたかったの!」


アンシエタは黙って聞いている。


「今日助けてくれて、本当に嬉しかった。」


しばらく沈黙が続いた。


やがてアンシエタは静かに答える。


「大したことじゃない。」


「そんなことないよ。」


優奈は微笑む。


「だって、あなたはすごく優しい人だから。」


アンシエタは目を見開いた。


優しい。


今まで一度も言われたことのない言葉だった。


心臓が少しだけ速くなる。


理由は分からない。


「それに――」


優奈は少し照れながら言う。


「あなたって、すごく面白い人。」


二人の視線が重なる。


沈黙。


そして同時に目を逸らした。


顔が熱い。


なぜだろう。


自分でも分からない。


そのまま二人は反対方向へ歩き出した。


だが、その日の夜。


アンシエタも優奈も。


互いのことを考えずにはいられなかった。


まだ誰も知らない。


この出会いが二人の運命を大きく変えていくことを。

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